1989年(平成元年)から翌年にかけてJR貨物から貨物輸送の増強としてEF66形100番代がデビューした。
この背景には後にバブル景気と呼ばれる好景気と、それによる輸送量の増加があった。
100番代のトップナンバー、101号機
EF66としては1974年(昭和49年)以来14年ぶり、JR貨物としては初の新製電気機関車として8両が登場した。
この100番代は、基本能力はそのまま据え置かれたものの、外観はもちろん、内部に至るまで多くの変更が施された。
外観の主な変更点を挙げると、前面に丸みのあるフォルムを採用、前灯を横並びに、そして塗装をJR貨物標準色とした等である。
1990年(平成2年)から製造された109号機以降では、車体すそに青帯が追加され、翌1991年(平成3年)度までに33両が落成した。
100番代のラストナンバーとなる133号機
100番代の101〜108号機まで(一次型)と、109〜133号機(二次型)の相違点は次のとおり。
・車体すそに青帯塗装が追加された。
・前照灯の形状および保護カバーを設けた。
・前面ナンバープレートの位置をやや下げた。(手すりの陰が重なるため)
・パンタグラフの変更。(PS22B→PS22D)
・前面窓上に水切りを設置。(この点だけ117号機以降で変更となっている)
なお、製造は、101〜108号機のうちの奇数車と、109号機以降の偶数車(計17両)を東洋電機・川崎重工が、それ以外(16両)を川崎重工・富士電機が担当した。
ちなみにこの100番代の車体は3色塗りである。
よくディープブルーとライトパープルの2色塗りと思われているが、実は上部のブルー部分がツートンである。
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JR貨物では100番代を新製して運用する一方で、1993年(平成5年)から0番代に対して延命更新工事を実施し、車体内外の機器部品を交換更新した。
外観上の主な変更点としては次のとおり。
・車体塗装色の変更(ボディーをライトパープルとディープブルーの2色分け)
・前面ナンバープレート飾り台の撤去
・前面飾り帯の撤去(通風口があったものについては埋められている)
・前面窓枠の黒色化
・ヒサシ取り付け(未設置の車両対象)
・区名札受の下部に「JR FRIGHT」のロゴ取付
・乗務員扉のステンレス化にともない黄色塗装
・側面明かり窓のパッキン交換 などなど・・・
ちなみに更新工事第1号は19号機(1993年6月17日出場)だった。
更新前後のEF66を同様の角度から比較してみる
前述した頭上の冷風装置(クーラー)以上に屋根上でひときわ目立つのがパンタグラフである。
電気機関車はこのパンタグラフを介して架線から電気を供給するわけで、必要不可欠なアイテムであり、電気機関車のシンボルとも言える。
EF66は本来PS17型と呼ばれる大きなパンタグラフを搭載していたが、少しずつPS22型の下枠交差式パンタグラフ(いわゆるクロスパンタ)への置き換えが進んだ。(PS22は、22Bや22Dなど細分化があるが、ここではPS22系としてまとめて扱うことにする。)
9、31、39、54、901号機等は国鉄末期(原色機)時代からPS22型を搭載していたものもあったが、国鉄時代はPS17型を搭載しているものがほとんどであった。
PS17型パンタグラフ![]() |
PS22型パンタグラフ![]() |
その後、工場入場時に部品調達の関係でPS17型のまま出場するものもあったが、着実にPS22へと載せ換えられ、2005年秋に最後のPS17型搭載であった35号機がPS22型へ更新され、全てのEF66がPS22型搭載となったのである。(ちなみに100番代は最初からPS22型パンタグラフを搭載している。)
下枠交差式の方が折りたたんだ時に天井上で占める面積が狭くて済むのが利点で、他の電気機関車(のパンタグラフ)との部品共有化の利点からもクロスパンタが主流となっている。
EF66最後の「更新色+PS17型パンタグラフ」だった35号機とクロスパンタ搭載後の姿
1994年(平成6年)12月のダイヤ改正で、「あさかぜ1・4号」と「みずほ」が廃止、以降は皆様ご存知のとおりブルトレは衰退の一途を辿ることになる。
下関所のEF66の運用にも余剰が生じるようになり、1999年の41号機以降、JR西日本からJR貨物への売却が4件発生した。
41号機(1999年3月)、44号機(1999年7月)、52号機(2000年7月)、54号機(2002年9月)
EF66入門 ・・・もくじ・・・
その1 〜0番代、一次車と二次車の区分など〜
その3 〜JR貨物新更新機登場〜
その4 〜原色復活!?〜
その5 〜廃車について〜
その6 〜EF66の保存について〜
その7 〜EF66、晩年の活躍シーン〜