EF66形量産開始 〜0番代、一次車と二次車の区分など〜

 1966年(昭和41年)に完成したEF90は各種性能試験をこなしていき、1968年からEF66が量産されることになった。

 1968年(昭和43年)10月、白紙ダイヤ改正(いわゆるヨン・サン・トウ)までに15両が製造され、それまでのEF65重連に代わって単機で高速貨物牽引の運用を開始した。
 EF66の牽く特急貨物列車は、日本一速い貨物列車として活躍し、その後のコンテナ輸送増加に拍車をかけ、ダイヤ改正ごとに増発される貨物列車に対応すべく、ヨン・サン・トウから半年後にあたる 1969年4月の小改正での増発用として16・17号機が、さらに同年10月改正での増発用に18・19・20号機が増備された。

 その後数年は1〜20号機と、EF901から改番された901号機の計21量体制がしばらく続いた。

 1973年(昭和48年)にさらなる貨物列車増発にともないEF66にも増備車が新製され、翌1974年までに追加で35両が製造された。(21号機〜55号機まで)
 番号は続番の21号機からとなっているが、高圧機器、ブレーキ関係、台車枠、運転室内に見直し部分が施された。
 外観上で最も変化が見られるのは、運転席窓上部に設けられたヒサシであろう。
 これは特に雨天時にパンタグラフや屋根上から飛び散った水滴が後ろ側の運転席窓を汚損させてしまうための対策として設置されたものである。

20号機まではヒサシのない一次型 21号機以降はヒサシの付いた2次型
ヒサシなしタイプ ヒサシありタイプ

 なお、国鉄時代において一次タイプでも後にヒサシ付きに改造されたものも多い。(→JR化後は11号機を除き、すべてヒサシ付きになった)

 ここまでのEF66形を大きく分類すると、試作型(901号機)、一次型(1〜20号機)、二次型(21〜55号機)に分けられる。
 (さらに製造年度によって若干の違いがあるが、ここでは2つのグループ分けとする。)

 量産途中からの外観上相違についてさらに挙げると、車体側面上部にある主抵抗装置の冷却風排風口のネット(写真赤色枠内)が、15号機までと16号機以降で異なっている。(15号機までは二分割、16号機以降は四分割)
 また、メンテナンス用のハッチ(写真赤色矢印)の位置や、メーカーズプレートの位置も異なるものがある。

 排風口とハッチの位置の違い 排風口とハッチの位置の違い
2分割の排風口(15号機まで) 4分割の排風口(16号機以降)
 排風口とハッチの位置の違い 排風口とハッチの位置の違い
 初期型の側面ナンバープレート付近  後期型はハッチが側面ナンバープレートの箇所となった
赤色矢印の部分がメンテナンス用のハッチで、後期型では側面プレートの位置にある。

 ちなみに後に登場するEF66100番代では、0番代の後期型に準じて四分割タイプの排風口となっている。
 また、100番代にはヒサシが無い。
 後に登場する100番台の側面
 100番代の冷却風排風口のネット(赤色枠内)とメンテナンス用のハッチ(赤色矢印)

 前面飾り帯についてであるが、901,1〜20号機までは通風口を兼ねていたが、21号機以降はその名の通り飾り帯。
 また、31号機までと32号機以降でその継ぎ目の位置が異なる。

 飾り帯の比較
 ↑901号機および1〜31号機までは幅広。
 さらに20号機以前では継ぎ目から外側は通風口を兼ねていた。
 21号機以降で通風口は廃止されたが一見その違いは分かりにくい。

 飾り帯の比較
 ↑32号機以降は継ぎ目が中央寄りとなった。
 これは通風口の有無よりも分かり易い違いである。

 製造以降、貨物牽引専任機だったEF66だが、1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正で、東京〜九州を結ぶ寝台特急の牽引機として一躍表舞台に踊り出た。
 これは同ダイヤ改正で「はやぶさ」(東京〜西鹿児島)へのロビーカー連結による牽引力増強が理由であったが、東京と九州を結ぶ他のブルートレイン「さくら」、「みずほ」、「富士」、「あさかぜ」(2往復)についても運用の効率化からEF66が担当することになった。
 高速貨物牽引用として開発製造されたEF66であったが、デビュー当初からいわゆる『特急色』であったため、ブルトレを牽引させてみたいと思っていた66ファンは多かったと言われている。
 寝台特急「はやぶさ」
 寝台特急「はやぶさ」は、最長14両の客車を牽いて、東京〜熊本・西鹿児島間(1,515km)というロングラン区間を所用時間20時間29分で走行していた。
 ※EF66牽引区間は、東京〜下関間

 ロビーカー。翼状のラインが特長。
 EF66抜擢の要因となった「ロビーカー」
 この車両が「はやぶさ」に組み込まれる事でそれまでのEF65PFでは力不足となり、EF66に白羽の矢がたった。

 1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正、いわゆる国鉄最後のダイヤ改正では、翌年のJR化を踏まえてEF66形1〜39,901号機が吹田機関区へ、40〜55号機が下関車両所へと配置された。
 このダイヤ改正では、1,200t列車で100km/h走行する「スーパーライナー」が登場し、貨物列車ではあるが機関車にヘッドマークが取り付けられるという花形運用が登場した。
 貨物列車でありながらヘッドマークが取り付けられた「スーパーライナー」

 1987年(昭和62年)4月1日、日本国有鉄道はJRに変わった。この分割民営化に伴い、吹田機関区と下関車両所は別会社となり、配備されていたEF66の所属も、1〜39,901号機がJR貨物、40〜55号機はJR西日本となった。(後に41,44,52,54号機がJR西日本からJR貨物へと売却移管されている。)

 JRが発足した1987年8月、20号機がJR貨物特殊試験塗装で全検出場した。
 試験塗装機、20号機
 EF66初の塗装変更であり、その奇抜なデザインが注目を集めた。
 (1993年10月までその特殊塗装で活躍したが、その後の更新で他の更新機と同じくJR貨物標準塗装となっている。)

 JR発足から1年後の1988年(昭和63年)、JR貨物では貨物列車としては初の最高速度110km/hの列車を運転開始した。
 高速走行に対応する貨車(コキ50000形)へのブレーキ制御を行うため、それを牽引するEF66に元空気だめ引通管コックが新設された。

 オリジナル状態 JR貨物仕様 JR西日本使用
オリジナル状態 JR貨物仕様 JR西(旅客)仕様

 JR貨物所属のEF66(スカートの1位側・4位側)に新設された元空気だめ引通管コック(中)
 一方、JR西日本のEF66には、ラウンジカーを含む寝台客車からジャンパ栓を受ける「ジャンパ連結受」が設置された(右)

 また、同じくJR貨物所属のEF66では、1988年から運転室上にクーラーが積載されているものも多く見られた。
 頭の上に箱を載せたような、実に取って付けたような形状で、EF66の持つせっかくの流線型が台無しという声もあるが、乗務員の勤務環境確保が優先と言えよう。
 ただし、クーラーを搭載できるのは内部機械の制限の関係で二次車(21号機以降)であるため、一次車(1〜20号機まで)に装備されることはなかった。
 天井上のクーラー
 運転室上に設置されたクーラー。
 鉄道ファンの間では「弁当箱」と呼ばれているとか?
 上から見た写真
 位置は天井の真ん中でなく、少し助手席側に寄っている。
 冬は取り外される事があった
 余談ではあるが、冬季はクーラー不要なため取り外してその整備をしたりと、一部の車両では期間限定で外されて走る姿も見られた。
 クーラーを取り外した27号機。その台座だけが残っている。


EF66入門 ・・・もくじ・・・

その2 〜100番代登場と、0番代の更新工事〜

その3 〜JR貨物新更新機登場〜

その4 〜原色復活!?〜

その5 〜廃車について〜

その6 〜EF66の保存について〜

その7  〜EF66、晩年の活躍シーン〜

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