十字架は忍足に抱きしめられたまま考えていた。自分は何も出来ずに忍足に甘え、跡部を利用している。
 そう考えただけでも自分に吐き気がした。
 柚一をいじめた奴等への怒りよりも、護れなかった自分への悔しさの方が強かった。
 だから涙は流れない。
 十字架は握り締めていた忍足のシャツを離して、ゆっくりと忍足から離れた。
「…悪ぃ…」
「いや、ええよ?」
 忍足は十字架に優しい。それは同情でも何でもない、ただ、忍足が十字架を好きなだけ。
 だから余計に嫌だった。

 …気がついたら縋っていそうで…頼っていそうで…
 そうなれば余計に辛くなる…それなしでは何もできなくなってしまう…

 十字架はそれが怖かった。…相手に深入りすること…自分に深入りされること…それが何より怖い…
「…結局…俺は何も変わってないんだ…」
 十字架の小さな呟くような声は忍足には聞こえなかった。
 だんだんと…自分で自分の首を絞めていく…。気付かないまま…自分で自分を苦しめていく。
 …強がって…他人に弱さを見せることをしないから…
 …一度弱さを見せると…自分を…柚一を…護る術を失ってしまうから…
 相手に弱さを見せることは出来ない。だから…十字架は苦しんでいく。

…迷い込んでしまった迷路は深く…動けば動くほど迷っていく…
…出口が見えない…光が見えない…
…音のない…光のない…真っ暗な闇…
…どんな周りに人がいても…誰かが救いの手を差し伸べていたとしても…
…暗闇の中で…十字架がそれに気付くはずはなかった…

 忍足から離れた十字架の顔はとても苦しそうだった。身体ではなく、心が…とてもとても苦しそうだった。
 まるで自分を苦しめているように…救いを求めているように…何かを祈るように…
 気が強そうで…実はとても脆いから。気が強いからこその脆さ。
 そして…気が強いから…その弱さを見せることが出来ない…それがまた、十字架を苦しめていく。
 だが、苦しいのは十字架だけではなかった。そんな苦しんでいる十字架を見る忍足も、また辛い。

…自分の無力さを知るから…十字架の距離感を感じるから…他人の醜さを知るから…

 十字架や柚一の近くにいれば、自分たちを好いている女たちのことを知る。
 その女たちが2人にどんなことをしているかを知る。
 …自分を上っ面だけで好いている者達の醜さを知る…
 勿論、それが全員だとは思わない。それでも、仕方がなくまとめて考えてしまう。
 自分の大切な者が傷付いてしまうから…余計に…
「……忍足…」
「何や?」
 十字架が自分を呼ぶ。今はただ、これだけが救いだった。

…自分の好きな人が自分の事を呼ぶということは…まだ自分を好いてくれているということ…

 十字架だから、恋愛感情かどうかは分からない。
 でも十字架の性格からして、信用がない人間に、自分から話しかけることは滅多にないだろう。
 忍足のささやかな幸せだった。
「……サンキュ…」
 少しだけ落ち着いた十字架の素っ気無いお礼の言葉。忍足はそれが嬉しくてたまらなかった。
「えぇって。あんま…追い詰めたらあかんで?」
 忍足が言うと、十字架はちょっと困ったような笑みを浮かべた。
「俺だから保障はできねぇけどな。」
 いつもよりは違和感があるけれど、さっきよりはだいぶマシな口調だった。
 そんな十字架を見て忍足も口元に笑みを浮かべた。

 このとき…忍足は十字架の身体のことを…良くは知らなかった。