カウンセラー



視界の端で、傾いたグラスのなかを半ばまで融けた氷がくるりと回るのが見えた。 冷えた滑らかな液体が喉を流れ落ち、すぐさま身体を焼いてに沁みこんでいく。ふう、と息を吐いた。

「随分強い酒ですね……」
目の前には制服姿の葉佩九龍が座っている、ミルクの入ったグラスに両手を添えながら呆れた様子でこちらを見ていた。

「薫りで分かるのかね未成年?」
「……いえ、そう、好きではないんですが……」
「英気を養うためだよ、中々に忙しくてね」
「身体に良さそうには思えないです」
「まあ、過ぎればな」

心配するな自分の酒の容量ぐらい把握している、やることもあるしな。
―――これから、忙しくなりそうだ。

目の前の葉佩を見る、《機関》からの報告では注釈つきの《転校生》。
推測混じりのその正体は会ってみて確信にかわった―――正体、というのは私も人のことをいえたものでもないがね。
ちなみに《機関》からの連絡では、もう一人派遣することが決定したともあった、しかも相手は腐れえ……顔見知りの。學園で余計な騒動を起さないとよいが……
髪をかき上げてこめかみを指で押さえる、校医としての顔もう一つの顔、どちらも偽りではないが……どちらが表でどちらが裏か、自分がどう信じているのか。
目の前の生徒を見る
美味しそうな顔をして牛乳を飲んでいた。マスターご推薦の牛乳はすぐに空になり、机の上へグラスがこつん、と置かれた。

「過ぎれば身体によくない、というのは酒だけでもないぞ、お腹を壊すなよ」
葉佩はその言葉をきいて首をかしげる仕草。
「お昼に、皆守にも言われました」
「ふむ……意外な一面もあるものだな」
「俺が皆守の分も飲んだので」
「……カレーに添えたのが悪かったのでしょうか」
「わ!」
「葉佩様、先ほどは話を聞いていただいてありがとうございます」
「千貫さん……」
「思わず長い時間話し込んでしまいまして……ですが私としても、坊っちゃまのことをもっとよく知ってもらいたい、と常々思っているのです」

「坊ちゃまか」
葉佩は知らないんだろうなあ……知ったときの反応が面白そうではあるが、葉佩も『坊ちゃま』も

「また来ても……いいですか?」
「ええ、ぜひ」
「マスター、すまないがお代わりを頼む、同じものを」
「かしこまりました」

カウンターへともどるマスターの姿をながめる。ふと顔を戻すと、葉佩も同じようにマスターの方を見ているようだった。
「君は、年長者と接するとこが多かったのかね?」
「え……?」
「年上が好きか」
「はい!?」

からかいつつ、店内を眺める。先ほどまでいた教師の姿がいつのまにかなく、今は他に客の姿はない。意外と時間が経っているな。
カウンターへと視線を向けると、マスターがグラスと並んで大きな氷を置くところだった、すっと手を上げる。いつの間にかその手には鋭くとがったアイスピックが握られていた。がつ、と音がして正面を向く、葉佩の青い顔。

「あ、あいすぴっく!?」
「葉佩? どうしたんだ?」
「へ? あ、何でも、ありま……」
「君は先端恐怖症なのか?」
「いいいいえ、全く!」
ぶんぶんと首を振る。

がつ
と、氷が割れて、葉佩がビクリ。

「何でもないようには見えないな」
そこへ新しく入れたグラスをマスターが持ってくる。テーブルの上に音もなく置き、戻る瞬間ぽつ、と呟くのが耳に入った。

「……面白い反応ですな〜……」

マスター?





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  昼寝同好会 会長


蝶がとんでいる。
甘く香る花もなく、暖かな陽の光もない、埃臭い遺跡の奥で。
幻に違いないその紫色の蝶に向かって九龍の手が伸びる。九龍の右手に触れた途端に紫の蝶は溶け、しかし消え去りはせず、存在を明らかにするように光が強まり形を改める。
女が、立っていた。
蝶の仮面をつけ、紫のドレスを纏った髪の長い女。
幻でないなら、何の仮装大会だ。
しかし、本来ならもっと驚愕が襲ってもいいようなものなのに、仮面の奥から紫の瞳に見つめられるうちにそういった警戒心が削がれていくようだ。
すでに見知ったものと向き合っている、そんな錯覚。不気味だ。

「この世は泡沫の蝶の夢……求め彷徨う者よ、ようこそ智の迷宮へ」
急になんだ。

「うわ〜、カッコイイ人」
となりで八千穂の感嘆の声。お前にはあれが格好いいのか? 女は八千穂を見てフッと微笑んだ。それから九龍へと視線が向けられると、途端に好奇心の光が煌き、紫に塗られた唇の両端がくっと上がる。

「わたくしは古代の叡智と共に在る者。悪魔、天使、魔女、精霊……或いは慈愛に満ち溢れた女神、或いは冷酷無比なる鉄の番人、古来、人はわたくしを様々な存在に見立てようとする……」

「難しそうなこといってる……皆守クン、わかる?」
「よくわからんモンだって事はわかるな」

「あなたの先人達はいつの頃からか、わたくしをマダムバタフライと呼ぶわ」
「マダムバタフライ……」
九龍には思い当たる節があるのか、納得したように頷いた。
「あなたがわが望みを叶える者ならば、わたくしもまた、それに報いましょう」
……なんだ? 取引か?
「交換しましょう、交換を!! 叡智と息吹をもたらす情熱と交換!!さあさあさあ!!」
うお!?

「あ、じゃあ甲羅を」
「今度は地上最強のオムレツを望むわ」

おい!!




今日になってはじめて開かれた遺跡の扉、はじめて足を踏み入れた区画は、これまでとは壁の様子も天井の様子もまた異なっていた。
最初に入った部屋は一歩前すら見えない真っ暗闇。 入ってすぐに背後で扉がしまる。こりゃなんか出てくるな。

「うわ!! 何も見えないよ!!」
八千穂の騒ぎ声と共にぶんぶんと空気を切る音がする。腕でも振り回しているのか、危ないな。
「……手を」
九龍がぽつり、と告げる。

手、手って……手?
三人並んで手を繋いだ図が頭に浮かんでしまった。本気か九龍。

「いらん」
「あっ、あたしもだいじょーぶ!!」
「う……ん、大丈夫?」
「これ位でこけるほど間抜けじゃねえ」
「うんうん!」
「俺は、ゴーグルで見えるから……」
あの、変なお面みたいなヤツだな。あれ被ってんのか……
「八千穂、そっちは壁」
「あれ?」
「もうちょっと、右」
「右?」
「あ、おしい」

お前らは繋いでたほうが、いいんじゃないか?




う……おお……
暗闇の中で、不気味な声が響く。

「動かないで」
九龍の声、ここは言うとおりにするのが良さそうだ、とりあえず腕を伸ばして手に触れたものを掴み、化人の声の聞こえない方へと引き摺る。とっ、と壁にあたった。
「わあ!?」
急に引っ張られた八千穂の叫び声。
「九龍が倒すまで、大人しく待ってろ」
スマッシュに巻き込まれるのはごめんだ。

目を瞑る。視界に頼らない方が状況が把握できそうだ。
化人の呻き声、銃声。ラベンダーの香を掻き消す硝煙のにおいが鼻を突く。
「うひゃ!?」八千穂の声と、被さるようにもう一度銃声。二重に聞こえるな……同時に撃ってんのか?

そういや、今日はいつもの物々しいマシンガンじゃなかったな……拳銃だって物物しいには違いないが。ああ、依頼人からお礼をもらったんだって、嬉しそうに見せてくれたあれか? ん? もう一丁はどうしたんだ? 

また二重の銃声、化人の悲鳴とともに光が立ち上る。
「おお〜!!」……賑やかだな。

何時の間にやら、謎の依頼人たちと手紙越しに交流が深まってるらしく、マンゴーや総理大臣お墨付きのかにすきやら、クエストのお礼だからと振舞ってくれたのを思い出す。遺跡の中で毎晩何やってんだろうな……俺はカレーがいいんだが。
お礼といえば、嘘か誠か、海底に沈む謎の生命体の細胞とやらも見せてもらった。……いや、まさかな、あんな胡散臭いシロモノ……

別の方角から、化人の声。まだまだいるぞ。

今度は一度の銃声で光が上ってゆく。
九龍の声は聞こえない、存在を示すのは断続的に響く銃声と硝煙のにおいだけ。


―――『死』なんて、全然大した事ではないですわよねぇ?

ぎ、と握り締めた手のひらの中でアロマパイプがきしむ。
(わかってんだろ、九龍……)



戦いの音が終わるまで、じっと目を閉じて待った。





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  テニス部部長


甲高い少女の叫び声が途切れることなく響いている。

石畳の上に散らばった薄い栗色の長い髪から、痛みに震える小さな身体から、 悲鳴を引鉄として立ち昇る《黒い砂》。

「あれって……」

思い浮かぶのは一週間前のこと、《生徒会執行委員》を名乗った取手くんの身体から現れた《黒い砂》。
ぎゅっ、と手に持った愛用のラケットを握り締めた。
「同じなんだ……椎名さん!?」
突然悲鳴が途切れる。ビクリ、長い髪が波打ち、最後にと搾り出されたように一纏りの《黒い砂》が噴き出した。


ビーッ! ビーッ! ビーッ!


「わあ!?」
突然鳴り出した音に驚く。
警戒を促す音声が流れる……それって心臓に悪いよ。音の出所である九龍クンを見る。
先ほどまでと変わらず、両手に銃を構える姿。段々と一所に集まる《黒い砂》を見ているようだった。そして同じ視界に皆守クンが映る。
うん、向こうは大丈夫!

「こっちは任せて!!」

右手にラケット、左手にテニスの硬球を二つ握り締め、闇に隠された部屋の隅を睨む。そこからカチカチ、と音が聞こえて来ていた。カチカチ、硬い何かがぶつかる音。
「うわ、カニっぽい」
赤い身体、両腕の大きなはさみ。あれが鳴っていたんだ。でもカニじゃない。長く伸びた尻尾の先に大きな棘が揺れる。
「じゃあ、サソリ?」
首を傾げつつ、腕を動かす。
右の手応えとともにボールを叩き込む。よろめきながらも……カチカチ、硬い音が聞こえてくる。
「やるじゃない!」
もう一度ボールを叩き込む。二撃目には耐えられなかったようですぐさま光とともに消え去った。しかし、まだ別の方向から音が聞こえてくる。
そ、そっちには椎名さんが!? 九龍クンがこちらを向く。
「まっかせてって!!」
約束したもんね。動けない女の子を狙おうだなんて!! 力を込めてラケットを思い切り振り下ろす。二体同時に消滅。ガッツポーズを決めて振り返る。九龍クンたちのおかげか他のサソリたちはもういない……
……うわ!? なにあれ!! 壺じゃないの!? 

大きな顔のついた大きな大きな壺。唐突に、びよんと何かが飛び出してすぐに消えた。なんなのよ。 目を丸くするうちに壺が跳ねる。ずんずんど振動が響き、ひびでも入っているのかぼろりと欠片が落ちてゆくのが見えた。その前に立つ二人が振り返りこちらを見ている。

「八千穂」

九龍クンの声が耳からすっと沁みてゆく。よお〜しっ
「いっくよー!!」



「フィニーッシュ!!」
「カッコイイ、八千穂」
「いや、恐いだろ……」





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