4. バイク&カ-ライフのページ
 私はバイク好きで、現在(2019年10月)下の写真にあるようなバイクと車を持っています。年に数回知り合いの仲間とツ-リングにも出かけます。
 今後はバイク&カ-のメインテやツ-リングのことも載せたいと思います。
①私のバイク&カ-紹介

②バイク&カ-のメインテ記

③まちで見かけたちょっと気になるバイク

④バイクツーリング記
私のバイク&カ-紹介

★車種 CBX125F(単気筒、空冷125cc)
★購入 2019年7月
★年式 1993年式(平成5年)

 人生に一区切りがついたのでバイクをと思い、今乗っているWAVE125iの新車でも買おうかと思ってみましたが、基本スペックは変わらないのでと思い、別の車種と考えました。
 いろいろ検討しましたが、今頃の機種はどの排気量でも、私にイメ-ジではオ-トバイではなくマシンという気がしているので、「CBX125F」にしました。このバイクは、以前乗っていたCBX250RSの125CC版で、DOHC、ツインキャブです。
 スポ-ツ車なので、高回転でないとパワ-が出ないので、街乗りにはあまり適さないです。ブレ-キをかけるとチェンジを2~3段落おとさないといけないので、頻繁にチェンジを切り替えなければなりません。
 



 




★車種 CBX750F(直列4気筒、空冷750cc)
★購入 2015年12月
★年式 1984年式(昭和59年)

 バイク乗るならナナハンをと、この年の年末に大型免許を取りました。バイクを探していてこの型とピンときて購入しました。愛知県から取り寄せましたが、到着した時見たら、意外にきれいでした。
 後部バッグを手配し取り付け。そして、エンジンガ-ドもネットで購入し、一部改造し、溶接して取り付けました。っそれに、ETCも。これでいつでもツ-リングに行くことができます。
 試乗すると、主に250CCに乗っていたので、何といても重たいです。取り回し中に立ち転けする可能性大。せいぜい、そうならないように気をつけるしかありません。ですから、ツ-リング専用車にしかならないですね。
 パワ-はさすがに750ccで、少々の坂はトップで十分です。4000回転ぐらいから「キゥィ-ン」という音がしだすのですが、何とも言えないいい音です。
 

★車種 VTZ250(V型2気筒、水冷250cc)
★購入 2006年5月
★年式 1988年式(昭和63年)

 バイク屋で何回か見かけていましたが、ス-パ-カブを
買うぐらいの値段だったので買っちゃいました。
 エンジンはV型なので回転がスム-スでよく回ります。
燃費もまあまあで加速もよく、バランスのとれたバイクだと
思います。
 今年、ようやくETCを取り付けました。ウインドブレ-カ-がないので、スピ-ドを出すともろに風を受けるので、手作りで取り付けました。






★車種 CB250T(直列2気筒、空冷250cc)
★購入 1983年11月
★年式 1976年式(昭和51年)

 それまで125ccまでのバイクしか乗っていませんでしたが、初めての250ccのバイクでした。
 今ではこのバイクが走っているのをほとんど見かけません。これまで手入れをしながら乗ってきましたので、セルも使えますし問題なく走っています。
 何せ35年以上も前のバイクですので走りはイマイチですね。


★車種 CBX250RS(単気筒、空冷250cc)
★購入 2011年5月
★年式 1983年式(昭和58年)

 単気筒の250ccのバイクはどんなのかな-と思っていましたが、DOHCの単気筒、ツインキャブで、特に2本排気が気に入ってバイク屋さんに探してもらって入手しました。
 性能的には、「フレキシブルさに欠けるかな-」という感じでしょうか。速度が落ちた場合は他のバイク以上にシフトダウンは欠かせません。スロットルの感じは、まあついてくるかな-というところです。
 ヤマハの単気と違って、振動はそう大きく無い感じです。

  
※CBX750Fを買ったので知人に譲りました





★車種 WEVE125I(単気筒、空冷125cc)
★購入 2012年7月
★年式 2009年式?(平成22年)

 下にあるタイホンダのス-パ-カブ100に十数年間乗り、故障などもの無かった経験から、125ccに乗り換えました。
 このバイクは「PGM-FI」という燃料噴射タイプなので燃費がメチャいいです。新聞配達をはじめ街乗りに使っていますがリッタ-50km近く走ります。また、走りも100ccのカブより2ランクぐらい上で、大変気に入っています。市内では1,2台しか見かけません。


★車種 RGγ125(単気筒、水冷125cc)
★購入 1988年5月
★年式 1986年式(昭和61年)

 私の妻が通勤用にと買ったバイクです。なぜこの車種かというと、シ-ト高が最も低いから選んだというだけです。乗ってやらないと調子が悪くなるので、今は、私が新聞の早朝配達時に乗っています。
 勿論絶版車ですし、2スト車なのでよく走ります。2~3回盗難にあいましたが、その都度見つかりました。最後に福山で盗難にあい見つかりましたが、マフラ-は千切られ、サイドカウルもぐちゃぐっちゃでした。





★車種 ス-パ-カブ100(単気筒、空冷100cc)
★購入 1998年4月
★年式 1998年式(平成10年)

 配達や街乗りになるべき排気量の多いバイクをと思っていましたが、時々見かけるこのバイクが100ccなので新車を買い、十数年乗ってきましたが、'13年春に、知り合いに譲りました。
 大きな故障はなく乗れましたので、タイホンダの技術は大丈夫だと思いました。難を言えば、燃料タンクが小さいことで、通常は2.5リッタ-しか入りません(WAVEも同様)。

 ※WEVE125Iを買ったので知人に譲りました
 

★車種 ホンダビ-ト
  (3気筒、水冷660cc、ミッドシップエンジン)
★購入 2003年6月
★年式 1992年式(平成4年)

 中古車展示場で何回か見かけ、乗ってみたいな-と思い買う気になりました。購入後、まもなくエンジンがいかれ別のエンジンに載せ替え、その後、水温が異常に上がるようになりウオ-タポンプの修理時にタイミングベルトも交換。これで安心かと思いきや、エンジンのチェックランプがつきっぱなしになりエンジンの調子が狂い、デ-ラ-に持ち込み制御コンピュ-タ-を修理しました。その後エアコンが効かなくなるし、排気管の根本が錆びていて走行中に折れて所在不明になるなどのトラブル。
 今年が車検のためインタ-ネットでダブル排気管付きマフラ-を入手し取り付けてもらい、今は元気に走っています。




バイク&カ-のメインテ記

’14年9月
(ウエ-ブ125i)


 このウエ-ブ125iは、購入以来新聞配達や街乗りで一番よく使っています。先日の朝の新聞配達時に20,000キロになったので、携帯で写真に撮りましたが、光が反射して見えにくいです。
 購入が‘12年7月で8,500キロでしたから2年2ヶ月で11,500キロ走ったことになります。




’14年9月
(ウエ-ブ125i)


 前輪のタイヤがパンクしたのでバイク屋さんに修理してもらったところ、「ディスクブレ-キのパッドがちびている」と言われました。
 以前、スズキγ125のフロントブレ-キディスクを交換したことがあるので、通販で部品を調達(赤色の物)し、交換しました。

’14年5月
(ウエ-ブ125i)


 連休を利用して、以前から気になっていた排気管のサビの対策をしました。写真上にあるように、最初に排気管を止めているネジを外し、エンジン側のカバ-、後ろ側のメッキのカバ-を外しました。

 熱のせいでネジがなかなか外れず苦労しましたが、何とか外すことができました。

 エンジン側は写真中にあるようにほぼ全体にサビていました。後ろ側のメッキ部分のカバ-の内側も錆びている状況でした。

 回転式のワイヤ-ブラシなどを使いサビを落とした後、耐熱性の塗料を吹き付け、車体に取り付け作業を終えました。
 これで数年はサビがない状況で走ることができます。

 作業時間は約3時間でした。 













 ’13年12月
(ホンダビ-ト)


 以前からサイド(ドア)ミラ-の具合が悪く、右側は金具が折れてぐらついていたものを隙間に詰め物をはめ込んでしのいでいました。当然内側に折り曲げることは出来ませんでした。
左側も金具は折れていませんが。可動部がぐらついて、詰め物をしていました。(写真下)
 ネットオ-クションで両側のミラ-が出ていたので落札して(スタ-ト4200円→8700円で)手に入れました。(写真中)車検などでお世話になっている自動車屋さんに行き、アドバイスをしてもらい、工具も借りて自分で取り付けました。3カ所のねじで取り付けられていますが、1カ所のねじがドアの内側パネルを外さないといけないので、とりあえず2カ所で止めていますが、しっかりしています。
 所要時間は両側で約2時間といったところでしょうか。現在はミラ-が可動できますし、ぐらつきもありません。(写真上)
 
’13年10月
(ガンマ125)


 写真はRGγ125のフロントのディスクブレ-キパッドの交換したものです。
 
 ブレ-キをかけると、「キ-」という音が出るようになりました。気になっていましたが、どうやらパッドが摩耗してディスクとパッドが貼り付けてある金属部分が直接当たっているようでした。幸いにもブレ-キパッドを部品として購入していたので取り替えました。

 ブレ-キオイルも劣化して黒くなっていたので、オイルを抜いて交換もしました。当分の間安心して使えます。
まちで見かけたちょっと気になるバイク
 ’15年5月

 今年5月の連休最後の日の5日、周防大島一週のツ-リングに行きました。その中で私の目にとまったバイクが写真④のホンダCB500fourです。バイクを見ているとオ-ナ-が帰ってきたので、これは何年式ですかと尋ねると、1973年式ではないかと。マフラ-もフェンダ-もエンジンもぴかぴかです。燃料タンクのキャップ、ウインカ-のレンズ、メ-タ-類などが1976年式の私の持っているCB250(私のバイクの紹介ペ-ジ参照)と全く一緒でした。
 ’15年4月

 尾道の「みなと祭り」で駅前のデパ-ト福屋の前の駐輪場で見かけました。少し待っているとオ-ナ-がやってきたので、年式を尋ねると昭和45年ぐらいだろうと。オ-ナ-は福山の人で、年齢は60代後半か。今治から尾道に帰ってきたところだということでした。
 ヤマハの2気筒で90CCのエンジンです。オ-トル-ブになった初めてのエンジンだとのこと。
 ’14年8月

 町を走っていると、最近サイドカ-に犬を乗せたバイクを見かけました。私もバイクに乗っていたので写真を撮ることができず残念に思っていました。
 ある日、新聞配達を終えて帰る途中駅前でサイドカ-を見つけました。芝生広場を見ると、犬を散歩させている人がいるので少し待つと帰ってきました。いつものように犬を乗せて走っているようにお願いして写真を撮らせてもらいました。
 ’14年1月

 ちょと見かけないバイクがいたので持ち主に尋ねると、電動バイクとのこと。メ-カ-はヤマハでしたが、1回の充電でどのくらい走るのかを聞くと、夏は20Km、冬は12Km ぐらいとのことでした。

 値段は24万円ぐらいで、50ccのスク-タ-と比べると割高ですが、燃料代がいらないので経済的です。これから普及していくのかな・・・。
 ’13年12月

 向東町を集金しているとき見かけました。125CCのスク-タ-ですが、私がまだ中学生だった頃走っていたものです。  車名は「ラビット」といいますが、同じスク-タ-で「ピジョン」の2車種が走っていました。今から50年くらい前のスク-タ-です。

 持ち主に部品はあるのですかと聞くと、なかなか入手が難しいとのことでした。
 これからも大切に乗って下さい。
 ’13年12月

 写真は近所の読者の息子さんが最近買ったというホンダの700CCのバイクです。燃料供給はキャブレタ-式でなく噴射式だそうで、燃費はリッタ-30キロ走るそうです。私がもっている250ccのバイクでも長距離を走らないとそのぐらいになりません。

 エンジンはV型4気筒で水冷とのこと。若い人ですからけがのないように乗られることを祈っています。
バイクツーリング記
 


秋吉台の展望台にて(写真-①)




萩城の大手門を入った所、右奥に毛利輝元像(写真-②)




石垣の傾斜が見事な萩城天守台(写真-③)




津和野城絵図(写真―④)




津和野城天守台にて、右側が津和野のまち(写真―⑤)




岩国城天守閣(写真―⑤)




ロ-プウェ-から見える岩国のまち(写真―⑤)
      ’19年 5月 18、19日
  萩城など3城めぐり ツ-リング


1.日 時  5月18日(土)、19日(日)の2日間
2.コース  
  1日目  
尾道 → 広島 → 美祢 → 萩市(泊)
  2日目  
萩市 → 津和野→ 𠮷賀 → 岩国 → 尾道
3.走行距離  約580キロ

【1日目 5/18日(土)
 この日、午前8時に山陽道の「八幡パーキング」で待ち合わせ。今回のツーリングには、合わせて8名が参加した。私には初めてのメンバーで、排気量が600CCから1100CCまでの「大型バイク」でした。
 天候は曇りで雨は降っていませんが、山越えして山陰方面に雨が降ってくる可能性があると思っていましたが、2日間とも雨カッパを着たり脱いだりで大変でした。一路萩市に向かってさあ、出発です。

 休憩は約1時間に1度程度で、萩市に着くのは5時頃の予定です。秋吉台で休憩を兼ねて一望できる展望台に登った(写真-①雨のためカッパを着ている)。そこで、見た目には75才は過ぎていると見受けられるライダースーツを着た「高齢者」がいて話を聞くと、北海道の札幌から来たとのことでした。しかも、バイクはヤマハの単気筒の400CCです。私的には、単気筒なので振動があることや、フレキシブルさがないことなどから長距離のツーリングにはあまり適した車ではないのではと思っていますが・・・。

 秋吉台を出発し一路萩市に向かいました。予定では青島を走るようになっていましたが、天候も考えて萩市に直行することに。
萩市には3時頃に到着。宿屋にいく前に萩城に行きました(写真―②)。現在萩城には天守台しかなく(写真―③)、天守閣は明治時代に取り壊されています。係の人と話しましたが、新政府を樹立した側であるので、率先して城を取り壊さざるを得なかったのでは、と予想されます。

 城を後にして今日泊まる宿屋へ向かいました。宿屋は本格的な和風旅館で「萩本陣」というところでした。幸いにも、サービスエリアで燃料漏れが見つかってリタイヤしていたメンバーが修理ができてここで合流できました。バイクを駐車場に止め、フロントでチェックインの手続きをして部屋に行きました。4人一部屋なので、喫煙組とそうでない組の4人づつに別れて。

 一段落して風呂へ、その後に食事ですが、なにせ一泊食事付きで1万5千円ですからそれなりの料理が出て話に花が咲きました。この時が一番くつろげる時です。今回のようにいわばリッチなパターンはもう10回以上1泊ツーリングしている中では、2回しかありません。たいていは居酒屋で好きなものを食べながら一杯やるといったところでしょうか。もう一つ、泊まるところはビジネスホテルが多いですが、大浴場があることが条件でした。

【2日目 5/19日(日)  
 夜が明けて空を見ると、雲はあるものの晴れています。これから山越えするのでと、一抹の不安を抱きながら宿を出ようとすると、携帯電話がないことに気づき再び部屋へ。すぐに見つかって津和野に向かってさあ出発です。今日は殆どが地道のコースです。 

 悪い予感が当たり、山越えしだすと雨が降ってきました。結局この日も雨カッパを着たり脱いだりの1日でした。津和野に着いて、城址に向かおうとスタンプ帳を探したけれど見つかりません。ひょっとしたら宿に忘れたのでは?。携帯で宿に電話して調べてもらい、その後連絡を頂くことになりました。
 
 携帯電話といいスタンプ帳といい、改めて年は取りたくないと思いました。今日はこの津和野城と岩国城の二つのスタンプをもらう予定ですが、苦肉の策で少し硬い紙の裏を使うことに。スタンプは山に登るリフトの事務所で貰うことができましたが、初めての城は現場に行くようにしています。スタンプ集めが目的ではなく、あくまでお城を体験する事でないと、本末転倒になると思っています。

 リフトで山頂へ、そこから徒歩で天守跡へ登って行きます。この城はいわゆる山城で(写真―④)、歴代城主の中に大阪の陣で千姫を救い出した坂崎氏の名前があり、意外でした。天守台からは津和野の町が一望できます。この風景は、山城に共通したものだと改めて感じた次第です。
 
 スタンプ帳のことで電話した旅館から電話があり、スタンプ帳が見つかったとのことで「ホット」しました。見つからなかったら、足かけ3年の苦労が水の泡かと思いましたが、とにかくよかったです。気持ちも軽く、岩国めざして出発です。雨は基本的に中国山地の中なので、降ったりやんだりで雨カッパが離せません。

 ようやく岩国に到着し、バイクを止めていざ岩国城へ。この城も山城で、山頂に城があります。以前、毛利氏関連で家族と旅行した時訪れたことがあり、天守閣にも登りました。毛利本家に吉川、小早川で毛利両川と呼ばれ、この岩国城は関ヶ原で実質的に徳川家康の東軍の見方をした吉川広家が建てた城です。

 スタンプは天守閣(写真―⑥)の入口に置いてあり、天守閣には登らずスタンプだけ押して、ロープウエーで下山しましたが、山城の特徴である町が一望でき(写真―⑦)、もちろん錦帯橋も見えました。後は山陽道を尾道まで帰るだけです。用事で先に帰った人もいて残りは数人なので、ここで別れてそれぞれ帰路につくことになりました。

 とわいっても、休憩のパーキングは一緒になりました。今回のツーリングも無事に終えることがで、何よりです。「城めぐり」も3つ増えて36になりました。百城めぐるまであとどのくらいかかるやら!
 
 
       ’17年 7月 6~7日
◎北海道百名城(3城)めぐりツ-リング

 【1日目(7月13日)
 北海道に渡るため、尾道を出発した(写真-A)のは7月 日の昼過ぎだった。一路舞鶴港をめざして約300Kmを走る。
 無事舞鶴についたのは、日も暮れて8時前後だった。乗船手続きをして遅い夕食を取った。バイクを指示された所にとめたが、その時は2列目の真ん中くらいだった。

 食事をしてバイクに帰ると、続々とバイクがやってきて、出発する頃には5列以上(写真-B)になっていた。100台以上のバイクが乗船する。若い人もいるが、私のような年代(高齢者)も結構多かった。

 これから船中で1泊、24時間船に乗ることになる。小樽港につくのは翌日の8時過ぎだ。航海中、陸地も見えず、船にも会わない。北海道の陸地が近くならないとネットも通じない。

 船は30ノットで航行している。時速に直すと56キロである。でも、船体が大きいのでそんな速度走ってる感じはしない。

  【北海道1日目(7月15日)
  小樽 → 札幌  →  帯広  →  釧路  →  根室   → 納沙布岬(オンネモトシャシ跡) → 厚岸町(泊)

     【1日目 走行距離・・・695キロ】

 前日、舞鶴で乗船手続きをした時、小樽が夜中になるので、寝れれるところをということで、港からすぐのスーパー銭湯を紹介してくれた。

 ス-パ-銭湯の駐車場を見ると、フェリ-を降りた人たち約20人がここに泊まっているようだ。 駐車場に止めて入ろうとすると大きな音がしたので見ると、バイクが転倒して困っていた。

  お互い様なので 起こすのを手伝ってあげたが、これから私にもこういうことがおこらなければと思った。コンビニがすぐ近くなので、適当につまみと缶ビ-ルを買って宿に帰った。

 そうこうしていると、乗船の時に私の近くにいたドカティに乗った人が見えたので声を掛けると、「そうです」と。お互いに北海道に来たことや、バイクの話で意気投合。

 並んで寝ることになり、バイクやツ-リングの話に花が咲いた。 なんだかんだで、夜12時を過ぎただろうか。 翌日目が覚めたのが午前4時頃だったか。

 バイク隊のいくつかのグループが、その頃から支度をしているので、その気配で目が覚めてしまった。早いが寝られないので朝飯を食べた後、出発の支度をして、午前7時30分に根室に向け出発した。

 いよいよ、北海道ツ-リングの始まりだ。小樽から高速に乗った。札幌が近づいてくるとさすがに高いビルなどの建物が増えてきた。天気はいいし、東へ向けて爽快に走った。

 今日の予定は、北海道中央部の西から東の端までだ。高速の「道東道」を走り、釧路からは一般道で根室市まで行く。根室駅前でスタンプをついて、半島を左回りに東突端の納沙布岬まで行き、岬を左に回ったオンネモトシャシ跡をみて根室市に帰り、元きた道を引き返して、予約してある厚岸町の宿まで走る。

 札幌市が近づくと、さすがに高いビルが多くなる。そこを過ぎると、地名としては聞いたことがある富良野などの名前が出てきた。天気のいいこともあって、北海道にしては涼しくないなーと思っていたら、帯広付近の温度計は34度になっていた。

 釧路が近くなり、高速もここまでだ。釧路と言えば、湿原で有名だが寄るわけにはいかない。そろそろ昼なのでバイパスを降りて、給油のためと昼飯をとガソリンスタンドを探した。
 日石のスタンドで給油し、女子店員に「北海道は涼しいのかと思っていたが」と話かけると、今日は29度で少し高いと言っていた。

 コンビニで昼食を仕入れ、スタンドで食べさせてもらうことに。昨晩あまり寝ていないので、少し休養をして根室市に向けて出発。気温もだんだん下がってきた。ここからは一般道だ。車が少ないのとカーブが少ないのとで、追い越し禁止が少なく走りやすい。しかし、やたらと「動物飛び出し注意」の標識が多く目につく。

 根室駅前の観光センター(写真-①)でスタンプ帳にスタンプを押したが、スタンプ帳の番号は1番だ。係員に話かけると最近来た方が、これで百城回れたと言っていたと。
 駅前を出て納沙布岬に向けてGO]。根室半島の南側を走りましたが、海と海岸がつづき、走った中で一番景色が良かったように思った。

 納沙布岬(写真-②)に着き、灯台や石柱などを見たが、歯舞、色丹島は見えなかった。納沙布岬を出て、いよいよオンネモトシャシ跡を見に。木の標識が出ていたので、そこからは歩いてシャシ跡に向かう。シャシ跡は20メートル四方の平地でしかなく、そこに木の標識が立っているだけだ(写真-③)。

 オンネモトシャシ跡を出た時は、まだ明るかったのだが、根室半島の北側を走っている途中に日が暮れてきた。丁度日没が見えたので写真に(写真-④)収めた。途中、キタキツネが道路を横断しているところに遭遇した。宿がある厚岸町までは、まだ相当走らないといけない。

 走行中、車に会うことはめったにない。根室に向かう途中、厚岸の町を覚えていたので、左折して宿屋に急ぎました。到着したのは、8時を回っていた。風呂は後にして、宿屋で居酒屋を尋ねると、すぐ近くにあるというので向かった。居酒屋では、男女の先客があり、その隣に座った。

 話をしていると、漁師をしているようで話が弾み、これがおいしいあれもおいしいからとおごってくれた。そんなことで、宿に帰ったら12時を過ぎていた。朝が早かったせいで風呂に入る元気はなく、そのまま寝てしまった。

 【北海道2日目(7月16日)
  厚岸町 → 釧路 → 帯広 → 札幌 →苫小牧 → 室蘭
    → 伊達 → 長万部 → 八雲(泊)

        走行距離・・・約510キロ

 窓にカーテンがなかったので、朝日がさしてまた早く目が覚めた。朝ご飯を食べて、今日の宿がある八雲町めざしてさあ-出発だ。さすがに厚岸町は漁業の町で、国道に出るまでに朝市が開かれていた。
 気になることがひとつある。今日の天気で、昼前から雨が降ることだ。釧路から高速に乗って西に向かっていると、とうとう雨が降ってきた。

 雨カッパを着ようかと迷っていたが、ひどくなるばかりなので、カッパを着ることに。雨の中を走るのは何とも憂鬱だが、仕方がない。サービスエリアで休憩しながら走っていると、前のサービスエリアでも会った人がいて、何となく話をするようになった。

 室蘭を過ぎたあたりから、雨もやみ爽快に走ることができるようになり、カッパを脱いだ。登別とか長万部などの有名な温泉地の標識も目にするようになってきたが、八雲町めざしてまっしぐらに走る。八雲町のビジネスホテルには、明るいうちに着いた。まずは何と言っても風呂だ。なんだかひさびさにゆったりした気分になった。

 夕食を食べて、その日はゆっくりと寝ることができた。そんなわけで、この日は写真を全く撮っていない。

【北海道3日目(7月17日)
  八雲 → 函館 → 松前 → 江差 → 八雲
     → 長万部 → 伊達 → 室蘭 → 苫小牧港

        走行距離・・・約590キロ

 昨日はただただ移動のために走るばかりで、しかも雨の中をというものだったが、今日は、函館の五稜郭をめざして出発だ。
 天気はいいので一安心。函館には午前中の早い時間に着いたので、五稜郭を見てスタンプをもらうことにした。

バイクを2輪の駐車場に停めると、そこには「倉敷」ナンバーのスパイダーというアメリカ製の3輪車(写真-⑤)が止まっていた。少しすると所有者が帰ってきて話を聞くと、1ヵ月近く北海道を廻っているいるとのことだ。

 五稜郭(写真-⑥)には観光客がたくさんいて、アジア系の人や欧米人に日本人もいる。日本の城ということでは,唯一の西洋式の城で、ユニークだ。どこの城に行っても、石垣を必ず見るようにしているが、隙間のない石積み(写真-⑦)だった。函館戦争の舞台であったので、その関係の資料が展示してあった。

 有名な函館山に登ることなく、函館に「おさらば」して松前城に向かう。燃料も少なめになり給油が必要で、給油したあと昼飯の時間なので「すき家」で昼食を食べた。
 函館を出て、海沿いの道を走りながらふと右後ろを見ると、函館山がくっきり(写真-⑧)と見えたので、思わずパチリ。

 函館を出てからは、松前城までは海沿いの道をずっと走った。日本海を望む道だ。
 松前城下の道に出ると、銀行も郵便局も町並みが江戸時代風の建物(写真-⑨)になっていた。バイクを置いて、歩いて松前城まで上がって行った。振り返ると、海がよく見える。この城は、江戸時代の最後の城だということのようだ。

 松前城の天守台(写真-⑩)は、非常に低かった。これで北海道にある3つの城のスタンプが揃った。これから、帰りのフェリーが出る苫小牧港に向かって走る。

 少し北上して半島を横断し、朝出発した八雲町に戻り、そこから高速道に乗る。フェリーの出発時間があり、それに間にあうようにひたすら走る。間に合ったかと思って港の事務所に手続きにいくと、行き先である敦賀行きの案内が出てないので慌てた。

 調べてみると、敦賀行きは西苫小牧港で、ここからは10キロ以上離れているようなので、慌ててそちらに向かって走る。なんとか間に合って一安心した。軽食を取って乗船。来る時もそうだったが、はじめに乗船するのはトラックで、次に乗用車、最後に2輪が乗船する。

 乗船すると、船員の指示する場所に2輪をとめ、客室へと向かう。客室はブルートレインのような感じ(写真-⑪)で、上の客室は反対側から入るようになっているので、下側の人とだけ顔を合わすことになっている。

 その日は風呂に入って、ゆっくりと休んだ。翌日は1日中フェリーの中だ。敦賀港に着くのは夜で、夜間走ると猪でも出てぶつかってもいけないので、その日は敦賀泊にすることに。予約をしようにもインターネットが通じないので、港が近くならないとできない。

 退屈しのぎに船内のビンゴゲームに参加することに。幸い200円券が当たって昼食代の足しにした。午後は船内コンサートがあり、聞きに行った。
 ピアノとバイオリンの演奏だったが、終わってから少し話した。二人の年が離れていたので、聞いたら先輩、後輩の関係だと。一人は尾道に行ったことがあるということだった。

 船内放送で、姉妹船とすれ違う案内があり、急いで見渡せる甲板に行った。すぐに見えなくなるということだったが、考えてみるとこちらが止まっていると仮定したら、時速100キロで相手は走っていることになる(写真-⑬)ので、なる程と。航海中はほかの船や陸地を見ることはないもなかった。

 敦賀港に入港したのは夜なので、夜中走ることもできるが、あれでもイノシシが出て事故になったらと考えると、一泊して昼間帰るに越したことはないと泊まることに。

 港が近くなってネットが使えるようになり、宿屋を予約した。敦賀港に入港し、なんとか無事に本土の土を踏むことができた。後は明日、尾道に向かって帰るだけだ。

 日が暮れて夜9時頃ようやく敦賀港に到着。大阪行きや名古屋行きのバスが到着した。この地域だとこれからでも帰ることができるのだとわかった。
 
 宿に着いて荷物を置き、夕食に回転寿司屋へ。昨日は港で軽食だったし、帰って来た安堵感もあったので、夕食らしい夕食を食べた気がした。さあ明日は尾道に向かって帰るだけだ。天気も良さそうだし、ゆっくりとホテルに帰って寝ることにした。

 【7日目(7月19日)
 今日は尾道に帰るだけなので、ゆっくり目にホテルを出発、天気も良い。コースは琵琶湖の西岸を走り京都で名神高速に、吹田から中国道、山陽道で西福山で降りて自宅までだ。予定のコ-スを順調に走り(途中ショットありましたが)、出発して2400キロも走ったので、高須のバイク屋でオイル交換をして、自宅に着いたのは、午後3時頃だった。
  
 全行程は、尾道ー舞鶴が約300キロ、北海道の3城めぐりが約1700キロ(3日間)、敦賀-尾道が約400キロで、合計2400キロ(6泊7日)のとてもハ-ドなツーリングでした。

 これで、「100名城めぐり」は沖縄と北海道の南北両端の難しいところのをめぐったことになりました。「無事帰れたことに感謝、感謝!!」です。


舞鶴港めざしてさぁ出発(写真-A)


乗船前の舞鶴港、バイクがいっぱい(写真-B)


日暮れ前ようやく北海道(積丹半島)が見えた


フェリ-から見た日本海の夕日


NO1のスタンプをついた根室駅前(写真-①)


納沙布岬灯台(写真-②)


オンネモトシャシ跡(写真-③)


根室半島の日没(写真-④)
















スパイダーというアメリカ製の3輪車(写真-⑤)


五稜郭の中心函館奉行所跡(写真-⑥)


隙間のない石積み(写真-⑦)


函館山がくっきりと(写真-⑧)


松前町の江戸時代風の町並み(写真-⑨)


非常に低い松前城の天守台(写真-⑩)


ブル・トレのような客室(写真-⑪)


ビンゴゲームで当たった券(写真-⑫)


時速約100キロですれ違う姉妹船(写真-⑬)





①日本の棚田百選の「つく米棚田」




②岩をくり抜いて作った岩屋堂




③竹野海岸の蛙に似た岩




④餘部鉄橋
   ’16年 5月 6、7日
 ◎山陰豊岡(城崎)ツ-リング

●コ-ス
 【1日目】
  尾道 → 山陽・播但道新宮IC → 佐用IC → 中国、鳥取道  河原IC → 県道、豊岡(泊)

 【2日目】
 豊岡 → 香住 → 倉吉 → 湯原IC → 
      米子・中国・岡山・山陽道 → 尾道着

        走行距離・・・695キロ

 【1日目】 
 これまで泊まりがけツ-リングとしては、四国西部へは2回、中国西部にも2回いっているので、今回は四国か中国の東部へ行こうと検討しました。
 とりあえず、中国東部の山陰へ行くことに。天気はいいし、絶好のツ-リング日和でした。

 初日の昼食は、中国道沿いの道の駅で取りましたが、バイクも多くいろいろな地域のナンバ-がありました。食堂の入口に目をやると、「おのみちバス様」の看板が。

 道中は、我々グル-プの暗黙のこととして、1時間に1回は休憩することになっています。理由は2つ。疲れるのとトイレです(高齢者ゆえ)。その後、日本の棚田百選に選ばれている「つく米棚田」(写真①)、岩をくり抜いて作った岩屋堂に立ち寄り、豊岡市のホテルにつきました。

 ホテルに着くと、割合時間が早かったので単車は数台しかいませんでした。一風呂浴びて食事に向かうことに。ホテルで「おすすめ店」を数軒紹介してもらいました。ところが、行くとこ行くとこみんないっぱいで入れません。4軒目もだめかと思って、あれでも電話してみようということになり、電話するとOKですということで一安心。

 ホテルに紹介だというと生ビ-ルを1杯サ-ビスしてくれました。食べて、飲んでホテルへ帰ってゆっくり休みました。

【2日目】
 出発のためホテル駐車場に行くと、昨日とは違って2輪車がたくさん止まっていました。今日のコ-スは、山陰海岸の地道を走って、倉吉から南下し、温泉で有名な湯原のICで自動車道にのる予定です。

 山陰の海岸同は、町があって岬の中腹の道路を上下してまた町があるといった具合です。その途中で海岸に向かうと、蛙に似た岩があり、写真を撮りました(写真③)。

 また、列車事故を起こしたことで有名な「餘部鉄橋」があったので、ここで休憩しました(写真④)。海岸線のコ-スはカ-ブが多いですが、高速道を走っているよりツ-リングの醍醐味があります。特に私は、山よりも海岸の方が好きです。

 その後、倉吉から南下し、米子道の湯原ICで高速に乗り、中国道、岡山道から山陽道を経由して尾道に無事帰ってきました。

 今回は、メンバ-が3人しか参加できませんでした(写真③)。今回私は、昨年末、大型免許を取って入手したホンダ「CBX750F」で参加しました。このバイクでのツ-リングは初めてでしたが、さすがナナハン、パワ-は十分でした。

 次は、秋頃に行きたいと思っていますが・・・・。
   ’15年 5月6日
◎周防大島一週ツ-リング

●コ-ス
 ◎1日目
  尾道 → 本郷インタ- →山陽道 → 山口県、玖珂インタ-   → 柳井市 → 周防大島 → 岩国インタ- → 山陽   道 → 尾道
        走行距離・・・410キロ

 以前から計画があった周防大島一週ツ-リング。連休最終日の6日行きました。当日は天気は快晴とまではいきませんがいい天気でした。当初は尾道インタ-から乗る予定でしたが、三原バイパスもあるし、節約にもなるので地道を通って本郷インタ-で山陽道に乗りました。

 連休最終日とはいえ山陽道は、結構交通量は多い感じ。バイクのツ-リングも多くいました。今回は他のメンバ-の都合が合わず、2台だけでした。事前に下調べしていた相方に先頭を走ってもらうことにしました。

 最初の休憩場所である宮島SAまでノンストップで走りました。いざ周防大島へ出発。相方の話では、前日玖珂のトンネルでかない事故があり、通行止めになっていたそうですが、今日から開通したそうです。

 その影響もあって、トンネルの手前では渋滞でした。事故の影響でトンネル内の補修が必要なため、片側通行でした。ここを出て、次は出口の玖珂インタ-だったのですが、出口で私は追い越し車線を走っていたため出られないというアクシデント。相方に連絡しなければとすぐに左によりました。次のインタ-を出て引っ返すつもりでしたが、振り返ると出口まで約100メ-トル。逆送するわけにいきませんから、おそるおそる出口まで押してバックしようやく出口までたどり着き、料金所へと向かいました。

 相方は料金所で待っていました。料金所の駐車スペ-スには昨日トンネル内で火災を起こしたトラックが真っ黒になって置いてありました。

 柳井の町に入り、いよいよ周防大橋です。橋の形状はトラス橋です。橋を渡って左折しこれから島を一周します。12時前だったので「道の駅」で食事と休憩をすることに。島の北側を3分の2くらい行ったところに「道の駅」を見つけ、食事をすることにしました。
 
 2輪の駐車スペ-スに車を止めましたが(写真①)、そんなに多くの台数はいませんでした。私は煮魚定食を食べましたが、1300円くらいだったと思いますが、いい値段だな-(要するに高い)と思いながら食事。食堂は2階で、北側を見ると島が目の前にあり、その向こうにはうっすらと本土が見えていました(写真③)。

 休憩がてら道の駅を見て回ると、観光用の島のマップあったので携帯でパチリ(写真②)。観光名所の写真も載せてありました。さあ出発と駐輪場へ行くと、止めた時と違って多くのバイクが止めてありました。駐輪場を出発し右に行くバイクがあれば、左に行くバイクもあるといった具合です。

 その中で私の目にとまったバイクが写真④のホンダCB500fourです。バイクを見ているとオ-ナ-が帰ってきたので、これは何年式ですかと尋ねると、1973年式ではないかと。マフラ-もフェンダ-もエンジンもぴかぴかです。燃料タンクのキャップ、ウインカ-のレンズ、メ-タ-類などが1976年式の私の持っているCB250(私のバイクの紹介ペ-ジ参照)と全く一緒でした。

 腹ごしらえもできたので道の駅を出発。残りの島の一週をと走り始め、島の東の端当たりまで行き、島の南側の道を走り始めました。道が細いので適当に走っていると、島の北側の道に出てしまい、引っ返して南側の道をめざしました。しかし、いつの間にか北側の道へ出てしまい、もうあきらめて帰ろうと
相談しながら燃料を入れにガソリンスタンドへ。そこで店員さんに南側の道に行く道がありますかと尋ねると、すぐありますよとの答。3度目の正直で南側の道をめざしましたが、今度は南側の道に出て残りを走り無事周防大橋に出ることができました(写真⑤)。

 橋を渡って地道を岩国へ向け走りました。岩国が近づくと結構車も多く、時間もかかりました。岩国インタ-から山陽道に。一路尾道をめざして走り続けました。広島の手前のSAで最後の休憩。後は尾道までノンストップです。

 そのSAで見かけたのが写真⑥のバイクです。私の目にとまったのはナンバ-プレ-トの下に「日本一周中」のプレ-ト。ライダ-がいたので尋ねると、三河に帰るだけだということでした。

 帰りにもう一度アクシデントが。私は来たとおり本郷インタ-で降りるものと、インタ-出口2キロ手前で左車線に。相方は後ろから来た別のバイクと追い越し車線を早いスピ-ドで走っていました。一瞬「本郷で降りれるのかな-」と思いながら流れに沿って本郷インタ-で降りましたが、相方がいない。ようやく携帯で連絡がつき、相方は「後ろにいないので事故でも起こしたのかと思った」と。私はあの調子では本郷で降りてはいないのではと思っていたので心配しませんでした。

 雨にも降られず、事故もなく今回のツ-リングを終えて何よりでした。私は海のそばで育ったせいか、海の見えるコ-スが心地よいです。
 これまで計画して、まだ走っていないのが、しまなみ海道 → 四国高知(泊) → 瀬戸中央 → 尾道のコ-スです。
いつ行くことになるか、お楽しみです。
①周防大島の道の駅


②道の駅にあった大島のマップ


③道の駅から本州側を見た風景


④道の駅で見たホンダの旧車CB500four


⑤周防大島から見た周防大橋


⑥帰りのSAでみた愛知県三河ナンバ-の2車

①集合はしまなみ海道大浜SA
 

②松山にむかう高速の道の駅


③四国カルストで3人そろって


④天狗荘の駐車場にて


④足摺岬にて


⑤道の駅で3台のバイク


⑥今治SAで3人プラス3台のバイク


⑦今治SAから来島大橋を望む

    ’14年 9月27,28日
   ◎四国足摺岬ツ-リング


●コ-ス
 ◎1日目
  尾道 → しまなみ海道 →小松 → 高速・松山 → 四国カ   ルスト →  檮原 → 四万十川沿い → 四万十市伯
        走行距離・・・350キロ

 ◎2日目
  四万十市 → 足摺岬 → 高速・宇和島 → 松山 → 小松
   → 今治 → しまなみ海道 → 尾道
         走行距離・・・400キロ

●参加バイク
 ◎ホンダVTZ250、ホンダマグナム250,スズキスク-タ    -250の3台。

●ツ-リング記
 予想通り天気は快晴。尾道発の集合場所は、因島の大浜SAで8時半に。出発前に記念撮影(写真①)。走る順序は、計画を立てたスク-タ-が先頭。2番目が車体の重たいマグナ、最後が私のVTZということにしました。

 しまなみ海道ですれ違うバイク隊は思ったより少ないようでした。絶好のツ-リング日和なのに・・・。最初の休憩場所は今治SAで、1時間も走っていない内に到着。他のツ-リング中の人たちとも立ち話。小松市へ向けて出発しました。

 小松市で松山道に乗り換えて、松山に向いました。これまでは沿岸部に沿った道でしたが、松山に向かう道は山の間を走っている感じで、気温も心持ち低い感じがしました。

 松山を過ぎてからは四国カルストに向け走ります。休憩は約1時間走行ごとにする計画になっています。何と言っても3人とも65歳前後のライダ-ですから・・・。

 四国カルストに行く道は当然登り道ですが、道幅が狭く、乗用車も来ますので注意がいりました。登りの道を走って登り切ったと思ったら、木が無くなり一面の草原に。山口の秋吉台のようなまさにカルスト台地が広がっていました。

 道が広くなっていて、看板もあるし相当走ったのでここで休憩しました。若い女性2人連れが記念写真を撮っていて、観光ボランティアの癖で、「撮ってあげましょうか」と声をかけて

撮ってあげたので、我々3人もお願いしますと「姫鶴平」の看板と一緒に撮ってもらいました。(写真③)

 ここは木はなく草ばかりなので牛が放牧されていました。所々に牛舎があり、夜はそこに集められるようです。のんびりと柵もなく自由に草をはんでいます。

 孫のいる他の2人は牛が道の近くにいつと、バイクを止めて写真を撮っていました。しっかり「おじいちゃん」をしていました。四国カルストの南側に「天狗荘」がありそこでも一休み。

その駐車場には写真④にあるように白いラインの両側に愛媛県と高知県の表示があり、建物は両県にまたがって建っていることになります。

 駐車場には自転車でサイクリングしているグル-プがいましたが、こんなに高いところまでと頭の下がる思いがしました。我々はグリップをまわせばどんな坂でもあがれますが、自転車は自分の足でこがなければなりません。

 2日間の道中で何人かのサイクリストと会いましたが、その都度手を振って応援、激励しました。相手も手を振り返してくれました。

 四国カルストを下って檮原を通り、四万十川沿いに今日の宿泊場所である四万十市をめざしました。宿泊するホテルには予定通り5時半頃到着。夕食を食べ(飲み)にホテルで聞いた近くの店に。

 四国の太平洋側ではやはり「鰹のたたき」を食べました。店のおすすめで四万十川の爪の大きい川エビの唐揚げなどを食べました。

 せっかくよそに来たので、地元の人と話がしたいと思い、その店でスナックを紹介してもらい2人でその店へ。ママさんが「とど」というそうなので、その由来は何かと考えながらその店へ。

隣の席のなじみのお客さんに尋ねると、体型だそうで今は少しやせたとのこと。その日はある地域の方々(おじさん、おばさん)の集まりがお店であり、大盛り上がり。

ママもその地区の出身だそうで一緒になって盛り上がっていました。料金も良心的で何曲かか歌い、飲み物も飲んで2時間で2千円でした。ホテルに帰り就寝。

 翌日7時半、足摺に向け出発し、無事到着。当日は天候がよく太平洋が一望できました。天候もよく波もあまりないのに岬突端の岩場には白い波が「ザ-」と打ち寄せる音がしていることに気がつき、これが太平洋かと思いました。(写真④)

 足摺を出発し、愛媛県の宇和海をめざして走りました。途中の道の駅で今回のツ-リングに参加した3台のバイクをパチリ。(写真⑤)

 宇和島から高速に乗り一路しまなみ海道へ。順調に今治SAに到着し、願いして3人がバイクとともに写してもらいました。ここからはそれぞれ別々にしまなみ海道を帰ることになりました。今回のツ-リングも無事終えることができました。
       (写真⑥、⑦)
 
       ’14年 5月6日
  ◎尾道松江道日御碕ツ-リン


 昨日の雨はあがり、絶好のツ-リング日和になった連休最後の6日、尾道松江道を通り日御碕に行き、帰路は地道を通り尾道に帰ってくるコ-スでのツ-リングでした。

 走行距離は約400キロ、朝8時15分尾道発で帰ったのは午後5時半で、ほぼ計画通りに走れました。

 集合は山陽道尾道インタ-入り口近くのコンビニで(写真上)3人です。各バイクの排気量は、私が250ccで、1100ccと400ccの3台です。

 走る順番は、1100ccのバイクがナビがついているので先頭。排気量の最も少ない250ccの私が置いてきぼりになってはいけないので中間。400ccのバイクが最後でということに。

 昨年、私のバイクにETCを設置しましたが、山陽道尾道インタ-に入る時初めて使うことになりました。尾道道を世羅で一旦降りて地道を走り、吉舎でまた尾道道に乗りました。

 道路のアスファルトが真っ黒なのと、なぜかしらガ-ドレ-ルが普通は白いのにグレ-でした。休憩は道の駅でしましたが、山陽道のように道路からサ-ビスエリアに入るという感じではなく、道の駅に一旦降りるという感じです。

 三刀屋から地道を走りましたが、出雲から日御碕へ行くと混むのではということで、平田を経由し日御碕の東側から海岸線を走り、日御碕に到着しました。海岸線に出たとたん礒のい香りが何とも言えず心地よかったです。
(写真下。頭上の白い塔のようなものが日御碕灯台)

 日御碕で昼食。小にしの入った炊き込みご飯と味噌汁、漬け物で800円でした。観光地とはいえ少し高い気がしました。

 帰路は出雲から三刀屋まで高速を走り、そこから松江道と平行に走っている地道(R314)を走りました。途中、事なきを得ましたが白バイに追尾されるハプニングも・・・・。

 おろちル-プを通って東城へ向かう途中、道の駅で会った福山からきた約10台のグル-プが対向車がある中で追い越して行きました。

 われわれおじんライダ-としてはそんな無理はできないと思いながら見過ごしました。東城からはR182を南下。川に沿って走りながら福山に入り、神辺を経て今回も無事に尾道に到着しました。

  
















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