『Tea time + α』 -1-

 マスタング皇国は、今日も平和だった。
 とある、一箇所を除けば。




「――――今、何時?」



 エドワードは、ふと、読んでいた錬金術の本から目を離し、傍らで目録とにらめっこをしているリザに尋ねた。
「……そろそろ、三時になろうかと」
 リザは自分の懐中時計を取り出して、確認しつつ答える。
「―――今日の、二人の予定は?」
「陛下は、特にございません。恐らくは、執務室で溜まっている書類に目を通されていることかと…。デーヴィッド様も…そろそろ午後の勉強が終了するお時間だと思われます」
「そっか…。なら、もう少ししたら、ここも賑やかになるな」
「はい」
 リザは深く頷く。
 その、有能な側近の確証を込めた返答を聞いて、エドワードはふう…と溜息をつきつつ椅子から立ち上がった。
「リザさん。今あなたが見ている目録、部屋の隅に片付けた方がいいと思うよ」
「そうですね」
 リザも立ち、手に持っていた分厚い目録を、室内の壁際に置かれてある小さなテーブルに置いた。
「うん、取りあえずそこだと、被害を受けないだろうな。―――それから…」
「私は、お茶の仕度をしてまいります」
「うん。お願い」
 そう言って微笑むエドワードは、今日はピンクにブラウンゴールドを重ねた、上品な雰囲気のドレスを身に纏っていた。
 元々男であるが故に、ドレスのデザインなどには無頓着なエドワードは、その選択を専ら夫であるロイや、エルリック王国からついてきた侍女達に任せていた。
 とはいうものの、全てを任せっきりにしていては、妻を溺愛しているこの男のことだ。それこそ宮殿の衣裳部屋に入りきらないくらい、様々なドレスを買い集めかねないので、その点については常に気をつけていた。
 自分に関して、無駄遣いは絶対にさせない。
 いくらマスタング皇国が豊かでも、必要のない出費は極力させまいと、小国の王族出身の、堅実な皇妃は常日頃思っていたし、自分の気持ちを、夫である皇帝にも告げていた。
 だがその夫はと言えば、年の差のある、とても可愛らしい、愛して止まない皇妃を着飾りたくて仕方がなかった。
 どんなドレスでも着こなしてしまう妻を、更に美しくすることに、日々努力を厭わなかった。
 だが、そんな彼女を、誰かに見せて自慢したいというわけでもなく(他の男達に美しい妻を見せるなど、もってのほかだと豪語していたくらいだった)、ただただ美しい装いで自分の傍らにいて欲しいという願いのみで、ドレスを買ってしまうのだ。それが、エドワードには無駄遣いにしか見えず、ロイがドレスを新調する度に、軽い夫婦喧嘩が宮殿内で勃発していた。
 だがその喧嘩も、彼らに仕える者達にとっては当たり前の日常。
『ああ、またか…』
という程度の認識しかなかった。
 元々この夫婦は、本気で喧嘩をしているわけではないから。
 確かに、皇帝の無駄遣いに皇妃が腹を立ててはいるのだろうけど、それは本心で怒っているのではないから。
 いわゆる一種のコミュニケーションのようなものだという認識しか、彼等にはなかったのだ。
 この夫婦は、周りの人間を胸焼けにするくらい、実はとてつもなく仲が良いのだということを熟知しているから。
 だから二人が喧嘩をし始めると、自然と周りから彼等は去っていく。
 誰も、
『夫婦喧嘩は犬も食わぬ』
を、己が身で体験などしたくはないからだ。
 そして、喧嘩になりながらも、オーダーメイドで、サイズをエドワードに合わせているために、他の誰かに渡すというわけにもいかず、結局はエドワードが袖を通す羽目になるのだった。
 そんな経緯で作られたドレスの一着を、今日もエドワードは身に纏い………宮殿の奥向き、いわゆる皇帝一家の私室のエリアにある自分の部屋で、待ち構えていた。


「――――そろそろ…かな?」


 ぽつり、と呟いた直後。
 遠くから、音が響いてくる。
 それは、部屋の外からだった。
 その音は、近づくにつれて、何の音かが分かる。
「…やっぱり…」
 エドワードは小さく溜息をついた。
「今日は……ロイの方が少し早いかな?」
 この部屋に近づいてくる足音を聞きながら、ゆっくりと移動する。
 扉のすぐ前まで。
「…二人とも、相変わらずの全力疾走なんだから」
 響いてくる足音を聞くだけで、そうだと分かってしまう。
 絨毯を敷き詰めた廊下を、部屋の中にまで聞こえてくる程に大きな足音で走っているのだから。
「さて…と。3、2、一――――」
 エドワードが『1』と言った瞬間。
 目の前の扉が勢いよく開かれて。
 外から、飛び込んできたのは。


「――――エド…!」
「母様っ!」
 黒髪に黒い瞳。
 大きさに違いはあるものの、そっくりな顔をした男二人が、息を切らして文字通り『飛び込んで』きた。
「――――お疲れ様、ロイ、デーヴィ」
 一方二人を迎え入れたエドワードといえば。
 肩で息をしている父子に対して、いつものとおり、にっこりと笑いかけ、いつもの言葉をかけた。


「三時ジャスト。お茶の時間にしようか」
 その時丁度、走り込んで来た二人の後ろには、お茶を運んできたリザが、やはりにっこりと笑って立っていた。





「―――今日は、私が早かったのだから、エドの隣だぞ」
「ずるいっ、父様!昨日も隣に座ったくせに!」
「早くこの部屋に着いた方が、エドの隣に座れると約束しただろうが!」
「そんなの!体格が違うのに…明らかにボクの方が不利だ!父様にはハンデがあってもいいくらいだよ!」
「エドの隣に座れるという素晴らしい権利に、ハンデなどつけられるか!悔しかったら実力で何とかしろ」
「ずるい…!」


「…はいはい、そこまでだ」


 黙っていれば延々と続きそうな親子喧嘩に割って入ったのは、その喧嘩の原因となっているエドワード本人だった。

「いつまで不毛な喧嘩をやってるつもりだ?せっかくリザさんが美味しいお茶を淹れてくれたっていうのに…冷めちまうぞ」
 と言ってから、ティーカップを口に運ぶ。
「うん、今日も絶品」
「ありがとうございます、皇妃様」
 エドワードの心からの褒め言葉に、リザは嬉しそうに微笑んだ。
 しかし、二人の和やかなティータイムの風景を見ても、いがみあっていた男二人は収まりがつかないようだ。
「大体父様は、いつも母様を独り占めして…!」
「何だと…!独り占めしているのはデーヴィの方じゃないか!十歳にもなって毎日一緒にお風呂に入ったり、錬金術や医術の勉強を教わったり…」
「そういう父様こそ、夜は母様と一緒に寝たり、パーティーに出たり…馬に乗ったり…!」
「夫婦だから、当然のことだ」
「ボクだって、親子なんだから…!」



「いい加減にしろ!」



 それまで黙って、親子の不毛なやりとりを聞いていたエドワードは、それがエスカレートしていくにつれてとうとう我慢できなくなったようだ。
 突然立ち上がり、目を丸くしてぴたりと言い争いをやめた、よく似た父子に向かって――――にっこり…と笑った。
「…このままここで、ゆっくりお茶を楽しんでから仕事や勉強に戻るのと、即刻追い出されるのとどっちがいい?」
 顔には笑顔を貼り付けたまま、その実目は全く笑っていないエドワードを見た二人は、大人しく自分の目の前にあるお茶を飲み始める。
 そんな二人の様子を見ていたエドワードは、やれやれという風に肩をすくめて座りなおし。
 この親子三人を傍らで眺めていたリザは、毎度のことながら、苦笑を浮かべずにはいられなかった。