「『守護者』を見たのですか、姫君は?」
滅多に感情を露にしない、冷静な側近も、ロイからこの話を聞いた時は、驚きを隠せなかったようだ。
エドワードが再び病床に伏してしまい、同じ宮殿内に滞在していたウィンリィが急遽呼ばれて、取りあえず応急処置だけは終わった。
だが、まだエドワードの容態は予断を許さないものなので、ウィンリィ達が引き続き傍に控えることになったのだ。
その合間を縫って、ロイはリザとウィンリィに、エドワードから受けた告白の内容を話した。 彼女達は、エドワードの秘密を知る数少ない協力者なので、知っておいてもらった方がいいと判断した結果のことだ。
だが、全て聞き終えた直後、リザから出たのは、疑問の言葉たった。
「……『守護者』の姿を見た方で、否定された方はいないと聞いておりましたが?姿を見た方は、全て皇帝、あるいは皇妃になられたと……。一方見られなかった方は、皇位につくことはないと判断されたものと、聞き及んでおりました」
「私もそう思っていた。だが、エドの話を聞くと、どうやらそうではなかったようだ…」
「―――エドだけ、例外ってことはありえませんか?」
熱にうなされているエドワードを診ながら、話を聞いていたウィンリィが、会話に入ってくる。
「ウィンリィちゃん、それは…?」
「エドが……この国の人間じゃないから…だから、『守護者』は認めてくれなかったっていうことも、考えられませんか?」
「それは……確かにこれまでの代々の皇帝・皇妃は皆、この国の人間ばかりだが…」
「―――だったら!」
ウィンリィは立ち上がって叫ぶ。
「だったら、ひょっとしたら、エドをここから離したら…治るかもしれないんですよね?エドをエルリック王国に戻したら…もう、エドは皇妃の候補者じゃなくなるから…!」
「ウィンリィ嬢…?」
ロイは怪訝そうな顔をする。
「どうしてそんなことを?第一、前の時は、君の治療のお陰で意識が戻って…」
「あれは、単なる偶然なんです…!」
「ウィンリィちゃんっ!」
「偶然……?」
「本当です。私には未だに、エドの病気が何なのか、分からないんです。ううん、エドの身体は病気になんかなっていないんです。健康体なのに…こんなに苦しんで…。でも、その原因は分かってないんです!私には…分からないんです。どんなに調べても…」
だから、とウィンリィは泣きそうな顔でロイに向かって訴えた。
「お願いします!エドを…エドを一度、エルリック王国に戻してください!そうしたら…もしかしたら、元気になるかもしれないんです。この国の『守護者』に否定されたから…こんな風に苦しんでいるのかも…!」
ウィンリィは必死になってロイに訴えた。
そんな彼女の言葉を、ロイは茫然として聞いていた。
(前に治ったと思ったのは……全くの偶然だったと?)
ウィンリィの言ったことを否定したかった。しかし、彼女が嘘をつく筈がないという確信が、ロイにはあった。
医者である彼女が、自分の目に見えぬ『守護者』の存在を否定せず、しかも己の力が及ばないとはっきり認めているのだ。
科学者と同じく、目に見えぬものは信じないと考えがちな医者が、自分の能力の限界を認めて、科学の領域には決して相容れることのない伝説の領分を信じるということを主張してまで、嘘をつくことはないとロイは悟ったのだ。
だから、ロイは、彼女の言っていることは真実なのだと分かった。
分かったが………
「帰すことは……出来ない…」
「え……!」
「エルリック王国には帰せない…」
「―――どうしてですかっ?」
眉をひそめ、低く呟くロイを、ウィンリィは涙目になりながらキッと睨みつけた。
「このままだと……エドが死んじゃうかもしれないんですよ?それでもいいと……っ!」
「……いいとは思っていない」
「だったら……!」
「だが……」
なおも言い募るウィンリィの言葉に、ロイは唇を噛み締める。
エドワードのことを考えれば、一度エルリック王国に戻すのがいいのだろう。
それで、彼が完治すれば、この上なく喜ばしいことだ。
だけど……
(戻ったら……彼との絆は…)
切れてしまう。
心では繋がっていても、他国同士に離れた二人が再会出来る可能性は低い。
エルリック王国に戻したら、二度とエドワードはマスタング皇国には戻れなくなるだろう。
周囲の者達が、一度戻った者を、再び皇妃にすることは大反対するだろうし、ロイ自身、またこちらに呼び寄せて、エドワードの命を脅かすようなことは避けたかった。
しかし、隣国とはいえ、他国に離れた人をそのままの場所で皇妃にするのはもっと難しいことだろう。ロイも皇帝という身分上、簡単にあちこち動くことも難しいから、エドワードとは殆ど会えない可能性の方が高い。
そのようなことを頭の中で考えていると、ロイにはどうしても、エドワードを故国へと戻すことに同意することが出来ないのだ。
「…お願いします!エドを……エルリック王国に戻して…!」
ウィンリィは懇願する。
「ウィンリィちゃん、少し落ち着きましょう?まだ、姫君が治る手立てが全くないわけじゃないから…」
リザが宥めようとするが、切羽詰っているウィンリィは聞かなかった。
「陛下……陛下には、それこそ皇妃候補なんて、よりどりみどりでしょう?なのにどうしてエドにばかり執着するんですか?エドが死んでも…それでもエドじゃないとダメなんですか?」
「―――ああ、そうだ」
「………!」
静かな声で、だがはっきりとロイは答える。
「…エド以外には考えられない。エドじゃないと…もう…」
エドワードではない誰かを、皇妃に据えるなど、考えられなかった。
「―――それで、エドが死んでもいいと?あなたの我侭のせいで、エドが…!」
「………もだよ……ウィンリィ…」
大粒の涙を瞳に浮かばせて、叫ぶウィンリィの耳に、微かな声が入ってくる。
その声は………
「オレも……ここにいたいんだ…ウィンリィ…」
「―――エド!」
高熱で苦しそうに息を吐きながらも、エドワードは呟く。
微笑みを浮かべて。
「オレも…ロイの傍にいたいんだ。どんなに苦しくても…さ。オレの居場所、ここだから…。ここにしたいから…」
「でもエド……そんなことしているうちにエドが……!」
「エルリック王国に戻っても、治らないかもしれないだろ?『守護者』のせいじゃなくて、王家の『呪い』の方だったら……。それなら、オレは……ここに…ロイの近くにいたい…」
「―――エド…」
ロイがそっとエドワードの枕元に近寄り、跪く。
「…大丈夫だよ、ロイ」
心配そうに見つめるロイに、エドワードはそっと笑いかけた。
「オレはそんなに簡単に死なないよ。死んでたまるもんか…」
小さな声で呟き、ゆるゆると右手をロイに差し出す。
「エド……!」
その手をギュッとロイが両手で握り締めた。
「すまない…エド…」
「……ロイが謝ることなんて、ない。ロイのせいじゃないし…」
「エドの言うとおりだよ」
低く、張りのある声が響くやいなや。
寝室の扉が勢いよく開かれて。
その人は、唐突に室内へ入り込んで来た。
「あなたは………」
唖然とした顔で見つめるロイを無視して、その人はずかずかと足を踏み入れる。
「……それに、どうやらエルリック王国に戻ったくらいじゃ、消えそうにないからねぇ、この強力な『呪い』とやらは」
ぐるっと切れ長の瞳で一通り室内を見渡した後に、その人は、エドワードに顔を向けた。
「―――イズミ師匠!」
ウィンリィが、突然の侵入者の顔を見て、呼ぶ。
「…イズミ…師匠?」
エドワードも、切れ切れに言い、入ってきた人に視線を向けると。
「……久しぶりだね、エド」
『イズミ師匠』と呼ばれた女性は、エドワードに近づき、顔を覗き込んでニッと笑った。
「本当に…お久しぶりです、師匠」
そう挨拶をして、エドも微笑む。
「本当は、元気なおまえに会いたかったけどね」
「…すみません」
「おまえが謝る必要なんてないよ」
「……はい…」
「…少し休みなさい。後は私達が何とかする」
「―――はい」
優しい口陽で話しかけるイズミに、エドワードは安心したように頷き、そっと目を閉じた。
途端に力の抜けた細い身体をロイが支えて、ゆっくりとベッドに寝かせる。
「あなたは…一体…」
まだ呼吸は苦しそうなものの、取りあえず眠りに入ったことを確認したロイは、突然の乱入者に顔を向けて問う。
「ああ、突然ですまなかったね。一刻を争うからと思って、少々乱暴に入ってきてしまったよ」
「乱暴って……」
と、ロイが言いかけた時に、部屋の外から叫ぶ声がする。
その声はどうやら、ハボック達のものらしかった。
「うっわーッ!宮殿の壁に穴が開いてるぜ…!」
「誰だ!こんな乱暴な入り方をした奴は…!」
「……あなたですか…」
眉間に皺を寄せて、ロイは呻く。
「ああ、堅いことは言いなさんな。後できちんと直しておくからさ」
イズミはあっけらかんと言い切り。
だがすぐに、真顔に戻って話し始めた。
「自己紹介がまだでしたね。…私は、イズミ・カーティス。この子…エドと、その弟のアルの家庭教師をやっていた者です」
「―――家庭教師…ですか…」
「ええ。でも今は、エルリック王国の国王名代として、こちらに参上いたしました」
イズミはロイに向かって一礼する。
それから、再び話し始めた。
「エルリック王国の王家に、代々暗い陰を落とし続けている『呪い』の謎を解くために、マスタング皇国の協力を仰ぎたいと思いまして…」
「エルリック家の呪いというと…あの…」
ロイは、瞼を閉じて眠っているエドワードの顔をちら、と見る。
「はい。陛下もご存知のようですが…エルリック家の長男のみに降りかかる呪いのことです」
「その呪いを解くのに、我々の協力が必要だとは、一体どういうことなんでしょうか?」
ロイは、イズミに丁寧に尋ねる。
身分から言えば、ロイの方が遥かに上なのだが、目の前に立つこの女性の醸し出す強さに圧倒されて、つい口調が丁重になってしまっていた。
「エルリック王国の宮殿内の書庫で、ウィンリィがこれを見つけたんだ」
丁寧な言葉遣いで話すのは苦手なのか、すぐさま普段の口調に戻ったイズミは、手に持った古びた書物のようなものをロイへ差し出してきた。
「……これは…?」
開いて中を見る。が、古語で書かれているらしく、読めない。
「……それは、現在のエルリック王家の中興の祖とも言われている、アルフレッド・エルリックの書いた、日記だ」
「イズミ師匠、それじゃ…その日記が解読出来たのですか?」
「ああ。解読は、そう難しいものじゃなかったよ」
ウィンリィに答えつつ、ほら、とロイへ続けて手渡されたのは、一冊のノートだった。
「それに、解読した日記の内容を、全て書いてある」
差し出されたノートを受け取り、ロイはそちらを読み始める。
「……最初は、何の変哲もない日記だった。その日の出来事を書く程度のな。だが――――
ゆっくりとページを捲り、字を追っていたロイの様子が変わったのは、ノートに書き写された日記の、後半部分に差し掛かろうとした頃のことだった。
食い入るように読み始めて……そのスピードも速くなってきたのだ。
「……陛下……どうかなさいましたか?」
リザが、ロイの様子を不審に思い、呼んでも、耳に入っていないようだ。
「―――これは…」
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