お久しぶりです、陛下、王妃様。お元気そうで何よりです」
程なくして、ホーエンハイムの執務室にイズミが入ってきて、彼等に一礼した。
「…あなたもお元気そうでよかったわ、イズミさん」
「お陰様で…。それより、今日こちらに伺いましたのは」
挨拶を手短に済ませたイズミは、早速本題へと入った。
「先日ご依頼のありましたこの――――」
言いつつ、手に持っていた皮製の黒い鞄から、大事そうに取り出したのは。
「この……アルフレッド・エルリック殿の日記の解読が済みましたので、ご報告にと……」
イズミは、古びた本のようなものをホーエンハイムに差し出す。
それが、エルリック家中興の祖である、アルフレッド・エルリックの書き残した日記だった。
「……それで、何か、分かりましたか?」
静かな声で、ホーエンハイムが尋ねると。
暫しの間の後に。
イズミはゆっくりと口を開いて。
「この日記には………」
静かに、話し始めた。
「もーう、エドっ!」
甲高い声が、広い室内に響き渡る。
「ウ、ウィンリィ…もう少し小さい声で…」
部屋の主であるエドワードは、いきなり甲高い声で怒鳴られて、思わず両耳を手で塞いでしまった。
「大きくもなるわよ!全く…!」
盛大に溜息をつき、つかつかとエドワードに近づくとその手を引っ張る。
「ち、ちょっ…ウィンリィ!」
「まだ微熱が続いているっていうのに、うろうろしちゃダメでしょ!」
そう言いながら彼女はエドワードをベッドに連れて行き、再びその中へと押し込め、上から毛布を掛ける。
「ほら!ちゃんと寝てるの!」
「だって…今日は気分がいいから…少し勉強しようかと…」
「皇妃としての勉強なんて、元気になってからいくらでも出来るわよ!まずはその身体を治すこと。それだけに専念しなさいよね」
「――――」
「返事は?」
「…………はい…」
不満そうな小さな声で、やっと答えが返ってくる。
「よろしい」
取り敢えずはその返答に満足して、ウィンリィはてきぱきとエドワードの薬の準備を始めた。
「今日調合したのは、少し解熱作用を抑えたわ。熱が大分下がってきたからね。だけど、油断は禁物よ。完治するまでは養生に励むこと。いいわね」
「―――はあい」
気のない返事をしながら、それでも手渡された薬はきちんと飲む。
飲み終わるまではずっと、主治医と化しているウィンリィが見張っているという理由もあったのだが。
それより何より、エドワード自身、早く元気になりたかったから。
意識が戻って、多少は動ける状態になっても、彼女の処方する薬は、忘れることなくきちんと飲み続けていた。
(…早く元気になって…)
ロイの支えになりたい。
自分の支えなんて、ロイにとってはほんの僅かの役にしか立たないかもしれないが、それでも彼の傍で、この国の統治の手助けをしたかった。
この国の皇妃として、生きて行くことを決めたのだから。
(…なのに、こんなんじゃ…)
病気の皇妃など、支えどころか、お荷物になりかねない。
これまで、怪我はいろいろしたものの、大病といった類の病気に罹ったことがなかっただけに、今回病に臥せったことは、エドワードにとって少なからずショックだった。
(―――これって、呪いのせいかな…?)
一瞬、そんな思いがよぎる。
(……だから、あの時『守護者』は…)
エドワードは、離宮で倒れる直前に、見た『もの』を思い浮かべた
美しい、女性。
黒い髪、黒い瞳の。
透けるような白い肌の、女性。
彼女は、エドワードに向かって、はっきりとこう言った。
『あなたには…決して渡さない……』
と。
その言葉で、エドワードは、彼女がこの国の…マスタング家の『守護者』なのだと察した。
エドワードには、人間の…女性の姿で現れたのだ。
しかしそれは、エドワードを皇室の人間として認めるためではなく。
(…きっぱりと否定されちゃったな)
『守護者』は、エドワードを皇室の人間になることを認めなかった。
その理由をエドワードは、薄々察していた。
(オレが男で……しかも呪いつきだから…)
『守護者』には、分かったのだろう。
自分が、皇室のためにはならない人間なのだと。
だから、否定されたのだ。
そして―――『守護者』に否定されたのを見計らったかのように、『呪い』が動き出したのだろうか…。
自分の身体の、突然の変調に理由付けるとすれば、そうとしか考えられなかった。
(なのに…どうして…)
そこまで分かっているのに、エドワードはロイに、『守護者』を見たことを告げることが出来なかった。
ロイのことを思えば、すぐにでも『守護者』を見たこと、そしてそれに自分が否定されたことを告げるべきなのに。
(もし…もしそのことが知れたら…)
例え『守護者』に否定されても、ロイは、決して自分を手離すことなどしないだろう。
その確信はあった。
『呪いつき』の他国の王女―――しかもその王女は、実は王子であったという事実など、ロイはとうの昔に知っている。それでもなお、エドワードをここに留めてくれるのは、ひとえにロイが、エドワードを望んでいるからだ。
彼を、皇妃として傍に置きたい。
そう願っているから、今更エドワードをエルリック王国に戻そうなどということは、考えていないに違いない。
だが、ロイ本人はそう望んでいても、周囲は同じ考えではないだろう。
特に、皇妃の座を他国の王女に奪われたと、不服に思っているこの国の貴族達にとっては、今回の一件はまさに絶好の機会だ。
エルリック王国の王女との婚約を解消させ、自分達が自由に動かすことのできる女性を後釜に入れるという。
現に今でももう、エドウィナ姫が病に臥せっているという情報を察知した彼等は、途端に、
『病がちな姫君には、この国の皇妃など務まらない。今のうちに国に帰した方がいい』
などという、彼等の意図が見え見えなことを主張し始めているらしい。
今でさえそうなのに、もしエドワードが『守護者』に否定されたということが知れたら、彼等はここぞとばかりに一層勢いづいて、婚約解消を言い出すに違いない。
そうなったら、不利な立場になるのはロイなのだと、エドワードには分かっていた。
(だから…だから…早く元気になりたい…)
早く体調を以前のように戻して、ロイの隣に立って、彼の手助けが出来るようになりたい。
誰にもつけ入る隙が出来ないように、ロイの傍でこの国のために働きたい。
そのためには、とにかく早く、回復するのが先決だ。
そして、元気になったら……はっきりと言おう。
ロイに。
『守護者』に出会って、否定されたことを。
(…でも、オレが元気だったら……)
きっとロイは、黙っていたことを笑って許してくれるだろう。
『守護者』に否定されても、こうして元気に過ごせるのなら、何ら問題ない、と、言ってくれるだろう。
だから、早く元気になろう。
エドワードが、そう決意した時に。
「……エド、どうしたの?ひょっとして…薬苦かった?」
薬を飲んだ直後から、急に押し黙ってしまったエドワードを不審に思って、ウィンリィが顔を覗き見る。
「―――ううん、大丈夫だ、ウィンリィ。早く良くならないといけないなって考えていただけ」
自分を心配そうに見つめる幼馴染の優しさに触れ、エドワードは微笑みで返す。
「そうよ!早く良くなって、結婚式には私とアルを正式に招待してもらわなくちゃね。そのためには、栄養のあるものを食べて、ゆっくり身体を休めることも必要よ!」
我が意を得たり、とばかりに勢いづいて、ウィンリィはエドワードをベッドに押し込める。
「今は余計なことを考えなくていいの。体調を元に戻すことだけ考えること。いいわね!」
流石幼馴染というべきか、エドワードが自分以外のことを考える癖があるということが分かっているのか、しっかりと釘を刺してきた。
「―――うん、分かってる。ウィンリィ…」
そんな、口調は多少きつくても、実はとても優しい弟の婚約者に、エドワードは笑顔を向けてゆっくりと目を閉じた。
閉じる直前、
「ありがとう…」
そう、小声で呟いて。
「…あら、ウィンリィちゃん」
静かに扉が開いたので、そちらを見ると。
入ってきたのは、ウィンリィだということに気づいたリザは、彼女に向かって微笑んだ。
「薬は、きちんと飲んでもらえたみたいね」
「はい。少し動き回ろうとしていたから、叱っちゃいましたけど」
「―――姫君らしいわ」
活動的なエドワードのことだから、少し体調が良くなったから、動きたくなってしまったのだろう。
「でも、無理はいけないわ…」
「ええ。その辺のことは分かってるみたいです。叱ると渋々ですけど、ベッドに横になりましたから…」
「そう……良かった。私達も早く、元気になってもらいたいものね」
安堵したように息を吐き、リザはソファに座るよう勧めた。
「ウィンリィちゃんも、疲れたでしょ?ここに来てから連日治療と看病ばかりだったもの。今、お茶と甘いものを用意するから、休んで行ってね」
「あ……でもお仕事中に…」
「いいのよ。私達も、そろそろ一休みしようと思っていたから。丁度陛下は隣室で決裁文書に埋もれているから、当分動けそうにないし」
「……相変わらず、さぼり癖は治ってないみたいですね」
皇帝の執務室に繋がる扉をちら…と見て、ウィンリィは呆れたように溜息をつく。
「…あれは、一生治らないよ、きっと」
自分の机で仕事をしていたハボックが、顔を上げて会話に入ってくる。
「そうそう、だから早く姫君には元気になってもらわないといけないんですよね」
と、フュリーが呟くと、その隣ではブレダが頷いて同意を示していた。
「エドウィナ姫が陛下の執務を見張るように…もとい、手伝うようになってから、格段に仕事を上げるスピードが速くなりましたからね。陛下にしてみれば、早く終わらせて、姫君と一緒に過ごしたいばかりに頑張られていたのでしょうが…」
そうファルマンが分析する。
「いいや、それだけじゃないぜ。姫君の仕事に対する采配が的確だから、処理能力が上がってるんだ。…ほんと、素晴らしい人だよ、姫君は」
ハボックの文句なしの褒めように、その場にいた他の者達は深く頷く。
「それに、とても気さくで…ボク達の所にもしばしば来てくれてはいろいろ話をしてくれるし…すごくいい方ですよ、姫君は」
フュリーがニコニコ笑いながら言い切ると、自然ウィンリィの顔にも笑みが浮かぶ。
「そうなんですか…エドが…」
その場にいた者達の話だけでも分かる。
彼が、ロイの側近達に好かれ、未来の皇妃として認められていることが。
(……ま、エドなら当然かなぁ)
元来の明るさ。
他の人を気遣う優しさ。
そして、こうと決めたらそれに向かって進む強さ。
それらを合わせ持ち、且つ頭脳明晰ともなれば、彼と接すればするほどに、魅了されていくだろう。
だから、故国のエルリック王国では、国民の誰もがエドワードのことを誇りに思っている。
『国の宝』
と、褒め称える言葉を使うほどに。
そして、その『国の宝』と称される姫君は、嫁ぎ先のマスタング皇国でも、人々を魅了し始めていた。
そのうちにこの国でも、嫁いできた姫君を、
『マスタング皇国の宝』
などと言う日も近いのではないか…とウィンリィは確信めいたものを感じていた。
今はまだ、エドワードと余り接していない貴族達が、自分達の利益のためにこの隣国の姫君のことを軽く評価しているものの、そのうち接する機会が多くなるにつれて、姫君に対する印象を変えてくれるだろう。
それだけの魅力が、エドワードにはあるのだ。
そして、ウィンリィは、そんな幼馴染を誇りに思っていた。
だから、再びやってきたのだ。
この、大事な幼馴染の病を治すために。
そのために、赴いたのだ。
だが………
「だから、ウィンリィちゃんが来てくれて、姫君の治療をしてくれて本当に良かったって思ってるのよ、私達」
「え……?」
リザが、ウィンリィに向かって話を振ったので、慌てて顔を向ける。
「やっぱり、エルリック王国の医療技術は違うわよね。この国では名医と言われている医師がどれ程手を尽くしても、意識を取り戻すことなんて出来なかったもの…」
「それは――――」
ウィンリィは一瞬間を置いた。
そして少し逡巡して…再び口を開いたのだ。
「エドが意識を戻したのは…偶然なんです」
真実を、語るために。
「え………?」
リザ達の、動きが止まる。
「どういうこと…それ…?」
「私も、診察して…いろいろ調べて…持ってきたあらゆる医学書の症例にも照らし合わせましたが…エドの病気が一体何なのか、未だに分からないんです」
ウィンリィは、低い声で呟く。
彼等には、黙っていることが出来なかった。
エドウィナ姫を心から尊敬してくれている、彼等には。
「…ということは、姫君が意識を取り戻したのは…」
「たまたまです。全くの偶然なんです。私にもどうして意識が取り戻せたのか…分かりません」
宮殿に着いてすぐに、エドワードを診察した時のことを思い出す。
いくら調べても、分からなかった。
エドワード自身の身体は、健康体そのものなのだ。なのに、高熱が彼を襲い、苦しめていた。
そうなる原因が、体内にある筈なのに。
その痕跡が、残っている筈なのに。
どんなにいろいろ検査をしても、判明しなかった。
マスタング皇国の侍医が、ひどく戸惑い…うろたえたのもよく分かる。
ウィンリィも、同じだったから。
だから、どうしようかと困惑していた時に―――突然、エドワードは意識を取り戻した。
それは奇跡だと、彼女はその時に思ったのだ。
そしてその後は、高熱も微熱程度に下がり、対処療法で何とか回復しつつあるのだが……。
「そ、それじゃあ」
フュリーがどもりながら口を開く。
「病気の原因が分からないっていうことは、また再発するかもしれないってことですか?」
「落ち着けよ、フュリー。このまま姫君が回復してくれれば、それで済むことじゃないか。幸い、伝染するような病ではないみたいだし」
慌てふためくフュリーを、ブレダが諭す。
「ですが…原因が掴めないというのは、不安ですね。また姫君が再発されたとしても…治す手立てがないということでしょう?」
ファルマンの論理だった言葉に、室内は静まり返った。
彼の言う通りなのだ。
もし万一病気が再発しても、治療方法が見つかっていない以上、どうすることも出来ないのだ。
「私……頑張って見つけます」
しん…となってしまった部屋の中で、ウィンリィがきっぱりと言い切る。
「ウィンリィちゃん…」
「ここにいる間に、原因を見つけます。そうしないと…私がここに来た意味がない…!」
エドワードを治すために。
エルリック王国の、国王一家の願いを託されて来たのだ。
『国の宝』を失わないために。
そして何より、ウィンリィが失いたくなかった。
ずっとずっと誇りに思ってきた、大事な幼馴染を。
(例えこの病が…『呪い』にまつわるものだとしても…)
治してみせる。
きっと。
ウィンリィがキュッと唇を噛み締めて、そう心の中で決意していると。
そっと傍にリザが歩み寄ってきた。
「ウィンリィちゃん、大丈夫よ。きっと、姫君は良くなるわ。だから、あなた一人で思い悩まないで」
肩に手を置き、励ます。
「リザさん…」
その優しい眼差しを見上げて、ウィンリィは察した。
この室内にいる者達の中で、彼女だけはエドワードの『呪い』のことを知っているのだと。
だから、言外に含まれる、彼女の思いも分かった。
(『呪い』なら、私にも調べられることがあるかもしれないから、一人で背負い込まないで)
と。
「……そうそう、このまま元気になってくれれば言うことないんだし」
「ですよね!っていうか、絶対に良くなりますって」
沈んだウィンリィを励ますように、他の面々も明るい口調で次々と言う。
そんな彼等の優しい思いがウィンリィにも伝わって、嬉しかった。
「―――そうですよね。きっと、エドは良くなります…!」
ウィンリィは明るい笑顔を浮かべて、きっぱりと言い切った。
こんなにも、愛されているのだから。
いろんな人から。
そして。
今、この世界の中で、一番エドワードを愛している人も、そう願っているのだから。
そんな、たくさんの人の愛情を受けている彼が、理不尽な病で失われるわけなんて、ない。
失わせてなるものか。
ウィンリィは再び、心に誓った。
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