一方こちらは。
「もう…!ウィンリィったら片付けないで行っちゃって…!」
アルフォンスは、目の前に広がる惨状を見て、ため息をついた。
彼の立っている書庫。
そこは、ひどい有様だった。
エドワードが突然倒れたということで、急遽ウィンリィがまたもマスタング皇国に赴くことが決まり、急いで役に立ちそうな医学書を探し出した結果が、この状態だった。
彼女は、目ぼしい書物は軒並み持って行き、必要ないものは棚に戻すことなく床に投げ出してしまっていたのだ。
とにかく一刻を争う緊急事態なので、ウィンリィは急ぎエドワードのいるマスタング皇国へと向かうためにすぐさまこの国を発った。当然のことながら、彼女に投げ散らかした書物を片付ける余裕などなく、その後始末は国に残ったアルフォンスの役目となってしまったのだ。
「あーあ、どれも貴重な本ばかりなのに…」
溜息を漏らしながらも、仕方なく本を拾い上げて片付け始める。
「―――仕方ないか。兄さんのためだもんな…」
と、自分に言い聞かせながら。
「この本はこっちの棚で……ああっ、もう!何でこの本がこんなところにあるんだよ?医学書の棚に、錬金術の本が並べられてるなんて…。兄さんかな?」
面倒くさがって、元の位置に置かないということを、エドワードがよくやっていたことを思い出した。そのせいで、いざ読みたいと思ってもなかなか見つけられず、困ったこともあったのだ。
「…こうなったら、一度きちんと片付けておこうかな」
そんなことをしたら、時間がかかってしまうだろうが、仕方ない。
この書庫にある本は、王家の宝ともいうべきものばかりだ。すなわちこれらは、国の宝でもある。
それらを大切に保管することも、王家の務めの一つなのだ。
そのことを、次の王となるべきアルフォンスは、よく分かっていた。分かっていたからこそ、辛抱強く整理整頓をしているのだ
「―――この錬金術の本は、後ろの棚だよね…」
医学書の中に紛れていた、古そうな錬金術の本を取り出して、それと同じ本が並べられている棚に置こうとした時の事だ。
「あー…」
棚にきちんと収まっていなかったのか、入れようとした手から、その本がするりと滑り落ちて、再度床に転がってしまったのだ。
本は床に落ち、ばさばさと乾いた音を立てて開いてしまった。
「あーあ……」
小さく呟き、もう一度その本を取り上げた。
「―――あれ……?」
その時、アルフォンスは、本の隙間からはみ出しているものに気づいた。
「何…これ…?」
興味を引かれて、それを引っ張ってみたところ。
「……写真?」
その本の間に挟まっていたのは、一枚の写真だった。
白黒のそれは、かなり前に撮られたものらしく、所々黄色く色褪せている。
だがそんな状態でも、写っている被写体は、はっきりと確認できた。
「この人は……」
写真に写っていたのは、二人の人。
一組の男女が寄り添って、幸せそうに笑って写っていた。
男性は、白っぽく写っているところから、金髪の髪と金色の瞳だということが察せられる。金色の髪を肩の辺りで緩く結わえていた。
そして女性はと言うと。艶やかな長い黒髪に、美しく輝く黒瞳の、とても綺麗な人だった。
そんな、誰が見ても美男美女だと評する男女が、木々の林立する場所を背景にして、立っている写真だった。
その、美しい被写体を、アルフォンスは暫しぼんやりと見つめていた。
「この人……見たことが…」
アルフォンスは、写真を見てぽつりと呟いた。
どこかで見たことがあるのだが、それをどこで見たのかは、思い出せなかった。
しかし、絶対に、見たことがあった。
「この…男の人…」
女性の方は、見覚えが全くない。
そもそも、この国で純粋に黒髪で黒い瞳をしている人は殆どいないと言ってもいいだろう。この国の国民は、元々余り他国との交流がなかったせいか、大体の人が王家の人間と似たような身体的特徴を持っていた。
だから、エドワードとアルフォンスの師匠であるイズミのような人は、ごく稀にしかいないのだ。
そんな中で、この写真の中の美女を見たら、絶対に印象に残るだろうから、記憶にないということは会ったことがないということなのだろう。
しかし、男性の方は違った。
女性の細い肩に腕を回し、愛しそうに抱き締めている男性には、見覚えのあるような気がするのだ。
「―――どこで…見たんだろ?」
写真をじっと見つめるが、思い出せない。
「…ひょっとしたら、父さん達なら知っているかも…」
恐らく、この国の人間である男性だ。
国王と王妃にこれを見せたら、誰だか分かるかもしれない。
そう思ったアルフォンスは、写真の挟まっていた本を手に持ったまま、書庫を出て、二人のいるであろう国王の執務室に向かった。
「今の時間なら、まだ仕事をしている筈だから…」
そう呟いて向かった部屋には、案の定ホーエンハイムとトリシャがいた。
「あら、アルフォンス。もう片付けは終わったの?」
ホーエンハイムが書類と睨めっこをしているすぐ傍の机で、書類の整理と確認をしていたトリシャが、入ってきたアルフォンスに向かって笑いかけた。
「ううん。後少し残ってるけど…。それより、父さん、母さん」
「何だね、アルフォンス?」
改まって呼ばれ、ホーエンハイムが書類から顔を上げて問いかける。
「――――この写真に写っている人に、心当たりがないかと思って。ボクも何となく見覚えがあるんだけど、誰だか思い出せなくて…」
「……随分古びた写真ね」
アルフォンスがホーエンハイムに差し出した写真を、トリシャも近寄ってじっと見る。
それは、長くはかからなかった。
「―――アルフォンス、これをどこで…?」
写真を凝視していたホーエンハイムが、突然その写真を握り締めて尋ねる。
「えっ……どこって……書庫で本を片付けていた時に、偶然この本の中から見つけたんだけど…」
切羽詰ったような声音で問い詰めるホーエンハイムの様子に驚き、おずおずと手に持っていた古い錬金術書を差し出した。
「この本は……!」
差し出したそれを奪うように取り、じっと見つめる。
そしてトリシャもまた、ホーエンハイムと同様に、固い表情で写真と本を交互に見つめていた。
「一体…その写真に写っているのは、誰なんですか?」
二人の様子で、アルフォンスも分かった。この古い写真に写っている人を、目の前の両親は知っているのだということを。
だから、二人に問うと。
ホーエンハイムは、写真を凝視したまま、答えた。
「――――おまえも、見たことがある筈だよ。この…男性の方は」
「ボクも?」
「ええ、そうね…。ここにいたら必ず見ている筈だわ」
トリシャも頷いて同意を示す。
「ここにいたら…って?」
「ここには、たくさん残っているからよ、アルフォンス」
トリシャは瞳を細めて、懐かしむような眼差しで写真を見ながらぽつりと呟いた。
「――――だってこの男性……陛下のお兄様ですもの……」
どこかで、見たことがあると思えたのも当然だ。
この王宮内には、たくさん残されているから。
アルフォンスも、しばしば見たことがあった。
肖像画も。写真も。
若くして病で亡くなってしまった。
そうでなければ、きっと名君となっていたであろうと言われた。
現国王の兄。
今は亡き。
アーヴァイン・エルリック
写真に写っていたのは、その人だった。
「アーヴァイン伯父さん…だっのか…」
アルフォンスは写真の中の、笑顔の青年を見つめて呟いた。
それならば、見覚えがあるのも頷ける。
若くして病没した伯父のことは、父・ホーエンハイムから幾度も聞かされていた。
『兄は、私よりずっとずっと優れていた…。もし生きていたら、素晴らしい王となっていたことだろう…』
と。
息子としての贔屓目ではなく、父王も名君と評判が高い。
だが、亡くなった伯父は、父よりも遥かに優れた医師であり、錬金術師でもあったというのだ。
彼は、父が母と結婚する前に亡くなったので、当然アルフォンスは写真や絵でしか知らないのだが、一度会ってみたかったと思わせるくらい、彼を知る人の評価は高かった。
「アルフォンスが持ってきたこの錬金術書、実はこれ、アーヴァイン殿が書かれたものなのよ」
懐かしそうにその本に触れながら、トリシャが話す。
「この本を……?」
「そう。まだお若いのに、錬金術に関しての知識、技量、全てに傑出なさってたわ。勿論、医術についても…ね」
「私も、兄上にいろいろ教わったよ。あんなに優れた兄がいることを誇りに思っていた…」
「父さん…」
アルフォンスも、ホーエンハイムの言葉に同感する。自分もまた、錬金術も医術も、抜きん出た才能を持つ兄・エドを誇りに思っているから。
だから、彼が次の国王になれないのが悔しかった。
きっと、素晴らしい王となれる才能を持っているのに…だ。
(何もかも…呪いのせいで…)
そう思った途端、アルフォンスはふと気づいた。
「父さん、アーヴァイン伯父さんも長男だったから、ひょっとして兄さんと同じように…?」
「ああ。幼い頃は王女として過ごしていたよ。けれどそれも、十三歳の頃に止めたな。…なにしろ兄上は、私より長身に成長してしまったからね」
流石にそうなると、王女としては育てられなくなったのだろう。
(…兄さんが今だ王女の振りをしていられるのは、やっぱり身長が伸びないから…だろうなあ)
と、こっそりアルフォンスは考える。
今やアルフォンスの方が、エドワードの身長を遥かに越えているのだ。エドワード本人は、そのことにひどくコンプレックスを感じているようだが、こればっかりは医術でも錬金術でもどうしようもない。
「―――王女の振りが出来なくなった兄上は、その頃から病がちになってね…。静養のためにと、王家の所有する離宮で過ごすようになったんだ」
「離宮って…リゼンブールにある?」
「そうだ。この写真は、きっとその頃に撮られたものなんだろうね」
懐かしむように目を細めて、ホーエンハイムは言う。
「父さん…どうしてその写真があそこで撮られたものだと分かるんですか?」
「あら、分かるわよ」
隣で、ホーエンハイムと同じく懐かしそうに写真に見入っていたトリシャが、話に入ってくる。「だって、この二人の後ろに写っているのは、『出逢いの森』ですもの」
「『出逢いの森』……?」
初めて聞く名を、アルフォンスは繰り返した。
「そう。リゼンブールの村の端にある森が、いつからか『出逢いの森』と呼ばれるようになったのよ。……あの森で偶然出会った人は、それこそ一生に関わる絆を得るという言い伝えが残っていて、それは今も生きているわ…」
「一生に関わる…絆……」
「ええ。私と陛下がいい例ね。あの森で偶然出会って、恋に落ちて…結婚したのですもの」
「…そうだったな」
二人して顔を見合わせて微笑みあう。
「森での出逢いはいろいろあったけれど…やはり恋に落ちるという話が一番多いみたいね。…尤も、それを目当てにわざと森に入るという人には、その奇跡は起こらないみたいよ」
「偶然に出会わないと…か」
それこそ、奇跡のようだとアルフォンスは思った。
だがその奇跡故に、父と母が出逢い、今の自分がいる。
そして兄・エドワードも……。
(兄さんも、偶然あの皇帝と逢ったから…)
恋に落ちたというのだろうか…。
そして今、王女の振りを続けてもなお、彼の傍にいたいと願い、マスタング皇国に残っているのだろうか…。
(あの兄さんが、そんな風に考えるなんて…)
思いもよらなかったけれど、恐らくそれが正解だろう。
二人は『出逢いの森』で、恋に落ちたのだ。
(―――ならば、この写真の二人も…?)
アルフォンスは気づく。
二人の背後にあるのは、『出逢いの森』
そして仲睦まじげに寄り添っている男女。
この二つが結びついて、導き出される答えは、たった一つ。
「…この二人も…森で出逢ったのかな?」
「―――そうね…恐らく。だってこの女性、どう見てもこの国の人ではないもの」
「ああ……そうだね。マスタング皇国の人のようだな…この姿だと」
ホーエンハイムとトリシャも、同じ見解を示した。
二人が、『出逢いの森』で出逢った、恋人同士なのだと。
「父さん達は、この女性を知らないの?」
「ああ、残念ながら…ね。兄上が離宮に行かれてからは、滅多に会えなくなってしまったんだ。病のこともあったしね…」
ホーエンハイムは辛そうに語る。
きっと、彼は会いに行きたかったのだ。
自慢の兄に。
だが、次の王となるべき彼が、もし兄と同じ病に罹ってしまったら…と心配し、不安に思う者達によって止められたのだとアルフォンスは察した。
「兄上は…五年間あの離宮で過ごして…十八の若さで亡くなった。たった一人で…看取る家族もなく。寂しい人生に…そうさせてしまったのは、呪いのせいとはいうものの、結局は我等一族なのだとだと、ずっと悔いていた…」
「父さん…」
「だが、寂しいだけの一生じゃなかったんだな。最後に、この女性と幸せな時を過ごせたんだな…」
「あなた……」
「そのことが分かっただけでも…嬉しいよ」
ホーエンハイムは写真を見て、笑った。
「だけど…この女性は一体どこに行ったんだろう?」
ふとその時疑問に思ったことを、アルフォンスは口に出す。
その写真の中の女性の存在は、それが見つかって初めて出てきたようなのだ。
ということは、この国の人間は、彼女のことを全く知らなかったことになる。
「兄上が亡くなった時には、いなかった筈だよ。離宮にも一応仕える者達がいたのだが、彼等は一言も彼女のことを話さなかったしね。…兄上も、内緒にしていたのかもしれないな。そして彼女も、自分のことを表に出すことなく―――こっそりと自分の国に戻ったのかもしれないね。兄が死んだら、そこにいる意味もないから…」
愛しい人がいなくなった所になど、何の未練もなかったのだろう。
彼女は、痕跡を残すことなく、ひっそりと去っていったのだ。
今となっては、彼女がどこで何をしているのかを探し出すのは、まず不可能に近いだろう。
(…分かるのは…マスタング皇国の人間らしい、ということだけか…)
それも、容姿から推察するという曖昧なものだ。確証はなかった。
(――――ウィンリィが戻ってきた時にでも、見せてみようかな)
ひょっとしたらあちらの国で、似た人を見かけたかもしれない。
そんな、途方もなく確率の低い可能性を考えながら、ホーエンハイムの机の上に置かれている、写真の挟まっていた錬金術書に興味を示して手を伸ばした。
時。
「―――失礼致します」
侍女の控えめな声が扉越しに聞こえ、アルフォンスは手を止めて振り向いた。
「…イズミ・カーティス様がいらっしゃいました。至急、お知らせしたいことがあるとのことでございます」
侍女の言葉で三人は顔を見合わせ、同時に頷いた。
「…すぐに、こちらへお通ししてくれ」
代表して、アルフォンスが指示を出す。
彼女の用件は、分かっていたから。
そして、彼女からの答えを、自分達は待ち望んでいたから。
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