To darling you… -5-

 ――――闇が…続く。


 自分が今、どこにいるのか分からないくらいに、真っ暗な闇の中。
 その中を、歩き続けていた。
 あてもなく……ただ、歩き続けていた。

 どこかに…、手がかりがあることを願って。


(……ここは…どこ…?)


 自分のいる場所が、全く分からない。
 だから、歩くしかなかった。
 止まっていても、この闇は消えてくれそうにないから。
 ただ、ひたすらに歩き続けて。


 どれくらい、時が経過したのか……

(―――誰か…呼んでる?)


 闇の中から、微かに響いてくる『音』を、敏感に察知した。
 この場所には、他に音がないから、どんなに小さい音でも耳に入ってきたのだ。
(……誰?)
 闇の奥。
 墨を溶いたような、一層暗い闇の彼方から、呼ぶ声が微かに聞こえてきたのだ。
 それは確かに、自分を呼んでいた。
(…誰が…オレを呼んでいるんだ?) 
 闇の奥から、自分を呼ぶ声。

『コチラヘ……』

 自分を招く声。
 その声に、咄嗟に反応していた。
 他に、この場での手がかりはないから。
 ここがどこなのかというのが、分からないから。
 だから、その呼び声に縋るしかなかった。

(……誰…?)
 声に従って、更なる闇へと歩を進めようとした時。



 背後から、突然手を掴まれた。

(……え…っ?)

 力強い、手。
 だがその指はとても細いと、握られた感触から分かる。
 その手が、深淵の闇へと向かうのを、静止したのだ。
(……誰が……?)
 恐る恐る振り向くと。
 すぐ間近には。
(―――綺麗な女性…)



 思わずそう賞賛したいくらい、美しい女性が立っていて、先に進むのを阻んでいた。

 艶やかな黒髪。
 それが腰辺りまで長く伸ばされていて、軽くウェーブがかかっているために、彼女が動く度にふわふわと舞うように揺れていた。
 そして、吸い込まれるくらい澄んだ、黒い瞳は、慈しみを湛えているかのように優しく見つめてくれている。
 そんな、誰が見ても美しいと認めるであろう女性は、自分が今いる国の皇族の特徴を、如実に表していた。
 黒髪に黒瞳。
 透けるような白い肌。
 それは、マスタング皇国の皇族の女性の殆どに見られる、身体的特徴だ。
 だから、すぐに分かった。
(この人も……恐らく……)
 皇族の一人、だと。
(だけど、会ったことないよな…)
 目の前にいる女性とは、面識がなかった。
 一応、皇族と言われる人達とは、挨拶くらいはしたのだが、目の前の女性は全く記憶になかったのだ。
(だけど……どこかで見たことがある…ような…)
 そんな気がする。
(……どこで……?)
 思い出そうとしたが、なかなか出来なくて。
 彼女の顔を見ながら考え込んでいるうちに、彼女は突然繋いだ手を引っ張ったのだ。
(――――え?)
 その女性は、ぐいぐいと腕を引っ張って、連れて行く。
 声のした、闇の奥とは反対の方へと。
(ど、どこへ…?)
 手を繋いだままなので、ただ彼女についていくしかなかった。
 振りほどこうとしても、出来なかったから。
 細い指に似合わないくらい、強い力で固く握り締められていたから。
(…どこへ、連れて行くつもりなんだろう?)
 その、見覚えのあるような、綺麗な女性は、黙ったままで歩き続ける。
 だけど、何故だか不安にはならなかった。
 握り締めた彼女の手が温かくて、安心出来たから。
 それに――――

(それに――――)
 少し先を歩く、一向に喋ろうとしない女性をちら、と見る。



(この人……似てる……)
 だから、より一層安心できるのだ、と。



 そう思った時。
 突然、彼女の歩みが止まった。
 続いて振り向いた彼女は。

 そっと優しく微笑みかけて。



(ああ、やっぱり……)

 その笑顔を見て、確信した直後。

 彼女の手が、ポン…と軽く身体を押して。


 ふわりと身体が闇の中に浮かぶような感覚に囚われた瞬間。



 エドワードの周りにあった闇が霧散して。
 眩いばかりの光に包み込まれ――――



 一瞬…ほんの一瞬、彼女の声が耳に入ってきた。



『あなたは…ここに来てはだめよ。まだ……』


「――――あ……」



 眩い光が消え去った後には。


「……エド…っ!」
 自分を呼ぶ、切羽詰った声が、意識を呼び戻してくれた。
 それは、愛しい人の、声。
 そして、ゆるゆると重い瞼を開くと。
「ロ……イ……」
 ひどく掠れた声で呼ぶと。
 大好きな…人が、心配そうに自分を見つめてくれていた人が、安心したように笑いかけてくれる。
「やっと…やっと意識が戻った…」
 安堵したのか、大きく息を吐き、自分を見つめる男の顔を改めて見て―――エドワードはやっと、気づいた。

 気づき……確信した。




 あの、暗い暗い闇の中で出会った女性。

 とても美しくて、優しい人。

その人が。
(………ロイと、とてもよく似てる…)
 と。





「…私によく似た…女性が?」
「――――うん…」
 エドワードは、ゆっくりと頷いた。
 


マスタング皇国の宮殿に到着したウィンリィが、意識のないエドワードを早速診察し、治療を開始した直後のことだった。
 それまで、どれ程に手を尽くしても目を覚まさなかったエドワードの瞳が開いたのは。
 未だ、熱が下がらないので絶対安静なのだが、それでもとりあえず意識が戻ったことを、その場にいた者達は皆喜び、エルリック王国の医療技術の素晴らしさを褒め称えた。
 そして…一通りの治療を終えた後に、少しだけならという条件付で、ロイはエドワードと久しぶりに二人だけで話をすることが出来たのだ。
「ずっと…ずっと歩いていた闇の中で、会ったんだ。ロイとよく似た女の人と」
 思い浮かべる度に、確信する。
 あの、真っ暗な闇の中で出会った美しい人は、ロイと容貌がよく似ているということを。
 同じ皇族だからというのではない。
 彼女とロイには……明らかに、それより『近い』ものを感じたのだ。
「その人が……オレを、戻してくれた。この世界へと…」
「エド……」
「あの人が止めてくれなければ…」
 自分はどうなっていたのだろうかと、思う。
 あの、深い深い闇の中をさ迷い歩き続け、永遠に出られなくなっていたのではないだろうか…そんな気がしてならない。
 それを、彼女は止めてくれて、戻してくれたのだ。
 ロイのいる、この世界へと。
「エドが会ったという女性は…もしかしたら、私の母かもしれないな…」
「ロイ…の?」
「ああ。私が小さい頃に亡くなった…。ここに残されている肖像画や写真を見る限り、私と似ているからね…」
「あ……それで…」
 エドワードはようやく気づいた。
 彼女を見たことがあると思ったのは、気のせいではなかったのだ。
 この宮殿内に飾られている、ロイの母―――前皇帝の妹姫―――の肖像画を、幾度か見たことがあったから、そんな風に思ったのだろう。
 それに、確かに彼女は、ロイと面差しがよく似ていた。
 実の親子だから当然なのだろうが、それ故に、一層彼女に親近感を覚えたのだろう。
「……母が、エドをこちらに戻してくれたのだろうね」
「―――うん……」
 恐らく、そうだろう。
 エドは思った。
 ウィンリィの治療も、意識を呼び戻す要因となったのであろうが、あの漆黒の闇の中で、彼女の導きがなければ、今、こうやってロイと話すことも叶わなかっただろうという、確信めいた思いも持っていた。
「―――母に、感謝しないといけないな。だが……」
 そっとエドワードの頬に手を当てる。
 その、自分の掌から、エドワードのかなり高い体温が感じられて、未だ彼の病状が重いことを認識させられた。
「今日は…これくらいで止めておこう」
「…ロイ?」
「君はやっと、意識が戻ったばかりだからね。無理はいけない」
「―――う…ん……」
 休むように促されると、エドワードは素直に応じた。実のところ、熱の篭ったままの身体はだるくて、指を動かすことすら億劫なのだ。 
 このまま無理をすれば、また意識を失ってしまうかもしれない。それだけは、避けたかった。
「私は、ここにいるから…。安心して休むといい…」
「―――ロイ、仕事は…?」
「この部屋に運ばせている。エドの傍でするから、心配しなくてもいいよ」
「う……ん……」
 ロイの言葉に安心したのか、エドワードはうつらうつらとまどろみ始め、やがてそれは落ち着いた呼吸音の伴った、深い眠りへと変わっていった。
(……このまま…回復してくれれば…)
 祈るようにそう思いながら、ロイは先刻よりもずっと安らかな寝顔になっている、愛しい人の貌を見つめ続けていた。