To darling you… -2-

「――――もうっ、ウィンリィ!危ないよっ!」


 アルフォンスは、顔を上に向けて叱るように言った。
 その腕で、木製の梯子を支えながら。
「…もう少しで取れるから…!」
 そして、その梯子の一番上には、書棚の最上段を梯子に上ってごそごそと探しているウィンリィの姿があった。
「大体、こんな梯子しか届かないような本棚ばっかりなのがいけないのよ!」
 ウィンリィはブツブツと不平を呟きながら、本棚を漁っていた。
「ウィンリィこそ、どうして上の段ばっかり探しているのさ?」
 ギシギシと音を立てている梯子を懸命に支えながら、アルフォンスは問う。
「だって、下の段の本は殆ど全部調べ終わっているもの。上を探すしかないじゃないの」
 目は、上段に並べられた本に据えたまま、答える。
「だけどさ、この辺にあるのは医学書であって、王家の史書なんてない筈だよ?」
「うっかり間違えて、この辺に紛れ込んでることだって考えられるじゃない。―――そもそも、私は納得がいかないの」
「……何の?」
「四百年前――――アル達の先祖に当たる、この王国の中興の祖と伝えられている人物に関する史書が、全く残されていないことよ」 
 ウィンリィは、うっすらと埃を被っている書物を一冊一冊確かめながら話す。
「……ああ、そのこと?全く残されていないわけじゃないよ。現に…」
「エルリック王国の中興の祖で、若くして国王の地位に就き、現在の王国の基礎を築き上げた国王。だが、その後すぐに病没。―――仮にも一国の国王…しかも現王国の基礎を作り上げた偉大な国王の記述がそれっぽっちなんておかしいじゃない?普通だったら、一冊の史書が残っていてもおかしくないくらいだわ」
「うん…それはボクもおかしいと思ったよ。でも現実に、彼に関する記録は殆ど残っていないんだ。王家に残る史書には…」
「だから、探しているのよ」
 ウィンリィは、埃まみれになりながらも、本を漁っている。
「彼の記録が残っているものを。それがあれば……この国の王家に振りかかっているという呪いのことも、何か分かるかもしれないし…」
「ウィンリィ……」
「エルリック家の長男が早世するようになったのは、丁度その中興の祖の後から。ならばきっかけは、そこにあるかもしれないわ」
 だから、彼女は探していた。
 そうなってしまったきっかけが記されているかもしれない、ものを。
 それこそ王家に残されている公式の史書から文書の全てに目を通し。
 それらに何も残されていないことが分かると、次には王宮にある書物を探し始めたのだ。
 それこそ連日のように、王家の書庫に入り浸っては、懸命に探していた。
 手がかりを。
 呪いと言われるようになってしまった、そもそもの原因を。
「だって……」
 彼女は一冊一冊、膨大な数にのぼる王家所蔵の本を手に取り、調べながら呟く。それが王家の歴史に関係なさそうなものでも、念を入れて調べていた。
「だって…エドを呪いなんかで死なせたくないもの…!」

 エドワード・エルリック。
 ウィンリィの婚約者である、アルフォンスの唯一の兄。
 だが、王家に伝わるとされている呪いから逃れるためにと、世間的には王女として生きてきた。
 そして今は――――隣国のマスタング皇国にいる。
 未来の、皇妃として。
 その国の皇帝――ロイに、望まれて。
 皇帝は、エドワードの事情を何もかも承知の上で、彼を皇妃とすることを決め、当のエドワードも、それを受け入れたのだ。
 そうなることが、昔から決まっていたかのように。
 事実、エドワードが幼い頃に、既に二人は偶然出会っていて、その時から互いに好意を抱いていたのだから、このような展開は至極当然なのだろうが…。
 そんな、ずっと王女と偽って暮らしてきたエドワードが、家族以外で初めて見出した、愛しい人との安らぎを、ずっと続けさせたくて。
 理不尽な呪いなんかで、壊したくなくて。
 エドワードに侍女としてついて行っていた、マスタング皇国より戻ってからというもの、呪いの原因を突き止める調査に明け暮れる日々が続いていた。
「…エドには、幸せになってもらいたいもの」
 やっと得ることが出来た、ロイとの安息の日々を失わせたくなかったから。
「だから絶対に、見つけてみせるわ…!」
 彼女は自分に言い聞かせるようきっぱりと言い切り、再び書棚へと意識を集中させる。
「ウィンリィ…」
 そんな彼女を、止めようとは思わなかった。
 アルフォンス自身も、大事な兄の幸せを誰よりも願っているから。
 だからこうやって、自分に出来る手伝いをやっているのだ。
「―――それじゃボクは、奥の書棚を探してみるから、くれぐれも落ちないように気をつけて」
「分かってるわ、アル」
 婚約者に笑顔を向けて答え、再び作業に没頭する。大切な幼馴染のために。
 そんな、一途な婚約者の姿を見上げていたアルフォンスが、自分も調べるために場所を移ろうとした時のことだ。


「―――アルフォンス様、ウィンリィ様!」


 慌しい足音と共に、女官の悲鳴のような声が、静寂に包まれた書庫に響き渡った。


「…どうしたというのです、一体?ここは書庫なんですよ」
 息せき切って二人の前に現れた女官を、アルフォンスは軽く咎める。
 しかし彼女は。
「…申し訳ありません。ですが…ですが、至急お戻りください。陛下と王妃様が、お待ちでいらっしゃいます…!」
「父さんと母さんが?何か御用なのか?」
 アルフォンスとウィンリィは互いに顔を見合す。
 今日は、王子としての、公の仕事はなかった筈だ。だからウィンリィと一緒に、調べ物をしていたのだが……。
「はい!隣国…マスタング皇国から、早馬での使者が到着なさいました!」
「マスタング皇国から…?」
 その国名を聞いた途端、ウィンリィは急いで梯子から降りてきた。そして、女官に尋ねる。
「マスタング皇国からの使者ということは……エドのことなのね?一体どうしたの?」
「私も詳しくは……ただ、姫様があちらでお倒れになったと……」
「ウィンリィ…!」
 二人は、女官の話を最後まで聞かぬうちに書庫を飛び出した。
 聞かなくても、分かったからだ。
「アル……とうとう……」
「ああ……!だけど、詳しい話を聞いてからだよ!」
 二人は並んで早足で歩き、飛び込んだ。
 国王夫妻のいる、謁見の間に。




「父さん…!」
「ああ、アルフォンス…」
 謁見の間には、厳しい顔をしている国王・ホーエンハイムと。
 ほんの少し青ざめた顔をした、王妃・トリシャ。
 そして。
 彼等から少し離れて立っている、マスタング皇国からの使者がいた。


「――――ハボックさん!」


 その使者に、ウィンリィは見覚えがあった。
 ジャン・ハボック。
 マスタング皇国の皇帝であるロイの、側近の一人だ。
 彼とは宮殿内でも度々顔を合わせることがあったので、よく覚えている。
 気さくな性格で、エドワードとウィンリィにも暇があれば話しかけてくれ、何かと気を使ってくれた。それが時には、ロイが気に入らなくて、嫉妬するという場面に展開することもあったが。
「久しぶりです、ウィンリィ嬢。お元気でしたか?」
 恭しく頭を下げて、ハボックは一応使者としての挨拶をする。
「やだ、ハボックさん。私にはそんな堅い挨拶なんて不要ですよ」
 クスッと笑うウィンリィに、ハボックは苦笑を浮かべて頭を掻いた。
「…そう言ってもらえると嬉しいな。堅苦しいのはどうも苦手で…」
「それより」
 一通り再開の挨拶を済ませたのを見計らって、アルフォンスが口を開く。
「に……姉さんが倒れたというのは、本当ですか?」
 彼の、厳しさを含んだ声音に反応して、ハボックも表情を引き締める。
「はい。先日、気晴らしにと離宮に行かれた直後、お倒れになられて…」
「―――容態は…?」
「倒れてからずっと、高熱にうなされています。侍医にも、その原因が一向に掴めなくて……」
「それで、彼が遣わされたのだよ、アルフォンス」
 苦渋に満ちた顔をした国王が、低い声で呟く。
「―――我が国の医師を派遣して欲しいと…」
「それは……」
 ウィンリィがハッと気づき、それにアルフォンスが言葉を継ぐ。
「エルリック王国の医療技術ならば、救えるかもしれないと?」
 アルフォンスとウィンリィにも、今回の使者の派遣の意図がすぐに分かった。
 どの国よりも高い医療技術を誇るエルリック王国の医師ならば、突然倒れてしまった王女の病の原因が分かるかもしれない。それに皇帝の妃となる王女は、この国の宝とも言われている、現国王の愛娘だ。彼女が病気になっている今、医師を派遣しても、対外的に何ら問題はないだろう。
「…お二人の言うとおりです。皇帝陛下は至急、この国の優秀医師を派遣して欲しいてのことです」
「しかし…そのようなことをしては、皇帝陛下にご迷惑がかかるのではありませんか?」
 トリシャが尤もなことを口に出した。
 皇妃となる王女が倒れ、その故国の医師が派遣されるとなると、王女の病気が公になってしまうかもしれない。そうなった場合、皇帝――――ロイの足を引っ張ろうとする輩が出てこないとも限らないのだ。
 病弱な王女を皇妃に据えようとしている、と。
「今はそのようなことを思い煩わないように、との陛下のご伝言を預かってまいりました」
 ハボックはトリシャに説明する。
「とにかく、姫君の病を治すことが先決だと。それ以外のことはどうとでもなるから、とにかく至急派遣して欲しいとのことでした」
「王妃様…!」
 ハボックの使者としての言葉を聞いて、ウィンリィは一層顔を青くする。
 そこまで、エドワードの病状は切羽詰っているのだ。
「事情はよく分かった。――――使者殿」
 それまで黙って、皆の遣り取りを聞いていたホーエンハイムが徐に口を開いた。
「我々の持っている、医療技術の全てを提供しよう。それで…大事な我が子が治るのなら」
「…ありがとうございます!皇帝陛下もさぞお喜びになることでしょう」
 ハボックは深々と頭を下げて、礼を述べる。
「…となると後は、派遣する医師だが……」
「私が行きます!」
 誰にしようかとホーエンハイムが考えようとした矢先に、ウィンリィが名乗りを上げる。
「ウィンリィちゃん…」
「私に、行かせてください、陛下!私なら、マスタング皇国に行ったこともあるから、勝手もよく分かってます。それにエドも…」
 幼馴染の自分なら、幾分かは安心してもらえるだろう。
「お願いしますっ!」
 そんな彼女の必死の訴えを聞いていた、ホーエンハイムは。
「……本当なら、我等が行きたいところだが、そうもいかないからね。その点君なら、安心して任せられる」
 ホーエンハイムも、ウィンリィの医者としての腕は相当なものと認めていた。
「では……!」
「王女を、頼む…」
「―――はいッ!」
 はっきりと返事をするやいなや、ウィンリィはすぐさま踵を返して謁見の間から飛び出そうとする。
「ウィンリィ、どこへ?」
 アルフォンスがそう尋ねると。
「書庫よ。必要な医学書をありったけ持って行きたいから、これからすぐに探さないと!」
 ウィンリィはきっぱりと答える。
「それなら、ボクも手伝うよ」
「……ありがとう」
「何、言ってるんだよ。当然のことじゃないか」
 そんな会話を交わした後、嬉しそうに微笑み、二人してあっという間にその部屋から姿を消した。
「―――やれやれ、あの分だと、二人が結婚したらアルフォンスが尻に敷かれそうだな。ウィンリィは元気だから…」
 嵐のように去って行った二人の遣り取りを聞いた直後、苦笑を浮かべつつホーエンハイムはぽつりと呟いた。
「あら、それが案外、夫婦円満の秘訣かもしれませんわよ」
 夫の言葉に対し、おっとりとした口調でトリシャが答える。
「……そうだなあ…」
 そんな二人の会話を黙って聞いていたハボックは。
(……この夫婦も、奥さんの方が案外しっかりしていそうだな)
という印象を持った。
 一見、トリシャはおっとりとしていて、おとなしい風に見えるのだが、その実とても聡明で思慮深い。しかも、単身他国に乗り込むという大胆なことをしてのけるのだ。
(…この国の女性って、そんな人が多いのか?)
 事実、ロイの皇妃となるエドウィナ姫も、皇帝より遥かに年下なのに、それを感じさせないくらい大人びた面を持っていた。
(あの分だと、陛下が尻に敷かれる日は近かったりして…)
 ロイが、そう思われていることを知ったら激怒しそうだが、今は他国にいるのでその心配もない。
 だがそうなるためには、まず―――
(姫君の病が治らないと……な)
 元気でなければ、彼女の明るい笑い声を聞くことが出来ない。
 ロイとのスキンシップも兼ねた、軽い喧嘩も見ることが出来ない。
 明るい金色の髪の、元気な姫君がいるだけで、宮殿は暖かさで満ちていたのが、今は暗く沈んでいる。
 彼女の存在が、それだけ大きいものだということが、今回の件で仕える者達にもよく分かった。
 分かったから、切に願っていた。
 光の申し子のような明るい姫君の、回復を。
 彼女のいない宮殿など、最早考えられない。それ程に、彼等、ロイに仕える者達にとっては、エルリック王国からやってきた王女は大切な人となっていた。
(……何より、陛下のために…)
 必ず、良くなってほしい。
 以前は頑ななまでに、自分の幸せを拒否し続けていたロイが、唯一心を開いた存在。
 それが、エドウィナ姫だ。
 彼女を皇妃として迎え入れることになって、ロイは変わった。
 彼女の前だけは、雰囲気が和らいだ。
 彼女にだけは、何もかも…心を許していた。
 そんな、主君のいい意味での変化を、ハボック達は歓迎した。
 部下思いの皇帝。
 だが決して、己の幸せは望もうとしなかった皇帝が、やっとそれを望んだのだ。
 だから、幸せになってほしい。
 二人で、新たな皇国を築き上げてほしい。
 そして自分達は。
 そんな素晴らしい皇帝夫妻に仕えることを、誇りに思うだろう。
(…そのためには)
 何としても、エドウィナ姫に、元気になってもらいたかった。
 再び鮮やかなまでの笑顔をロイと―――自分達に向けてもらいたかった。




(どうか……どうか…)
 自分のこの使者としての役目が、功を奏しますように。
 ハボックはただひたすら、そのことばかり願っていた。