To darling you… -15-

 その日、マスタング皇国は快晴だった。




 まるで、この日盛大に執り行われる慶事を祝うかのように、雲一つない青い空が、広がっていた。 






「―――エド!」
 花嫁の控え室の扉が勢いよく開き、明るい声が広い室内に響いた。
「……ウィンリィ!なかなか来ないから、どうしたのかと思ったぜ」
「ごめんごめん。街道が結構混んでて、なかなか進まなかったのよ」


 中に入ってきた、明るさ溢れるオレンジ色の、ふわふわとタックアップされたスカートが優しい印象を与えるドレスを身に纏ったウィンリィを、嬉しそうに出迎えたのは。



 美しい、としか形容出来ない、花嫁姿のエドワードだった。

 上品な光沢を放つオーガンジャガードを使い、アンティークなカラー、広がった袖やフリル使いがクラシカルな雰囲気を醸し出している豪華なドレスを、彼は身に纏っていた。
 そして、艶やかな金色の髪は、アップヘアにしてあり、片方だけ一房垂らしている。それには一輪の薔薇とグリーンの葉でアレンジされていて、クラシックな魅力を漂わせていた。
「……エド、とっても綺麗よ!」
 ウィンリィは感嘆の溜息をついて、呟いた。
「……そうか?全部、ロイやリザさんに任せだんだけど…」
 自分の姿を、室内に置かれてあった、巨大な姿見で見て、不思議そうな顔をする。
「やっぱりね…。流石、エドにはどんなのが似合うのか、よく分かってるだけあるわ…」
 ウィンリィは感心したように言い、後ろを振り向いて声をかけた。
「…ね、アルもそう思うでしょ?」
「うん、そうだね…」
 呼ばれてウィンリィの背後から顔を覗かせたのは。
 落ち着いたグレーのフロックコートを身に纏った、アルフォンスだった。
「アル……!」
 ニコニコと笑っている弟の姿を見つけたエドワードは、顔を綻ばせて近づいた。
「とっても綺麗だよ、こんな綺麗な花嫁、今まで見たことがないよ!」
「……おまえにそう言われると、何だか複雑…」
 元々が男なだけに、ウェディングドレス姿がとても似合っていて綺麗だと褒められると、妙に複雑な気分になっていた。
「ボクは、真剣に褒めているんだよ。ほんと、兄さんと結婚出来るロイ義兄さんが羨ましいよ」
「アル……おまえ、ウィンリィがいる前で…」
 仮にも、将来自分の奥方になるであろう女性のいる前で、他の花嫁をべた褒めする様など、普通相手の女性は余り見たくないだろう。
 そう、エドワードは気遣っていたのだが。
「あら、アルの言う通りじゃない。今日のエドっていつにも増して綺麗だと思うわ。こんな美しい花嫁が、この国の皇妃になるんだもの。エルリック王国の誇りよ!」
 胸を張って言い切るウィンリィに、エドワードは肩を落として脱力し、不安そうな顔をして口を開く。
「……でも、ばれないかなあ…」
「何が?」
「これから始まる式の参列者達に、オレが男だって事が……」

「それは、絶対にないわ!」
「それは、絶対にないよ!」

 エドワードの不安を、その場にいた二人は同時にきっぱりと否定した。
「この、愛らしい花嫁姿を見て、誰が男だって連想できると思うの?」
「……ウィンリィ、それって褒めてるのか?」
「当り前じゃない!」
 はっきりきっぱり言い切るウィンリィに、それ以上繰り返して問うことは、エドワードには出来なかった。
「――――心配しなくても、大丈夫よ。式の参列者は皆、あんた達を誉めそやすわ。絶対!」
 ウィンリィには、その時の光景が容易に想像出来た。
 目鼻立ちのはっきりした綺麗な顔立ちの、小柄な身体によく似合った愛らしい、しかし豪奢な純白のドレスに身を包んだ美しい皇妃と。
 国内の女性の大半から、整った容貌だと評されている、この国の若き皇帝。
 この二人が並び立つ様を見た、各国からの列席者達は、皆同様に感嘆の溜息をつくことだろう。
 近年にない、美しい花嫁と花婿だと、帰国した後も語ることであろう。
 それ程に、今、ここにいる花嫁姿のエドワードは、美しかった。
「…だから、心配する必要はないわ。自信を持って、式に臨みなさいね」
「ウィンリィ…」
 姉のように励ますウィンリィを見つめているエドワードの眼差しは、まだほんの少し不安そうだった。
「大丈夫よ!エスコートはアルがするんだから、ね?」
「そうそう。本当は、父さんがしたいって駄々こねてたんだけどね…。流石に一国の国王がエスコートするっていうのは…って母さんが説得して、泣く泣く諦めたんだよ。それで替わりにボクがすることになったんだ」
「―――親父じゃなくて良かったぜ…」
 心底、エドワードはそう思って呟く。
「うん。流石に、挙式の最中泣き続ける父親っていう姿は、まずいものがあるからね…。一国の皇帝と、その皇妃の結婚式だし」
 アルフォンスも、大きく頷いて同意した。
 やはり、自分の父親のことは、二人ともよくわかっていたのだ。
 あの、エドワードを溺愛しているホーエンハイムのことだ。
 式の間中、掌中の珠の如く、大事に育ててきた我が子を嫁にやるという寂しさから泣き続ける姿を、各国の参列者達には見せたくない。
 その姿を見られたら、名君と評されて一目置かれているエルリック王国の国王としてのイメージが、ガラガラと崩れ落ちてしまうだろうからだ。
「……母さんもそれはまずいだろうと言って、ボクとウィンリィを代理にしたんだ」
 母・トリシャは、将来の国王と王妃の参列であれば、角が立たないだろうという配慮も含めて、二人を来させたのだろう。エドワードは、彼女のそんなさりげない配慮を感謝した。
「―――さ、そろそろ式の始まる時間じゃないかしら?」
 ウィンリィが、壁に掛けられてある柱時計を見ながら切り出す。
 すると丁度見計らったように、控え室の扉をノックする音がして、姿を見せたのは。
「エドウィナ様、そろそろお時間でございます。――――あら、ウィンリィ様……アルフォンス様」
 普段の軍服とは少しデザインの異なった、礼服を着たリザが、ウィンリィ達に向かって一礼した。
「本日は、遠路はるばるお越しくださいまして、ありがとうございました」
「大事な兄の結婚式ですから。来て当然です」
 にっこりと笑って答えるアルフォンスに、再度リザは微笑んで礼をする。
「……陛下も後程、会ってゆっくりお話がしたいと申しておりました」
「ありがとう。楽しみにしていますとお伝えください」
 そう言ってニコニコと笑ってはいるものの、その目は全く笑っていないことにウィンリィはしっかり気づいていたのだ。
(……ま、仕方ないわね。大事な兄を奪い取って行った男、だからなあ)
 会った時に、さり気ない嫌味くらいは、さらりと言ってのけるだろう。
 それを、大事な兄を奪った皇帝・ロイは、甘んじて受けるしかないし、一応大人な彼は、黙って受けるだろう。
 そんなロイを、ほんの…ほんの少しだけウィンリィは気の毒に思ったが。
「……じゃ、私は先に式の会場に行ってるわね」
 ウィンリィは他の者に分からないように、小さく溜息をついて、ドレスのスカートを少し摘んだ。
 彼女は、余り、深刻には考えていなかった。
 今日、この後すぐ、エドワードはロイと結婚するのだ。
 この国の――――マスタング皇国の皇妃となるのだ。
 その事実は、変えられることはない。
 どんなに、アルフォンスが嫌味三昧をロイにしようとも。 
 二人の結婚までも、反対しようとはしないのだ。
 ……エドワードが、望んでいるから。 
 ロイと、結婚することを。
 そして、それがエドワードの…二人の幸せなのだと分かっているから。
「参列者の席で、拝見させていただくわ」
「うん。また後でな、ウィンリィ」
 にっこり笑って手を振りつつ、ウィンリィは控え室から出て行った。そんな彼女に、エドワードは微笑んで答える。
 その笑顔が、少しだけ強張っていることに、アルフォンスは気づいた。
「……兄さん、緊張してる?」
「当り前だろ。あんなにたくさんの人の中を歩いて…滞りなく式を済ませなくちゃならないんだから」
 覗き込んできたアルフォンスに、ぶすっと不機嫌な口調でエドワードは答える。
「立ち居振る舞いは教わったけど……緊張して忘れそう…」
 変なことをして、ロイに恥をかかせてはいけないと思うと、ますます緊張してくるのだ。
「―――大丈夫だよ、兄さんなら」
 そんなエドワードの緊張を解すかのように、アルフォンスはふわりと優しく笑う。
「アル……」
「兄さんなら、大丈夫。きっと皆、素晴らしいと思うよ」
「そうですよ、エドワード様」
 リザも、きっぱりと言い切る。
「エドワード様は、今日まで随分特訓なさいましたから…。きっとその成果はある筈です」
「リザさん…」
「大丈夫ですよ」
 リザは、力強く頷く。その隣でアルフォンスも、同様に頷いていた。
「―――だから、兄さん」
 アルフォンスが、すっと腕を差し出す。
「自信を持って、気を楽にして行こう」
「―――うん、アル」
 エドワードの顔に、ようやく安堵したような微笑が浮かんだ。
 彼は一度深呼吸して、差し出してきたアルフォンスの腕を軽く掴む。
「じゃあ、そろそろ行こうか…」
 すっと背筋を自然に伸ばし、優雅な足取りで歩き出す。
 その姿だけ見たら、とても先程まで不安そうにしていたとは思えないくらいに、堂々とした様子に見えた。



「――――でも、兄さん…」
 隣を歩くアルフォンスが、顔を寄せてこっそりと囁く。
「何だ?」
「…本当に、ここまで元気になってくれて…良かった…」
「――――うん……」
 こくりと頷き、エドワードはふと、少し前のことを脳裏に浮かべていた。





 あの、祠の中で意識を失ったエドワードは、その後宮殿に戻ってからも、一週間程寝込んでしまった。
 元々、体調が芳しくなかった上に、無理矢理離宮へと赴き、挙句祠の中では怪我をした身体を押して、依代を破壊するという、無茶なことをやったのだから、身体に限界が来ていたとしても無理はないだろう。
 だが、ウィンリィの治療や、ロイの甲斐甲斐しい看病のお陰もあって、一週間後には起き上がることが出来たのだ。
 その後の回復振りは目覚しいもので、更に二週間ほど経過した頃には、見舞いと称して様子を見に来た皇族や貴族達の前に、元気な姿を見せることが出来た。
 その時の、元気なエドウィナ姫の姿を見た時の彼等は、口では回復を祝う言葉を次々と言いながらも、内心は落胆しているのがエドワード自身にも手に取るように分かった。
 それもその筈だ。
 エドウィナ姫の体調が芳しくないという話を耳にしていた貴族達は、病弱では皇妃は務まらないと主張して、あわよくばエドウィナ姫との婚約を解消させた後に、自分達の縁に繋がる娘を皇妃に据え付けようと考えていたのだから。
 だから、表向きは見舞いと言っても、その実エドウィナ姫の様子を探りに来たようなものなのだということは、ありありと分かった。
そんな彼等が、元気な姫君と対面した時に、肩を落としてがっかりしているのに、更に傍にいたロイが追い討ちをかけたのだ。
『姫君も元気になったことだし、そろそろ式を挙げようと思うのだが』
と。
 皇帝自身にはっきりと結婚する意思を宣言されては、臣下である彼等は反対のしようがない。
 しかも、唯一対抗できる理由である、
『エドウィナ姫は病弱だ』
という事実も、自分達の目の前で覆されてしまった。
 これで反対しようものならば、皇帝の不興を買うことは目に見えていた。
 そのような、ずる賢い保身のための算段だけには長けている彼等が、二人の結婚を表立って反対する筈もなく。
 皆、言葉の上だけでは祝福の言葉を述べて、エドワードにも初めて、臣下として頭を下げたのだ。
 こうして、割ととんとん拍子に、久しぶりの大イベントである、マスタング皇国の皇帝と、エルリック王国の王女との結婚式の日取りが決定し、着々と準備を整え、今日の日を迎えることが出来たのだ。

(……でも、前途多難かも…)

 こっそりと、エドワードは溜息をつく。
 この国の貴族達の中には、表面上では祝福しているものの、心の底では未だエドワードとの結婚を認めていない輩もいるのだ。
 そんな人達と、上手く渡り合っていけるのかどうかが、エドワードには不安だった。
 そういう駆け引きは、苦手だったから。



「―――大丈夫だよ、兄さんなら」



 式の執り行われる、宮殿内の大広間の前。
 入口に二人で立った時に、アルフォンスがきっぱりと言ったのだ。
「………アル…?」
 きょとんとして、隣にいるアルフォンスの顔を覗き込むと。
「今はこの結婚に反対する奴等もいるかもしれないけど、大丈夫、心配しなくてもいいよ」
 自信を込めて、アルフォンスは言い切る。
「だって、兄さんのことを知って、嫌いになれる人なんていないから」
 そう言って、アルフォンスは人懐こい笑顔でエドワードに笑いかけた。
「――――そうかな?」
「そうだよ!」
 まだ不安そうなエドワードに、畳み掛けるようにアルフォンスは言葉を続けた。
「今はまだ、兄さんのことを余り良く知らないから、悪く言う奴もいるだろうけど。でも、心配ないよ。兄さんと接するうちに、嫌いだなんて思えなくなるから。だって。

 だって、兄さんは、『光の申し子』なんだから。
 そして、『エルリック王国の至宝』なんだから」
 エルリック王国では、誰もがエドワードのことをそう称え、敬愛してきた。
 そうするだけの魅力が、今隣にいる兄には、あるのだ。
「だから、自信を持って。ね」
「……うん。ありがと、アル」
 弟の励ましに、元気付けられたエドワードは、嬉しそうに笑った。
 その、輝かんばかりの笑顔に、エルリック王国の者達は、魅了されてきたのだ。
 そして、これからは――――
(マスタング皇国の人々も、惹きつけるんだろうなあ)
 エルリック王国中で愛されて止まない存在だったエドワードは、嫁ぎ先でもそこに住む人々を魅了し続けることだろう。
 何と言っても、その国を統べる皇帝が、いの一番に惹かれているのだから。
(……本当は、手離したくないんだけどね)



 大広間へ続く扉がゆっくりと開かれる。
 それに応じたかのように、中から割れんばかりの拍手が二人を出迎えた。

 その二人を包み込むような拍手に招かれるように、エドワードとアルフォンスはゆっくりと大広間の中央に敷かれた、細長い緋色の絨毯の上をゆっくりと歩き始めた。
 アルフォンスがそっと隣を窺い見ると、少し緊張しているようではあるが、微笑を浮かべたエドワードは、アルフォンスのエスコートでそつなく歩いている。
 その、綺麗な横顔をそっと見ていたアルフォンスは、寂しさを拭い切れなかった。
 『国の宝』と言われた兄が、エルリック王国を離れて、この国で生きていくのだから。
 これからは、始終傍にいることは叶わなくなる。
 例え、血を分けた兄弟でも。

 それが寂しくないと言うのは、嘘になるが。
 エドワードの望みに反対することなど、アルフォンスは出来なかった。
 呪いが消えて、もう王女の振りをしなくてもよくなったのに、エドワードはマスタング皇国に残ることを選んだのだ。
 皇妃として、この国の皇帝の……ずっと想っていた男の傍らにいることを、エドワード自身が望んだのだ。
 本人が強くそう願うのを、どうして周りの人間が反対できるだろう。
 そうすることが、彼の幸せなのだと分かるだけに、反対など出来る筈がなかった。
(……だから…)
 緋色の絨毯の終着点。
 そこに立って、二人を待つ男を、アルフォンスはじっと見る。
 エドワードが、一緒に幸せになりたいと願った男が、皇帝としての礼服を身に纏った男が、二人の到着を待っていた。
 綺麗に着飾って、いつも以上により美しくなった花嫁に、笑顔を向けて。
 そんな彼の、幸せそうな様子を見て、嫉妬を感じてはいた。
 このまま、国に連れて帰りたい。
 あんなにやけ面した男に、渡したくない。
 今更に思うのだが、それは思うだけで、決して実行することはないだろう。
 何より、エドワードの幸せのため。
(だから……必ず、幸せにしてください)
 ロイの傍に到着したアルフォンスは、ロイに一礼する。
 そして、顔を上げてロイと視線が合った時に、心の中で願った。
 それから、はにかむように視線を漂わせているエドワードの手を取って、ロイに渡す。
 その時。
「――――エルリック王国の宝を、あなたに…あなたの国に託します」
 小声ながらも、願いを込めて囁いたアルフォンスの言葉を聞いたロイは。
 アルフォンスからエドワードを受け取った時に、、力強く頷いた。

「確かに、受け取りました。この世で唯一の宝を、生涯大切にします…」

 その、真剣な響きを持った言葉に、アルフォンスは深く頷いて、一歩下がった。
 自分の役目はここまで。
 後は、ロイがエドワードの隣に立ち、エスコートしていく。
 彼が、エドワードの生涯の伴侶となるのだから。




(……兄さん……どうか、幸せに…)


 美しい、一対の絵のような花婿と花嫁の姿を目の当たりにした列席者達からの、感嘆の溜息があちこちから漏れ聞こえる中、アルフォンスは祈った。



 これまでも、呪いによって王女としての生き方を強いられてきたて兄の。
 そしてこれからも、皇妃として生きていく兄の幸せを。



 滞りなく進められて行く式を見つめながら、アルフォンスはただ祈り続けた。
 



 幸せそうに微笑み、夫となるロイと指輪の交換をするエドワードを見て、祈り続けていた。






 ―――――幸せに…………