「―――さっき、贄って言いませんでしたっけ?」
「ええ、そうね」
「それってどういう…」
「さぁ…。言った本人に聞くのが一番、でしょうけど…」
「聞いて、素直に答えてくれますかね?」
「それは、多分ないわね」
「―――やっぱり」
ハボックは溜息をつく。
そんな彼の背中には、石の祭壇越しに、途切れることのない衝撃が振動となって伝わってきていた。
『守護者』の祠の中。
壁で隠されていたもう一つ奥の間を、乱暴に暴いた時。
その中にいた、『守護者』は。
リザとハボックとの交渉が決裂した時点で、すぐさま三人に向かって攻撃を仕掛けてきたのだ。
それは、三人にとって信じられない光景だった。
出来れば、今目の当たりにしているものが、現実のものではなく、夢だと思いたかった。
だがそれは、目覚めれば消える夢ではなく、目の前で起こっているものだった。
彼女―――ヴィルヘルミナが差し出した手が、三人の見ている前で指先から半透明に変化していったのだ。
それだけでも、驚くに値したのだが、彼女は更に変容していった。
彼女の半透明の指先が細くて鋭いサーベルの刃のように伸び、いきなり三人に向かって攻撃を仕掛けてきたのだ。
それを咄嗟に三人は、バラバラの方向に反射的に飛びのくことで避けることが出来たが、その攻撃の跡を見て、更に驚いた。
三人の立っていた場所の石畳の床が深く抉れ、その部分が真っ白に凍り付いていたのだ。 その様を見た三人は、ほぼ同時に息を飲む。もしあのまま立っていたら、まず間違いなく自分達の身体が凍りつき、粉々に飛び散ってしまったことだろう。
(氷を自在に操って、攻撃しているのか…)
その惨状を目撃したロイは、彼女が何を武器としているのかが、漠然とではあったが分かった。
彼女は、生身の体ではない。
元々数百年も昔の人物なのだ。
その当時の身体はとうの昔に朽ち果てていて、今、目の前にある姿は、『守護者』として縛り付けるための媒体によって作り上げられたものだろう。
(今の彼女は…氷で出来ているという所か…)
氷、と言うよりは、水と言った方が正しいだろうか。
彼女の半透明と化した身体は、その全てが水で出来ていて、それを攻撃する時には氷に変化させているようなのだ。しかもその氷も、変幻自在に作ることが可能のようだ。
(流石…水竜から神託を受けて、皇帝になった先祖が考えそうなことだ)
彼女を『守護者』としてここに縛り付けたマスタング家の祖先は、自分達に神託を授けたのが水竜であることに因んで、彼女を『水』という媒体に縛り付けたのだろう。
それは、ある意味正しい判断であったかもしれない。
(水ならば…どこへでも行けるからな)
水という媒体になれば、どこへでも簡単に行くことが出来る。
彼女が、それこそあちこちに神出鬼没で姿を見せることができたのは、こういう理由だったのだ。
そして―――攻撃するのも簡単だ。
水を氷に変化させれば済むことなのだから。
「……ずっとこのままじゃ、埒があきませんよ!」
引っくり返った石の祭壇を盾にして、その陰に隠れて攻撃を避けているハボックが叫ぶ。
この祭壇は、最初の攻撃の時に衝撃で倒れ、それが丁度三人の身を隠す盾の役目を果たしていた。
彼らは、ひっきりなしに続く、氷の刃の攻撃からその祭壇によって逃れ、反撃の機会を探していたのだが、なかなかうまくいかなかった。
彼女に対して反撃するためには、一旦祭壇の外に飛び出さないと出来ない。だがそんなことをすれば、たちまち氷の剣に串刺しにされてしまうのは目に見えていた。
「……この祭壇も、いつまでもつか…!」
背中にずぅん…と石の受ける衝撃を感じつつ、ハボックは背中越しに気配を窺う。
「おまけに、私達の持っている銃では、彼女の身体に傷をつけることすら出来ないでしょうね」
「……水ですからね、相手は」
ハボックはため息をつく。射撃の腕が良くても、その銃弾は水である彼女の身体を通り抜けてしまうだろう。運よく氷に当たって粉々になったとしても、水に戻れば元の木阿弥だ。
「そう、彼女は水…そして氷よ。ならば…ならば、陛下の焔だったら…」
「あ、そうか!」
「今になって、やっと気づいたか」
同じく、二人と並んで、祭壇の陰にいたロイが、やや呆れたようにハボックを見つめていた。
「いや、まあ…切羽詰っていたんで…」
頭を掻きつつ笑う。
「まあいい。多分、焔を使えば、あれにかなりのダメージを与えることは出来る筈だ。ただ……」
「ただ……?」
「身体全体に、正確に狙いを定めないと効果が半減する」
「―――ということは、彼女の正確な位置を知って、攻撃しなければならないということですね?」
リザがロイに確認すると、ロイは深く頷いた。
「そういうことだ。だが、今のこの状況では……」
ロイが呟いた時、また一層激しい衝撃が、三人に伝わってきた。
「この祭壇越しには…正確に把握するのは難しいな。彼女の動きが見えないから…」
祭壇は、三人を護ってくれてはいたが、一方で、視界の邪魔もしていた。
「じゃ、一旦この祭壇の外に飛び出さないことには、攻撃できないということっすね?」
「そうね。だけどそんなことをしたら……」
リザは最後まで言わなかったが、他の二人にも言いたいことは分かった。
この、氷の攻撃の最中、盾となっている祭壇の外に飛び出してしまったら、それはそのまま死を意味することだと。
「―――一瞬だ」
ロイが手袋をはめた手をギュッと握り締めて、悔しそうに呟く。
「ほんの一瞬、彼女の注意を他へと向けることが出来たら、それで十分なのに…」
ヴィルヘルミナの気をほんの少しの間だけ、ここから外すことが出来れば、その時に焔で攻撃出来るのだ。
「……では、私が出て、注意を引き寄せますから。その間に……」
リザが手に持っている銃を構え直して言い出す。
「ダメだ!そんなことをしたら君の命が危ない!」
すぐさまロイは反対した。
「ですがこのままだと、いずれ祭壇も崩れて、私達を隠すものが何もなくなってしまいます。そうなったら全員が、串刺しになってしまいますよ!」
「しかし――――!」
「時間がありません…!私が五つ数えたら外に飛び出します。その瞬間を狙ってください!」
「ホークアイ…!」
「姫君のため…陛下のため…、そして何より、御二人に仕える私自身のためです。もう、こんな馬鹿げた呪いは、終わりにしなければ…!」
リザはそう言うと微笑み、ハボックに顔を向ける。
「――――私と陛下の援護を、お願いするわね」
「……わかった…!」
頷き、銃を構える。
「では……」
一度瞼を閉じ、深く息を吸い込んだリザは。
「――――1……」
瞳を開き、数え出した時。
ロイが右手でいつでも攻撃出来るよう、スタンバイした時。
ハボックが、銃を持つ手に力を込めた時、だった。
「―――――ロイ……っ!」
崩れ落ちた祠の扉のあった場所から。
黄金色の『光』が飛び込んできた。
肩で息をしながらも。
額に汗を浮かべて、心持ち青ざめた顔をしながらも。
ロイにとっての『光』は、懸命に叫んだ。
「ロイ……無事か…っ!」
黄金色の髪を振り乱して、『光』――――エドワードは、壊れかけた祠に飛び込んできたのだ。
「――――おまえは…っ!」
突然乱入してきた人物に驚いていたヴィルヘルミナは、入ってきた者がエドワードだと分かるやいなや、怒りの形相を彼へと向けたのだ。
「おのれ……!エルリック家の者が、よくものこのこと、ここに来たな!」
怒りの余り、彼女の髪がざわざわと揺れる。そして、攻撃の矛先は、突然姿を現したエドワードに向けられたのだ。
その瞬間、ヴィルヘルミナの注意が、一瞬ロイ達から外された。
「…今だ…!」
その時を、ロイが逃す筈がなかった。
「エド…!そこから離れろっ!」
盾となっている祭壇から飛び出し、ヴィルヘルミナの位置を見る。
「……ロイ…っ!」
叫ぶエドワードに、ヴィルヘルミナが無数の氷の刃を向けるのと。
ロイが、彼女に向かって焔を錬成したのは、ほぼ、同時だった。
青白い光が、祠の入口で輝き。
紅蓮の焔が、祠の奥で『守護者』を飲み込んだ。
「……ああああああァ…ッ!」
叫んでいるのは、ヴィルヘルミナだった。
ロイの焔に包まれて、見る見るうちにその姿が判別不可能なくらいにどろどろに溶けてゆく。
「…おの…れぇ…」
それでも、呪詛のように苦悶の呟きを漏らしながら、触手のような手を伸ばしてはロイ達の方へと近寄ろうとしたが。
やがてどろどろに溶け落ち、水の塊となって力尽きた。
「……倒せたのか?」
ハボックが、床に広がる不気味な水の塊を眺めて、呟く。
「…一応そうみたいだけど……」
リザはそこまで言って、ハッと我に返った。
「姫君は……っ?」
「あ――――!」
ハボックも気づき、慌てて祠の入口に目を向けると。
そこは。
もうもうと土煙が立ちこめていた。それも暫くすると消えてなくなり、姿を見せたのは。
「な、何だこれ…?」
ハボックが素っ頓狂な声を上げる。
祠の入口に立つ、無数の石の壁。それらには、ヴィルヘルミナが出したと思われる、氷の刃が無数に突き刺さっていたのだ。
そしてその石の壁の向こう側には。
「エド……!大丈夫か?」
いつの間に行ったのか、ロイが石の壁の間で蹲っているエドワードを抱え上げていた。
「うん……オレは平気……っ…!」
「平気じゃないじゃないか!この怪我は…!」
ロイが叫ぶように、エドワードの右腕には、細い氷が一本、突き刺さっていた。そこからじわじわと血が滲み出て、ドレスの袖を赤く染めつつある。
「……石の壁を錬成して…全部防げると思ったんだけどな…ちょっと間に合わなかった…」
痛みに顔をしかめながらも、笑う。
「―――あの壁を全て、錬金術で作ったっていうのか?」
ハボックはただただ驚くばかりだ。錬金術を見ることも、この国では珍しいのに、その優れた技を目の当たりにしたのだから。
「流石、エルリック王国の王族だ…」
「感心している場合ではないわよ、ハボック!」
リザの叱責に、慌てて我に返る。
「とにかく、姫君の怪我の治療がまず第一だわ!」
「あ、ああ、そうだった」
リザに言われて、取りあえず応急処置を…と祠から出ようとした時に、外から声が聞こえてきた。
「――――エド…っ!」
「エド、大丈夫かい?」
叫びながら飛び込んできたのは、ウィンリィとイズミだった。
「……怪我をしているから、早く治療しないと…!」
ロイが抱き上げると、エドワードはくぐもった声を唇から漏らす。
「とにかく…とにかくここから外に出てこれを抜き取らないと…。…ああっほんとにもうっ、無茶ばっかりするんだから!」
「本当だよ。私達が止めるのも聞かずに飛び出して…!」
怪我を見たウィンリィが叱り、それにイズミも同調する。
それでも治療をすぐに始めるということで、ホッと胸を撫で下ろしたハボックが、リザと顔を見合わせてクスッと笑い祠を後にしようとした時だ。
背後に、『気配』を感じたのは。
と、同時に、ズズ…と這うような音も聞こえてくる。
「あの……」
それに気づいたのは、ハボック最初だった。
「あなたの言いたいことは、分かっているつもりよ」
リザも、既に気づいていた。
緊張した面持ちで銃を持ち直している。
「例え…例え焔で攻撃して、相当のダメージを与えたとしても、水自体が残っていたら――――」
二人は同時に振り向いた。
「やっぱり……!」
ハボックとリザは、自分達の後ろ――――祠の中の光景を目の当たりにして絶句した。
気配などから想像はついていたのだが…自分の目で見るのとは迫力が違う。
ロイの焔によって、小さな水の粒となってしまっていたヴィルヘルミナ。
だが、少しずつ少しずつ…小さな水は集まり、大きな水溜りへとなって……二人が見たときは、人の形をした、半透明の液体状にまでなっていたのだ。
その様は、不気味としか言いようがなく、眺めていたハボック達の背筋を悪寒が走った。
「……こいつって…どうやったら復活させずに済むんだ?」
「――――完全に蒸発させるとか……でも無理ね」
言葉が途切れ、リザの顔色が変わった。
そしてすぐさま振り向き。
負傷したエドワードを抱き上げたままの。
祠の外に出ようとしたロイに向かって叫んだのだ。
「陛下……!急いで外へ…!」
リザの悲鳴のような叫びと、床に蹲っている半透明のヴィルヘルミナが、ゆっくりと腕を上げたのはほぼ同時だった。
その声に応じて、何事かとロイが振り向いた瞬間。
半透明の指先が白く光り、閃光のような刃が真っ直ぐロイに向かって行ったのだ。
「……陛下っ!」
その刃は、ロイの心臓を狙っていた。
だがロイは、ぎりぎりのところで飛びのき、刃の攻撃を避けることが出来たのだ。
ただ、腕の中にエドワードがいたので、乱暴に動くことが出来ず、細い銀色に光る刃が、ロイの右腕を掠ってしまった。
「――――ロイっ!」
ロイと一緒に床へと倒れこんでしまったエドワードは、彼の腕の傷を慌てて見る。
「大丈夫か…ロイっ!」
「…エドよりはひどくないよ。掠り傷だ」
心配ないと言い切って、微笑む。確かに、腕を貫通しているエドワードよりは、軽傷と言えるだろう。
「―――陛下!早く逃げてください!」
リザが叫ぶ。
「彼女が……ヴィルヘルミナが完全に元通りになる前に、早く姫君と…!」
ヴィルヘルミナからの攻撃は、まだ完全に復活していないせいか、スピードが遅かった。そのお陰でリザとハボックは、エドワードが錬成した石の壁に身を隠すことが出来たのだ。
「おまえ達を残して逃げられるか!もう一度焔で粉々に……」
「……それだけじゃ、ダメだ!」
ロイと一緒に錬成した石の陰に隠れ、傍らに立っているエドワードが、きっぱりと否定する。
「エド……?」
「何度、焔で粉々にしても、すぐまた元に戻ってしまう。彼女は…水だから…。例え蒸発したとしても、空気中に水分が含まれているから…時間はかかるだろうけど、必ず元に戻ってしまうんだ!」
「だとしたら……どうすれば…」
ロイは焦った。
こうしている間にも、ヴィルヘルミナは徐々に復活しているのだ。完全に元に戻ったら、また先程の激しい攻撃でもって皆に襲い掛かってくるだろう。そうしたら、この石の壁など、ひとたまりもない。
「彼女が元に戻るのは、何か強力な依代によって、彼女が縛り付けられているからだと言ってた。その依代を破壊すれば…恐らく彼女は…」
「元に戻ることなく、滅してしまうということか。しかしその依代とは……」
「―――あれのことじゃないかい?」
やはり、石の壁にもたれて、ウィンリィを庇いつつヴィルヘルミナの攻撃を窺っていたイズミが、祠の奥を指差した。
「あれは―――」
ロイとエドワードにも、はっきりと見えた。
イズミの示した、祠の中の、隠された奥の部屋。
その中央、さっきまで丁度ヴィルヘルミナが立っていた場所に、手の平に乗るくらいの大きさの球体が、置かれてあったのだ。
竜が彫られた石の台座に載せられたそれは、ぼんやりと青白く光っていて、時折波打つような光を発していた。
「…見るからに怪しいな、あれ」
「ああ、確かに」
エドワードの指摘に、ロイも頷く。
「あれを破壊すれば、彼女は復活できなくなるのか……」
ロイは手袋をはめた手を構える。
「ダメだよ、ロイ。あれは焔では壊せない」
だがすぐさま、エドワードに止められてしまった。
「あれは…焔だけでは壊せないんだ。これでないと…」
と言いつつ、エドワードがロイに見せたのは。
「これは……母の形見の……」
ロイも、エドワードが差し出したものが何か、すぐに分かった。
ロイの母が遺した、短剣だ。
その柄と刃には、ロイが焔を駆使するのと同じ錬成陣が彫られてあった。
「そう。この剣でないと、あれは壊せないって言ってたんだ」
「――――誰が?」
「……ロイの…お母さん」
「…母上が?」
ロイは目を丸くする。
自分の母親は、随分前に亡くなっているというのに、エドワードは彼女から教わったと言うのを聞いて、驚いたのだ。
しかしエドワードは、真剣な顔で話を続けた。
「熱でうなされている時に…夢の中で…教えてくれた。この剣を使って、ロイを助けてやってくれって。ロイにも、エルリック家の血が流れているから……呪いを受けてしまうかもしれないと心配していたよ」
「……エドも、知っていたのか?」
何を、までは言わなかったが、エドワードは分かったようだ。
微笑んで、こくりと頷く。
「うん。ロイのお父さんが、オレの伯父上だってこと。…従兄弟同士だったんだな、オレ達」
エドワードは、そっと剣の刃に指で触れながら呟く。
「―――この剣、そしてロイの手袋の錬成陣…伯父上が考えたんだって。一切の禍々しいものを焼き尽くして、呪いを打ち消すことが出来るよう、願いを込めて…」
「―――父が……」
ロイは、己の右手につけてある手袋の、錬成陣をじっと見る。
「ほんとは、これを使って、自分が呪いを終わらせたかったみたいだけど、それは間に合わなかったって…。呪いの方が早くて…伯父上は亡くなってしまった。だから……」
エドワードは、ギュッと剣を握り締める。
「オレが、代わりにこれで、呪いを終わりにさせる。ロイを護る。必ずそうするって…約束したから……」
「……約束って…誰と…?」
「ロイのお母さん。今は時間がないから詳しく話せないけど………」
彼女と、エドワードは約束した。だから、やるしかないし、彼自身約束を果たしたかった。
「だが、君は怪我をしている!私が代わりに……」
ロイの提案に、エドワードは首を横に振った。
「…ダメだよ。ロイには、他に、役目があるから」
「他にって……」
「オレが、依代を破壊した後に、ヴィルヘルミナを還してあげる役目。ロイの焔で、全て蒸発して……還してあげないと」
「―――だが、それだとエドが相当危険だ!」
「危険は承知の上。それにこの呪いには、エルリック家が深く関わっているのだから、ちゃんと自分の手で終わらせないと…」
「しかし…」
ロイはなおも言いよどむ。
大切な人を出来るなら危険に晒したくないという思いからなのだが、その当人は、頑として引かなかった。
「大丈夫。ちゃんと援護してくれる人達もいるし…」
と、笑って答えると。
「ああ、援護は私に任せろ」
イズミの、自信たっぷりの返事が来た。
続いて、
「私達もお忘れなく」
「そうそう」
と、リザとハボックも申し出る。
「――――ね?だから…」
そこまで言われると、ロイも反対できなくなってしまった。
「……分かった。依代の破壊は、君に任せる。だけど、少しでも危ないと感じたらすぐに逃げるんだぞ。私は、君の命を危険に晒したくはないのだからね」
「うん……ありがと」
エドワードは、許可をくれたロイに、嬉しそうに微笑んだ。
そして。
「じゃ……三つ数えたら、同時に飛び出そう。後は、自分の目標を目指すのみ、だ」
と、簡潔に指示を出して身構える。
右腕を負傷しているエドワードは、剣を左手に持ち替えた。
「――――1……2……」
皆の表情が緊張で硬くなる。
そんな彼等の前には、後少しで立ち上がろうとするところまで復活しているヴィルヘルミナがあった。
「―――3!」
エドワードが叫んで石の壁から飛び出すと同時に、ロイも走り出す。
突如二人が出てきたことで、ヴィルヘルミナはどちらを狙うべきか迷ったようだ。その隙を狙って、ロイは右手で火花を散らした。
彼女の注意をこちらに向けるため。
そして…愛しい人への注意を、逸らすために。
その隙にエドワードは、ドレスの裾を翻して全速力で走り出した。
ただひたすら、『守護者』の依代を目指して。
「――――!」
そんなエドワードの動きに、ヴィルヘルミナが気づかぬ筈がない。
彼が何に向かって走っているのかが分かったのか、すぐさま走るエドワードに向かって、銀色の細く鋭い刃を放つ。
しかし。
「な……!」
ヴィルヘルミナは絶句する。
銀色の刃は、真っ直ぐエドワードに狙いを定めていたのだ。
しかし彼女の放った刃は、エドワードに届くことはなかった。
「エド…!」
イズミが叫ぶやいなや、エドワードと同じように両手を胸の前で合わし、その手を石の床に置く。すると青白い閃光が床から発生し、ヴィルヘルミナとエドワードの間に、大きな石の壁が生まれたのだ。
その壁が、刃の行き先を阻み、粉々にしてしまった。
「イズミ師匠、相変わらず素晴らしい腕前ですね!」
「…久しぶりだが、まだ何とか使えるようだねぇ」
ウィンリィの絶賛する言葉に、イズミは苦笑いを浮かべた。
「……あなたも、錬金術が扱えるのですか…」
エドワードと全く同じ方法で錬金術を扱うイズミを見て、リザとハボックは驚いていた。
「―――一応、あの子の師匠をやっていたからね」
「ああ、だから同じような錬金術を……」
師匠と教え子という間柄だからだろう。
エドワードとイズミの錬金術の傾向が似ているのは。しかもその腕前も、二人とも相当なものだと素人目にも分かった。
「ほら、喋っている暇はないよ!」
イズミが叫ぶ。
それに応じて見れば、ヴィルヘルミナは石の壁をあっという間に壊して、またしてもエドワードを攻撃しようとしていたのだ。
「…まずい…!」
リザとハボックが銃を連射して、刃を粉々にする。
その間にイズミが再度石の壁を錬成していた。
そして、援護射撃をするリザ達の少し前方。
自分達を護る石の壁から飛び出していたロイはというと。
自分にも向けられてくる、ヴィルヘルミナからの攻撃を、焔によって次々と寸前の所で溶かしていた。その間にも、時折エドワードの援護もしながら、彼は待っていたのだ。
(―――エド…!)
エドワードが無事に、到達することを。
―――『守護者』の依代に。
そんな彼等の願いが伝わっているのか。
エドワードは後ろを向くことなく、真っ直ぐ依代を目指して走った。
そして、青白い光を放つ球体の傍に立った時。
動く左手に持った剣を、ぎゅっと強く握り締める。
「まさか……おまえは……!」
ヴィルヘルミナは、エドワードが依代のすぐ傍に立つのを目撃して、顔を強張らせて叫ぶ。彼が、何をしようとしているのかが分かったのだ。
「―――止めて!それを壊したら……!」
ヴィルヘルミナのは身体全体を半透明の液状に変化させて、石畳の床を滑るように走り出した。勿論、目指すのは、依代の傍にいるエドワードだ。
「『守護者』を…その依代を破壊しようというのか!」
悲鳴のような声を上げる。
だが、エドワードは動じなかった。
「……もう、あなたは、『守護者』という枷から放たれてもいい筈です」
静かな声音で呟き、じっと光る球体を見つめる。
「あなたが望まずにさせられてしまった『守護者』という首枷を外して……戻ってください……」
「――――止めてっ!」
ヴィルヘルミナは錬成された石の壁を壊しながら、エドワードに近づいていく。
「―――もう…元の『ヴィルヘルミナ・マスタング』に戻って…ください…」
「―――――止めて……っ!それがなくなったら……私は永遠にあの人と……!」
ヴィルヘルミナの悲痛な叫びが『祠』内に響き渡るのと。
エドワードが、青白い依代に、上から持っていた剣を振り下ろしたのは、ほぼ同時だった。
声にならない、悲鳴が響き渡る。
黄金の剣が深々と突き刺さった依代は、光を失っていた。続いて、ミシミシという音と共に割れて、崩れ落ちてゆく。
それから。
依代が破壊されたことで、苦悶の声を上げ続けているヴィルヘルミナに向かって、ロイが右手を差し出した。
「これで……全て……」
「止めて……私は…まだ……」
苦しむ彼女の姿を目の当たりにして、一瞬ロイの瞳が曇ったが、次の瞬間、彼の指先から火花が発せられた。
「あああああっ!」
ヴィルヘルミナの唇から悲鳴が迸る。
紅蓮の焔に包まれた彼女の身体は、見る見るうちに小さく……そして液状へと変化していった。
「いや……私は……まだ…」
溶けながらも、拒絶の言葉を発し続ける彼女は、よろめいて援護していたイズミ達の方へと移動してきたのだ。
「―――危ない、イズミさん!」
リザが叫んだ時に、丁度イズミとウィンリィが立っていた場所へ、殆ど液体と化したヴィルヘルミナが倒れこんでくる。それを咄嗟に退いたイズミとウィンリィは、何とか避けることが出来た。
だが、そのはずみで。
「あっ……!」
イズミが、コートのポケットから何かを落とす。
「しまった!」
それは、古びた本、だった。
「師匠、それは…」
ウィンリィにも、その本は見覚えがあった
「ああ。つい、持って来ちゃったんだよね。何か役に立つことがあるかもしれないかと思って…」
イズミが拾い上げた本。
それは、アルフレッド・エルリックの書いた、日記だった。
「役に立つかもしれないって…?」
「この日記に書かれてあることが事実なら、アルフレッドの恋人は、今、ここにいるヴィルヘルミナだからね…。だから、ただ何となく、持ってきてしまったんだよ…」
と言いながら、イズミは本の中に隠されていた、銀色の指輪を取り出した。
アルフレッドが、大事に隠していたと思われる、指輪を。
すると。
イズミの手の中にあった指輪が、突然輝き始めたのだ。
それ自体が発光しているかのように、鈍い銀色の光から、次第に鮮やかな白光色へと変化していく。
「これは――――!」
「……師匠!」
光はまず、イズミとウィンリィを包み込み、その後室内全体を包み込んで、その場にいた者全員の姿が、真っ白な光で見えなくなってしまった。
そんな中、やはり真っ白な光に包まれてしまったエドワードは、無闇に動き回ることも出来ず、壊した依代の傍に立ち尽くしたまま、すぐ傍にいるであろう人達を呼んでいた。
「……ロイ……ウィンリィ…!」
だが、返事はない。
「…どうしたっていうんだ?」
さっきまで、すぐ近くにいたのだ。この声が聞こえないわけがない筈なのに、返事も来ない上に、姿も全く見えなかった。
「……この光は…一体……」
どうしてこんなことになってしまったのか、訳が分からずただそこに立っていると。
光の中に、誰かが立っているのが見えた。
「……誰?」
白い光に包み込まれながら、エドワードの前方に立っていたのは。
見知らぬ、男性だった。
鮮やかな光で輝いている黄金色の長い髪を肩の辺りで軽く結わえた、金色の瞳の男性。
少々古めかしい格好をしているその男は、とある一点を凝視していた。
その整った顔には、愛しげな笑みを浮かべて、じっと見つめている。
彼から少し離れた場所に蹲る、女性を。
長い黒髪に漆黒の瞳の、美しい女性が、彼の視線の先に座り込んでいた。
茫然とした表情で、空をぼんやりと見つめている。
その、虚ろな顔の美しい女性に、男はゆっくりと近づいていった。
「……ヴィルヘルミナ…」
近づき、そっと脅かさないように跪く。
そして、真正面から彼女を呼んだのだ。
愛しげに、微笑んで。
「…ヴィルヘルミナ」
もう一度、ゆっくりと呼ぶと、呼ばれた女性はゆるゆると視線を男に合わせ、驚きに瞳を見開く。
「あなたは……」
声を震わせて、ゆっくりと男に向けて手を差し伸べた。
「ヴィルヘルミナ……」
男は一層優しく笑いかけ、伸ばしてきたヴィルヘルミナの手をしっかりと握り締める。
「…会いたかったよ」
「………アルフレッド…」
ヴィルヘルミナの唇から出た名を聞いて、エドワードは驚いた。
(アルフレッド……エルリック…?)
目の前にいる男。
彼が、エルリック家中興の祖とも言われている、アルフレッド・エルリック、その人なのだと分かって。
「…すまなかった。迎えに行くのが随分と遅くなってしまって…」
「ええ……本当に……」
ヴィルヘルミナは、その黒曜石のような瞳に涙を浮かべて、呟く。
「……すぐに、迎えに行こうと思っていた。マスタング皇国と、和平条約を結んで、すぐに…。だがその間に、君が亡くなったという報せが飛び込んできてしまって…」
アルフレッドは、その当時のことを思い出したのか、辛そうに伏目がちになった。
「私は、その報せを信じて……和平条約を結ぶことなく…従姉妹姫と結婚した…」
「でも……私はその時…まだ生きていたのよ?」
ヴィルヘルミナの目から、涙が零れ落ちる。
「病で臥せっている時に…あなたが結婚したことを親族達から聞いたわ。あなたが、私との約束を果たすつもりがないと。…それがショックで……私は死んでしまったの…。あなたを……エルリック家を憎しみながら…」
ずっと、あなたを待っていたのに…と泣きながら呟くヴィルヘルミナを、アルフレッドは強く抱き締めた。
「すまなかった…私が知らせを鵜呑みにせず、ちゃんと確認していれば…こんなことには…」
「…いいえ。あの時は…確認のしようがなかったでしょうね。まだ、エルリック王国とマスタング皇国はとても仲が悪かったから…」
「ヴィルヘルミナ…」
「だけどあの時は…私はあなたに捨てられたものとばかり思い込んでいたから…。親族達も、あなたは信用できないと言い張るし…。そんなこんなで憎しみばかりが膨れ上がって…私は憎しみながら死んで行ったわ。あなたを…エルリック家を呪いながら…。そんな私を見ていた親族達は、今度は私のことが怖くなったのか…死んだ後で私を『守護者』として祀り、この場所に封印したのよ」
(彼女を…ここに縛り付けたのは、やはり当時のマスタング皇国の皇族だったのか…!)
やっと、少しずつ、謎が解け始めた。
目の前にいる、それぞれの国の先祖である、恋人同士の話を聞いていくうちに。
「…当時親族達は、私の魂を、皇家の宝とされていた碧玉に封印したわ。高名だった呪術師の力を借りて。私の魂を、マスタング皇国の守護と、エルリック家の呪いとして使うために」
「…その後、エルリック家の代々の長男が若くして亡くなったのは…」
「私のせい。あなたが、長男だったから。呪いは長男にのみ向けられてしまったの。……何の罪もないあなたの子孫が、私の呪いで死んで行ったわ…」
ヴィルヘルミナは顔を俯かせて、涙を落とす。
「エルリック家が憎くて憎くて…ずっと呪い続けてきた。その反面、マスタング皇国は繁栄するように、ずっと護り続けてきたの。いつしかそれが…私の存在する理由だと思えてしまって…」
「ヴィルヘルミナ……」
「でも…間違いだったのね…。私の早合点、何もかも…。
だってあなたは……ずっと…私のことを……」
涙を浮かべた顔に微笑みを浮かべて、ヴィルヘルミナはそっと掌をアルフレッドに見せる。そこには、銀色に光る指輪があった。
「あなたは…ずっとこれを持っていてくれたのね…死んでもなお…なくさないように…日記に隠して…」
「君から貰った、大事なものだったから…」
アルフレッドは、愛しげに瞳を細めて、その指輪を見つめる。
「―――それだけで、十分よ…。あなたの…心が分かったから…」
だから、とヴィルヘルミナは呟き、指輪を手の中に握り締める。
「もう……ここにいる理由はなくなったわ。依代も壊されたことだし…。私の犯した罪を考えれば…きっと地獄に落ちてしまうわね」
「………君だけじゃない。私も一緒だ」
「あなたは…何もしてないわ。だから…」
「そう。何もしなかった。それが罪だ。知らなかったこととはいえ…ね」
だから、と優しく微笑みかけて、ヴィルヘルミナの手を取る。
「行こう……一緒に…」
「ええ、そうね…」
アルフレッドの言葉を聞いたヴィルヘルミナの瞳からは、一筋の涙が零れ落ちた。そしてすぐさま笑顔を見せたヴィルヘルミナは、アルフレッドにそっと寄り添う。そんな彼女の肩に、優しくアルフレッドの腕が回された。
その直後、二人は。
エドワードの目の前で真っ白な光に包み込まれて。
その光の強さに、エドワードが見ていられなくなって、視線を外した瞬間。
ぱあっ…と小さな光の粒と化して四方に飛び散ったのだ。
その、光の粒を、懸命に目を凝らして見ようとするエドワードの視界の先には。
一瞬……ほんの一瞬だが、もう一組の男女の姿が見えた…ような気がした。
金髪に金色の瞳の、父親であるホーエンハイムによく似た、若い男性と。
長い黒髪が緩やかに巻かれてある、黒い瞳の美しい女性。
二人は、嬉しそうな笑顔でエドワードを見つめていた。
そして、彼に、一言告げて、やはり同じように、光の粒と化して、消えていったのだ。
「――――これで…呪いは終わる…」
と。
渦巻いていた光はあっという間に消え去り。
再び、静寂がその場を包み込んだ。
「あれは――――」
「エド……無事か?」
茫然と立っているエドワードに、ロイが近づいてきて気遣う。
「ロイ………」
傍に立つロイを見上げると、彼は頷いた。
「エドも…見たんだな」
「うん……ロイも?」
「ああ……。謎は全て解けて……そして……」
「何もかもが…終わった……」
エドワードがそう呟いた直後、彼はくずおれるように倒れこむ。
その、床に倒れそうだった身体を、咄嗟にロイが支えた。その手に、ぬるりと生温かい感触が伝わってくる。それは、エドワードの腕から流れ落ちる血だと分かり、ロイの顔は慌てた。
「エド……エド!」
ロイの腕の中で気を失ってしまったエドワードに、それでもロイは懸命に呼び続けた。
「……陛下!はやくここから外へ…」
リザも駆け寄り、ロイに注進する。
「離宮のどこかの建物に運んで、エドの怪我を治療しなければっ!」
ウィンリィも近づき、意識をなくしているエドワードの青ざめた顔を見る。
「あ、ああ、そうだな」
彼女達にそう言われ、ハッと我に返ったロイは、エドワードを抱き上げて、足早にボロボロに壊れた祠を後にした。
そして、誰もいなくなった祠の床には。
粉々になった、碧い玉の破片が散らばっていて、キラキラと輝いていた……。
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