To darling you… -10-

 ようやくロイが日記を書き写したノートから目を離し、それを手渡したイズミに顔を向ける。
 その時のロイの顔には、驚愕の色が隠せずに表れていた。
「…これは、一体どういうことなんですか、カーティスさん?」
「――イズミでいいよ、私のことは。…それに、どうもこうも…私が解読した、日記に書かれている全てだよ、それが」
「…確かに、この日記を書いた人物は、アルフレッド・エルリックでしょう。だが、どうして、エルリック王国の中興の祖と言われる王の日記に、我がマスタング家の『守護者』の名と同じ、『ヴィルヘルミナ』という名前が出てくるのですか?」
 ロイが言い終えた瞬間、室内はしん…と静まり返った。
 ウィンリィやリザも、驚いて顔を強張らせている。
 そんな中、唯一表情を変えずにいたイズミが、ふう…と息を吐いてから口を開いた。
「―――やっぱり、『ヴィルヘルミナ』は、マスタング皇国に縁のある名だったんだね…」
「やっぱりって…師匠……?」
 ウィンリィが尋ねると、イズミは頭を掻きながら答えた。
「この日記…アルフレッドの日記を解読していくうちに、途中から頻繁に出てくるようになったのさ。その『ヴィルヘルミナ』という名が」
 ロイの手にある、古い日記帳を指差す。
「…それは、アルフレッドが国王になる少し前…十八歳の頃から書き始めた日記のようなんだ。始めのうちは、他愛ない、その日の出来事ばかり書かれていたんだが…。内容が大きく変わったのは、丁度立太子の式が終わった直後のことだった」
「――――彼は、こう書いている。
『今日、離宮の傍の森で、とても美しい女性と偶然会った。
 彼女に名を尋ねたら、《ヴィルヘルミナ》と名乗ってくれた…』
 と。
 その後は、この女性のことばかりが、日記に綴られるようになっている。…この、黒髪で黒い瞳の美しい、《ヴィルヘルミナ》姫のことばかり…」
 説明したロイは、ウィンリィにイズミのノートを渡す。それを読みながら、ウィンリィはふと気づいた。
「離宮の傍の森って…ひょっとして…」
「エルリック王国の離宮は、リゼンブールにしかない筈だ。だとしたら近くの森は、自ずと限定されるな」
「……『出逢いの森』……」
 イズミの指摘で、ウィンリィはぽつりと呟く。
「何なの、その『出逢いの森』って?」
 リザの質問に、ウィンリィは故国で以前、王妃達から聞いたことのある、その森の名前の謂れを話した。

「…そう…その森で偶然出会った人達は……」
 説明を聞き終えたリザは頷いて呟き、自分の君主の顔を見る。
そんな、彼女の意味ありげな視線を敢えて無視して、ロイは話を再開した。
「……この日記を読んだ限りでは、アルフレッドは、ヴィルヘルミナが当時のマスタング皇国の皇女だということを、早くから知っていたようですね」
「そうみたいだねぇ。本人が明かしたみたいだし。あの当時は、まだマスタング皇国も今のように大国じゃなかったから、皇族といえども割と自由気ままに動けたみたいだね…」
 まるで今のエルリック王国みたいだ、とイズミは笑った。
「ヴィルヘルミナは病弱だったので、静養も兼ねてあの辺りに来ていたらしいな。その後二人は頻繁に会ううちに恋仲になって、将来を誓い合った。そこまでは、良かったのだが…」
 ロイは声を低く落とす。
「当時のエルリック王国、マスタング皇国、両国とも、支配階級の交流は皆無だったみたいだな。それどころか、力が互角の小国同士で、小競り合いが絶えなかったようだ…」
「アルフレッドの日記に…そう書かれてあるのですか?」
 リザが問うと、ロイは軽く頷く。
「昔は、かなり仲が悪かったということは、この国の大半の者が知っているだろう。…だから、二人の恋は実ることはなかったということか…」
 ロイは小さく息を吐く。
「この日記の後半の辺りは、突然、恋人に別れの言葉も言えず引き裂かれたことへの怒りや恨み……また、遠く離れた愛しい人への想いばかりが書かれてある…。そして、彼女と再び会いたいがために、国王の地位に就いた途端に、両国を、友好関係とまではいかないものの、交流出来る様に尽力したのか…」
「何もかも…そのヴィルヘルミナに会いたいがために…ですか」
 リザが伏目がちになってぽつりと言う。
「両国の関係を修復したということが、彼を中興の祖と呼ぶようになった一つの要因でもあるだろうが…」
「だけど……だけど…」
それまで、黙って日記を読んでいたウィンリィが話に入ってくる。その、日記を持つ手は震えていた。
「そうまでして頑張ったのに……報われなかったんですね…」
 彼女の声は、震えていた。
「せっかく……国同士で一応表向きでも仲良くなれたのに……あんなに逢いたいと思っていた人が、亡くなっていたなんて……」
 ウィンリィの言葉で、その場は静まり返ってしまった。
 重苦しい空気が、室内を漂う。

 彼の…アルフレッドの日記の最後の一日には、ヴィルヘルミナが引き離されてすぐに病気で亡くなっていたことを知らされ、悲しみに打ちひしがれる心情が吐露され続けていた。
 彼女に二度と逢えない悲しみばかりが書き綴られていて、読んでいる方が苦しくなってしまうくらいだ。
 しかも、その日記は。
「ここで…終わっているんですね…」
 見ていられない、という風に、ウィンリィはノートを静かに閉じる。
「彼女の死を知らされて……悲しみの余り書くことを止めたんでしょうか…?」
「さあ…。それは当の本人に聞いてみないことには何とも言えないが…。恐らく、そんなところだろうねぇ…」
 イズミも苦々しい表情で溜息をついた。
「―――ところで」
 重く暗い雰囲気の中、リザが躊躇いがちに口を開く。
「このアルフレッド・エルリックは、その後どうなったのですか?」
「ああ。彼はその後、従妹にあたる女性と結婚したんだけど、若くして亡くなったらしいよ。病気でね…。その後、まだ幼かった長男の補佐という形で、王妃が政務に携わっていたみたいだけど…その第一王子が、国王に就くことなく、幼くして病没。…そこから、この王家の『呪い』とやらが始まるんだよ」
 イズミが簡潔に説明する。
「その後生まれたエルリック家の長男は、皆例外なく王位を継ぐことなく、若くして亡くなる…という『呪い』だよ」
「一体どうして……そんな『呪い』と言われるようなことが…起こってしまったのでしょうか?」
 リザの疑問は、これまで幾度となく語られてきて、解けずにいたものだ。
「そこなんだが…。アルフレッドの次の代から、この『呪い』は起きている。だが、その最初の人物は、まだ年端もいかない子供だったから、彼に何かしらの、呪われるような要因があったとは思えない」
「―――ということは…『呪い』の原因は……やはりアルフレッド・エルリック…」
 イズミの言葉を、ロイが継ぐ。
「…しか考えられないんだが、彼のこの日記を読んだ限りでは、彼自身は元より、子々孫々まで呪われるようなことはしていないと思うんだがねぇ」
 と、肩をすくめながらイズミは語る。
「私も…そう思います。これだけでは…この日記に書かれている内容だけでは、『呪い』の原因は何かがわかりませんよね…」
 ウィンリィの言葉に、イズミは深く頷いた。
「そうなんだ、ウィンリィ。私も、全て解読し終えた時に、同じように考えて…八方塞がりだと思ったんだが……」
 ウィンリィの手にある、アルフレッド自筆の日記の方を、イズミは再び手に取って開く。
「この日記には、まだ謎が残っていたんだよ」
「謎…ですか?」
「そう」
 ロイの言葉にイズミは短く答え、日記の裏表紙の内側を皆に見せる。
 そこは少し…ほんの少し隆起しているように見えた。
「ほら、ここが少しだけ盛り上がっているだろ?表紙の裏はそんなことにはなっていないのに、裏表紙の方だけ膨らんでいたから、不思議に思って触ってみたら、固い感触があってね。ナイフで切り裂いてみたら……」
 イズミは、切り裂かれた隙間から、そっと何かを取り出して掌に載せた。
「――――これが、隠されていたんだよ」
 掌に載せたまま、その場にいる者達に見せる。
「――――指輪、ですか?」
 ロイが呟いたように、彼女の手の中にあるそれは、指輪だった。
 鈍く銀色に光る、指輪。
 シンプルな作りのそれは、大きさから、男性用のものだと推察できる。
「これは……アルフレッドのものでしょうね?」
「この日記に隠されていたんだから、そう判断するのが妥当じゃないかね。で、それの内側に文字が彫ってあるのが読めるか?」
 イズミが指輪をウィンリィに渡す。それを彼女は、目を凝らして見つめていた。
「えーと……これって、古語ですよね…私達が使っている言葉の……」
と、独り言のように呟きながら、ウィンリィは指輪の内側に掘られた、小さな文字を読もうとしたのだが。
「―――あれ…?」
 暫し見つめていた後に、首を傾げる。
「どうした?」
「師匠……私、これ読めません」
 困惑したように、ウィンリィが顔を上げでイズミに答えた。
「―――読めなくて当然だ。そこにある言葉は、エルリック王国では使われていないからな」
「えっ……?」
 皆の視線が、イズミに集中する。
「そこに彫られてあるのは、マスタング皇国の古語だ。だから、貴殿には読める筈だが?」
 言われてロイがそれを凝視する。
「……確かに、これは我が国の古い言葉です。今は使われていないものですが」
「ええ、確かに…」
 ロイとリザは、ほぼ同時に頷く。

 その、隠されていた指輪に彫られていた文字は五つ。

「これは……我が国に古くから残っている…言葉です。それこそ、伝説と言われた頃から…今に伝えられた…大切な言葉だ」
「そしてこの国では、昔から恋人や夫婦の間で、指輪やネックレスなどに彫って、交わした言葉です」
 ロイの言葉をリザが継いで説明する。
「それって……この言葉にどういう意味があるのですか?」
 ウィンリィの質問に、リザは微笑して答えた。
「…この言葉の意味は、こうよ。

『私達が離れ離れになっていても、神様がいつも見守ってくれます』

 この古い言葉には、こんな意味が込められているの」
「あ…、だから、恋人同士や夫婦の……」
 意味を聞いて、ウィンリィは納得した。
「じゃあ、この指輪は、ヴィルヘルミナ姫から、アルフレッドに贈られた……」
「恐らくは、そうだろうね」
 イズミが答える。
「亡くなってしまった愛しい人が、贈ってくれた大切な指輪を、自分の日記の中に封印する……。恋愛小説にありがちな設定だけどね。これだけ見れば」
 イズミは指輪を再び日記の中に入れて、息を吐く。
「それだけじゃ…ないのですか?」
 怪訝そうにウィンリィが尋ねると。
 イズミは、それには答えずに、ロイに顔を向けた。
「――――あんたは、もう気づいているんだろ?」
「……ええ……薄々は…」
 躊躇いがちに、ロイは口を開いた。
「やっぱりね……」
 イズミはふっと視線を下に向け、再び顔を上げた。


「ならば、教えて欲しい。この言葉の持つ、もう一つの意味を。そして……そして、言葉が使われている『場所』を」


「もう一つの意味って…『場所』って……どういうことですか、師匠?」
「私も何となく推測は出来てるんだが、マスタング皇国の古語は専門外でねぇ。今一つ確証がないんだよ。現在の両国の言葉は殆ど同じだから、簡単に分かるんだが…。その点、この人なら熟知してるだろ?」
 と言ってロイを見る。
 確かにイズミの言う通り、皇帝であるロイならば、自国の古語くらいは分かる。
「…この言葉のもう一つの意味は、
『縛り付ける所』
なのですよ」
 暫く間を置いて、ロイは、イズミに回答した。
「……やっぱり…」
 イズミは納得したように頷いた。
「この古語は、全く違う意味を持つ言葉なのです。使うもの、場所、状況によってそれぞれ使い分けていたようですが…」
「恋人同士で贈る宝飾品の場合は、最初の意味で使っていたんですね。だけど、もう一つの意味で使うのって……」
 ウィンリィが言いよどむ。
 無理はない。
 『縛り付ける所』という意味を込めて使う場合なんて、良いこととは考えにくいからだ。
「……余り、後者の意味で使うことなんて、今はないわね。あるとしたら…『墓地』くらいかしら?死者の魂を、その場に留めておく意味合いでね…」
 リザが考えながら答えてくれた。
「『墓地』…か」
 不意にロイが、リザの説明を聞き終えた直後に、ぽつりと呟く。
「『墓地』が何か、陛下?」
 自分の説明に、何かおかしなことでもあっただろうかと思い、リザは尋ねる。
「いや……確かに我が国では、墓地でよく使う言葉だ。だが……」
 その後、黙り込んでしまう。
 口を閉ざして、何かを考えているように、その場にいた者達は見えた。
「―――この言葉に、心当たりでもあるのか?」
 暫くたって、イズミはロイに問いかけた。
「いえ……心当たりというよりも……私はその言葉を見たことがあります。だが……その時…見た時には、何故、その場所にこんな言葉が彫られていたのか、疑問に思いもしなかった…。というか、この言葉の意味を深く考えようとしなかったのです。単なる、飾り文字の類かと思って…」
 記憶の糸を手繰り寄せるように、ロイは時折言葉を切りながら、話し続けた。
「―――だが、その言葉の意味を考えると……おかしい…」
 ロイの顔が厳しいものとなる。
「あの場所に、その言葉が彫られていること自体、おかしいです」
「その場所って言うのは、どこなんだい?」

 イズミの問いは、そこにいた者達全員が考えていたものだ。
 長年ロイに仕えているリザでさえ、固唾を呑んで質問に対するロイからの答えを待っている

 室内は、この国の皇帝からの答えを待つ、張り詰めたような静けさに満ちていた。

「私がこの言葉を目撃した場所は………」

 緊迫した雰囲気を打破するかのように、ロイの低く落ち着いた声が、再び響く。
「『縛り付ける所』―――この意味を持つ言葉が彫られていた場所というのは………」
 そこでロイは言葉を一度切り、息を深く吸って、再び声に出した。




「離宮の敷地内に建てられた祠………です」





「――――陛下、その祠というのは…!」
 リザが驚きを隠せずにロイを見る。それに彼は、大きく頷いた。
「ホークアイ、君なら何度も見たことがあるな。…そう、あの『守護者』を祀ってあると言われている、古い建物のことだ」
「しかし…しかし、あの祠には、そのような文字など彫られては…」
「あの扉のその奥で見たのだよ。そこへ入れるのは、皇帝と皇妃だけだから、君が知らないのも無理はないが…そこには、確かにこの言葉が彫られていた」
「ということは、あの建物は『守護者』を縛り付ける場所…」
「そんなの、おかしいです!」
 リザの言葉に、ウィンリィは異を唱えた。
「だって、『守護者』でしょう?マスタング皇国の皇帝一族を守護する者を、どうして縛りつけなければならないんですか?守護するということは、望んでするものじゃないんですか?」
「ウィンリィの言う通りだよ。縛り付けてまで守護させるっていうのは、どう考えても穏やかじゃないねぇ」
 イズミも、ウィンリィの指摘に同意する。
「陛下………」
 リザにしては珍しく、不安そうな顔をしてロイを見ている。彼女も、明らかになった、この『守護者』の事実を疑問に感じているのだろう。
「確かに…おかしい。考えれば考える程、矛盾が生じてきます」
 そんな三人に、ロイもまた同意見だった。
「これまでは、あの建物は『守護者』を祀ってある場所とだけの認識しかなかった…。マスタング皇国を……我等一族を守ってくれる『守護者』に感謝と敬意を払って造られたものだと…そうとしか教えられていなかったし、私も全く疑問にも思わなかった…。だが…扉に彫られてある言葉の意味を考えると……おかしい…」
 そこで一旦切り、再びロイは話し始めた。
「それに…エドから『守護者』の姿を見たと聞いた時も、少しおかしいと思ったんです。これまで、代々の皇帝、皇妃が目撃した『守護者』は、全て人間の姿ではなかったから…」
「……人間ではない、と?」
 イズミが眉をひそめる。
「ええ。私の場合は、火竜でした。後は鷹などの鳥であったり…獅子であったり…。だが、誰一人として、人間としての姿を見た者はいない筈です」
「それが…エドだけ人間だったということか?」
「ええ、そうです。彼が見たと、はっきり言っていました。黒髪に黒い瞳の美しい女性だと…」
「女性………」
 ウィンリィが繰り返す。
「そう、女性だと。そして……ついさっき、また一つの事実に気づきました」
「―――何だい、それは?」
 イズミの顔を見ながら話すロイに、先を促すようにイズミが聞くと。
 ロイは、一呼吸置いてから、再度口を開いた。





「『ヴィルヘルミナ』という名の『守護者』という存在が、マスタング皇国の……我が一族についたのは……約四百年前……。丁度隣国・エルリック王国では、アルフレッド・エルリックが国王に就いた頃と合致するのです