To darling you… -1-




『私は……この国を守るもの。決して…他国のものには渡さない…』




 その『声』を聞いて、エドワードは驚きに目を見開いた。


 黒い髪。
 黒い瞳。
 透き通るような白い肌。
 この国の皇族の外見的特徴を、全て揃えている美しい女性。


(この女性が……『守護者』…?)


 だが、そう思った次の瞬間。
 エドワードの意識は、勢いよく吸い込まれるように、急激に失ってしまった。





『あなたには…決して渡さない……』
 闇に沈み込ませるような、深い彼女の『声』と。





「――――エドッ!」
 近くで聞こえる、ロイの悲鳴のような声。




(……ロイ………)

 その声が聞こえた直後、エドワードは意識を飛ばしてしまった。



 ロイの腕の中で。







 私は……ただ、あの人と一緒にいたかっただけ。
 穏やかに……ゆっくりと……
 あの人の傍で…
 ただ、それだけ…だったのに………





 彼女はそう呟き。
 一粒の……涙を落とした。
 真珠のような涙を。









 診察を終えた医師は、手を止めて深く息を吐いた。

「――――どうなんだ、ドクター?」
 その結果を一刻も早く聞きたくて、隣で控えていたこの国の皇帝は、畳み掛けるような口調で問いかける。
「エドの…エドワードの病気は一体…?」
「結論から言わせていただければ」
 診察道具を片付けながら、医師は淡々とした口調で語る。
「彼は…病気ではない」
 努めて平静な様子で、彼は言い切った。
「…病気ではない、と?」
「さよう」
「―――ふざけたことを言うなっ!ドクター・マルコー!」
 激昂してロイは叫ぶが、マルコーと呼ばれた老齢の医師は、平然としていた。
「…私がこれまで、あなたに対してふざけたことを言ったことが、一度でもあったかね?」
「………っ」
 的確に指摘され、言葉に詰まる。だが暫くして、
「……いいえ…」
 と、低い声で応えた。
「あなたはいつも、歳若い私に対して誠実に接してくれていました…。私が皇帝になる前から、ずっと…」
 と呟き、医師に頭を下げる。
「…非礼を詫びます、マルコー侯爵」
「皇帝が、軽々しく下の者に頭を下げてはなりませんぞ」
 ロイの倍近く生きているその男は、瞳を細めて微笑み、ロイを見ていた。
「あなたは別格ですよ、侯爵」
 顔を上げたロイは、マルコーに向かってはっきりと言いきった。

 ティム・マルコー侯爵。
 彼もまた皇族の一員であり、前皇帝とは知己の間柄であった。
 だが、皇族の中では変り種の存在で、地位や権力などには頓着せず、勉学に励んで医師となったのだ。
 そうなったのは、病弱な前皇帝のためだという噂もまことしやかに伝わっていたが、それが真実だということを知っていたのは、前皇帝とロイだけだっただろう。
 子供の頃から前皇帝の傍にいたロイは、しょっちゅう前皇帝の所へ顔を出すこの侯爵が、数少ない味方になってくれるということをすぐさま見抜いた。そして、前皇帝と同様に、この変り種の親戚の医師に全幅の信頼を寄せていて、マルコーもまたロイの信頼に応え、皇家の侍医としての務めをしっかり果たしてくれているのだ。
 そんな彼に、ロイはエドワードの秘密のことを、皇妃とする旨を国民に宣言する前に告げていた。
 侍医であるからには、いつかエドワードが怪我や病気をした時に、必ず彼の秘密を知られてしまう時が来てしまう。そうなる前に、知っていて欲しかったのだ。
 自分が選んだ…愛しい人のことを。
 何故、彼でなければならなかったかのかを。
 そして、全てを語り終えた時、マルコーは。
 流石に驚愕を隠せずにはいたものの。
 苦笑を浮かべて、きっぱりと言い切った。

「―――陛下が幸せになりたいと考え、お決めになったことに、どうして私が反対出来ましょうか」
 そう、マルコーは微笑んで答えた。
「おめでとうございます、陛下」
 という祝福の言葉も添えて。
 それから、二人のために協力は惜しまないとも言ってくれ、その言葉をすぐさま行動に移してくれたのだ。
 エドワードとの結婚に異を唱えるであろう皇族や貴族達を、うまく丸め込んでくれたのも彼だった。
 元々、権力に興味のない、穏やかな性格の彼が全く異を唱えなければ、他の者達は反対しづらくなることを狙ってのことだった。
 こうして、何とかエドワードを皇妃とする宣言も無事に済み、後は挙式を待つのみ――――だったのだが。



 当事者であるロイとエドワードだけでなく、国中がこの慶事で明るい雰囲気に包まれていた最中。



 突然、暗い影がよぎったのだ。


 元気で快活。
 太陽のように明るくて鮮やかで。
 光の申し子とまで言われていたエドワードが、突然倒れてしまったのだ。

 挙式の準備で忙しい日常から抜けて、一息つくためにロイと訪れた離宮で、何の前触れもなく、突然に。

 まさにそれは、唐突のことだった。
 離宮で倒れ、意識を失ったままのエドワードをすぐさま宮殿に連れ帰り、侍医であるマルコーを呼んで診させた結果、彼の口から出た言葉は。

「彼は…病気ではない」

 だった。


「…しかし、マルコー。病気ではないとすると、エドワードは一体…」
 ロイは、眠り続けているエドワードの顔を見つめて心配そうに呟く。
 寝台に横たわっている彼は、額にうっすらと汗を浮かべて、苦しそうに胸を上下させて息をしていた。
「…病気ではない、という言い方には語弊があるかな。確かに今彼は、平時より熱が高い。そのせいで呼吸も浅くなっている。見た目だけでは病気にかかっているとしか見えないだろう。だが……私には、その原因が掴めないのだよ」
「原因が…分からないと?」
「ああ。医師として、こんなことは言いたくないのだが…こうなったそもそもの原因が、全くわからないのだ。いろいろと診察して調べてはみたのだが……。身体には、異常は全くない。健康体そのものだ。だが、現実に高熱が彼を襲っている…。こんなことはありえないんだ。だから…お手上げなんだよ」
「マルコー…」
 医師として、何ら原因を見つけることの出来ないもどかしさを表すように、彼は唇を強く噛み締めていた。そんな誠実な医師に対して、原因が掴めないからと誰が責められよう。
 ロイもまた、なす術もなく、苦しそうにしているエドワードを見つめることしか出来ずにいた。
「…とりあえず今出来ることは、対処療法として、解熱剤の使用と、体力を所望するから、そのための栄養補給しかないな…」
「だが、それだけでは…」
 何ら解決にもなっていないことくらい、ロイにも分かった。
 そもそもの、こうなってしまった原因を見つけない限りは、エドワードはどんどん弱まってしまうだろう。
「ああ。何とか原因を見つけないと……。そこで陛下」 
 マルコーはロイの顔を正面から見て、提案してきた。
「…彼の故国…エルリック王国の医師を派遣してもらえるよう、要請してくれないだろうか?
「……エルリック王国の?」
「そうだ。あの国の医療技術は、他国の追随を許さないほど発展しているという。もしかしたら…あの国の優秀な医師ならば、彼の異変の原因が分かるかもしれない」
「――――そう…だな…」
 あの国の高度な医療技術があれば、エドワードを治せるかもしれない。
 そう思ったロイは、早速すぐ近くに控えていた側近を呼ぶという行動に移っていた。
「……ホークアイ!」
「はい。早速使者を立てて、エルリック王国に向かわせます」
 彼からの指示は、言われなくとも分かりきっていた。
「頼む」
 ロイの言葉を聞いたリザは、頷いて足早に部屋から出て行く。
 そして、彼女の遠くなっていく足音を聞きながら、ロイの瞳は、寝台に横たわっている小柄な少年を見つめていた。
「……エド……」
 そっと乾いた布で、汗を拭いてやりながら、ロイは愛しい人の名を呼んだ。替わろうとした、エルリック王国から付いて来た侍女を断って、自分が看病し続けた。
 その声に、応えてくれるのを祈るかのように。
 何度も…何度も呼び続けていた。





 だが……苦しそうに荒い息をしている彼からは、ロイの望む応えはなかった。