Schlussatz side story -1-
普段は、割と静かな軍部付属の総合病院。
戦時の際は、軍人優先となるそこも、平時は一般の患者を受け入れている。
総合病院故に、それなりの入院・外来患者がいるものの、そこは場所柄か、賑やかなイメージとは程遠い、落ち着いた雰囲気があった。
その日も。
春真っ盛りの、穏やかな陽光が降り注ぐ、暖かいその日も。
特段急患が飛び込んでくることもなく、穏やかな時間が、その病院に過ぎて行こうとした時。
医師や看護士達が、今日はゆっくり過ごせる…と、安心していたその日。
突如としてエンジンの爆音が響き渡り、それに伴って1台の車が病院の正面玄関に飛び込んできたのだ。
その、余りにも凄まじい音に、病院のスタッフ達だけでなく、患者達も何事かと音のした玄関に集まってくる。
そして、彼等が目にしたのは。
正面玄関の前に荒々しい運転で止まった、1台の高級車だった。
まだ、こういった高級車の存在自体が珍しいこの国で、それに乗れるというのは、軍部の上層部か、ごく一部の裕福な民間人だけだ。
その車だけで、どういった類の人間が来たのかが、誰でもすぐに分かった。
それでも、集まってきた人々は誰が来たのか興味津々で、車に視線を注いでいる。
すると、運転手が後部座席のドアを開くより先に、その人物は自ら開いて自動車から飛び出してきたのだ。
青い、軍服に身を包んだ男。
乗っていたのは、軍部関係者だった。
しかも、彼の顔を見た途端、苦情を言おうと駆けつけてきた病院の事務部長が、いきなり背筋を正して最敬礼をしたのだ。
「……これはこれは、大総統閣下!」
事務部長の言葉に、その場にいた者達全員が固まる。
今、自分達の目の前に立つ男が、現在この国を統べる大総統だとは、思いもよらなかったからだ。
この国を襲った、未曾有の大地震に対して、被害を最小限に抑え、その後の復興も速やかに済ませた、大総統。
まだ30代ながらも、その卓抜した能力故に、国民全体から最も信頼されている統治者だと評判の人物が、今、目の前に立っているのだ。
そのことを知った人々は、一斉に静まり返ってしまった。
「き、急なお越しでございますが…一体どのようなご用件で…」
「エディは、どこだ?」
かしこまっている事務部長の問いには一切答えず、逆に尋ねる。
「……は?」
「エディはどこにいるのかと、聞いているのだ」
「エ、エディ…とは…」
訳が分かっていない彼は、しどろもどろになっている。大体、大総統と面と向かって話すのも、今回が初めてなのだ。しかもその相手は、どうやらかなりイライラしている。迂闊なことを言って、怒らせては…と萎縮するのも無理はないだろう。
しかし、彼のそんな態度が、一層大総統をイライラさせることに、気づいていないようだ。
我慢の限界が来て、眉間に皺を寄せ、大声で怒鳴ろうとした時。
「……閣下!」
凛とした声が、静まり返ったその場に響く。
その声に反応した大総統―――ロイ・マスタングは、ようやく安心したように声の主に向かって歩み寄った。
「……少佐」
リザ・ホークアイ少佐が、立っていた。
「…このような場所で騒ぎを起こさないでください。仮にも大総統閣下なのですから」
「私は何もしていないぞ。彼等が勝手に集まってきただけだ。……それよりも」
相変わらずの厳しい叱責も、今は全く気にならない。他の重大な気がかりが、彼を支配しているからだ。
「エドワード君は、こちらです…!」
ついて来てください、と踵を返す。その後を、ロイは慌てて追いかけた。
2人の姿はあっという間に、病院の奥へと消えてしまい…それに伴って、緊迫した雰囲気も霧散した。
「…あれが今の大総統閣下か…。あんなに間近で見たのは初めてだよ」
「誰か知り合いでも入院しているのかねえ。やけに慌てていたようだが…」
「あんな偉い人でも、慌てふためくことがあるんだね」
「そんだけ、大事な人がここにいるってことでしょ?」
患者達は好き勝手に言って、散らばっていく。
後には、ロイに敬礼をした姿のまま固まっている、事務部長だけが残された。
「…大事な人が入院…?閣下の……エディ……」
ロイの言葉をぶつぶつ呟いていた彼は、徐々に思い出してきた。
今朝、看護婦長から受けた、入院患者の説明を。
とても大事な人が、昨日から入院しているから、粗相のないようにと。
あれは確か………
「大総統夫人…!」
全てを思い出した彼は、それこそ脱兎のごとく走り出した。
ともかく院長に、大総統閣下の突然の来訪の報告に向かわねばと思い。
「…全く、この病院の患者の管理はどうなっているのだ?スタッフが患者の名前を知らないなどと…」
静かな廊下を早足で歩きながら、ロイは少し前を先導しているリザに問う。
「…彼の場合は、仕方ないでしょう。医師や看護士ではなく、事務部長ですから。それに、閣下もいけませんよ」
「何がだ?」
「大総統閣下ともあろう御方が、予告もなしに、しかも護衛もなしにこんな公共施設に来るなど…前代未聞です」
普通なら、何時何分に来訪という予告をするべきなのだ。すると、その時刻に合わせて、施設側も出迎えの態勢を整えられる。彼の身分では、こんな抜き打ちのような訪問など、ありえないのだ。
「予告などする暇があるか!大事な妻が、出産だというのに…!」
「…そのお気持ちは、分からなくもありませんが…」
リザは軽くため息をついた。
この、無能時々有能な上司の愛妻家ぶりは、今では大総統府で知らぬ者はいないくらいなのだ。
以前は様々な女性と浮名を流した彼が、いきなり愛妻家になったのも、偏にその相手故、だろう。
「…それで、エディの様子はどうなんだ?」
「まだ…お生まれにはなってないようです。身体が細いので、長引いているみたいで…」
「難産…だというのか?母体と子供は大丈夫なのか?」
「今はまだ…。ただ、このまま長引くようであれば、双方の安全を考えて、帝王切開に切り替えるとも…」
そう呟くリザの表情も、曇っている。
「そうか…。少佐にはすまなかったな。昨晩からずっとエディについてもらって…」
「いえ、お気になさらずに。私も、エドワード君のことが心配でしたから…」
「君がついてくれていて、助かったよ。本当なら、私がずっとついていたかったのだが…」
本来なら、出産にも立ち会いたかった。
だが、単発的に発生するテロが、昨日いきなりセントラルで発生し、彼はその報告を受けるために大総統府に詰めざるをえなかったのだ。
そして、そうこうしているうちに、自宅にいたエドワードが産気づいたという報告を受け、身動きの取れない自分の代わりに、リザを病院に派遣して、エドワードに付き添わせたのだ。
その後、迅速にテロ事件は処理されて、市内に潜伏していた実行犯を逮捕したという報告を聞き終えてから、妻の入院しているこの病院へと駆けつけたのだ。
ハボックを運転手にして、たった1人で。
(……無事に、生まれてくれ…!)
元気に、この世界へと。
生まれてくる子供は、2人にとっての希望。
やっと…やっと幸せになれた希望の証だから。
2人の幸せな思いを、惜しみなく与えるから。
この世界は、決して苦しいことばかりではないから。
2人で…守るから。
だから、元気に生まれてきて欲しい…!
ロイは、心の中で願った。
リザに案内されて着いた、分娩室の前で。
閉ざされている扉の向こう側で、懸命に頑張っているエドワードを、心の中で励まし、祈った。
(皆…無事で…)
その後、どれくらい時がすぎたのか……。
実際は短かったのかもしれないが、ロイにとっては長すぎるものに感じられた。
「……あ…」
ロイは、長椅子から立ち上がった。
ゆっくりと扉に歩み寄る。
そこから、聞こえてきたのだ。
微かだが、漏れ聞こえる『声』
この世に生を受けた時に、最初に響かせる声。
「……閣下!」
リザも立ち上がり、扉に近づく。
「ああ、生まれた……」
扉を見つめながら呟くロイの声は、少し震えていた。
「エドワード君は……?」
リザの言葉を聞いたかのように、その時目の前の扉が開かれる。
中からは、手術服のままの、看護士が出てきた。
その腕の中に、小さな『命』を抱えて。
「おめでとうございます…!元気なお子さんですよ。男の子と女の子の」
2人の看護士が、2人の赤ん坊を抱いて出てくる。
その様子を見て、ロイは茫然としていた。
「…双子…だったのか?」
やけにお腹が大きいとは思っていたが、エドワードの身体が小さいので、こんなものかと思っていた。なのに、まさか双子とは…。
定期健診の時も、双子だとは分からなかったみたいなのだが…。
「お母さんのお腹の中で、普通とは変わった位置にいたんですよ。だから、分からなかったみたいですね…」
看護士が説明してくれて、納得がいく。
「それで…エドワード君は?」
「お母さんも元気ですよ。今はちょっと疲れていますけどね。大丈夫」
あの細い体で、2人も生んだのだ。疲れ切って当然だ。
「さあ、お父さん、抱いてあげてくださいね」
「……私が?」
「そう、お父さん」
にっこりと笑った看護師に促され、ロイは恐々と赤ん坊を腕に抱く。
最初は男の子。
そして妹となる女の子を。
「……意外と重いものだな…それに温かい…」
生まれたばかりの赤ん坊を抱くことなど、初めての経験だ。だが、最初はおっかなびっくりという調子で抱いていたロイも、次第にその温もりに慣れてきたようだ。
気持ち良さそうに眠っている娘の赤い頬をちょん、と指でつつき、それからリザの腕の中にいる息子にも同じようにして、そっと2人に向かって囁いた。
「よく…来てくれたね。ありがとう」
幸せそうな、笑みを浮かべて。
リザが、ハッと驚くくらい、これまでに見たことのないくらいの、温かい笑顔で。
隠しページでの連載開始、です!いきなり最初から出産ですが、この後はおいおい過去の話に戻ります…。よろしければ、お付き合いください。