「――――彼の者の行方は?」
「……未だ、分かっておりませぬ」
『申し訳ございません』と言いつつ、その女は深々と頭を下げる。
「離宮に向かったところまでは、何とか分かったのですが…その後の足取りは…」
艶やかな黒髪の、艶冶という言葉が相応しい美女が、口惜しそうに漏らす。
「そう焦れるな」
いらついた状態の美女に対し、男は口元に笑みを浮かべて宥める。
「斥候は、既に各国に送り込んでいる。そのうち、良い知らせが入ってくるに違いない」
「……ですが…」
「案ずるな」
未だ納得がいかないように、女は言い募ろうとするが、それを室内の椅子に深々と座っている男は、鷹揚に構えて諭した。
「王女一人で、いつまでもこっそり隠れ続けられるわけがない。きっとどこからか、いずれ情報が漏れてこよう。それが届いてから動いても、遅くはない」
だから、急くな。
再度男が命令すると、女は不承不承だが頷いた。
「…王女さえこの手に入れば…我が野望は達成出来たも同然だからな」
呟き、喉の奥で嬉しそうに男は笑う。
薄暗い……ランプが一つだけ灯った室内。
決して狭くはないが、黒で統一されている上に暗いため、重厚な雰囲気を醸し出している、城内の最奥に位置する部屋。
その最も奥に置いてある古びた椅子に、深くゆったりと座って。
男は、余裕の笑みを見せて、女に言い放った。
「――――だからおまえも、この城内で吉報が届くのを待っているがいい。おまえが動くのは、それからだ。……分かったな、ラスト」
「………はい…」
ラスト、と呼ばれた美女は、ただ、己の主の命令に対し、跪き頷くしかなかった。
暖かい日差しが入ってくる、サンルーム。
余り広くはないが、アイボリーの落ち着いた色調で統一されたその部屋の中で、家族三人はゆったりとした午後の時間を寛いでいるかのように見えた―――――のだが。
深い溜息が漏れ、金色の柔らかそうな髪の少年は、読んでいた本を閉じた。
「…どうしたの、アルフォンス?」
その傍らで、刺繍をしていた、少年と同じ色の髪の、美しい女性が、溜息に気づいて針を動かす手を止める。
「だって…母さん…」
女性のことを『母さん』と呼んだ少年は、眉間にしわを寄せ、辛そうな声で呟いた。
「母さんも父さんも……心配じゃないの?姉さんのことが。もう、行方不明になって、一月以上経つんだよ?」
アルフォンスがそう言うと、その場にいた二人の人間――――アルフォンスの両親は、曇った表情になり顔を俯かせる。
「僕達の国が…エルリック王国がアメストリス帝国に突然攻撃されて…僕達は何とか隣国に亡命することが出来たけど……姉さんはあの時宮殿にいなかったから……」
偶然、彼女だけ…姉のエドワードだけ、一足先に離宮へと向かったために、一緒に逃げることが出来なかった。
それでも、仮にも一国の王女だ。
そのうちに彼女の消息は伝わってくるだろうと思っていたのだが。
「何も…情報が伝わってこないなんて…」
「アルフォンス……」
沈んだ口調で漏らす息子を、両親は痛ましげに見つめていた。
―――しかし。
「何も伝わってこないということは、逆に吉報かもしれないんだぞ、アルフォンス、トリシャ」
「…父さん?」
「あなた……」
それまで黙って、息子の言葉を聞いていた父―――エルリック王国の現国王、ヴァン・ホーエンハイムは、突然、話に入ってきたのだ。
「……どういうこと、それ?消息が届かないのが、吉報だなんて…」
「エドワードが、アメストリス帝国に捕らえられれば、必ずその情報は漏れ伝わってくるだろう。だが、それもないし、未だにあの国は、あちこちの国に斥候を放って何かを探させているらしい。…ということは、だ」
「あの子は……エドワードはまだ、どこかで無事でいるということ?」
トリシャは顔を上げ、夫の言葉に耳を傾ける。
「その可能性は高い。もし、エドワードが既に死んでいたとしても、その情報は伝わってくるだろうから……」
「じゃあ姉さんは、まだエルリック王国に?」
「その可能性はないだろう。あんな狭い国内に潜んでいても、すぐにアメストリス帝国に見つけられてしまうからな」
「だったら……どこか他国に……」
「そう考えた方がいいだろう。どの国にいるのかまでは…分からないが…」
「でも……でも、生きてさえいてくれれば…!」
アルフォンスの顔色が、少し良くなってきた。
姉が、どこかで生きている。
その希望が、瞳にも光をもたらしていた。
だが、その横では。
「……だとしたら…やはり、あの帝国の侵攻の目的は、『エドワード』だったのね…」
二人の姉弟の母であり、現王妃でもあるトリシャが、不安げに言葉を継ぐ。
それを聞いた他の二人の家族も、ハッと我に返り、再度沈んだ表情に戻った。
「――――そうとしか、考えられまい。アメストリス帝国は、亡命した我々のことは知らん顔、だからな…」
大国に攻め込まれ、取り敢えず縁戚関係である隣国に、逃げ込むしか術はなかった。だがもしこの亡命によって、三人を受け入れてくれたこの国も戦いに巻き込まれるようなことがあれば、すぐさま帝国に降伏するしかないと考えていたのだが……。
亡命した後に、そんな気配は全くなかった。
アメストリス帝国は、亡命した三人には、全く興味がなかったようだ。
いや、征服したエルリック王国自体にも、興味がなさそうで、侵攻が終わるとさっさと兵を引き揚げて行ったのだ。
まるで、そこには興味を惹くものが全くない、とでも言いたげに。
そして、今は―――周辺の国に、斥候を放って何かを探させているようだという情報も入ってきた。
「今の状況を見れば……あの国の狙いは明らかだ」
「そんな…姉さんが狙われているなんて…」
アルフォンスは呆然と呟く。
「あなた……あの国は、エドワードのことを…」
「あの探しようからすると…恐らく知っているだろうな」
「そんな……あのことは、我が王家から決して出してはいけない秘密だったのでは……?」
「それを、あの国の皇帝に漏らした者がいるのだろう。そうでなければ、ああも執拗に探しはしない」
ホーエンハイムは吐き捨てるように言い放ち、唇を噛み締める。
「――――未来永劫、我が国から出すことのないと思っていた秘密を……。その結果、娘を危険に晒すことになるとは…」
「父さん……」
自分の代で、王家の秘事を他国に漏らすような不祥事を起こしてしまった。そのことに対する後悔と、大事な愛娘を心配する感情が交錯し、ホーエンハイムは厳しい眼差しで空を見る。
だが、それも一瞬のこと。
「――――しかし、我々にも出来ることはある」
相変わらず、厳しい顔をしてはいたが、ホーエンハイムはテーブルの上にある紙とペンを取り、さらさらと何かを描いた。
「―――あなた?」
「…父さん?」
二人の家族が見守る中、ホーエンハイムは何かを描いた紙を手に持ち、そのまま部屋の中央へと移動する。
そして――――
「我が娘……エドワードが生きていれば、必ず気づいてくれる筈だ……」
と呟き、その紙を床の上に置いた。
すると。
紙自体が、突然光を発し。
その光が、その場にいる者達の目を閉じさせるほどに、輝きを増した直後。
呆気なくその光は室内から消え失せ。
同時に、床に置かれていた紙もまた、なくなっていた。
「……父さん、これは…!」
「地脈を、利用させてもらったよ。これで、各国に伝わる筈だ」
「それは、ボクにも分かってる。だけど危険だよ!他の誰かに気づかれたら…!」
「錬金術師は、気づくだろうな。だが、それが意図する中身までは、分かるまい」
心配するアルフォンスをよそに、再度ホーエンハイムは椅子に座り、淹れてあったお茶を飲み干す。
「中身は……伝えようとしていることは、我等にしか分からないようにしている。決して他の者にはわからぬように」
だから、心配するな。
ホーエンハイムは、息子を諭した。
「私達には、これくらいしか出来ないが……せめて、あの子の助けとなることを祈って…」
ホーエンハイムは呟き、サンルームから差し込む陽の光を見つめた。
我が子の、黄金の髪と瞳の色を思い浮かべながら。