Miss you… -8-

「…え、今日帰るのか?」


 エドワードが離宮に滞在して一週間が経過した日の午後。
 午前中にロイと遠駆けを楽しんだ後、庭園でピクニックをしていた時にそう告げられ、エドワードは手にサンドイッチを持ったまま動きを止めた。
「ああ。どうしても外せない公務があってね…。食事が終わったら、あちらに戻らないといけないんだ」
「…そっか」
 と呟くエドワードの表情が、少し寂しげになったのをウィンリィは見逃さなかった。
「すまない…」
「いや…。公務の方が大事だよ」
 ロイに謝られ、エドワードは慌てて首を横に振る。
「…それに、オレも、いつまでもここにはいられないだろうし…」
「気が済むまで、ここにいていいのだよ?」
「…ありがと。でも、もう大丈夫だから」
 と、微笑むエドワードの顔には、ここに来る前の翳りなど微塵もなかった。
 そんな、目の前の王女の笑顔を見ただけで、ロイはここへ連れて来て良かったと思う。
「…君がそういうなら、私は反対しないよ。むしろ大歓迎だね。婚約者同士がいつまでもバラバラに暮らすというのは感心できないから…」
 『婚約者』という言葉を聞いただけで、エドワードの顔は真っ赤になった。
 が、異論を唱えることなく、ただ手に持っているサンドイッチを黙々と食べている。それが、彼女なりの照れ隠しなのだろうとロイは察し、微笑ましく思った。
「だが…あちらに戻ると、またお妃教育が再会されるよ?」
「えーっ、そうなの?」
 この離宮では、王女の療養が目的だったため、宮殿で連日行われていたお妃教育は中断されていたのだ。お陰でエドワードは、机に縛り付けられることなく、のびのびと過ごすことが出来たのだが、それはこの場限定のものだという話を聞き、どうしようかな…と渋い顔をする。
「…急いで戻る必要はないから、気が済むまでここに滞在したらいい。お妃教育は、いつでも受けられるからね」
 結婚式を挙げるまでに、全てをマスターするなど、絶対に無理だろう。だから、取り敢えずは最低限の必要事項だけをマスターしておいて、後からおいおい覚え、慣れていけばいいとロイは思っていた。
 そんなロイの言葉を聞いて、暫く考え込んでいたエドワードは、ロイが自分の手にあったサンドイッチを食べ終える頃にようやく口を開いた。
「……でもやっぱり、オレも近いうちに戻る」
「―――いいのか?」
「うん。片付けとかあるから、今すぐってわけにはいかないけど…明日には帰るよ」
「明日……急だな」
「そう?でももうオレ、大丈夫だから」
 一週間の休養で、随分心が晴れ晴れとしたような気がする。
 この、静かで落ち着いた離宮での生活が、エドワードの心を解したくれたのも理由の一つなのだろうが、それよりももっと大きな理由があることを、エドワードのみならず、傍にいるウィンリィやリザも分かっていた。
 ロイが、来てくれたから。
 離宮にわざわざ赴き、エドワードの不信を解いたから。
 彼が決して、飾りとしての皇妃を求めているのではないのだと、話してくれたから、エドワードはすぐに立ち直ることが出来たのだ。
 恐らくこの、ロイの言葉がなければ、未だにここでの療養を余儀なくされていただろう。
 エドワードの不調の原因が、ロイから言い放たれた言葉だっただけに、当の本人からの謝罪が、最も効果的だったのだ。
(でもね……)
 そっとウィンリィは、傍らで楽しそうに話をしている二人の姿を見つめる。
 同じく彼等を見守っているリザは、微笑ましげに見ているだけだが、ウィンリィはそうはいかないのだ。
(エド……どうするつもりなの、これから?)
 このまま宮殿に戻れば、いずれは結婚せざるを得なくなるだろう。
 本当なら、さっさと婚約解消されて、国に戻る予定の筈だったのだが、今の状況ではそれも難しい。
 第一、夫となるロイが、何故だかエドワードにとてもご執心なので、婚約解消はかなり困難だろう。
 そのことを、当のエドワードはどう考えているのか…。
(これは…後でもう一度確かめておく必要があるみたいね…)
 エドワード自身が、どうするかを。
 何も考えていないということはない筈だ。
 先刻、宮殿に戻ると言ったことからも、何らかの策を見つけているのだと、ウィンリィは察した。
(…エドには聞けばいいけど…問題は…)
 続けて、エドワードの隣に座っている、この国の皇帝をそっと窺う。
(…この人よね)
 ロイの、エドワードを見て微笑む姿は、ウィンリィにはどうしてか不安しか感じさせないのだ。
(エドって、どうやっても彼の好みじゃないのよね…)
 傍にいれば、嫌でもそういった噂話の類は耳に入ってくる。
 宮殿で仕える侍女達や、この離宮で働く侍女達から、好むと好まざると聞かされていたのは、ロイの数え切れないくらいの女性遍歴だった。
 しかしそれら全てに共通していたのは、付き合っていた女性のタイプだ。
 ロイの好みは、スタイルが良くて、割り切りが上手な女性だったらしい。
 ようは、真剣に思い合うのではなく、ただ単に身体だけの関係が大半を占めていたらしいのだが、その相手となる女性は、明らかにエドワードとは正反対のタイプだ。
 ロイにとっては、エドワードなどまだまだ子供でしかなくて、女性としては決して見ることの出来ないタイプだろうに…。
(あーあ、あんなに嬉しそうにして…)
 エドワードと食事をしながら談笑するロイは、とても楽しそうだった。
 エドワードの他愛ない話に耳を傾け、応じている。
 そんな仲睦まじい様子を見ているだけならば、安心できるのだろうが、ウィンリィはそれが出来なかった。
 たった一つ、気がかりがあるために。
(あの人の……目……)
 彼女は、その『気がかり』を見つめる。
 エドワードを見つめている、優しい眼差しを。
(―――気の…せいかな…)
 出来れば、自分の気のせいであって欲しい。
 そう思ったけれど。
 もう一方で、気のせいだと否定できない自分もいる。
 比べれば、後者の思いが強いのだ。
(あの人……エドを見てない…のかな?)
 確かに、微笑みはエドワードに向けられている。だがその先は彼ではなくて、彼を通り越した何かに向けられている気がしてならないのだ。
 あるいは、エドワードと誰かを重ねて見ている……。
 そんな思いが、二人を見ていると纏わりついてくる。
 そんな筈はない。
 思い過ごした。
 そう懸命に考えるようにして、この不安を拭い去ろうとしてみたのだが。
 すればするほど、不安は増していく一方だった。
(やだな…私……。せっかく、エドが元気になったのに…)
気がつけば、水を差すようなことばかり考えてしまっていた。
(…エドには、言わないでおこう)
 ひょっとしたら、取り越し苦労かもしれない。
 自分の漠然とした疑念で、やっといつもの元気を取り戻したばかりのエドワードをまた不安にさせたくなかった。
(もう少し…もう少し見守っていよう)
 ロイの本心がどこにあるのかを。
 そして、今のエドワードの楽しそうな様子を見ていると、自分の不安が外れるようにと、切に願わずにはいられなかった。

「――――陛下」
 昼食を終え、宮殿へ戻るための馬車に乗り込もうとした時に、リザが呼び止めた。
「どうした、ホークアイ?」
「急な公務とは……ひょっとして…?」
「ああ、そうだ。君の考えていることだ」
「やはりそうですか…」
 リザは、整った顔をほんの少ししかめる。
「またしても、邪魔にしかならない親族どもが、宮殿に押しかけているそうだ。…私と会わないと帰らない!と言って駄々をこねていると、先刻ヒュリーから連絡があった」
「…我侭な子供よりも、始末に終えませんね…」
 リザも辛辣な口調で応じる。恐らく彼等が押しかけた理由とは、皇帝の結婚相手についてのことだろうと、容易に想像がついたからだ。 
「全く…己の権勢を強めようとしか考えてない輩が、この国には多いことだ…」
 ロイは不快そうに溜息をつく。
「そんな方達を嫌って、傍に近づけさせないのも、いけないと思いますが」
「あいつ等に、国の中枢を任せられるか!この国が滅んでもいいというのなら、話は別だが」
「誰も、中枢を任せろとは申しておりません。ただ、閑職でもよろしいから、名誉職的な地位をお与えになれば、あの方達もある程度は満足するでしょうに…」
「それは…ヒューズも言っていた」
 ロイは、自分の側近中の側近でもあり、且つ大の親友でもあるヒューズ公爵の名を挙げた。
「しかし、あいつ等には、その閑職すら与えるのも勿体無いと思えてしまうからな…」
「その点については、否定いたしません」
 リザもきっぱりと同意する。
 彼等は、生まれながら受け継ぐ爵位に応じた領地や財産をそれぞれ持ち合わせているのだ。だから、無理に役職につかなくても、十分豊かな生活を送ることが出来る筈だ。
 それなのに、なお一層の富と権力を望もうとしている。
 欲の権化がそこによく現れていると、リザは内心呆れていた。
「…ったく、この国に数多くいる皇族・貴族の中で、優秀だとはっきり言えるのはヒューズだけか…」

 情けない…とぼやく。
「その分、我々のような一般市民が、やりがいのある仕事を任せていただけるので、嬉しいですが」
 と、リザは嬉しそうに微笑んで答えた。
「優秀な人材に、身分など関係ない。私は、能力に応じた仕事を与えているだけだよ」
 そして、与えられた者達は、彼の期待以上の働きをしてくれている。
 今や、ヒューズを筆頭に、ロイの周りにいる人間は、彼にとって失うことの出来ない片腕以上の存在となっていた。
「―――しかし、いい加減何とかしないと、いつまでもこう頻繁に押しかけられては困るな…」
「それでは、早々に、エドウィナ姫を婚約者として正式に披露なされてはどうでしょうか?」
 臣下達の前で、そして国民の前で、王女を皇妃とする旨を知らしめれば、彼等も取りあえず諦めざるをえなくなるだろう。それに、皇妃となる女性には、迂闊に手を出せなくなる筈だ。そんなことをしたら、不敬罪に問われることくらいは、彼等も覚えているだろうから。
「だが……」
 リザの提案に、ロイは言いよどむ。
 てっきり、大賛成すると思っていた彼女は、拍子抜けしていた。
「……何か、不都合でも?」
「いや……私の方は問題ないのだが…彼女が素直に応じてくれるかが…」
「それは、今後の陛下次第でしょう」
「…やはり、そう思うかね?」
「はい」
 歯に衣着せぬ言い方に、ロイは苦笑を浮かべる。彼女のはっきりとした物言いは、ロイにとっては好ましいものなので、苦笑するしかなかったのだが。
「そうか…。ならば応じてくれるように、努力しないといけないな」
「頑張ってください。陛下は、第一印象が最悪でしたから、相当努力されないと難しいですよ?」
「ああ。精々努力するさ。しかしその前に、目の前の厄介ごとを取りあえず片付けないとな…」
「そうですね…」
「穏便且つ徹底的に…か。まあ、そう難しいことでもなかろう」
 押しかけてくると言っても、実は小心者ばかりなのだ。ロイがほんの少し恫喝してみせれば、尻尾を巻いて逃げるだろう。
「…油断は禁物です。時に人は、予想外の行動に出ることもあるのですから」
「分かっている」
 リザの忠告を聞いて、頷く。
「―――あいつ等が、ここにまで手出しをするとは思えないが…。念のため、護衛としてハボックをこちらに派遣する。…尤も、『守護者』がいるから、迂闊には入って来れないだろうが…」
 と言いざま、ロイは眼前に広がる紺碧の湖をちらっと見た。
「そうですね。あの方達も、それはよくご存じでしょうから…」
 リザも、ロイと同じように、離宮の前にある湖を見た。それは、波もなく穏やかな様を二人に見せていた。
「―――それでは、行ってくる。姫君を頼むぞ」
「はい…!」
 ロイの言葉に、彼女は姿勢を正し、敬礼をする。その姿を見て、安心したように笑ったロイは、馬車に乗り込んで離宮を発った。
 未だほんの少し、この場所に未練を残して。