ロイが離宮を訪れたのは、翌日の夕刻だった。
「……遅かったですね」
玄関で待っていたリザの第一声が、これだった。
「本当はもっと早く来るつもりだっのだがね」
馬車から降りて、離宮へと入るロイの後を、リザは従ってついて行く。
「何か緊急のことでも?」
「…緊急と言えば、そうなるかな。叔父上が出発間際に突然来られて…」
「公爵様が?」
「ああ。急に来るから何事かと思ったら…」
その時のことを思い出したのか、ロイは急にしかめっ面になる。
「また、不快な嫌味でも言われましたか?」
リザの問いに、彼は首を横に振った。
「それならば、いつものことだからな。軽く聞き流しておけばいい」
「ならば――――?」
リザは再度尋ねる。この男が、これ程に不快を顔に出すということは、滅多にないからだ。皇帝として、例え親族同士でも腹の探り合いは日常茶飯事なので、いつの間にか感情を表に出さないようにコントロール出来るようになっていたのだが。
そんな彼が、これ程不機嫌さを表に出しているということは、公爵が相当ロイにとって不愉快なことを持ち出して来たに違いない。
「―――今の皇妃候補者を、早急に国へ帰せ、と」
「……成程」
リザは、やっと納得がいった。
「全く…あいつらは自分達の地位に満足しておればよいものを…!暇さえあれば、足を引っ張るような真似ばかりをする。しかも、真偽を計らず、入ってくる情報や噂話を全て鵜呑みにして…だ!」
嫌悪も露に、ロイは吐き捨てるように呟いた。
「…では、公爵様は、エドウィナ様の悪戯三昧の話を誰かから聞いて…?」
「恐らくな。あんな、まだ子供のような王女は、おまえには相応しくないとか、もっと素敵な女性は周りにいるだろうとか、散々喋って帰って行ったさ。…黙って聞いている私の身にもなってくれ」
「それは…災難でした。それで、公爵様の本当のお話は何だったのでしょうか?」
「ああ、それは最後の最後に言ったさ。自分の縁続きになる、マレー家のご令嬢の方が、皇妃に相応しいとな」
「やはり……」
そんなところだろうと、リザも感じていた。
外の国から皇妃を迎えては、これまであわよくば自分の縁に連なる年頃の娘を皇妃に据え付けようという目論みが、全くの無駄に終わってしまうからだ。
だから、皇妃候補としてこの国に来ているエドウィナが、実はどうしようもないじゃじゃ馬姫だということを知った彼等は、ここぞとばかりにかの姫との婚約を解消させ、自分達の勧める女性との結婚を…と息巻いているに違いない。
「それでは、これからも暫く、嫌味の攻撃を我慢して受けなければなりませんね、陛下は」
「―――君は、私が彼女を国に帰すとは、これっぽっちも思ってないようだね」
「当然でしょう?」
「…君だから、分かるのだろうか?いや、奴等が余りに腑抜けすぎるのだろうな。エルリック王国の王女との婚姻が、この国にもたらすメリットをちょっと考えたら、すぐに分かりそうなものを…」
「…それだけではないでしょう?」
クスッと微笑んで、リザは指摘する。
「…何が言いたいのかね、ホークアイ?」
「さっきから、その腕で抱えている箱は、何ですか?」
リザは微笑みながら、ロイが持っている平べったい大きな箱を指差した。
「……これは…」
「姫君への、贈り物でしょう?」
言いよどむロイに代わって、リザが答える。
「――――」
返事は、ない。
だがそれが、答えだった。
「…喜ばれるといいですね、姫君が」
「怒るかもしれないな。好みじゃないと言って」
そう言って苦笑を浮かべたロイに、リザは励ますように微笑んだ。
「…大丈夫ですよ、きっと」
(これまでの、陛下とお付き合いをしてきた女性とは、タイプが全く違うから…少し不安だけど…)
そのことは口には出さず、リザはエドウィナの居室の扉を軽くノックして告げた。
「―――陛下が、ご到着です」
と。
ノックの音の後に、リザがロイの来訪を告げる。
たったそれだけのことなのに、エドワードの肩がビクッと震えるのを、ウィンリィは視界の隅に捉えた。
しかし、いつまでもそのままにしておくわけにはいかないので、扉に歩を進め、ゆっくりと開く。
それを合図に、エドワードも座っていたソファからおずおずと立ち上がった。
扉が全開になり。
その先には、ポーカーフェイスのロイが立っていた。リザは、脇に控えて一礼している。
「……遅くなって、すまない。本当はもう少し早く来る筈だったのだが…」
と、部屋に足を踏み入れながら、立ったままのエドワードに話しかける。
「え……と……」
しかし、硬直したままのエドワードは、言葉を発するどころか、ロイに対して礼をすることも出来ずにいた。
(まだあの時のショックが残っているのか…)
無理もないだろう。
政略結婚だと分かってはいても、結婚相手からその事実を突きつけられれば、不信感を持ってしまっても。
一方、エドワードの方も、自分の態度に戸惑いを隠せずにいた。
昨日までは、ロイが来た時は、取りあえずきちんと接しようと決めていた。それなのに、いざ目の前に彼が現れると、人形のように硬直してしまって、ろくに挨拶も出来ずにいた。
(…どうして?)
せめて、『ようこそいらっしゃいました』と言って、頭を下げようと思っていたのに。
そうすることで、国同士の危機を取りあえず脱することが出来れば、いくらでもしようと考えていた筈なのに。
実際はそれすらも出来なくて、ただ立ち尽くしているだけだった。
幼子が、一人ぽっちで暗闇に立ち尽くしているかのように、エドワードは一歩も前へ進むことが出来ずにいた。
(……どうしよう…これで、また嫌われたら…)
ロイは、自分を国に帰すつもりはないと言い切った。ならば一層呆れられて、いよいよ名ばかりの皇妃候補となってしまうのではないのだろうか…。
そんな不安がエドワードを苛み、小刻みに体が震える。
(どうしよう……)
名目上の皇妃として、一生飼い殺しなんて、嫌だ。
それに、その前に女性でないことが分かってしまったら……自分は、国は、どうなってしまうのか…。
そんな、様々な思いがエドワードの心に充満し、耐え切れなくなってギュッと瞼を閉じる。
そうしなければ、ロイの前で泣いてしまいそうになるから。
――――しかし。
目を閉じて立ち尽くしているエドワードには。
ロイからの冷たい言葉は来なかった。
代わりに。
ふわっ…と何か柔らかいもので、包み込まれる感じがした。
「えっ……」
その感触につられて、恐る恐る目を開けてみると。
目の前には、微笑んでいるロイが立っていた。
「え……あの……っ?」
「…良かった…。どうやらデザインは似合いそうだね」
と、エドワードを見て呟くロイの手には、
淡いブルーのドレスだった。
それを、エドワードに当てるように広げている。
「これは……?」
「乗馬服だよ」
「えっ…?」
言われてようやく気づいた。ボレロのついたそのドレスが、シンプルなデザインで動きやすく作られたものだと。
「…この離宮にも馬はいるから、気分転換に乗馬もいいだろうと思ってね。あなたは、余り乗馬服を持ってきてなかったようだから…。それと一緒に、帽子もあつらえてみた。…気に入ってもらえればよいが…」
「――――」
ドレスをリザに預け、同系色のベールのついた帽子をエドワードの頭に乗せた。
「…サイズは、合うみたいだね」
帽子を乗せたエドワードを見て、ロイは嬉しそうに微笑む。
けれども、エドワードは黙りこくったままだ。
「……この色は、気に入らないかな?ならば他の乗馬服も用意しているのだが…」
一向に何も話そうとしないエドワードを見て、ロイは帽子を取ろうとした。
だが、それはエドワードによって止められた。エドワードは、乗っていた帽子を手に取った。
「エドウィナ姫?」
「――――どうして…そんなに優しくする?」
「え……?」
「オレは、政略結婚の相手じゃないのかよ?エルリック王国の王女だから、婚約者にしたんだろ?だったらオレじゃなくても…王女なら誰でもいい筈だよな?」
手に持つ帽子をぎゅっと握り締めて、エドワードは震える声で呟く。
「エドウィナ姫…」
「誰でもいいんなら、そんなに優しくするな」
オレみたいな子供を、レディのように扱うな。
そんなことをされたら、変に期待しちまう。
目の前の男が、オレを見ていてくれるのだと。
王女としてのオレだけじゃなく、オレ自身を見てくれているのだと。
「―――誰でもいいなんて、思っていない」
「えっ……?」
思わず顔を上げてみると、そこにはロイの顔があった。彼は、優しい眼差しでエドワードを見つめている。
「確かに、最初は政略結婚が目的だったよ。それは、否定しない。だが、実際君に会って…君で良かったと思うようになった」
「ウソだっ!」
エドワードは叫ぶ。
「あんな悪戯ばっかするような、子供みたいな王女なんて、飾りだって言ったくせに…!」
「あの悪戯が、君の本意でないことくらい、分かっていたよ」
「え……?」
「君がわざとあんな行動をして、皆に嫌われようとしていることくらい、すぐに分かったさ。だから…腹が立った。そうまでして、この国を出て行きたくて…私と結婚することを嫌がっているのかと思うとね」
「あ―――」
エドワードは絶句する。
自分のわざとやっていたことの真意が、全て当の本人にお見通しだったなんて。
「だから…あの夜は思わずカッとなって、大人気ないことを言ってしまった。その点は、反省している…」
ロイが素直にエドワードに対して、非礼を詫びるのを聞いて、リザは内心驚いていた。
これ程率直に謝罪するとは、思ってもみなかったからだ。
(そんなに…この姫君に御執心とは…)
はっきり言って、リザの目からも、目の前にいる王女はロイの好みではない。
なのにロイは、彼女を手放したくないのだ。
それは、国のことを考えるよりも先に、本人自身が彼女を望んでいるという理由で。
(…でも、いい傾向だわ)
これまで、女性は単なる遊びの対象でしか見てこなかった皇帝の、この心の変化は、歓迎すべきことだ。愛すべき、守るべき人を持つと言うことは、本人をも強くするだろう。
しかも、その相手は、リザの目から見てもロイには勿体無いくらい利発な王女。
年はまだ若いが、理想の相手と言ってもいい。
願わくば、このまま結婚話がこじれることなく進んでくれれば…と、リザは祈るように成り行きを見つめていると。
それまで、黙ってロイの話を聞いていたエドワードは、手に握り締めていた帽子をもう一度、被り直したのだ。
それから、ロイやリザに笑いかける。
「……似合うのかな、これ?」
「え、ええ。よくお似合いですよ、エドウィナ姫」
リザが即座に答えると、ロイも慌てて頷く。
するとエドワードは一層嬉しそうに笑った。
「―――じゃ、早速明日、これで馬に乗ってみる。…その時は、また付き合ってくれる?」
エドワードのその言葉は、ロイに向けられたものだ。
帽子を被ったままのエドワードは、真っ直ぐロイを見て、話しかけたのだから。
「…ああ、私でよかったら、喜んで」
ロイも即座に承諾する。
「ほんと?約束だよ。明日はオレに、付き合ってくれよな」
再度念を押すようにエドワードはロイに言い、それにロイが力強く頷くと、より一層、花が綻ぶかのような笑顔を浮かべた。
それは、エドワードがこの国に来て初めて見せた、心からの笑顔だということに気づいたのは、この場にいた人間の中では、ウィンリィだけだった。