Miss you… -6-

 エドワードとウィンリィが、その離宮に赴いたのは、三日後のことだった。
「―――晴れてよかったわね」
 ウィンリィは、開け放たれた馬車の窓から入ってくる、心地よい風を受けて楽しそうに呟いた。
「……そうだな」
 エドワードも微笑んで、同意する。
「馬車に揺られて大丈夫、エド?気分が悪くなったら休憩するから言ってよね」
「平気だよ、これくらい。それに、後少しで着くんだろ?」
「…とは思うけど」
 と呟き、御者に聞く。
「うん。もうすぐだって。この森を抜けたところにあるらしいわ」
「なら、大丈夫」
「…そんなこと言って。つい三日前まで、何も食べられなくて臥せっていたのに…」
 と、医者でもある幼馴染は、しかめっ面になる。その彼女の顔を見て、エドワードは声に出して笑った。
「でも、その後はちゃんと食事しただろ、頑張ってさ」
「まあね…。流石にあの絶食状態が続いたら、私でもどうしたらいいか分からなかったから、助かったわ。…リザさんには、感謝しなくちゃ」
「うん……」
 エドワードも、そのことについては素直に同意する。
 本当に、三日前、リザが今回の離宮行きを勧めてくれなければ、今頃エドワードは大変なことになっていたかもしれないのだから。
「…全く。塞ぎこんだ挙句、食べ物が全く受け付けられなくて、栄養失調で寝込むなんて。一番あんたに相応しくない症状よね」
「……ウィンリィ。おまえ、オレのことをどう思っているんだ?」
 容赦のない彼女の言葉を聞いて、エドワードは尋ねてしまう。しかし、彼女はフォローするどころか、更に辛辣になった
「言ったとおりよ。エドって絶対に、心の病とかでどうにかなることなんてないって、ずっと思っていたから。それだけ、図太い人間だって思ってたからね」
「…ひどい言われようだな、オレ」
「――――だから、今回あんなになっちゃって…よっぽど堪えたんだって感じたわ。あの夜の一件がね」
 と、優しく微笑むウィンリィは、姉のような眼差しでエドワードを見つめていた。
「――――うん。自分でもよくわからないけどさ…。どんなに素行の悪い振りしても、国に戻れないって考えると…何だか虚しくなっちゃって。あんなに、嫌われるのを覚悟してやったのに、それが無意味だということをあいつに知らされて…おまけに嫌われて…。あいつは、この国の人は、オレじゃなくてもいいんだ。エルリック王国の王女なら誰でもいいんだって、いろいろ頭の中考えているうちにぐちゃぐちゃになって……」
「……考えたくなくなったの?」
「――――うん…」
 エドワードは、純白の手袋に包まれた手を俯いて見つめる。その手は堅く握り締められたままだ。
「何も…考えられなくなって…。何もしたくなくて…食べることも…出来なくて…」
 我ながら女々しいな、と、エドワードは微かに笑う。その自嘲気味の笑みをウィンリィは悲しそうに見つめていた。
(本当に…王女だったら、こんなことはなかったのに…)
 本当に王女なら、素直に未来の皇妃としての運命を受け入れられるだろう。政略結婚だが、夫となるロイは、何事もなければそれなりに優しいし、彼が率いる部下達も親切で優しく接してくれる。見知らぬ国でも、何とか平穏に皇妃として暮らしていける筈だ。
 それは、エドワードが本当に王女だった場合の話で。
 実際、彼は『男』だ。
 今はまだ誰にも知られていないが、そのうち所々の綻びから、隠している事実が目に見え始め、明るみになってしまうかもしれない。そうなってしまえば、エドワード自身の身の破滅だけでは済まない。下手をすれば、故国の破滅をも招きかねない危険な爆弾だ。
 だから、ロイに…この国の人々に皇妃として相応しくないという烙印を押させるために、様々な悪行をしてきたのに、それも無意味と分かって、エドワードはとうとう臥せってしまったのだ。
(……心の病で、食べられなくなっちゃうなんて)
 エドワードらしくない病だと、ウィンリィは思う一方で、そうまで追い詰められてしまったエドワードが可哀想にもなった。
(……元々、王子として育てられれば、こんなことはなかったのに…)
 ふとそう思い、すぐに溜息をつく。
 それは、言ってはならないことだから。
 エドワードを王子として、生きさせてあげたい。
 そう思っているのは、彼女だけではないことを、良く理解しているから。
 彼女の祖母も……エドワードの両親も、アルフォンスも。
 そして当のエドワードも。
 王子として生きられない理由を、知っているから。
 だからウィンリィは、自分が言えないと分かっていた。
 ただ、見守るだけ。
 皆、祈るだけ。
 ただ、彼の幸せを。
 彼の幸せを守るために、自分はここにいるのだから。
 遠く離れている、国王夫妻や、祖母に代わって、自分が守るのだと。
 ウィンリィは再度、心の中で誓っていた。

「……大丈夫よ。暫くあの離宮で過ごせば、元気も出てくるだろうってリザさんも言ってたから。元気になったら…また対策を考えればいいわ」
 努めて明るい声音で、満面の笑顔を添えて言い切る。
「……そんなにいい所なのかな?」
 彼女の笑顔に反応したのか、エドワードの表情にも、また少し明るさが出てくる。
「リザさんも、大好きな場所みたい。とても落ち着く場所だって」
「そっか……。楽しみだな」
 と、笑ってエドワードは答え、窓の外に続く、森に視線を向ける。
 すると、まるでそれに反応したかのように、突然森が途切れ、二人の前に現れたのは。
「うわっ、綺麗…!」
 紺碧の湖。
 広くはないが、澄んだ水を湛えているそれが、視界に飛び込んできた。
 続いて。
「あっ、あれが離宮じゃないの?」
 窓から少し顔を出して、ウィンリィが指差した前方には、瀟洒な建物があった。そう大きくはないが、その外観は前時代的で、この湖とよく合っている。
「……なかなか、良さそうな所じゃない、エド」
「ああ、そうだな」
 と、エドワードは頷き。
 自然豊かな場所の、次第に大きくなってくる落ち着いた感じの離宮をじっと見つめていた。

「さて、と、持ってきた荷物は全て片付け終わったわね」
 ウィンリィは、ドレッサーにエドワードの服を全て片付けて、呟く。
「うん。そんなに持ってきてないからな。それよりも、少し休めよ。お茶を運んでもらったから」
 と、エドワードは部屋から繋がっているテラスへと、ウィンリィを呼ぶ。
「――――そうね」
 鞄をしまった彼女は、エドワードの座っている、テラスに備え付けの椅子に座った。そして、目の前のテーブルに置いているティーポットからお茶をカップに注いで、反対側に座っているエドワードに差し出す。
「はい、エド」
「ありがとう」
「…美味しそうなお菓子もあるのね」
 二人の目の前には、クッキーやパウンドケーキ、プティングなどが綺麗に並べられていた。
「これって、離宮の料理人が作ってくれたのかしら?」
 クッキーを食べながら、ウィンリィは尋ねる。
「そうみたいだぜ。リザさんが、オレ達が来るっていうことであらかじめ手配してくれたみたいだ」
「ふうん…。ほんと、リザさんって素敵よね。仕事はバリバリこなすし、心配りもしてくれるし、その上あんな美人だし。同性としても惚れ惚れするくらいだわ」
「―――ありがとう、ウィンリィさん」
「えっ……?」
 突然、声のした方。
 エドワードの居室の方を二人が一斉に向くと、そこには軍服姿のリザが微笑んで立っていた。
「り、リザさん……」
 先刻までの話を聞かれていたのだということが分かり、ウィンリィの顔が少し赤くなっている。
「ご挨拶が遅くなって申し訳ありませんでした。離宮の警備体制について、打ち合わせしておりましたので…」
「―――ありがとう、リザさん。良かったら、ご一緒にいかがですか?」
 エドワードが席を勧める。
「ありがとうございます。ですが、後少し、警備の詰めをしておかないといけませんから…」
「オレのために余計な仕事増やしちゃって、ごめんなさい」
 エドワードは素直に謝る。
 そもそも、彼が気分転換を必要としなければ、ここに来ることもなかったのだから。
「いいえ、エドウィナ様が謝られることではありませんわ。悪いのは、陛下の方なのですから」
「リザさん……」
 自分が仕える君主を、一刀両断のもとに『悪い』と言い切れる。
 普通ならば、不敬罪に問われかねないことだが、彼女にそれが許されているのは、それだけリザが部下として優秀だと、ロイが認めているからなのだろう。
(…有能で美人で…皇帝からも信頼されていて…非の打ち所のない女性か)
 そんな人が、傍で仕えているのだ。
 まだ子供で、しかも困らせてばかりいる自分を鬱陶しいとロイは思っているに違いない。
 彼が選ぶとしたら、リザのような女性なのは、明白だからだ。
 ただ、仮にも未来の皇妃候補だから、邪険にはできないだけで……。

本当は……。

「―――姫様、どうなさいました?」
 突然黙りこくってしまったエドワードに、ウィンリィが声をかける。それでエドワードは我に返った。
「え、ううん。何でもない」
 慌てて笑顔を作って答えるが、それがぎこちないものだと、見ている二人にはよく分かった。
「で、でも、ほんと、オレに気を使わないでくださいね。ここに来れただけで嬉しいから…」
場の雰囲気が沈みがちになってしまったので、慌てて明るい声で喋りだす。
「はい。ですが警備だけは、万全にしておきませんと…」
 と言いながら、手に持っていた図面を二人の前に広げる。
「離宮内とその周辺には、百人体制で配備しました。但し、余り目立つようにはしておりませんので、ご安心ください」
「ふうん……あ、でも、湖側には配備してないんですね」
 ウィンリィの指摘通り、図面上では、離宮の面している湖畔には、殆ど警備員が配されていなかった。
「湖から侵入されたら、大変なことになるのではないですか?」
「ああ、その点は大丈夫ですよ」
 リザは、その質問が出てくることを、あらかじめ予測していたかのようだった。
「湖からの不審者の侵入は、絶対にありえないのです」
「ありえない…?」
「はい。この湖は、『守護者』で守られていますから…」
「『守護者』?」
 聞きなれぬ言葉に、エドワードとウィンリィは繰り返す。
「はい。この国には、『守護者』がいますから。エドウィナ様も、守ってくださいます」
 未来の皇妃様ですから、と自信ありげに言い切るリザをからは、それ以上の説明はなかった。
「……いずれ、そうですね、近いうちに必ず、お目にかかることが出来るでしょうから…」
 という含みを持った言葉を残して、リザは再び任務へと戻って行った。

「―――ねぇ、エド…」
「うん?」
「昼間リザさんが言っていた…」
「ああ、『守護者』のこと?」
「そう」

 離宮での滞在一日目の夜も更け、食事と入浴を済ませたエドワードは、居室でゆっくりと寛いでいた。
 持ってきた本を読んでいたのだが、突然ウィンリィに呼ばれたので、本から顔を上げる。
「あれって、何のことかな?」
「何って……リザさんの話だと、皇室を守る者ってことだろ?だから、湖方面の警備は必要ないって…」
「そう。ということは、この湖に、皇室を守る者がいるっていうことなの?」
「――――そういうことになるかな…」
「エドは、気にならないの?『守護者』って何か?」
「気にならないと言ったら嘘になるけど…。あれ以上は聞いても、答えてくれないみたいだったから…」
 皇室の『守護者』が何かまでは、リザは明かしてくれなかった。
「…きっと、正式に皇妃にならないと教えてくれないんだよ。オレってまだ、一皇妃候補者なだけだから」
「でもねぇ…何か、気になるのよね…」
 曖昧に誤魔化されると、一層気になって仕方ないのは人間の心理だろう。
「…ウィンリィ、おまえ…『守護者』って言うからには、ひょっとして変なものだと考えてないか?」
「えっ、だってそう思わない?あんな含みを持たせた言い方するくらいだから、きっと何か不思議なものだって、誰でも考えちゃうわよ」
「おいおい……」
 エドワードは、頭を抱えた。
「…ったく、おまえが不思議好きだとは思わなかったぜ」
「あら、知的好奇心と言って欲しいわ。医者たる者、好奇心がなければ日々腕は上達しないものよ。それは、エドだって同じでしょう?」
 ウィンリィの指摘は間違っていない。医者も錬金術師も、まずきっかけは好奇心から始まる。それがなければ、それぞれで大成など出来ないだろう。
「はいはい、おまえの言うとおりだよ。けどな、『守護者』って不思議な言い方しただけで、本当は単なる水上の警備兵かもしれないんだぜ」
「えーっ、そんなのつまんない」
「おまえを楽しませてどうする。…さあ、もう寝ようぜ。明日は、あいつが来るみたいだから、ゆっくりできなくなるかもしれないだろ?」
「あいつって…仮にもこの国の皇帝で、あんたの旦那候補なのよ?」
「オレが『陛下』って言っても似合わないよ。それに、ここにいるのはおまえだけだからな」
 ガウンを脱いで、寝台に移動する。
「それはよーっく分かってるけど…私以外の人の前では、気をつけなさいね。まだ、穏便に戻る術を考えてないんだから…」
「わかってるって」
 そうはっきりと答え、『おやすみ』と挨拶したたエドワードを、まだ不安そうに見ていたが、暫くして諦めたように溜息をつくと、ウィンリィは室内の照明を落として、隣室の控えの間に入っていった。