Miss you… -4-

「…昨夜はよく眠れましたか?」
「ええ…まあ…」

 朝、その日最初に対面した場での挨拶は、これだけだった。
 後は、食器に時折触れる、銀器の音しかない。

(……食事は、どれも美味しいんだけどなぁ)
 宮殿お抱えのシェフが作った朝食は、どれもスタンダードなものばかりではあったが、素材の持ち味を最大限に引き出していて、エドワードの口に合うものばかりだった。あらかじめ、エドワードの好みなどを調べてはいるのだろうが、それに合わせて、なおかつ美味しく仕上げることが出来るというのは、やはりシェフの腕前によるものだろう。
 しかし、そんな素晴らしい料理も。
 今、食べているこの場の雰囲気によって、美味しさが半減されてしまっていた。
(…ったく、どーしてこんな最悪の雰囲気の中で、食事しなくちゃなんねーんだよっ!)
 内心毒づいて、その最たる原因でをそっと睨んだ。
 その原因。
 エドワードの、テーブルを挟んだ反対側に座り、先刻から黙々と食事をしている男。
 一応エドワードの婚約者であるロイ・マスタング、この国の皇帝を、エドワードはそっと見ていた。
 彼―――ロイは、今朝この部屋でエドワードと会った時に、先刻の挨拶を述べただけで、その後は一言も口を開くことなく朝食をとることに専念しているのだ。それは、とてもではないがエドワードから話しかける雰囲気ではなかった。だから仕方なく、エドワードもまた黙々と食事をとるしかなかったのだ。
 そんな二人の様子を、付き従っているのウィンリィとリザは、困ったように見ているしかなかった。今、彼女達が口を挟んでも、事態が打開されるとは思われないからだ。
 そんな、息の詰まりそうな朝食に、我慢の限界を超えてしまったのは……当然のことながら、エドワードが先だった。
 ガタンッと静かな室内に、立ち上がる音が響く。その音に、ハッと我に返ったウィンリィが見たものは。
(エド……怒ってる…わよね。当然…)
 ウィンリィはこっそりと溜息をつく。昨日からずっと、理不尽な対応の連続だったのだ。そろそろエドワードの忍耐力も限界かな…と思っていた矢先のことに、彼女は溜息をつくしかなかった。
「……ごちそうさま」
 低い声でそれだけ呟き、エドワードは食事中のロイを睨む。
「おや、それだけでよろしいのですか?」
「こんな息の詰まるような場所で食べたって、ちっとも美味しくないからな」
(エド…!素に戻っちゃいけないじゃない!)
 ウィンリィは慌てた。エドワードの話し方が、エルリック王国の、王宮内のものになってしまっているからだ。
 王宮内の、しかも私邸のエリアでは、彼は男だということが知られているので、男としての話し方をしても何ら問題はなかったが、流石に今はまずい。
 ここは、エルリック王国でもなければ、その王宮内でもない。
 マスタング皇国の、宮殿なのだから。
 もし男だとばれたら……とウィンリィはハラハラしていたが。
 しかし、ロイは驚く風でもなく、涼しい顔でエドワードに目線を向けた。
 今日、初めて。
「……おや、それがあなたの、本当の姿ですか?」
 睨んでいるエドワードを見て、ロイは面白そうに笑いながら問う。
「ああ。生憎、オレは大人しい、お姫様らしい振る舞いなんて、これっぽっちも教わってこなかったからな。父上と母上も、オレ達を自由にさせてくれたし」
「ほぉ…それが、エルリック王国の、王室の教育方針なのですか?」
「そうだよ!今までは、一応他国の皇帝で、婚約者でもあるあんたの手前、一生懸命猫かぶってたんだけど、もう限界だ!これが本当のオレの姿だから、大人しい深窓の姫君が必要ってんなら、他を当たってくれよな!」
「……姫様!お止めください!」
 ウィンリィが止めに入る。
「ウィンリィ!だって……」
「姫様の一言は、国をも左右することになりかねないということを、お忘れではないでしょう?」
 ウィンリィはそう言うことによって、何とかエドワードが男であるということがばれないよう、話題を逸らそうとした。
「でも……!」
「姫様!」
 再度きつい口調でウィンリィが叫ぶと、渋々エドワードは口を閉じる。流石に、カッとなっていたとはいえ、先刻までの自分の態度は、相手に不審を与えかねないものだということに気付いたのだ。
 だが、二人の予想に反して。
「………なかなか、元気なお姫様だ」
 と言いながら、ロイは笑っていた。とても楽しそうに。
「何がおかしい?」
「いや、失礼」
「本当に、失礼です」
 脇にいたリザの一言に、苦笑を浮かべながら、ロイは再度エドワードを見た。
「…私も、従順なばかりの大人しい女性は飽き飽きしていたところなのですよ。あなたのように、元気の良い女性はなかなか新鮮だ」
「人を魚みたいに言うな!」
「エドウィナ様……」
 怒るところが違うんじゃないかと、ウィンリィはこめかみに指を当ててしかめっ面をする。
「――何にせよ」
 ロイは席から立ち、テーブルを回ってエドワードの前に立つ。傍に立つと、彼の方が遥かに高くて、見上げなければならないので、エドワードはほんの少し悔しい。

 しかし、次には。
「え………?」
 エドワードは目を丸くした。
 ロイが恭しく頭を下げたのだ。
 それは、彼がエドワードに向けて初めてする、礼だった。
「歓迎致しますよ、エドウィナ姫。あなたのような方が、この国にいらしてくれたことを」
 と言ってにっこり笑うロイに、エドワードは面食らって、
「あ……そ、そう…。よろしく…」
 と、言うことしか出来なかった。


「…どういう風の吹き回しですか?」
「…何のことだね?」
「言葉通りのことですが」
 ごまかしは一切聞かないという含みを持った、側近の厳しい口調に、ロイは苦笑を浮かべた。

 途中から、少々どころではなく賑やかになってしまった朝食の後、ロイは通常の執務へと入っていた。
 その、山積みとなった決裁書類に目を通し、サインをしている合間に、ふとリザから口を開いてきたのだ。
 普段仕事中に関係ないことは、一切話そうとしない彼女だけに、ロイは内心驚いていた。
「…エドウィナ姫のことかな?」
「はい」
「……君は、珍しいとでも思っているのだろうね?」
「当然ではないでしょうか?陛下があのような幼い姫君をからかって…」
 姫君がお可哀想です、とリザはロイを軽く睨む。
 そんな彼女の態度を見て、ロイはクスッと笑うが、再度リザに睨まれたので、その笑いはすぐに引っ込めた。
「いや…からかってなどいない。ああいう元気な女性は、いなかったからね。楽しいと思っただけだよ」
「これまでの、陛下のお相手は全て、大人の女性でしたから」
 素っ気無く返すリザ対して、ロイに勝ち目は無い。そのことをよく理解しているロイは、余計な言い訳をするのは止めた。
「……確かに、これまで私がお付き合いをしてきた女性達は全て、成人した人ばかりだったな」
 しかもそのどれもが、あわよくば未来の皇妃になれるかも…という本人及び家族・親戚達の期待を含んで近づいてきた者達ばかりだっ。
 そんなお仕着せの女性達に、食指が動くロイではなく、適当にお付き合いをしては、丁重に断り続けてきた。
 それに、そんな野心を持った女性達に手を出す程、不自由はしていなかった。
 時折、こっそりと宮殿を出ては、街の女性達と楽しい一時を過ごしていた。そのことを部下達が知らない筈はなく、お忍びで街へと出て行く皇帝の行動は、毎回頭痛の種となっていた。
「そのことをよくお分かりでしたら、今後姫君への接し方にはお気をつけください」
 リザがきっぱりと釘を刺す。
「あの姫君は、陛下がこれまでお付き合いをされてきた女性達とは違います」
「分かっているよ。まだ子供だ。だがあと数年もすれば、とても美しい女性にはなるだろうね。君のように」
 ロイは、リザに微笑んだ。その笑顔は、他の女性ならばすぐに落ちるであろうものだが、この優秀な側近には、全く効果がなかった。
「お分かりでしたら、よろしいです。」
 表情も変えずにあっさりと言い切る彼女の様子を見て、ロイは肩をすくめた。
「くれぐれも、姫君との接し方には細心の注意を払ってください。姫君がこの国を嫌がって、故国に戻るとでも言われたら、お困りになるのは陛下でしょう?」
「ああ……そうだったな…」
 ロイは、思い出した。
 エルリック王国の姫君を、皇妃にと望んだ理由を。
 それがなければ、小国の姫君など、望まなかった筈だ。
(だから……あのことは、関係ない…)
 そう、思うことにした。
 そうしなければ、辛かった……。
「ところで、その姫君ですが」
 少しだけ、昔の思い出に浸っていたロイは、続いて話しかけてきたリザの声に、ハッと我に返る。
「午前中は、自室でマスタング皇国についての歴史や、皇室のしきたりなどの勉強を受けておられるのでしたね?」
「そうだったな、確か」
 その予定を聞いた時、彼女がとても嫌そうな顔をしていたのを思い出して、ロイは笑う。
「あの勝気で行動的な姫君は、机に縛り付けられての勉強が大の苦手のようだね」
 今頃彼女は、退屈そうな顔をして、教育係の面白くもない話を聞いているのだろう。その姿が容易に想像できるだけに、ロイは思わず笑ってしまった。
「……でしたら、午後からは少し息抜きをしていただかないと」
「ああ、それは大丈夫だ」
 あっさりと、ロイは返す。
「姫君と、約束したのだよ。午前中の勉強をちゃんと受けたら、午後からの空いた時間に、乗馬をご一緒するとね」
「乗馬…ですか?」
「ああ、そうだ。エルリック王国では、小さい頃から乗馬も教わっていたらしい。『ここにも馬がいるのか?』と聞かれたよ」

 本当に、やんちゃなお姫様だ。

 そう呟いて、再び目の前の書類に取り掛かったロイの表情は、いつになく穏やかなものだということに、リザは気付いた。