Miss you… -3-

「…陛下、エルリック王国の王女様は、定刻に王宮をご出立なされたとの報告がございました」
 有能な側近の言葉に、動かしていたペンを止める。
「……そうか。ありがとう。出迎えの準備は出来ているな?」
「はい。滞りなく」
「君のことだから、抜かりはないだろう」
「…何でしょうか、陛下?」
 語尾に、笑いがついたことに、この傍らに立つ有能な側近は気付いたようだ。
「いや……どんな姫君が来るかと思うとね…」
 と、書類から目を離さずに呟き、再び執務を続ける。
「非常に興味をそそられる」
「そうですか。ならば、姫君が到着なさる前に、仕事を終えるようにしてください」
「……………」
 仕事熱心な側近の言葉にため息をつき、再び口を閉ざして仕事を続けた。

 馬車に揺られること一日。
 正確には、途中の街で一泊したので、丸2日かかって馬車はマスタング皇国の首都に入った。
「う〜〜〜〜っ!腰痛い…」
 エドワードは腰をさすりつつ呟く。
「コラッ、エド!そんな格好をしちゃダメでしょ!仮にも一国の王女様が」
「だってウィンリィ、ずっと揺られっぱなしなんだぜ。腰も痛くなるよ。それに退屈だし…」
 いくら広い造りにしてあるとは言っても、馬車の中では満足に動くことも出来ない。ただ座って、時折外の風景を見ながらウィンリィと話すくらいが関の山だった。
「でもね、もうここはマスタング皇国の首都の中なのよ。ほら、外をご覧なさいな」
 と、彼女が指差す先には。
 馬車の窓越しに、沿道にずらっと並んでいるこの国の民衆の姿が飛び込んでくる。
「な、何だよ、これ…!」
 エルリック王国を出立する時の、国民の見送りなど比にならないくらいの、数多くの人々が首都のメインストリート沿いにずらりと並んでいるのが、エドワードの目に飛び込んできたのだ。中には、エルリック王国とマスタング皇国の小さな国旗をはためかせている者もいる。
「他国の、美しいと評判の姫君が、自国の皇帝のお妃に迎えられたのよ?そのお姿を一目見ようと思うのは当然のことでしょう?」
「で、でもっ、だからってこんな…たくさん…」
「マスタング皇国のことは、一通り勉強してきたんじゃないの、エド?この国は、私達の国と比較して、国土は約十倍、人口は約五倍なの。でも、国土の七割は険しい山岳地帯だから、当然のことながら首都に人が集まってくるわけ。この首都だけでも、人口の五割はいるらしいわ」
「……そうだった。元々、余り裕福な国ではなかったんだ…」
「それを、今の皇帝が即位してから一変させちゃったのよね。山岳地帯に眠っている貴重な鉱物の発見に尽力し、それを使った産業を興し、あっという間に列強国の仲間入りを果たしたわ。それに、国民からも慕われているみたいよ」
「国を強くしたからか?」
「それもあるだろうけど…人柄もね。国民に対しては、公明正大で、君主にありがちな尊大さはないみたいよ。身分とかも余り気にしてないみたいで、能力ある者をどんどんそれに相応しい地位につけているみたいだしね」
「ふうん……」
「って、エド!今初めて聞いた風に、感心して頷かないでよっ!仮にも、あんたの夫となる相手のことでしょう?予備知識くらい入れときなさいよ!」
「誰が、誰の夫だって!?オレとその皇帝とやらが、夫婦になれるわけないだろうっ!」
「そりゃ、そうだけど…。でも、婚約解消される前に、相手に不審がられたら困るでしょう?男だってばれたら…」
 だから最低限、王女としての振る舞いはしてほしいのだとウィンリィはエドワードに告げた。
 どんなにじゃじゃ馬で手のつけられないお転婆姫であってもいい。だが、その姫君が男だという事実は、ひた隠しにしなければならないのだ。
 そのことで疑念を抱かれて…ばれてしまったら、それこそ国際問題になりかねない。
「…わかってる。親父や母さん…国には迷惑をかけないようにする」
「エド………」
「それに…少なくとも、この国の一般の人達には、関係ないもんな」
 ただ純粋に、隣国の姫君を歓迎しているだけなのだから。
「だから、せめてこの人達には、隣国の姫君の振りをしてやるさ」
 と、エドワードは呟き、馬車の窓に顔を近づける。そして、笑顔を作って沿道に立つ人々に向かって軽く手を振った。たったそれだけの仕草で、人々は歓喜の声を上げた。
「すごい人気ね、エド」
「何言ってるんだ。おまえだって、アルと結婚したら同じことしなくちゃならないんだぞ?」
「う〜〜〜〜っ、大変そう…」
「頑張れよ、未来の王妃様」
 唸ってしかめっ面をするウィンリィを見て、エドワードは笑った。

 そうして、人々に向かって手を振って挨拶をしているうちに。
「…どうやら、目的地に到着したみたいね…」
 沿道から、人々の姿が消え、馬車は兵士が等間隔に並んだ広い道を進む。
 道の周囲は、綺麗に整えられた庭園が広がっていた。
「ここが…皇帝の城?もう敷地内に入っているのか?」
「正確に言うと、城はないわよ。この国の皇帝は、城を建ててないの」
「力のある国なのにか?」
「そういった、力を誇示するためだけの、役に立たないものにはお金をかける気はないみたい。国にとって、有益なことには、いくらかけても平気みたいだけどね」
「ふうん……」
 ウィンリィの話から察するに、大国ということをかさに着る者ではないようだ。それだけでも、少し安心する。
 そうこうしているうちに、二人の乗った馬車は、広い庭を抜けて、暫くして止まった。
 それは、宮殿と言うにはこじんまりとした、屋敷だった。石造りのそれは、堅牢な雰囲気があったが、一国の皇帝が暮らすにしては小さいというイメージをエドワードは持った。
(…それでも、オレのいた王宮よりは遥かに大きいけどな…)
「…うーん、これが、この大国の皇帝の住む宮殿?何だか意外…」
 ウィンリィも、エドワードと同じ感想を口に出す。
「ごてごてに飾った、派手な宮殿じゃなくて助かったけどな」
「そうね。キンキラキンじゃ落ち着かないし」
 馬車の扉が開かれ、先にウィンリィ、続いてエドワードが馬車から降りる。
 そして、外に出た二人の前には。
 深々と頭を下げて挨拶をする、青い色の軍服姿の女性がいた。
「エルリック王国王女、エドウィナ様であらせられますね」
「…はい……」
 エドワードは、戸惑い気味に答える。彼は、身内の間では『エドワード』と呼ばれているのだが、公の場では『エドウィナ』という女性名で通していた。…流石に、王女に『エドワード』という名は不自然なので、仕方なくつけた女性名なのだが。
「ようこそ、マスタング皇国へいらっしゃいました。私は、奥向きのことを任せられております、リザ・ホークアイと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
 と言い終えると、彼女・リザはエドワードを見つめる。
 軍服姿でいるのが勿体無いくらいの美女が、にっこりと笑ってエドワード達を見る。
「あ……よろしく…」
 とりあえずは無難に挨拶をした方がいいと思い、彼女にそう告げると、リザは再度頭を下げてエドワードに近づいた。
「…あちらに、皇帝陛下がお待ちでいらっしゃいます。…ご案内いたします」
 と言って先導するリザの少し先。宮殿の入口の厚い絨毯の上には。
(あの人が…この国の…)
 年は二十九歳だと聞いてはいたが、実年齢よりも少し若く見える。
 黒髪に黒い瞳。長身の身体を、リザと同じ色の、だが若干デザインの違う軍服に包んでいる。
 切れ長の瞳に鼻筋の通った容貌は、さぞかしこの国の若い女性の話題の的になっているであろうと、エドワードも思えるくらい、整っていた。
(ちぇっ…。背も高いし顔もいい、か)
 多少ならず自分の背にコンプレックスを抱いているため、目の前にいる皇帝の長身を、少なからず羨ましいと思ってしまった。
「……陛下、エドウィナ・エルリック様でございます」
 と、リザが紹介した声で反応して、慌ててエドワードは王女としての礼をする。
「エドウィナでございます」
 名を告げ、頭を下げるエドワードに対して、すぐに皇帝から声がかからなかった。
(…見られてる?)
 視線を、感じる。
 じっ…と自分を見る、視線。それは明らかに、この目の前にいる男からのものだった。
(……何?)
 余りの間に、エドワードが堪えきれなくなりそうな時。
「…遠路はるばる、ようこそ。私が、ロイ・マスタングです」
ようやく、低く、落ち着いた声でロイが挨拶をする。
「長旅、さぞお疲れになったことでしょう。すぐに部屋へ案内させますので、今日はゆっくりお休みなさい。…それから、分からないことがあったら、このホークアイに何でも聞いてください」
「あっ、はい…」
「それでは、私はこれで。ホークアイ、後は任せたぞ」
「はい、陛下」
「えっ……あのっ…」
 ウィンリィが驚いたように声を上げるが、それを無視してロイは宮殿の中に姿を消した。
 後には、穏やかならぬざわめきと、それに包まれたエドワードが取り残される。
「…さあ、エドウィナ様、こちらへ…」
 リザは何事もなかったように告げ、エドワードを案内しようとする。その態度に対し、ウィンリィはカッとなって怒鳴った。
「…どういうことなんですか、これ?普通妃になろうという人がやってきたら、皇帝自らが案内するものでしょう?なのにこれって……」
「ウィンリィ……!」
 慌てて止めようとするが、ウィンリィは構わず続けた。
「小国の姫だから、馬鹿にしてるんですか?部下に任せればいいと」
「ウィンリィ!」
「…その質問に、私は答えられません」
 先に立つリザは、静かな声で答えた。
「答えられるのは…皇帝陛下ご自身ですから」
 と言って一礼し、再び先に立って歩き出す。
「ウィンリィ、行こう…」
 エドワードは呟き、キッと顔を上げて彼女の後を追った。
 理不尽な応対をされても、今は彼女についていくしかなかったから。
(ここは……オレの国じゃないから…)
 知っている者がいない、他国の地。
 理不尽な扱いをされるかもしれないと、覚悟はしていた。
 だから。

(…絶対に、一刻も早くこの国から出て行ってやる!)

 未来の妃と会っても、型通りの挨拶をするだけで、後は部下任せ。自分はさっさと姿を消してしまった。
 それが、夫となる予定の男から受けた仕打ちだけに、エドワードの怒りは既に爆発寸前だった。
(…そりゃ、熱烈歓迎されるとは思ってなかったけど…)
 元々、政略結婚の要素を含んだ今回の縁談だ。
 しかし、望んだのは相手であって、エドワードではない。
 なのに、初対面の反応が、ああも味気ないものになろうとは、思っても見なかった。
(けれどこれで、躊躇う必要もなくなる!)
 会う前までは、少し…ほんの少し躊躇していた。
 記憶の片隅で、何かが引っ掛かったような気がして。
 だけど、今はもうそれも感じられない。彼の、あんな態度を見せられては。
 あれは、何かの気のせいだ!
(だから…だから絶対に出て行ってやる!)
 この宮殿から。この国から。
 そして、自分の国に戻るのだ。
 そう、エドワードは改めて心に決めた。

「……陛下」
「どうした?」
「何故、あのような態度をお取りになりました?」
「………何のことだ?」
 知らぬ振りをする皇帝を、リザは少し睨んだ。
「お分かりのことでしょうに。エルリック王国の王女様に対してのあの態度。一体どうなされたのですか?あれでは、国同士の繋がりを深くするための今回の婚姻が、かえってひびを生むことになりかねません」
 リザは、皇帝らしくないとも言った。
「…元々陛下は、波風をたてないように、穏便に済ませることがお得意な筈。それなのに今日は、あちらの国の方々を怒らせるような態度をお取りになって…。あれではエドウィナ姫が余りにお気の毒ですわ」
「わかった、わかった。次からは気をつけよう。今日はたまたま虫の居所が悪かっただけだ」
 放っておけば、いつまでたっても終わらないであろう、有能な側近の小言を打ち切らせるために、皇帝―――ロイは、一応彼女に謝罪した。
「…お珍しいことですね。感情を表に出すことは滅多にありませんのに」
 それに、自分の感情を相手にぶつけるということもしなかった。どんなに嫌いな相手でも、表面上だけではそつなく応対出来る筈なのだ。
 なのに今日ばかりは、違っていた。
「陛下…陛下は、エドウィナ姫と、今日初めてお会いになられたのですよね?」
「そうだが。―――何か?」
「…いえ。ただ何となく…お二人の様子を拝見させていただいていると、初対面のような気がしなくて」
「気のせいだ。ホークアイ。私は今日、あの場で初めて、エドウィナ姫の顔を見た。それは彼女も同じだろう」
 そもそも、王族同士が顔見知りということは、滅多にないだろう。誰もが、自国より外へと出ることは殆どないのだから。あるとすれば、同盟国への外遊くらいだろうが、エルリック王国とマスタング皇国は、今回の婚姻によって初めて同盟を結んだので、そういった機会はなかった。だから、両国の王族同士が顔を合わせることなど、皆無だった筈なのだ。
「―――そうでしたね。…申し訳ありません。おかしなことを申し上げました」
「いや、いい…。それで、今日の報告は以上かね?」
「はい。明日の朝は通常通りの時刻で起床していただきまして、エドウィナ様とご朝食をご一緒に召し上がっていただきます」
「………わかった」
 暫しの間が空いて、ロイは答える。
「…それでは、私はこれで失礼致します。おやすみなさいませ」
 ロイの応えに、リザは深々と頭を下げて、退出した。
 扉が静かに閉まる音を確認し、ロイは窓際へと歩み寄る。
 この部屋は、皇帝のプライベートルーム。
 丁度宮殿の中央に位置するその部屋の窓からは、広い中庭と、賓客が宿泊する棟を全て見ることが出来た。
「姫君は、あの辺りか…」
 一箇所だけ、明かりが点っている部屋を見つめる。
 今、この宮殿への来客は彼女だけなので、すぐにわかった。
「エドウィナ・エルリック…か…」
 ハニーブロンドの鮮やかな髪に、深い金の瞳の少女だった。
 噂通りの整った顔立ちもさることながら、強い意志を湛えた瞳は、誰もが一目見たら決して忘れないであろう。
 エルリック王国の国民が、敬愛を込めて『国の宝』だというのも分かるような気がする。

 だが。

 彼女では、ない。
 彼女である筈がなかった。

 初めて対面した時、我が目を疑った。
 それ程に、似ていた。
 だが、違う。
 あの子とは、違う。
 だってあの子は………

 ロイの脳裏に、紅蓮の焔が甦る。
 何もかもを飲み込み、燃やし尽くす焔が。
 その中を、か細い悲鳴が響いた。

「………っ!」

 壁を拳で叩く。
 唇を噛み締める。
 もう、あれから何年もたっているのに。
 未だに後悔が己を責め続ける。

 あの時……気づいていれば……。

(あそこにいるのは…彼女でなかったかもしれないのに…)

 ロイは、窓越しに見える小さな明かりを見る。
 明日は再び、彼女と対面しなくてはならない。
 それを思うと、少し…いや、かなり気が重かった。

 

 自分の罪を呼び起こさせる、彼女の貌を見るのが嫌だった―――。