エドワードは、ふっと目を覚ました。
覚醒は、突然だった。
「ここは………」
ゆっくりと、上半身だけ起こすと、すぐに分かる。
ここは、自分の寝室だということに。
明かりの消されたその場所は、窓から差し込む月の光で淡く照らされていた。
「ああ…そっか…」
彼は今夜、自分が何をしようとしたかを、思い出した。
そして。
自分の、閉じ込められていた記憶も、呼び戻した。
自らの手で。
「オレ……ロイと…」
ずっと以前に、出会っていた。
自国の、母の故郷で。
ほんの少しの間だったけど。
でも、決して忘れていたくなかった、思い出。
自分の傷を治すために、その妨げとなる火傷を負ったきっかけの、全ての記憶を封印されてしまった。
本当は、そんなことをして欲しくなかったけれど…。
母の、自分を思ってしてくれたことを、否定することは出来ない…。
きっと自分もあの立場にいたら、迷うことなくそうしただろうから。
でも、失っていたその記憶も、思い出すことが出来た。
やっと。
「けど……遅すぎたかな…」
もっと早くに思い出していれば。
ロイとの記憶を持って、この国に入っていれば、こんな風に擦れ違うことなんてなかったかもしれないのに…。
最初から、ロイのことを覚えていたら…。
ロイに、素直に接することが出来ただろうに…。
あの、子供の頃みたいに。
「だけど…丁度いいか…」
クスッとエドワードは笑いを漏らす。
いくら記憶を戻していても、いつまでもこの国にはいられない。
死を約束された人間など、関係のない者には疎ましいだけの存在だ。
それが、皇妃候補なら尚更のこと。
絶対に受け入れてはくれないだろう。
それに―――
「…男の皇妃なんて、認められるわけないし」
世継ぎを…子を産めぬ者など、皇妃の資格はないに等しい。
それは普通の女性であっても該当する。
ましてや実は男であるエドワードには、絶対になれるわけがなかった。
彼自身、なるつもりもない。
ロイの重荷にしかならない皇妃になど、偽り続けてまでなるつもりは毛頭なかった。
それは、ロイのためにならないから。
ロイを傍にいて支え。
次代の皇帝を生むことのできる存在。
それが、ロイには相応しい皇妃というものだ。
エドワードは、自分がそれになれないことを十分理解していた。
だから、諦めるしかなかった。
「……仕方…ないか…」
諦めるしか、ない。
そう、自分の心の中で、区切りをつけた時。
「……何が、仕方ないと?」
嫌と言うほど、聞き覚えのある声が部屋の隅からした。
エドワードは、声のした、扉の傍へと顔を向ける。
そこには。
いつの間に来ていたのか、ロイが立っていたのだ。
「――――ロイ……」
「……気分は悪くないか?」
と言いながら、ゆっくりとエドワードのいるベッドに近づき、脇に置かれてあった椅子に腰掛けた。
「うん…大丈夫…」
(ロイの顔を見ていると…寂しくて…辛いけど…)
決して、傍にいることが叶わないことを考えると、鷲掴みにされたように心がズキズキと痛む。
だけど、そのことをロイには気づかせてはならなかった。
「ごめん…。オレ、また迷惑掛けちゃったな」
努めて明るい声にして、無理矢理に笑顔を作る。
だが、ロイは。
「……無理はしない方がいい」
そう優しくエドワードに話しかけ、手を伸ばしてそっと自分の指にエドワードの髪を絡ませたのだ。
その、慈しむような視線は。
優しい指の仕草は。
まるで恋人がするかのような錯覚を、エドワードに感じさせた。
(…そんなこと、ある筈がないのに…)
エドワードはすぐに、そう決め付けた。きっと、単なる気まぐれなのだろうと。他の女性にも同じようなことをしていて、つい癖ででやってしまったのだろうと、思い込んだ。
そうしなければ、甘い期待をしてしまうから。
まだロイが、自分のことを少しは好きでいてくれるのだと、思ってしまうから。
(そんなこと…ある筈ないのに…)
自ら男だと明かし、ロイもそれを目の当たりにしているのだ。
ずっと騙されていたと知ってもなお、好きでいてくれる可能性は皆無だろう。
(ロイがオレのこと…好きでいる筈がない…)
ロイは恐らく、目の前にいる自分が、国境の森で出会った少女だとは思っていないだろう。
あのひどい火傷では、生きていられる可能性は低いと考えただろうし、第一ロイは、あの子供を王女だと思っていたのだ。決して、実は男だということを打ち明けてはいない。
だから、今、目の前にいるエドワードと、あの時の少女が結びつくことなど、ありえないのだ。
(…だったら……)
いっそ、言わずに伏せたままの方がいいだろう。
あの時の少女は死んだのだと思わせておいた方が、ロイのためになるだろうと、エドワードは考えた。
このまま、ロイから離れれば、彼はすぐに自分のことなんか忘れて、他の女性を娶るだろう。
彼に相応しい、女性を。
昔出会った少女のことを忘れ、自分のことも記憶の片隅に追いやって。
それが、彼のためになるなら……
自分の命くらい、喜んで差し出そう。
(ああ…オレ……)
今になって、やっと分かったような気がする。
自分は、この目の前にいる男が好きだったのだ。
多分、小さい頃に初めて会った時から。
そして、記憶を失くしていた時も。
ずっと、好きだったのだ。
だから、真実を言うのを躊躇っていたのだ。
秘密を明かすのを、出来る限り後伸ばしにしようとしたのも、少しでも長く彼といたかったからなのだ。
(そんなこと…今頃になって分かるなんてな…)
今となっては、遅すぎた。
それに、こんな気持ち、ロイにとっては迷惑なだけだろう。
男である自分からの、こんな思いなど。
そう、諦め切っていたエドワードは、ロイの口から出るであろう、断罪の言葉を待っていた。それがどんなことでも、甘んじて受け入れようと、覚悟を決めていた。
だが、ロイは。
彼を責める言葉など、一切出さず。
彼に、罰を言い渡すこともなく。
ただ、ゆっくりとエドワードの美しい金糸に指で触れながら。
優しい口調で、囁いた。
「……君は…記憶を戻したばかりだろう?まだ混乱しているだろうから、ゆっくりと休むといい」
ロイの言葉を聞いたエドワードは、驚きの眼差しをロイに向ける。
深い金色の瞳を、零れんばかりに大きく見開いて、ロイの顔を見つめていた。
「ロイ……どうして…そのこと…」
「うん?」
「オレの記憶が戻ったこと……どうして…知って…」
記憶を取り戻したことを、まだ誰にも言ってない筈なのに、何故ロイが知っているのか?
そんな疑問が、エドワードの表情に浮かんでいたのだろう。
ロイは、ほんの少し苦笑を浮かべて、彼の疑問を解消してやることにした。
「―――君のお母さんに聞いたからね」
「母さん………?」
今度は、どうしてその言葉がここで出てくるのだろうかという疑問が浮かんできたようだ。
「この宮殿を訪ねてきてくれたのだよ、君のお母さんが」
「………母さんがっ!」
エドワードは叫んだ。
「どうして、母さんがっ?大体一国の王妃がそう易々と他国に来るなんて…」
「それを難なくやってしまったわけだ。君のお母さんは。ウィンリィ殿からの手紙で、君のことが心配になって来てくれたらしい。余りに突然のことだったので、こちらもびっくりしたよ」
「………ごめん。母さん、時々だけど突拍子もないことをやっちゃうから…」
普段の楚々とした姿だけしか知らなければ、その余りのギャップに頭を悩ませる者もいるだろう。
「…君が謝ることはないよ。心配して来てくれたのだろうから。―――優しいお母さんだな」
「うん………」
エドワードは、母親を褒められて、嬉しそうに笑う。こういう時の何気ない仕草が、王妃とよく似ていた。
(やはり…親子だな)
ロイがふと、そんな感想を思っていると。
「あのさ、ロイ…」
改まって、エドワードが呼ぶ。
「オレの記憶が戻ってることを知ってるのなら…当然オレの秘密も知っているんだよな?」
「―――ああ」
ロイはしっかり頷く。
その答えを、エドワードも予想していたようだ。
「そっか……」
ロイの返答を聞いたエドワードは、安堵したように大きく息を吐き、ロイの顔を見つめたままで再度口を開いた。
「知っているのなら…話は早いや。…オレは男で…しかも呪いつきだと言われている。…こんなオレがいつまでもここにいたら、ロイには迷惑なだけだろうから…オレをこの国から追放して欲しい」
エドワードは真剣な眼差しでロイを見たまま、はっきりと言い切った。
「エドワード…」
「さっきまでは…オレの命なんて、ロイにあげてもいいかななんて考えてた。それが、オレの罪に対する罰なのだと思っていたからさ。でも…そんなことをしたら、ロイの皇帝としての生き方に、瑕がついてしまう」
どんなに正当性があったとしても、一国の王族を死に追いやってしまった事実は、ロイに何らかの陰をもたらしてしまうだろう。
それだけは、避けたかった。
自分がロイの枷になるのだけは、何としても。
「だから…オレをエルリック王国に戻して欲しい。オレは皇妃としての器じゃないとか、適当な理由をつけて…」
そうすれば、ロイの評判は落ちずに済む。
自分の評判が落ちてしまっても、エドワードは一向に構わない。それで求婚しようとする者はいなくなってしまうだろうが、元々自分は誰とも結婚できないので都合がよかった。
「……勿論、オレの持つ全ての知識は提供して出て行くよ。それに、今殺さなくても、近い将来、死ぬだろうし…」
寂しそうに自嘲気味に笑いながら、エドワードはぽつりと漏らした。
自分は、恐らく成人するまでは生きられないだろう。
例えロイの傍に入れたとしても、ほんの僅かな時間だけでしかないのだ。
そんな…先のない自分に、ロイを付き合せたくはないと思っていた。
――――だから、ロイから離れようとしたのだ。
だが。
「―――君は、諦めるというのかね?」
重い声が、エドワードのすぐ傍で響く。
「……ロイ?」
その声に反応して、ロイの顔を見ると。
彼は、明らかに怒っていた。
「エルリック王国に戻って、いつ死ぬか分からない恐怖に怯えながら、短い生涯を閉じようとしているのか?それが最善の方法だと思っているのか?」
「ロイ……」
「生きることを諦め、死ぬことばかりを考えていくというのか?」
「それ以外に、何が出来る!」
ロイの責めるよう言葉に、エドワードは叫んだ。
「オレだって…ほんとは生きたい!皆と同じように生きていきたい。アルとウィンリィの結婚式も見たいし、母さんと一緒に医術や錬金術の研究をもっとしたい!クソ親父とはもっと喧嘩したいし……それに……」
エドワードの声は、そこで途切れた。
彼の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「―――それに……ロイとも……」
(ロイとも…ずっと一緒にいたい!)
涙が溢れて、声に出せなかった。
(生きたい……!)
その、強い想いを。
だが、ロイには分かっていた。
エドワードが、最も望むことが何か、を。
言葉に出さずとも、分かっていた。
だから、椅子から立ち上がり。
ベッドの端に腰掛けて。
泣いているエドワードを、そっと抱き寄せて、囁いた。
「……ならば、望みを捨てるな」
「ロイ…?」
「君の国で、呪いを解く鍵が見つからないのなら、ここで探してみるといい。我が国にも、古くからの文献は数多く残っている。手がかりがひょっとしたら、あるかもしれない」
「でも…!オレ、ここにはいられない…」
「誰が、そんなことを決めたのかね?」
「ロ…イ…?」
「私は、君を故国に戻すつもりなど毛頭ないよ。大事な、皇妃となる人だからね…」
「ロイ……!」
エドワードは声を裏返して叫ぶ。
「おまえ…オレの話を聞いてなかったのか?」
「聞いていたとも。君の声は心地よいからね」
「だったら!オレがここにいられないことくらい、分かるだろう!」
「いや、わからないね。君を手放すことは、国家として手痛い損失だ。聡明で美しい皇妃を失うことになるのだから」
「何言ってる!オレは男、なんだぞ!」
「それが?」
「おまえの跡継ぎなんて、どうあがいても産めないんだぞ!そっちの方がひどい損失だと思わないのか?」
「思わない」
ロイは、真面目な顔をしてきっぱりと断言した。
「私にとっては、君を失うことの方が余程つらいことなんだよ。それに、世継ぎなんてどうとでもなる。養子を迎えるなりして…ね。君の弟君が将来結婚して、子供が産まれたら、その子を跡継ぎにしてもいい。―――二国の王を一人の人間が務めたという先例も、数多くあることだし」
「ロイ……」
「そんなことで、思い悩まないでくれ。第一、私だってそんな大層な血筋じゃないんだ。確かに母は全皇帝の妹だったが、父親は誰だか分からない」
「…………」
「母も死ぬまで、父親が誰かは明かさなかった。それでも、私を産むことができて幸せだったと言っていたよ」
「ロイ……」
「そんな、素性を知らぬ男を父に持つ私を、親族達は疎んじていた。マスタングの名を汚す者だとね」
「そんなことない!」
咄嗟に、エドワードは叫んでいた。
「ロイは……立派な皇帝になったじゃないか!マスタング皇国をここまで大きくしたのも、ロイの実力だ!」
「そうなれたのは、君のお陰だよ」
「え………?」
エドワードは、きょとんとする。
「君とあの森で出会ってから、私は皇帝になることを決意した。君に相応しい皇帝になって、君を迎えるためにね…」
「ロイ……」
「だから…君がこの国の…私の皇妃になることは、その時から決まっていたことなんだよ」
「―――」
「だから、この国に…私の傍にいて欲しい。これからもずっと……。出来れば一生」
「ロイ……!」
エドワードは、ロイに抱きついた。
その小さな手をロイの背に回して、しがみついてくる。
ロイも、胸の中にすっぽりと納まる小さな身体を、強く抱き締めた。
「……いいのかよ、オレで?」
ロイの胸に顔を埋めたまま、呟く。
「君でないとダメなんだ、私は」
「―――後悔なんて、するなよ」
「するわけないだろう?」
「…その言葉、忘れるな」
「忘れないよ。エドワードも、忘れないように」
「死ぬまで、覚えていてやる」
「ああ。だから、生きていく方法を探そう。一緒に…」
「―――うん…」
エドワードは涙で濡れた顔を上げる。
その自分を真っ直ぐ見つめてくる、潤んだ黄金の瞳から逸らさずに、ゆっくりとロイは顔を近づけて。
薄紅色をした唇に、そっと口唇を重ねた。
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(注)次は、少しだけですが大人向けな表現が入ります。苦手な方は、すっ飛ばしてくださいね〜。