Miss you… -23-

「――――エド!」


 ロイがエドワードを抱えて森を抜け、村の外れに足を踏み入れた時、一人の小柄な老女がすぐに飛び出してきた。
 そのタイミングの良さの理由を、ロイは知っていた。
 きっと森の中で、自分達の様子を遠くからそっと見守っていたからだろう。
 だがそんんな彼等にも、今回のアクシデントは防げなかったのだ。
「身体に…ひどい火傷を…!」
「ああ、そんなことは見たら分かるさ!とにかく、急いで戻って治療しなきゃね…!おい、あんた達!」
 威勢の良い喋り方をするその老女は、彼女の後を追ってきたらしい、男達を呼ぶ。
「この子をすぐに、うちへ運んどくれ!」
「私が……!」
 ロイがそのままエドワードを運んでいこうとしたのだが。
「あんたはダメだ」
 彼女は、きっぱりと拒絶する。
「この村は、よそ者を受け入れないことにしているからね」
「だが……!」
「この国の中の人間でもダメなんだ。ましてや他国の皇族なんて入れたりしたら、村自体の暮らしが成り立たなくなる。あんたには悪いが、ここから先には入らないでおくれ」
「…………」
 ロイは、黙るしかなかった。
 自分の倍以上生きているような老女の重い言葉に、対抗する言葉を出せなかったからだ。
「―――大丈夫だ。あたし達に任せな。あの子はきっと助けるから」
 それは、慰めではなく確信を込めた言葉。
 彼女には、そう出来る自信があるように、ロイには見えた。
「だからあんたは、あんたのいるべき場所に戻りな」
「―――わかりました。よろしくお願いします…」
 ロイは決心し、エドワードを老女に託した。
「任せておきな。この子は絶対に助けるからさ」
「……私はもう、ここには来れないかもしれませんので…国に戻ったら、部下をここへ派遣します。その者に、エドワードの容態を教えてやってくれませんか?」
 宮殿にもどったら、おいそれとこんな国境には来れないことくらい分かっていた。
 だがロイは、何としてもエドワードの様子を知りたかった。
「ああ、いいよ。教えてやるから、誰かここへ来させるがいい。ただし、この辺りで待っておいておくれ。ここより中には決して入らないこと。それが条件だ」
「承知した」
 きっぱりと答える。
 その返答に満足した老女は、ニッとロイの顔を見て笑った。
「あたしの名前はピナコだ。ここへ来させる部下には、あたしの名を言うようにしといておくれ。そうしたら、すぐにこの子の様子を知らせるから」
「分かった、ピナコ殿」
 頷き、次にロイは、深々ピナコに頭を下げていた。
「エドワードを助けてあげてください…!」
 自分のせいで、苦しんでいる小さな少女の命を救って欲しい。
 本当は、自分も関わっていたかったが、それが叶わぬのなら、ただ縋るしか術はなかった。
「ああ、きっと助けるさ」
 ピナコは断言し、エドワードを抱えた男達と一緒に村の中へと早足で戻って行った。


「―――どうか…無事で…」
 ロイは彼等の姿が見えなくなるまで、その場に立って見つめ続けていた。
 祈り続けていた。
 少女が再び、笑いかけてくれるように…と。




「だが……彼女は死んでしまった…と」
 過去の記憶を手繰り寄せて、ロイの声は沈みがちになる。
「誰が…そのようなことを?」
「私の部下です。その部下が派遣した者が、あの村の外れで見たのだそうです」
「何を?」
「葬儀の列を」
「お葬式……?」
「はい。小さな棺桶を中心に歩く、村人達を目撃したそうです。それでも彼は、村人の一人を捕まえて誰の葬儀かと尋ねたところ、
『とても大切な方を亡くした』
 と答えたそうで…」
 その者から報告を受けたロイは、エドワードが亡くなったと思った。
 火傷を負ってすぐに執り行われた葬儀。
 小さな棺桶。
 そして、村人達にとって『大切な人』
 それは、彼女以外にありえないだろうと思ったからだ。
 その報告は、ロイをひどく打ちのめした。
 自分のせいで、小さな可愛い少女を死に追いやってしまったという罪の意識が、時を選ばず彼を苛んだ。
 しかしそれでも、立ち止まることは出来なかった。
 ロイは、約束したから。『皇帝になる』
と。
 あの、利発な王女と約束をしたから。
 その思いだけで、ロイは伯父である皇帝が病没すると、すぐさま皇位を狙おうとする親族達の野望を挫き、自らが皇帝の座に就いたのだ。皇帝になると、国民に対しては善政を布いて、国力を増していった。
 それが、隣国の王女との約束だったから。
 良い皇帝になると、約束したから。
 そして、エルリック王国の王女を、皇妃として迎えたいと申し入れた。
 エドワードの姉妹である王女。
 彼女には、エドワードの面影があるだろうか…と願いながら、美しい姫君だと評判のエドウィナ姫に結婚を申し込んだのだ。
 そして、彼女が余りにエドワードとそっくりなことに驚き……喜び……苦しんだ。
 余りにも似すぎていて、ロイに過去の罪を呼び起こさせるから。
 エドワードと顔がそっくりなだけの別人なのに、といくら思っても、彼女に惹かれるのを止めることが出来ず……そのことでも悩んだ。
 悩み、彼女に当たってしまうこともあった。
 彼女には、何の責任もないのに。
 そんな自己嫌悪に囚われつつも…エドウィナのことを少しずつ好きになっていく気持ちを、否定することは出来なかった。
 彼女を幸せにすることで…幼くして死なせてしまったエドワードに少しでも報いることが出来れば…と考えたこともあった。
 でもそれは結局、言い訳でしか過ぎないことも分かっていた。
 自分が……エドウィナ姫に惹かれていることへの。

(あんなにも…惹かれる訳が分かった…)
 好きになる筈だ。
 彼女は、エドワードの姉妹ではない。
 エドワード自身、だったのだから。




「あなたの部下の方は、どうやら勘違いしたみたいですわね…」
 ロイの話を黙って聞いていたトリシャは、深い溜息をつく。
「勘違い…?」
「あの時、確かにエドワードは重傷でしたけど、一命はとりとめたのです。暫くは寝たきりの状態でしたけどね」
「…あなたも、あの村にいたのですか?」
「ええ。エドワードと二人で、里帰りしていましたの。あなたのお姿も、遠目ですが拝見しましたわ」
「では何故…生きていたのに葬儀を?」
「あの葬儀は、違う人のものだったの」
「違う人……?」
「ええ。あの頃ずっと臥せっていた、村一番の長老だったお婆ちゃんが亡くなられたの。その方の葬儀ね、きっと」
「だが、『大切な人』と村人が……!」
「ええ、とても大切な人でしたわ。錬金術にも長けていて、村の生き字引のような方でしたもの」
「――――」
 ロイはトリシャの説明に、言葉もなかった。
 何もかも、自分の勘違いだったのだということに気づいて。
「で、でも王妃様!」
 二人の話を黙って聞いていたウィンリィが間に割って入る。
「エドは、その時のことを全く覚えてないみたいなんですけど…」
 ロイとも初対面のようだったことを思い出す。あの様子を見る限りでは、エドワード本人は、十歳の頃のロイとの出会いを全然記憶に残していないのだ。いくら幼いといえども、全く覚えていないということはないだろうに…。
「ああ、それはね…」
 そんな、ウィンリィの素朴な疑問に、トリシャは少し寂しそうに微笑んで答えた。
「火傷を治すための代価として、その時の記憶を封印したからなの」
「記憶を…封印?」
 聞き慣れない言葉を、ロイは繰り返す。
「ええ。あの時のエドワードの火傷はひどくて…。何とか助かったものの、私達の医療技術でも痕を全部綺麗に消すことは出来なかったの。それで仕方なく、エドワードのその時の記憶を、封印させてもらったのよ。……あなたから貰った剣にね」
「あの剣に……?」
「そう。あの剣に、エドワードの事件の時の記憶が戻ってこないよう封印を施して、私が保管していたのよ。火傷を負ったという記憶自体を失くしたお陰で、その痕を消すこともある程度は成功したわ。…それでもほんの少し、火傷の痕は残ってしまったけれどね。」
「ですが何故、その剣を渡したのですか?この国へ来る前に?」
 辛い記憶を封印した剣を、された本人に託すというのは危険ではないのだろうかと、ロイは考えた。
「エドワードを望んだのが…あなただったからでしょうね」
「私が……?」
「そう。記憶を封印しても、相手のことを覚えていなくても、こうやって繋がる何かがあるのかしら…と思ったの。あなたにしても、エドワードとは思わずに、あの子を望みましたものね…。結局、心と心の奥では、ずっと繋がっていたのかもしれないと考えて、エドワードに封印した剣を託したのです」
 トリシャは、ロイを優しく見つめて続けた。
「辛いことだからと言って、大切な記憶を封印したままでいいものか…と思って、エドワードに渡しました。あの剣は、あなたが使いたいと思う時に使いなさいと言って」
 使いたい時。
 それは、無意識のうちにではあるが、記憶を取り戻したいと思う時なのだとトリシャは説明した。
「そして……あの子は使ったわ」
 自らの命を絶とうとして、剣を抜いた。
 ロイの誤解を解きたくて。
 自分がこんなにも、彼のことを大切に想っていることを知って欲しくて。
 命を賭けようとした。
「…それではあの時に…エドワードは…」
「全てを思い出したでしょうね…。思い出した記憶が一気に流れ込んできたために、少しばかりショックを受けて気を失っただけ。暫くすれば、落ち着くと思うわ…」
「そうですか……」
 ロイはホッとする。
 とりあえず、エドワードの命と精神に別状はないことがわかって。


 しかし彼には。
 まだ他にも、目の前のエドワードの母親に教えてもらわなければならないことがあったのだ。 
 それは――――

「エドウィナ姫が、あの時私が会ったエドワードだということは、よく分かりました。だが私には、あなたにもう一つだけ聞きたいことがあります」
「……それは、エドワードが王子だということかしら?」
 トリシャも察していたのだろう。
 ロイが核心に触れる前に、彼女の方から突いてきたのだ。
「――――そうです…」
 エドワードは男だ。
 そのことを、自ら告白した。
 では何故、本来王子である彼が、王女と偽って生きなければならなかったのだろうか……。
 ロイは、そうなってしまった経緯を知りたかった。
「王妃様……」
 ウィンリィが、縋るようにトリシャの顔を見て呼ぶ。
 彼女のその様子から、王女として生きる理由を知っているのだとロイには分かった。
「―――あなたは…」
 暫しの間が空いて、トリシャは再び口を開く。
「あなたは、私達の一族のことをご存知?」
「…エルリック家のことですか?余り詳しくは…」
「そうでしょうね…。」
 他国の王族のことなど、余程興味がなければ調べることもないだろう。
 トリシャは納得し、薄い、一枚の紙を持っていた小さなバッグから取り出して、ロイの前に広げた。
「これは…系図ですか?」
 手書きのそれを眺める。
「ええ…。エルリック家の中興の祖から後の系図です。…細かなところは省略しましたけれど、国王となった者は全て挙げていますわ。エルリック家四百年の流れです」
「これが…何か…?」
 何の変哲もない、王家の系図を見せられ、ロイは戸惑う。
「―――それを見て、お分かりになりません?」
「何を………」
 彼女にそう言われて、改めて系図に視線を向ける。
 そして、注意深く系図を上から下へと見ていくにつれて……
「これは…どういうことですか?」
 ある一点に、気がついた。
 おかしい。
 これは、明らかに。
「何故、長男は国王の地位に就いていないのですか?」
 その系図を見れば、明らかだった。
 歴代の国王には、皆次男かその後の兄弟がなっていて、決して長男は就いていないのだ。
 ただの一人も。
「…こんなことは…ありえない」
 そう、ありえない。
 大体、長子相続を主とする王族が多い中で、長男が一人も国王になっていないなど、異常とも言えた。
「ええ、普通ならばありえないですわ。でも、これが我が国の国王一族の歴史なのです。…長男は、誰もが王位に就くことなく、悉く早死にしているのですよ」
「早世…しているのですか、皆が?」
「そうです。事故や病気…いろいろ原因はあるのですけれど、皆、成人する前に……」
 トリシャはそっと顔を伏せる。
「私の夫…現国王も、次男ですわ。長男である兄は…やはり病で十八歳の時に亡くなりました…」
「どうして…長男だけ……」
 一族全体が病弱で、そもそも短命であるのなら分かる。しかし話を聞くと、長男以外はどうやら健康で、長命な者もいるらしいのだ。
 その点を考えただけでも、エルリック家の、長男だけ短命だという事実は、明らかに自然の摂理に反していた。
「―――私達も、いろいろ考えて…調べました。それこそ何代にも渡って。でも、未だにその原因が分からないのです…」
「分からないのですか…?」
「ええ。長男が早死にするようになったのは、中興の祖と言われる国王がいた、約四百年前からです。その後の王家の歴史を分かる限り紐解いてみたのですけれど…原因は…とうとう見つかりませんでした」
「………そうですか…」
「そして…いつの頃からか、長男が生まれたときは、王女として披露するようになったのです。そして…子供の頃は、本当に王女としての格好をさせて、そうすることで、呪いから逃れればよいと…」
「呪い……」
 彼女の言うように、それは確かに呪いとしか言いようがない。
 長男だけにかかる、強力な呪いとしか。
「……でしたら、エドワードも…」
 ロイにも、エドワードを王女として育てた理由が分かった。
「…あの子も…長男ですから…」
 トリシャは小さな声で呟く。
 生かすために、王女と公表し、育てた。
 呪いがなければ、親としてはそんなことは絶対にしたくなかった筈なのに。
「…あの子にも、いずれ呪いが降りかかってくるかもしれない…。一度目は何とか助けられたけど、二度目はないかもしれない…。そう思うと、あの子がとても元気なだけに…不憫で…」
「エドワードは……その呪いのことを…?」
「教えました。王女の振りをしているのを、疑問に思った時に、何もかも」
「そう、ですか…」
 近いうちに、自分に訪れるかもしれない、死。
 それを常に考えながら生きるというのは、どんなにか辛いことだろう。
 心の弱い者ならば、毎日怯え続け、心を壊してしまうだろう。
 なのに、あの黄金を身に纏った子供は。
 他国であるここにいても、彼の持つ鮮やかさを消すことは決してなかった。
 それ程に強い、命の輝きを持つ彼も、近いうちに死んでしまうというのか。
 呪いに抗うことが出来ずに。
 そんなことは、信じたくなかった。
 彼に……ずっと前から惹かれ続けている、ロイには、信じられなかった。
「―――ですから、マスタング殿」
 トリシャの呼ぶ声にで、我に返って再び彼女の顔を見る。
「こんな呪いつきで…しかも男であるエドワードを、皇妃に迎えるのは難しいことかと思います。その事実を伏せたまま、あの子をこの国へ来させたことが罪と言うのなら、喜んで私が責任を取りましょう」
「…王妃様っ?」
 ウィンリィが叫ぶ。
「…大丈夫よ、ウィンリィちゃん。私の命を取っても、この国には何の得もないわ。―――私の持つ全ての、医術と錬金術の知識。それを全てあなたに提供します。ですから…どうか、エドワードをエルリック王国に返していただけないでしょうか?このままでは…あなたが責任を問われることに…」
 呪われている王女を皇妃に迎えたという事実は、恐らく伏せられるだろう。だが、いつ漏れるかわからない。
 それに、エドワードは男だ。世継ぎを成すことを義務付けられている皇帝には、最も相応しくない相手だ。そのことを考えて、トリシャはロイに、エドワードの帰国を頼んだのだ。



「―――やはり、あなた方は親子ですね…」
 少しの間黙っていたロイは、トリシャに向かって言った。
 微笑を浮かべて。
「マスタング殿…?」
「自分のことより、他の大切な人のことを優先する。そんな優しさは、あなた譲りなのですね」
「…………ありがとうございます」
 大事な息子のことをそんな風に褒められて、嬉しくない母親はいないだろう。トリシャも、綺麗な顔に輝かんばかりの笑顔を作っていた。
「あなたの条件は、一応承りましょう」
 ロイは、トリシャとウィンリィに笑顔のままで話を続けた。
「―――では…」
「ですがその前に」
 ロイが王妃からの交換条件を飲んでくれたのだと思い、二人ともホッとしていると、ロイは更に話しを続ける。
「…一つ、条件を私の方からも出したいのです」
「あなたの…ですか?」
 ロイからの条件。
 それが何であるかと不安を隠せずにいる二人の女性に、ロイは安心させるように笑顔を作って、口を開いた。


「……簡単なことです……」