そして翌日も、エドワードは怪我をしている『犬』に、食べ物を持ってきてくれたのだ。
「はい!今日はあったかいスープもあるぜ!」
虚の中でごそごそと瓶詰めにしたスープを取り出して、空のカップに入れてからロイに渡す。
「それと、サンドイッチも作ってもらった!」
バスケットを開き、綺麗に並べられた、とても美味しそうなそれらを見て、ロイは少々戸惑いを隠せずにいた。
「エドワード、君はここに来る時に、家の人に何と言って出てきているのだ?」
「え?ちょっと犬の様子を見に行ってくるって。それだけ」
今更何を聞くんだ、と不思議そうな顔をして、エドワードは答えた。
(…こんな所は、まだ子供か)
ロイは内心苦笑する。
恐らく、村の…いや、エドワードの家の人間は知っているのだろう。
エドワードが毎日、この森へ来ている理由を。
勿論、それは傷ついた犬の面倒を見ているのではなくて、成人した他国の男の傷を治そうとしているのだということを。
(…昨日からずっと、気配を感じるからな)
エドワードがいる時だけ感じる、そっと窺うような視線。
だがそれには敵意など全く感じられず、ただ見ているだけなので、ロイも気づかない振りをしていた。
(……この子が心配で…見守っているんだろうな)
自分の隣で楽しそうに、食事を皿に並べている少女をそっと見る。
(……この子は一体…)
最初、村の子供かと思っていたのだが、それはどうやら違うのではないかとロイは考えるようになっていた。
言葉遣いは女の子らしくなく、粗暴できついが、利発そうな面をよく見せる。その上錬金術や医術の知識も相当詳しそうだ。
それに、何といっても、その身につけているものが、違っていた。
毎回違うドレスを身に纏っているが、どれも上等のシルクで織られたもので、とても小さな村の子供が着られるようなものではないと分かったのだ。
(我が国ならば…貴族や皇族が好んで着ているか…)
国は違えど、大体似たようなものだろう。生活水準など。
(……ということは、この子は…)
この国では、上に立つ者達の子供だということになるだろう。
そんな子がどうして、こんな国境の片田舎にいるのかは分からないが。
しかし、もしロイの推測が当たるのなら、この状況は非常にまずい。
ロイの命を狙っている奴らに、この少女が見つかってしまい、素性が割れでもしたら……。
(格好の人質になるとでも、考えるだろうな)
マスタング皇国とエルリック王国は、現在特に仲が悪いわけではない。かといって、親交を深めているということもなかった。
互いが互いを侵さず。
両国の間には、そんな不可侵が慣例となって存在していた。
しかしそれはあくまで国家間のことであって、特に国民の行き来を制限していないので、民間レベルではいろいろと交流をしているのだが。
しかしそうかといって、この少女が危険でないというわけではない。
どの国も、エルリック王国の医療技術の素晴らしさを知っていて、それを手に入れようと虎視眈々と狙っているのだ。
もし、得られるきっかけさえ掴めば、すぐさま攻め入るだろう。
そしてロイの隣にいる少女は、そんな奴らにとっては格好の餌になる可能性があるのだ。
(…だから一刻も早く、この子を離さないと…!)
だが、そうする前に確かめておきたかった。
「エドワード…」
ロイは、少女には余り似つかわしくない名前を呼ぶ。
「うん?何?」
美味しそうにサンドイッチを頬張っていたエドワードは、ロイに呼ばれて彼の顔を見た。
「…どうして君の名前は、『エドワード』なんだい?」
名前を聞いてから、ずっと不思議に思っていたことだ。
こんな、どこから見ても愛らしい少女につける名前ではない。
「―――おかしいか?『エドワード』っていう名前」
「おかしいわけではないが…」
「オレは、自分の名前が好きだ。母さんや…クソ親父がつけてくれた大切な名前だから」
「そうか……。君には、兄弟がいるのかい?」
「弟が一人。アルって言うんだ。ここには来てないけど」
(両親……弟が一人…)
エドワードの話を頭の中で繋ぎ合わせていき、ロイには薄々分かりかけてきた。
目の前の少女の素性が。
「エドワード……」
「何?」
「君は、エルリック家の者か?」
「………!」
ロイのその発言に、エドワードの目が大きく見開かれる。
それが、答えだった。
隣国であるエルリック王国を治めている、エルリック家。
国王はまだ壮年で、名君と言われて国民の尊敬を集めている。そしてその妃は才色兼備を体現したような女性で、彼女もまた優秀な錬金術師でもあり、医師でもあるいうことだ。
そして、二人の間には数人の子供がいて、末の子が念願の王子で、次の国王となるべき教育を受けているという話を聞いたことがあった。
(…彼女は、その王子の姉、ということか…)
「…どうして…そのことを…?」
子供心にも、己が王女であることがばれてしまって動揺しているようだ。エドワードの声は、ほんの少し震えていた。
「私は…ロイ・マスタング」
ロイは、自分の名を明かした。
そうでなければ、この小さな姫君にフェアでないと考え。
「……マスタング…?隣の国の皇帝の一族なのかよ、あんた!」
「……ああ、そうだ」
ロイは、エドワードの先程の言葉で確信した。
隣国の皇族をすぐに思い出せるというのは、彼女もまたそれに類する者だからだと。
やはりこの少女は、王家の姫君なのだ。
「どうして…隣国の皇族がこんな辺境に来てるんだよ?」
「それは、私も聞きたいね。王女様がどうしてこんな所にいるのか」
「オレは…母さんについてきただけ。母さんの故郷は、ここだというのはウソじゃない」
「王妃が……こんな田舎の?」
「田舎で悪かったなあ!でも、こんな田舎に王家の別邸もあるんだぜ。そこを訪れていたクソ親父が、母さんに一目惚れして結婚したってわけ」
「成程……」
「さあ、オレは答えたぜ。今度はロイの番だ!」
エドワードはロイの顔を見据えたまま、口を開く。
「どうして、マスタング皇国の皇族が、国境の森で怪我なんかしてるんだ?」
「―――この辺に来たのは、地方都市の視察のためだ。怪我をしたのは、私という存在を疎ましく思っている奴等が、私を殺そうとしたためだな」
「……皇位継承権を巡ってのいざこざか」
「ああ。君の国では起きないことだろうね」
エルリック家の一族や、その配下となる貴族の間柄は、極めて良いと聞いたことがあった。それは、温暖なこの国の気候に所以するのでは…と言われることもしばしばなほど、この国の人間には、争いごとという言葉が似合わない。
尤もそうなったのも、代々の国王がすっと善政をしてきたからだろうが。
(私の国とは大違いだな…)
そっと胸の中で呟く。
皇位を得るために、代々誰かの血が流れてきた。
そんな血みどろの皇位を欲した何者かが、今度はロイの血を流そうとしたのだ。
「もう…こんなことは止めなければ…」
「ロイ…?」
「犠牲を強いた上で皇位を得ることなど、誰かが止めなければならない。そうしないと、国はやがて滅んでしまう…」
永遠のものなんてない。
国にしても、いつかはなくなってしまう日が来るかもしれない。
だが、存在している今は。
今はまだ、存在している以上、国を導いていかなければならない。
良い方向へと。
そのために、自分がいるのだと、ロイは考えていた。
だから、盾になってくれた皇帝の陰で、信頼できる人間を近くに呼び寄せ、その時にために人知れず努力をしてきたのだ。
「誰かが…国を導いていかなければ…良い方向に…」
「ロイなら、それが出来ると思うぜ」
明るい、澄んだ声が断言する。
「エドワード…」
隣で黙って聞いていた少女はにっこりと笑った。
「ロイはきっと、いい皇帝になれる」
だって、とエドワードは少し顔を赤らめて、視線を外して呟いた。
「だって…あのクソ親父と同じこと、言ってるんだもんな…」
「現国王と…?」
「そ。あいつの口癖。
『国を良い方向へ導いていけば、自ずと国民もついてきてくれる。私はその舵取りをするだけだ』
って。親父のこと、全てを尊敬しているわけじゃないけど、国に対する姿勢だけは認めてる」
「そうか……」
ロイは、エドワードの話を聞いて微笑んだ。
心の中では、自分の父親のことを尊敬しているのだ。
この少女は。
口が悪いのは、照れ隠しのだめだろう。
「名君であると評判の高い、エルリック国王と同じようになれるとは、最高の褒め言葉だね。そうなるように、頑張らないといけないな、私は」
「そうだよ!だからいつまでもこんな所にいちゃいけない。怪我を治して国に戻らないと」
「そうだな…」
呟き、ロイは己の右腕をちらっと見る。
エドワードの塗ってくれた薬のお陰で、傷はあらかた治っていた。
濡れていた手袋も乾いているので、この分だと再び襲撃を受けても応戦できるだろう。
それに、ロイが行方不明になってしまったという報が皇帝の許にも届けられ、今頃ヒューズ達も動いてくれている筈だ。
もう、ここを出てもいい頃合だと、彼自身も思っていたのだが。
一方で。
そうしたくないと考えている自分がいることに、ロイは気づいた。
このままもう少し…ここにいてもいいと思っているのだ。
(この少女の傍に……)
ロイは、傍らの少女を優しい眼差しで見つめる。
この、言葉遣いは悪いが、利発で愛くるしい少女に惹かれている自分に気づき、驚く。
(こんな…十以上も年の離れた少女にか…?)
だが、そんな幼い少女が、ロイと対等に話をするのだ。
こんな女性に、腹心の部下であるリザ以外には、初めて会ったのだ。
(…出来ればずっと傍に置いていたいな…)
傍にいてくれて。
様々な話をして。
笑いかけてくれて。
『ロイ』と、心地の良い鈴のような声で呼んでくれて。
そんなことになれば、どんなにか―――
今はまだ幼い姫君だが、もう数年もすれば美しい少女に成長することだろう。
その時に、正式に申し入れをすればいい。
マスタング皇国の皇妃として、迎え入れたいと。
血筋から言っても、文句の付け所はないだろう。
そのためにはまず、何をするべきか。
ロイは、決意を固めつつあった。
「―――エドワード」
改めて、少女の名を呼び、自分の方へと向かせる。
そして、彼女の黄金色の瞳を見つめて、宣言した。
「私は近い将来、皇帝になる」
誰にも付け入る隙を与えない、皇帝になってみせる。
だから。
「…だから、私が皇帝になった時には、マスタング皇国に来てくれるか?」
「…ロイの国に?」
「ああ、私の国に」
出来れば……皇妃として。
その言葉は、伏せておくことにした。
今はまだ早い。
もう少し、少女が大人になってからでも、遅くはない。
「うん、行くよ!必ず行く!」
エドワードの顔に、ぱあっと笑みが広がった。
「マスタング皇国って行ったことがないから、楽しみ!ロイが、案内してくれるんだよな?」
「ああ。案内しよう」
「約束だぜ!」
「約束する。…これが、約束の証だ」
そう言って手渡したのは、細身の短剣だった。
「これ……ロイの手袋と同じ錬成陣が彫ってある」
鞘に彫られた錬成陣にそっと触れながら、呟いた。
「……母の形見だ」
「…そんな大事な物、いいのか?」
「君に持っていてもらいたい」
この剣が、自分達を繋ぐ絆でいて欲しいと思っていたから。
エドワードが形見の剣を持っている限り、ロイは必ずその少女を見つけ出すことが出来るという確信を持っていたから。
「…分かった。これは、オレが預かっておく。今度会える時までな」
そう楽しげに言うエドワードの姿を見て、ロイは決心した。
(もう、ここから離れよう)
と。
いつまでもここにいては、いつ彼女を危険に晒すか分からないからだ。
とりあえず、自国に戻ることを、隣の少女に告げようとした時。
(……これは…!)
気配を、感じた。
![]()