「えっ…縁談だって…!」
叫んだエドワードは、肩で息をしながらも、父王・ホーエンハイムを睨みつける。
「オレは、男、なんだぞ?それを承知の上での縁談話なのかよっ?」
「そんなわけ、ある筈がないだろう、兄さん!」
暫し固まっていたアルフォンスが、我に返って言う。
「そうですよ。あなたは、世間的には『姫君』で通っているのですから」
「……母さん…」
相変わらず全く動じることもなく、ニコニコと笑いながら答えるトリシャを見て、エドワードはがっくりと肩を落とした。
「『エルリック王国の宝石』。
『国の宝』。
―――そう謳われている姫君を、ぜひ我が妃にという申し出があったのでな」
王妃と同様、とても嬉しそうに笑いながらホーエンハイムが答える。
「はいはい、そうかよ。オレが本当に『姫君』なら、喜ばしいことだろうな」
殆ど投げ槍で呟く。
「…で、そのオレなんかを妃に迎えたいという奇特な奴は、どこのどいつだよ?」
「ああ、それはだな。隣国の現皇帝だよ」
「隣国っていうと…南の国はよぼよぼジジイだから問題外だし…。西の国は女王でれっきとした夫がいるし…となると後は……」
「そう!、東の隣国の皇帝だよ、エドワード!」
「あの国は…マスタング皇国は確か、最近代替わりしたんだよね?先代の甥に当たる人が、親族同士の皇位継承争いを勝ち抜いてさ。確か年は今年二十九歳で…名前は……」
「ロイ・マスタング、だろ?」
「知ってたんだ、兄さん…」
「それくらいは、オレだって知ってるさ。アルみたく、勉強してなくてもな」
と、言いながら苦笑を浮かべる。
「女官達の噂話のネタになるくらい、いい男なんだろ、確か?そして、君主としてもかなり有能だとか」
「そうだよ、エドワード。彼が皇帝の位についてまだ間もないのに、それまで勢力的には弱かったかの国を、あっという間に近隣最大の国に伸し上げたのだからね」
「顔だけじゃないってわけか…」
「兄さん……」
「そんな奴なら、女なんてよりどりみどりだろうに。どうして、十以上も年の離れた小国の姫を妃に迎えたいなんて言ったんだろう?」
エドワードの疑問は、その場にいる者達全員の疑問でもあっただろう。
「あちらには、何のメリットもない縁談なのに…」
マスタング皇国に比べてここ、エルリック王国は弱小国の域に入る。そんな国と婚姻をきっかけに同盟を結んでも、何ら益になることはない。それよりも、手っ取り早く攻め込んでしまえばいい筈だ。彼の国が本気を出せば、この国などあっという間に滅ぼされてしまうだろうに。
「だがエドワード。あちらが、今回の縁談を申し出てきたのだよ」
と、ホーエンハイムはマスタング皇国の紋章入りの親書を、エドワードに見せる。
「あちらは、この親書に現皇帝の肖像画を添えて、正式に結婚の申し出をしてきたのだ」
それは、エルリック王国を対等な相手と見なしているという、はっきりとした証拠だ。
「こちらが、その肖像画だ。…どうだ、なかなかいい男性だろう?」
と、国王が示した先には。
侍従が手に持っている、小振りの肖像画があった。
「ふうん………」
その絵を見て、エドワードは小さく声を漏らす。
「……どうかね、エドワード?先方はおまえの年を考えて、取り敢えずは婚約だけでも整えておいて、正式な結婚はもう少し後でもとまで仰ってくれているのだが…」
「なら、それまではここにいてもいいと?」
「いや、あちらの皇室のしきたりなどを学んでもらう必要があるから、お妃教育という名目で暫くマスタング皇国に出向くことになろうかと…」
「…そんなの、危険すぎるよ!」
アルフォンスが、すぐさま異論を唱える。
「…だって、マスタング皇国に行ったら、ボク達は助けることが出来ないんだよ!そんな状況でもし、兄さんが男だってばれてしまったら…!」
「そうなる前に、帰ってくればいいんだろ?」
少しの間考え込んでいた風のエドワードが、口を開く。
「兄さんっ?」
「行儀見習いに行って、とんでもないじゃじゃ馬ぶりを嫌というほど見せ付けたら、結婚する気なんて失せるだろうからな。思いっきり暴れて戻ってくるさ」
と言って、口元に笑みを浮かべる。
「でも………!」
「あちらは、姫君に不自由がないよう、お付の侍女達も好きなだけ連れてきていいとまで言ってくれたのだ。これで断ると、それこそ外交問題にまで発展しかねん」
「あ……」
アルフォンスは、ようやく気づいた。エドワードがそのことにまで考え及んで、今回の話を受けることを決心したのだと。
「でも…それじゃ……」
エドワードは、人身御供になってしまう。
国のための。
そんな思いが、表情に表れていたのだろう。
元気付けるように、エドワードが明るい笑顔をアルフォンスに向けた。
「大丈夫だって、アル!ちょっと行って、すぐに帰ってくるから」
「兄さん……」
「大丈夫だから」
にっこり笑うエドワードを、アルフォンスはなおも心配そうな眼差しで見つめていた。
エドワードが、お妃教育を名目にして、マスタング皇国へと赴く日。
その日は、雲一つない快晴だった。
「……これが普通なら、門出を祝福してくれているんだとも言えるんだけど」
「エド……」
「大丈夫だよ、ウィンリィ。オレは自暴自棄にはなってないからさ」
エドワードの独り言を耳にし、心配そうな顔で見つめている幼馴染のウィンリィに、そっと微笑みかけた。
そんな彼の今の服装はといえば。
フリルをあしらったハイネックの、ベージュピンクのスレンダーなドレスだ。リーフ柄のビーズ刺繍を施したリバーレースが艶やかで、エドワードによく似合っている。
「さっさとこんなお役目から解放されて、ここに戻ってくるさ。…それより、おまえの方こそいいのかよ?」
「何がよ?」
エドワードとは対照的な、濃いシックなグリーンのドレスに身を包んだウィンリィに、尋ねる。
「おまえも、オレと一緒についてくるってことだよ」
「いいに決まってるじゃないの!あんたのことを家族以外に一番よく知っているのは、私とばっちゃんくらいなものでしょう?ばっちゃんはここでの仕事があるから、離れるわけにはいかないし。そうなると、私がついて行って、あんたの身の回りの世話をするしかないでしょうが」
「そりゃ、そうだけどさ…」
確かにウィンリィの言うとおりだ。
他国へ、家族と離れて一人で向かわなければならないのだ。出来れば付き従う者も、気心の知れた、信頼の置ける者を連れて行きたいと心の中では思っていた。だが、他国へ人質同然で行く身とあっては、それについて来いとも言い辛かった。どのような扱いを受けるかは、行ってみなければわからないからだ。
それ故に、伴の者は必要最小限に止めようと考えていたエドワードに、幼馴染で乳兄弟のウィンリィがついて行くと言い出してくれたのだ。
エドワードの秘密を知る、数少ない人間のうちの一人がついて行ってくれるというのは、非常に心強い。
だが。
「でも、ウィンリィ。あいつは…アルはいいのかよ?」
「また、そのこと?」
ウィンリィはため息をつく。
「前にも言ったじゃない。今回の同行は、アルも賛成してくれたって」
「でもさ…仮にも未来の王妃をお付の侍女にするっていうのも…」
エドワードが、幼馴染からの申し出を渋っている理由は、そこだった。
まだ内々のことだが、将来弟のアルフォンスが王位継承者として披露される時には、同時にウィンリィを妃とする旨を国内外に知らしめることになっているのだ。
ただ、それはまだ少し先の話になるだろうが、ウィンリィは既に、少しずつではあるがお妃教育を受けている筈だ。
「今はまだ、ただの幼馴染で一侍女よ。付いていくのには問題ないわ」
「でも、将来の妃だと知れたら…」
「今の私を見て、そんなことを考える人間がいると思う?」
エドワードはその問いに暫し考え、首を横に振った。
(確かに…今のこいつを見てると、お妃様ってガラじゃないよなあ…)
普通の、元気で明るい少女。そんなイメージの彼女が、後々一国の王妃となるとは、誰も思わないだろう。
多分、アルフォンスと結婚しても、エドワード達の母親のようなおしとやかな妃には、絶対にならないだろう。けれど、聡明な彼女が良い王妃になるであろうことは、容易に想像できた。
「…もう、エドったら。出発する今になってそんなことを言い出さないでよ。私は、自分の意思であんたについて行くって決めたんだから!それに、あんただって、私が行くのが心強いでしょ?」
「…うん、そうだな。すごく頼りにしてる」
それが、エドワードの本音だ。たった一人で他国へ行くよりは、気心の知れた彼女が付いてくれる方が随分心強い。
「そうよ!頼りにしてくれていいわよ」
と、胸を張るウィンリィを見て、エドワードは笑った。
「そう!その笑顔でマスタング皇国の国民や皇帝ってやらを悩殺しちゃいなさい。あんたの笑顔を見たら、誰も危害を加えようなんて思わないわよ!」
「…悩殺って……」
「あら、この国の人は皆、あんたの笑顔が大好きなのよ」
そう、ケロッとした顔でウィンリィが言った時。
侍女の一人が二人の傍に来て、間もなく出発の時刻だと告げる。
「いよいよか………」
「そうね…。どんな国なんだろ、マスタング皇国って。大きくて立派な国なんだろうなあ…」
「どんなに立派でも、オレにとってはこの国が一番だ」
生まれ育った、国。
国王の優しい気質がそのまま表れているような、自然豊かな素朴な国。
その中で自分は、ずっと暮らしていくのだと思っていたのだが。
「…さあ、行こうか。ウィンリィ」
「うん…!」
少し表情を引き締め、ドレスの裾を翻して、部屋から出て行くエドワードの後を追った。
その日、王宮から続く沿道には、他国へと向かう王女の姿を一目見ようと、大勢の国民が並んで見送った。
そんな彼等に対し、マスタング皇国から贈られた、豪奢な馬車の中から、王女は笑顔を見せることで応えていた。