「―――どうして、目覚めない…?」
柔らかな陽の光が、寝台で眠るエドワードの顔を照らしている。
しかしその光にも反応を示さずに、彼は目を閉じたままだった。
その姿だけ見れば、ただ単に熟睡しているだけにも見えるのだが…。
「…もう、三日もたつのに」
あの、目の前で起こった、信じられない光景。
エドワードが、自分の罪を自らの命でもって償おうと、隠し持っていた短剣で己を刺そうとした時。
鞘から抜いた剣が突然輝きだし、その光がエドワードの中へと吸い込まれていくという不可思議な事が起こった後。
悲鳴を上げて気を失ってしまったエドワードは、未だ意識を戻さなかった。
「私には…分かりません…」
今日も、エドワードを診ていたウィンリィが、辛そうに呟く。
「身体的には、どこにも異常は見つかりません。あるとしたら精神的なものかもしれませんが…私は専門外なので…」
身体の怪我や病については、これまでもずっと学び、診てきた。
だが、心の病や傷についての勉強は、してなかった。
「目に見える傷には対処できますが…そうでないものは…」
意識を失ったままのエドワードを見つめて、唇を噛み締める。
彼女自身、手をこまねいて見守っているしかないという状況が歯がゆくて…悔しかった。
これでは、何のためにエドワードについてきたのか意味がない、と己を責めもした。
そんな彼女の姿を見たロイは、
「――――すまない、君が悪いのではないのに…」
と、謝罪する。
「彼がこうなってしまったのは…紛れもなく私のせいだ…」
自分が彼を脅し、追い詰めるようなことをしなければ、こんな事にはならなかった。
もっと、彼の話をよく聞いてあげれば……。
幾度も、悔いた。
しかし、既に遅かった。
エドワードの意識は、一向に戻る様子もなく、無為に三日間が経過していった。
国内の、他の医者にも診せてみようとも考えたが、エドワードの秘密が外に漏れることを恐れて、それも出来ずにいた。
(だが…このまま何もせずにいては…)
今は、点滴で栄養を補っているが、いつまでも続けるわけにはいかない。
眠ったままでは徐々に体力が衰え、いずれは死んでしまうだろう。
とにかく、一刻も早く意識を取り戻さなければならないのだが、どうすればそれが出来るのかは、ロイには分からなかった。
ただ、なす術もなく、エドワードが目の前で少しずつ弱っていくのを見るしかないのか…。
そう、自分の無力さに憤っていた。
(何が…大国の皇帝だ…!)
どんなに強い権力を持っていても、これ程に無力た。
大事な人が、衰えていくのを見ているだけしか出来ないなんて……。
大事な人。
やっと分かった。
どうして、初めて会った時から、引っかかるものがあったのか。
どうして、彼のことが気になっていたのか。
とてもよく、似ているからだけではない。
それだけの理由ではなかったのだ。
(目を…覚ましてほしい)
その金色の瞳を開いて欲しい。
その瞳で、自分を見つめて欲しい。
笑いかけて欲しい。
そして、話して欲しい。
(私が知らない…ことを…)
眠るエドワードの顔を見つめて、心の中で囁く。
ロイが知らない事実。
これまでの真実を教えて欲しかった。
その真実を知って……
(…私は…どうするべきなのだろうか…)
エドワードに関する過去を知った後は、どうしたら良いのだろうか…。
ふと、そんな思いが過ぎったが、ロイはそこで考えるのを止めた。
まずは、エドワードを目覚めさせるのが先だ。
その後のことは…目覚めてから考えても遅くはない。
(しかし…一体どうやったら……)
と、いつまでたっても堂々巡りになってしまう思考に気づき、一層己の無力さを歯がゆく感じていた時。
入口の扉が静かに開き、一礼してリザが入ってくる。
「―――陛下。陛下にお客様です」
「今日は会えぬ。まだ後日にしてもらえ」
ロイは素っ気無く言い放つ。
「…どうせ、また貴族の誰かだろう?」
エドワードが意識を失ってから、ロイは重要且つ緊急を要する公務しか執り行っていない。それを不審に思う重臣や貴族達が、何人も宮殿を訪れているのだが、その誰ともロイは会おうとしなかった。
「ヒューズに代理を任せてあるから、そちらに案内しろ」
「…ですが…このお客様は…」
いつもならすぐに応じて引き下がるのだが、今回は違った。
「―――誰だ、一体?」
「…はい。何でも、その者が申すには、エルリック王国の王妃の名代として来た…と」
「エルリック王国の王妃のだと?」
(どうして、今……?)
そう疑問に思ったのと、ロイの傍にいたウィンリィの口から、小さな驚きの声が漏れたのは、ほぼ同時だった。
「あ………!」
「何かご存知か?」
「あの……いえ……」
始めは言いよどんでいたものの、隠しきれないと思ったのか、彼女は大きく息を吐いて口を開いた。
「実は…私が手紙を出したんです。王妃様に」
「君が?」
「はい。王妃様に聞けば、エドを目覚めさせる手段が分かるかもしれない…と思って。差し出がましいとは思ったのですが…王妃様も、優秀な医師であり錬金術師ですから…何かご存知かもと…」
「そうか…」
彼女にしてみれば、藁にも縋る思いで、手紙を書いたのだろう。
確かに、医療技術に関しては、マスタング皇国よりもエルリック王国の方が格段に優れている。そのトップに位置する知識と技術を持ち合わせている王妃なら、エドワードを目覚めさせる方法を知っているかもしれないと、ウィンリィが頼る気持ちも頷けた。
「―――ということは、その代理の者は、王妃から何かを託されてきたということだな?」
「はい。陛下宛の書簡を持ってこられた、と」
「それでは、ここへ通せ。急ぎ、だ」
「はい…!」
リザは一礼し、すぐさま踵を返して部屋から出て行った。
「…その書簡に、何か救える手だてでもあればよいが…」
「王妃様のことですから、きっと何かご存知の筈です」
ウィンリィがきっぱりと言い切るのを聞いて、ロイは少しばかり驚く。
「それは、かなりの確信があるようだね?」
「はい。だって王妃様は、私の目標ですから」
「目標?」
「ええ。医師として、そして錬金術師として、エルリック王国内では国王陛下と同じくらいの腕と知識をお持ちの方ですもの。同じ道を目指す者として、本当に理想だと思えるお方です」
「そうなのか……」
誇らしげに言い切るウィンリィを見て、ロイはほんの少し安心できた。
こんなにも、理想だとはっきり言い切れる人物からの書簡に、手段が全く書かれていない筈がない。きっと王妃からのそれには、自分の子供を助けるための。何らかの方法が書かれてある筈だ。
そう、ロイは確信した。
そうして、リザが連れて来るであろう代理の者がこの部屋に着くのを、今か今かと待っていた。
すると程なくして。
「使者の方を、お連れしました」
リザのよく通る声が、扉越しに聞こえる。
「入れ」
「…失礼致します」
リザが扉を開き、軽く頭を下げる。続いて扉を開けた状態で一歩身を引き、後ろについていた人に、中へ入るよう促した。
その人物は、ゆっくりと室内へ入ってきた。
上品な、ワインカラーのドレスに身を包んだ、落ち着いた雰囲気を持つ女性だった。
年の頃は、三十代前半といったところか。
ロイの目から見ても、かなり美しい女性だ。
若い頃はさぞかし、その美貌でもてはやされたことだろう。
しかし、その美貌ゆえの冷たさを感じないのは、彼女の場合は、美しさに愛らしさも加わっているからだろう。
現に今も、にこにこと人懐こそうな微笑を浮かべている。
(―――しかしこの顔……どこかで…)
見たような覚えがあるのは、気のせいだろうか?
と、初めて対面する王妃からの使者を見て、ロイが思った時だ。
「…………っ!」
隣にいたウィンリィが、息を飲んで驚いたのは。
その視線は、真っ直ぐ王妃の使者に注がれていた。
「―――どうした…」
「――――王妃様!」
ロイが問う前に、ウィンリィは叫んだ。
「どうして……ここに?」
震える声で呟き、信じられないものを見ているかのように、驚愕で大きな瞳を一層丸くしている。
「な…んだと?」
彼女の言葉を聞いて、ロイとリザもまた、ウィンリィの視線が注がれている方向を見ると、
そこには。
相変わらずニコニコと微笑んでいる、美しい女性が立っていて、彼等に向かって挨拶をした。
「はい。エドワードがお世話になっております。私が、母のトリシャです」
まるで、ご近所の人間に話しかけるような気安さで挨拶をしたエルリック王国の王妃・トリシャは、頭を下げてからにっこりと笑った。
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