ウィンリィの悲鳴を聞いて、走り出していた。
見舞いに行こうとしていた姫君に、何かあったのだ。
ロイは全速力で走り、警備兵の待機する建物に飛び込む。
そこには、配置されているであろう兵士の姿はなく、ロイは扉の脇で立ちすくんでいるウィンリィに顔を向けた。
「―――どうしたのだ?警備兵はいないのか?」
「あ……!」
突然姿を見せた皇帝に、ウィンリィは驚きを隠せずにいた。
「……姫君に何があった?」
しかしロイには、そんな彼女の様子を思いやる余裕もなく、状況説明を求める。
「あ……その……」
どう答えたらよいか分からない、と戸惑っているウィンリィの様子を、後から来たハボックも見て、彼女に助け舟を出そうとした時だ。
「―――姫君なら、もう大丈夫です」
事務室の扉から、リザが姿を見せたのは。
「…リザさん」
「エドウィナ姫に、何かあったのか?」
「―――先刻の、陛下が賊を燃やした所を、偶然姫様が目撃されていて…。少し、パニックを起こされたみたいですわ」
「―――――!」
「…昔、何か嫌な思い出でもあったみたいです。炎か…火事で…」
「……それで、姫君の容態は?」
「今は落ち着いていらっしゃいます。少し眠るよう、薬を飲んでいただきましたから…」
「そうか……」
落ち着いた、と聞いて、ロイは安堵の表情を浮かべた。
「ですが、今はお会いにならない方がよろしいかと…」
「その方がいいな。見舞いは改めることにしよう。…ホークアイには、引き続き姫君の警護を頼む」
「はい…!」
きびきびとした動作でリザは敬礼し、それを見て安心したように頷いたロイは、建物から出て行った。
出る時に、未だ扉の横で震えているウィンリィに、
「すまなかった、乱暴にして」
と、一言詫びて。
その後をハボックも追い、室内はようやく静けさが戻った。
「――――ウィンリィさん、大丈夫?」
「…リザさん」
「ごめんなさいね。陛下が怖かったでしょう?」
「はい…少し…」
「どうやら姫君絡みだと、見境がなくなってしまうようね。私としては、喜ばしい傾向だけど…」
ロイにもやっと、執着するものが出来たのだ。
それは、部下にとってはうれしいことだった。
けれども。
「……でも…リザさん。エドは…エドは…」
まだ少し身体を震わせて、ウィンリィはリザの顔を見上げる。
その瞳には、涙が少し浮かんでいた。
「ええ、そうね…。辛いわね…」
王女の秘密を知った今は。
ロイの変化は、辛いことでもあった。
その事実を彼が知った時のことを考えると。
「…せっかく、良い方向へと行こうとしているのに…ね」
リザは、肩を震わせて泣いているウィンリィを優しく宥めながら、ぽつりと寂しそうに呟いた。
ただ単に、偶然だった。
「――――あ…」
エドワードはふと目が覚めて、喉が渇いていることに気づいた。
まだ背中の傷がひどく痛むので、ゆっくりと起き上がり、周囲を見回す。
手術の後で、疲れて眠ってしまったようだ。室内には、ウィンリィ達の姿はなかった。
(…侵入者達は、どうなったのかな?)
その質問に答えてくれる人は、室内にはいない。探そうにも、傷が引きつって痛むので、諦めるしかなさそうだ。仕方ないのでゆっくりと立ち上がり、ベッドの脇の小さなテーブル上にある、水差しに手を伸ばした。
コップに水を移し、一口飲む。
それで人心地ついたエドワードは、ふと小窓から外を見る。
月の光が照らす庭園が、エドワードの目に入る。
そしてその場には。
「………どうして?」
驚きで目を見開いた。
「…帰った筈じゃ……」
急用のために、宮殿に戻った筈のロイが、庭園にいたのだ。
その傍にはハボック筆頭とする警護の者達も点在し、そして彼等の立つ中央には、後ろ手に縛られて地面に座らされている三人の男達がいた。
「あれは―――」
光に照らされる彼等の顔に、エドワードは見覚えがあった。
(確か俺が拘束した…)
離宮内で錬金術によって拘束した賊達だ。
「生きていたんだ…」
放たれた火によって、離宮内は燃えているのかと思いきや、意外と消火が早かったようだ。捕縛したものの、その後は襲撃されて負傷し、身動きできなくした彼等がどうなったかまでは見届けられなかった。もし火の勢いが強くて助けが間に合わなかったら…と気がかりではあったのだが、どうやらリザ達によって早くに助け出されたらしい。
「……取調べでもしているのかな?」
月の光で照らし出されているロイは、賊達に何か話しているようだった。
しかし一方の侵入者達は、そっぽを向いたまま答えようとしない。
「…一筋縄ではいかないみたいだな」
こうなったら、時間をかけて調べるしかないだろう。
と、同じ事を考えたのか、ロイはハボックに何か指示を出した。それに対して頷いたハボックが、部下に命じ賊達を立ち上がらせようとした時だ。
彼等のうちの一人が拘束された姿のまま、湖に向かって走り出したのは。
「あ………!」
突然の逃亡に、エドワードも息を飲む。思わず身を乗り出して、窓越しに走る賊の姿を追った。
ハボック達も慌てて、彼を追いかけようとしたのだが。
「――――え?」
エドワードの視線が、止まった。
ハボック達の追跡を制止した、ロイに。
「な…に……?」
冴え冴えとした月の光を受けて、すっと右手を差し出す。
その手は、白い手袋に包まれていて、走っていく賊に向けられていた。
次の瞬間。
手袋に包まれた指先から、火花のようなものが発せられ――――それは先を走る賊を包む紅蓮の焔となって、襲い掛かったのだ。
断末魔のような叫びが、夜の庭に響き渡る。
「――――あ……」
エドワードは、目を見開いた。
(あれは……)
襲い掛かる焔。
とても綺麗な…焔。
見惚れてしまうくらい、鮮やかな赤い焔。
だが、その美しい焔は。
目の前で、牙を剥くように、自分を飲み込もうとしたのだ。
焔と…熱に……焼かれる…!
そんなことが……あった…
悲鳴が、あがる。
容赦なく襲ってくる焔に、その身が包まれた瞬間。
エドワードは叫んだ。
「 」
誰かを。
誰かの名を。
思い出せないけれど、これだけは分かる。
大事な……大事な人の名を。
焼かれる瞬間も、呼んだのだ。
そして、エドワードの耳にも入ってきた。
「……エド…!」
悲痛な、叫び声。
自分を呼ぶ声を、確かに聞いた。
叫び、差し伸べようとする手。
その手を掴もうと、必死で自分も腕を伸ばしたけれど……
意識は、闇へと沈んでいった。
触れることも、叶わないままで。
「――――イヤだ……っ!」
隣室からの悲鳴に、ウィンリィは椅子から飛び上がった。
「エド……っ!」
急いでエドワードが休んでいる部屋に飛び込むと、そこには。
「エド!」
何かから必死で守るように、両腕で自分の身体を抱き締めて、蹲っているエドワードの姿があった。
「エド…エド!どうしたのっ?」
ウィンリィが駆け寄るが、エドワードは彼女の存在などないかのように、叫び続けた。
「…熱い……熱いよ…っ!身体が――――!」
「エド…!」
ガタガタと震えて、床で苦しむエドワードの姿を見ていられなくて……どうしてこうなったのか、訳が分からなくて、思わずウィンリィは部屋から飛び出した。そして、外にいる人間に助けを求める。
彼女の声に、真っ先に反応したのは、この建物のすぐ傍で待機していたリザだった。
「……どうしたのっ?」
「エドが…エドがっ!」
ウィンリィの声を聞き、すぐさま部屋に飛び込むと、そこには。
自分の身体を抱き締めて、床で呻き声を漏らしているエドワードの姿があった。
「姫君…!」
駆け寄るが、エドワードはリザの存在に気づいていないようだった。
「熱い……熱いよ……!身体が…燃える…」
そう呟きながら、床に蹲る。その、自分の身をかばうかのように、な身体を丸める姿を見て、リザは急ぎエドワードの傍に跪き、優しく囁いた。
「大丈夫です、姫君。何も起きていません」
「でも…でも…身体が熱くて…火に焼かれて…」
「火などありません。落ち着いて……息は出来ますか?」
「熱くて…苦しい…。出来ない…」
「…ゆっくり…呼吸してください。熱くはありませんから…そう…ゆっくり吐いて…吸って…」
リザの声に従って、エドワードは何とか呼吸を始めた。
それを見計らって、そっとサイドテーブルに置いてある、気付け薬の瓶を取り、丸薬のようなものを取り出した。
「さあ…姫君。息が出来るようになったら、これをお飲みください」
「……うん…」
リザの指示に素直に従い、エドワードは手に乗せられた薬を口に入れ、水と一緒に飲み込んだ。
「そう…。よく出来ました。これでもう、大丈夫ですよ」
「ほん…とう…?」
優しい声で言うと、エドワードは少し安心したようだ。
「はい。もう熱くないですね?」
「う…ん…。熱くは…なくなった…けど…」
「けど…?」
「火傷の痕……ひどくないかな…?」
呟き、自分の身体をじっと見る。
「大丈夫、火傷の痕なんて、殆どないですよ」
リザは、この質問に関しては、正直に答えた。
確かに、彼の身体には、殆ど火傷の痕なんてない。あるとすれば、右腕に少しだけ。それも、衣服を脱がないと分からない上腕にしか、それらしきものは見られないので、エドワード自身が気にするような、ひどい痕ではないのだ。
それを彼は、とてもひどい痕のように言うのが、リザには不思議に感じられたのだが……。
「そう…よかった……。だってあったら…悲しむから…」
彼女の否定の言葉を聞いて、エドワードはようやくホッとしたようだ。微笑んで、ぼんやりとした眼差しで彼女を見上げながら、呟く。
「どなたがですか?」
「……母さんも…アルも…親父も……。それに……あの人も…」
「あの人……?」
「そう、あの人……。あの人のせいじゃないけど…」
エドワードの声が、少しずつ小さくなってくる。
見れば、眠たそうな顔になっていた。
先程飲ませた薬が、効き始めたのだ。
「あの人は……悪くないけど…気にするんじゃないかな……」
「……その方の、お名前は?」
つい、リザは尋ねてしまった。
家族以外の『悲しむ人』とやらに、少しばかり興味を抱いてしまったので。
だがエドワードは。
ゆるゆると首を横に振って。
「……覚えてない。名前も……顔も……。でも…とても大好きな人……」
そのことだけは、覚えている。
エドワードは、その時のことを思い出してか、ぼんやりとした表情で微笑みながら、そっと瞼を閉じて眠りに落ちた。
姫君がようやく眠ったことで、リザはようやく肩から力を抜くことが出来た。何とか、錯乱状態は脱したようだ。続いて、眠っている小さな身体をそっとベッドに寝かせる。
「―――姫君…」
額に掛かった金糸の髪を指で直して、リザは呼ぶ。
「あなには一体…何が隠されているのですか?」
少年なのに、姫君として育てられ。
炎に焼かれることにうなされ、苦しみ。
そんな諸々の秘密を抱えて、生きなければならない。
それは、まだ子供の域を脱していない、この小さな身体には、重すぎる枷のようにもリザには思えた。
「――――何が…あなたをそうさせているのですか?」
薬のせいで、深い眠りについているエドワードに、尋ねるが、答えはなかった。
「目が覚めたら……本当のお名前を教えていただけるでしょうか、姫君…?」
リザは、眠っているエドワードに話しかける。
『エドウィナ』は、姫君としての名前。
恐らく、彼自身の本当の名がある筈だ。
それを知りたいと、リザは思っていた。
その名で…呼びたいと思っていた。
そうして、再度眠っているエドワードの顔を見て微笑んだ時に、部屋の外が騒がしくなっていることに気づいた。
「―――陛下ね」
殆どウィンリィを脅迫するような言い方をして、エドウィナ姫の様子を聞いている。普段は女性に対し、あんなきつい言い方など絶対にしないのだが…。
(姫君のことしか、目に入っていないということね…)
リザは溜息をついて、立ち上がる。それからロイの声のする方へと歩き出した。
とりあえず今は、姫君の束の間の眠りを妨げないためにも。
「―――姫君なら、もう大丈夫です」
事務室の扉から、姿を見せて、目の前でウィンリィに詰め寄っているロイに向かって、きっぱりと言った。
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