「……ここは?」
「私達の待機する所よ。ここは、燃やされてないから…」
二人がリザに連れてこられたのは、離宮の脇にある建物だった。その建物と離宮は、外観では繋がっているようであったが、内部の使用目的は全く違うものだった。
リザは勝手知ったるといった風にその棟の玄関から入り、ホールの一番奥にあるドアを開けた。
そこは事務室のような造りになっていて、机や椅子、そして背後の壁には書棚が置かれていた。
「…こちらへ!」
リザはウィンリィをその部屋に続く別の間へと招く。
そこは仮眠室のようで、ベッドが置かれている小部屋だった。
「姫様をここへ……」
傷に障らないよう、そっとエドワードをうつ伏せにしてベッドに寝かせる。
それからベッドサイドにランプを置き、ガウンをはだけて傷の具合を見た。
「……どうかしら、ウィンリィさん?」
「―――出血の割には、深くないみたいです。ガウンが多少は、深手になるのを防いでくれたみたい。これだと、傷口を縫い合わせるだけで済みそうですね」
暫し黙って診ていたウィンリィは、安堵したように呟く。
「そう…よかったわ…」
彼女の診察結果を聞いて、リザもようやく肩から力が抜けたようだ。
「取り敢えずは消毒して…それから縫合します」
と言った途端に、ウィンリィは気づいた。
「あ…私の鞄…。あれがないと…」
簡単な医療器具を常に携行するための鞄を、自室に置き忘れてきてしまったのだ。
「ああ、それなら…」
リザは頷き、一旦隣の事務室に出て行って、すぐに戻ってきた。
手には、黒い皮製の鞄を携えて。
「もしものために、ここにも簡単な医療器具は常に置いてあるのよ。これが役に立てばいいのだけれど…」
そう言って手渡された鞄の中身を、ウィンリィはざっとチェックして答えた。
「―――大丈夫です。これだけあれば」
「良かったわ」
「あ……じ、じゃあ、ホークアイさん。後は私がしますから…外で待っていてください」
縫合するための器具を並べ始めても、そこから去ろうとしないリザに、退出を促す。
だが、リザは。
「私のことは、リザと呼んでちょうだい。ホークアイだと堅苦しいから。……それから、私も姫君の手当てを手伝うわ。余り役に立たないかもしれないけど」
と、微笑んで申し出てくれたのだ。
「いっ、いえっ!私一人でも大丈夫です!」
「いいえ。ここには生憎麻酔薬がないから、きっと傷口を縫う時は痛くて動いてしまうわよ。それを押えるくらいのことは、私にも出来るから、手伝わせてちょうだい」
しかし、ウィンリィは、その親切な申し出を聞いて、内心慌てていたのだ。
(じ、冗談じゃない!このままだとまずいわよ…!)
エドワードの背中の傷を縫合するためには、ガウンだけでなく切れた夜着も脱がせなくてはならないからだ。
そうなると、ごまかしようがない。
エドワードが実は男だということが、知られてしまう。
そのことを避けるために、何とかリザをこの場から出そうとしたのだが、優しい彼女はウィンリィを手伝うと言って、一歩も引かなかった。
「ほっ、ほんとに私だけで出来ますから…!リザさんは警備に戻って下さっても…」
「それは、ハボックに任せてあるから大丈夫。―――それより、早く手当てをしないと。いつまでもこのまま放っておくのはよくないわ…!」
「えっ……でも…リザさんっ!」
ウィンリィの声が、最後は悲鳴のようになってしまった。
なかなか手当てしようとしないウィンリィをに業を煮やしたのか、突然エドワードの夜に手をかけると、裂けている布地を引き下ろしたのだ。
当然のことながら、彼女達の目の前には、エドワードの何も身につけてない上半身が露になり……剣で斬られた傷口もランプの明かりの前にはっきりと見えた。
そして、もう一つ。
「――――これは……」
リザの目が丸く見開かれ、抑揚のない声が唇から漏れ出でる。
その様子は、彼女のことをよく知る者ならば、滅多に見ることができないくらいの、驚きの表情だったのだ。
「……これは…どういう…?」
「―――――」
ウィンリィは、答えることが出来ずに、ギュッと拳を握り締めた。
(…ばれちゃった……!)
とうとう、知られてしまった。
エルリック王国の王女・エドウィナ姫が、実は男だということを。
最も知られてはならない、マスタング皇国の、皇帝に近しい人に知られてしまったのだ。
(…どうしよう…アル!)
ウィンリィは、心の中で大好きなアルフォンスに助けを求める。そして、何とかこの事態を打開しようとするのだが、一向に切り抜けられる策は浮かばなかった。
(このままだと……)
王女と偽っていたことが皇帝に知られるのも時間の問題だ。
そうなったら、自分達はどうなるのだろう…。
良くて国外追放、最悪だと皇帝を…マスタング皇国全体を騙していたということで、処刑されてもおかしくない。その上、怒ったこの国が、エルリック王国を攻撃するかもしれないのだ。
(ごめん……ごめん…アル!ごめん…エド!)
自分を庇って傷つき、秘密を知られてしまったのだ。
いっそ自分が斬られていれば、こんなことは起こらなかったのに…。
ウィンリィが後悔に苛まされて、その場に立ち尽くしていると。
「―――とにかく、事情は後で詳しく聞くことにするわ。今は、治療が先よ!」
リザのきびきびとした声で、ハッと我に返る。
そうだった。
とにかく今は、エドワードの治療をしないと。
命に別状はないという傷でも、放っておくわけにはいかない。
ウィンリィはキュッと唇を噛み締めて、リザを正面から見つめた。
「分かりました、リザさん」
リザにそう答えて、消毒の準備をする。
「……今は気を失っていますけど、これから縫合の痛みで目を覚ますかもしれません。その時は、身体を押えてもらっていいですか?」
「ええ、わかったわ」
リザは頷き、ウィンリィの隣に待機する。
「―――始めます…!」
(出来るだけ早く済ませるから…頑張ってね、エド!)
そう心の中で励ましながら、ウィンリィは消毒を始めた。
「―――――ッ!」
背中を襲う、激痛に、エドワードの全身は小刻みに震えていた。
その細い身体が動かないよう、リザが懸命に押えている。
「動かないでね、エド!」
「わか…ってる…けど…っ!」
背中から全身に伝わる痛みで、呻き声を漏らす。
痛みを堪えるために噛み締めた唇は、少し切れていて赤くなっていた。
手術を始めて間もなく、エドワードは痛みで意識を取り戻した。
その後は、麻酔なしの、激痛を伴う手術に黙って耐えているのだが、それでも時折、余りの痛みで身じろいでしまうのは仕方ないだろう。その度に、動かないようにとリザが全力で押えてくれていたお陰で、手術は滞ることなく進んでいった。
「あと…あと少しよ!頑張って…」
ウィンリィは励ましながら、縫合手術を続けている。その隣では、リザがエドワードの身体を押えていた。
三人とも汗を浮かべて、それぞれのやるべきことに専念していた。
「……これで…終わり…」
最後の縫合を終えたのは、手術が始まって一時間も経過した後のことだった。
「…終わった…のか?」
ようやく縫合の激痛から解放されたエドワードは、深い息を吐いて、全身から力を抜いた。
「ええ。後で化膿止めと痛み止めの薬を飲んでね。その後経過が良ければ、十日程で抜糸が出来るわ…」
最後の消毒を済ませて、ガーゼで隠した傷口に包帯を巻きながら、ウィンリィは術後の説明をした。
「そっか…。ありがとう、ウィンリィ…」
顔だけ向けて、エドワードは微笑む。
「礼を言うのは私の方よ!私を庇って、斬られたんだから!」
「…気にするなよ。おまえに何かあったら、アルに申し訳が立たない…」
「それは、私の台詞よ!」
「―――あんまり耳もとで大声出すなよ。傷に響く…」
「あっ、ごめん」
その直後、クスッという笑い声が、二人のすぐ傍から聞こえた。
それで二人は、この場にもう一人いたことを思い出す。
「……リザさん…」
「あ、ごめんなさい。とても仲がいいんだなって思って…」
「――――」
リザの存在に気づいて、エドワードとウィンリィは押し黙った。
あってほしくない現実を思い出して。
(そういや…オレが男だってばれたんだ…)
自分の今の姿を見れば、すぐに分かってしまう。
エドウィナ姫が、実は男だったという事実が。
(…どうなるかな、オレ…)
エドワードが男だということは、リザからすぐに皇帝へと伝えられることだろう。
その後、マスタング皇国を謀ったことに対して、罪に問われる可能性は大だ。
(最悪…極刑か…)
それは、覚悟していた。
だから、例えそう言われても命乞いなどしないつもりでいた。
だけど。
(ウィンリィと…国だけは守らないと…)
自分はどうなってもいい。それだけのことをしたのだから。けれど、ついて来てくれたウィンリィと、エルリック王国だけは、守りたい。
そのためなら――――!
「リザさん…」
エドワードは、覚悟を決めて、ゆっくりと起き上がる。
まだ傷が痛むが、それを堪えて起き、傍に立つリザを見上げた。
「………何でしょうか、エドウィナ様」
呼ばれたリザは、冷静な眼差しでエドワードを見つめていた。
「―――あなたにも、ちゃんと事情を説明します。だけど、まず最初に、オレはあいつに話したい」
「……陛下に…ですか?」
その問いに、エドワードははっきりと頷いた。
「オレが男だということを隠していたのは、事実だ。だから、それを今更言い訳するつもりはない。騙していたという罪に対する罰は、甘んじて受けるつもりだ…」
「エド……?」
ウィンリィが何か言おうとするのを、エドワードは遮る。
「だけどその前に、オレが男だということを、ロイにはオレから言わせて欲しい」
「言って…どうなさるおつもりですか?」
「―――何も」
エドワードは、首を横に振った。
「ただ、知っておいてほしいだけ」
そう言って見上げるエドワードの顔を、リザは黙って見つめた。
(この…澄んだ眼差しをした子供が、私達を騙していたというの?)
リザには信じられなかった。
短い間だが、一緒に過ごしていたからこそ、一層信じられずにいた。
この王女が、実ははとても優しくて、利発で、皇妃に相応しいと思っていたからこそ、驚きを隠せずにいた。
けれど、それは紛れもない事実だ。
どんな事情や理由があるにせよ、我々マスタング皇国の人間全てを騙していたという事実は、消えない。
このことを皆が知ったら、怒り狂うことは目に見えていた。
小国のくせに、大国である我が国を愚弄したと。
しかもその張本人は、他でもないエルリック王国の王女自身、なのだ。
どんな隠された理由があったとしても、許されることは決してないだろう。
(――――陛下は、どう思われるか…)
リザは、エドワードの視線から外れるように、そっと顔を横に向けて考えていた。
自分の仕える皇帝は、この事実を聞いた時、どうするのだろうか?
王女を気に入っていただけに、騙されていたと知ると、怒りを爆発するだろうか…?
それとも――――
(…私と…同じ思いになるだろうか…?)
そう思いながら、そっともう一度、ベッドの上で座ったままのエドワードを見下ろす。
上半身を包帯に包まれた、細い身体。
紛れもない少年としての身体を、エドワードは隠そうともせずにいた。
それは、もう包み隠さず全てを話すという決心を表しているようでもあって、リザには痛々しく見えた。
だから、思ってしまうのだろうか…?
(騙していたことを…許してあげたい…)