――――『この子達』が生まれた瞬間。
『命』という奇跡に。
そして、その奇跡が生まれいずる瞬間に立ち会うことができたことに、ロイは心の底から感謝した。
我が子を、大切に身の内で育んでくれ、この世に生み出してくれた、愛しい伴侶に対して。
「……おやぁ、今日が初出勤なの?」
自宅に併設されたレストランを切り盛りするレベッカは、手にマグカップを持ちながら、出勤の仕度で忙しなく動いているリザに対し、のんびりとした口調で尋ねた。
「そうよ。そろそろ生まれて半年たつし、馴らしとしては丁度いい時期じゃないかと思って」
と言いながら、リザが蓋を開けた大き目のバスケットに、それを待っていたかのようにエドワードが近づいてきた。
傍らに、二匹の子猫を付き添わせて。
「そっかあ。…じゃ、エドワードも、久々の職場復帰ってわけね」
「そういうことになるわね。…じゃ、エドワード」
と、リザが足下にいるエドワードに声を掛けると、艶やかな金糸に深い金の瞳の美猫は、心得たとばかりにひらりと軽い身のこなしでバスケットの中に入る。それから、彼女についてきた二匹の子猫に対して『ニャア』と小さく鳴いた。
すると、それまでバスケットの周りを所在なげにうろうろしていた子猫達は、エドワードに倣って同じバスケットの中にぴょんと飛び込み、彼女の身体に頭を摺り寄せて甘える仕草をする。
「うわーっ、ほんっとに子猫って可愛いわねえ。見てて飽きないわ」
バスケットの中で子猫達の毛繕いを始めたエドワードの様子を眺めていたレベッカが、蕩けそうな表情で呟く。
「そうね…。この子達も稀に見る美猫に成長するわよ、きっと」
リザもまた、相好を崩して答える。
「そりゃ、当然よ。何てったって、ロイとエドワードの子供なんだし」
と、レベッカが言った瞬間。
「……そうね。ロイは、見てくれだけはいいものね」
ぽつりと呟いたリザの顔を見て、レベッカは瞬時に悟った。
この、笑顔を作っている親友の目が、少しも笑っていないことに。いや、むしろ………
「…リザ、あなた、まだ怒ってるの?」
「怒ってる?そうね……怒ってるというよりは、むしろ残念という気持ちの方が強いわ。このエドワードにだったら、最高のお婿さんを選ぶことが出来たのにって考えるとね……。いつの間にかあの女たらしにたぶらかされてしまって…」
言いつつ、深く溜息をついたリザが睨みつけた先には、今まさに、猫カフェに出勤するべくキャリーバックに入ろうとしていたロシアンブルー―――――ロイがいた。
彼は、リザの尋常ならぬ視線に気づいたのか、そそくさとキャリーバックの中に飛び込む。その後を、ハボックも追いかけた。
「もう、リザってば。ロイだっていい男じゃないの。何てったってロシアンブルーの純血だし」
「だけど…女好きで…エドワードよりかなり年上だし…」
「エドワードが妊娠してることがわかってからは、ロイもぴたりと夜遊び止めたじゃない。それに、猫でこのくらいの年齢差って大したことないんじゃないの?一年経てば大人なんだしさ」
「それでも……ね…」
ジロリと、キャリーバックに入っているロイを見下ろすと、ロイは彼女の視線から隠れるかのように、ハボックの後ろへと移動する。
「もう、それくらいにしてあげたら、リザ?外野が何と言おうと、家族四匹仲がいいのは事実なんだし。それに、ロイが大事なエドワードに無断で手を出したことについては、あんたからも、猫達からも、ちゃあんと報復受けてるんだから」
苦笑しつつレベッカが呟いたことは、事実だ。
エドワードの妊娠が発覚した直後。
その相手がロイだということは、誰の目にも明らかだった。
それより少し前から、仕事場でも、自宅でも、ロイとエドワードの寄り添う光景が度々目撃されていたから。
だが、それでも深く警戒しなかったのは、ロイが大人の女性を好み、まだまだ少女の域を脱しないような感のあるエドワードにまで手を出すとは到底考えられなかったからだ。
それだけに、エドワードの妊娠が知れた時の、周囲の―――人間、猫を問わず―――反応は凄まじかった。
ハボックはまだいい。
薄々、ロイの気持ちを察していた彼は、『やはり…』という程度の諦めの反応だったが。
一緒に暮らしている、エドワードの実の父親であるホーエンハイムや弟のアルフォンスは、怒りを隠すことなくロイを非難した。
それは当然だろう。
大事な娘を、姉を、彼等に内緒で妊娠させたのだから。
だがそんな肉親の怒りは、エドワードの、
『オレも、ロイが好きなんだ。…だから、ロイの子供欲しかったんだ!』
という爆弾発現によって、有無を言わさず終息するしかなかった。
エドワード自身が、『ロイが好きだ』というのなら、周りがとやかく口を出す必要はない。大事な娘・姉を奪われた形になるホーエンハイムとアルフォンスは、まだ少し釈然としないものの、本人にそう言われては、渋々ながらも怒りを納めるしかなかった。
こうして、猫達の間では、事態は終わりを迎えつつあったのだが。
「私としては……あれが一番怖かったかな…」
ちらっと上目遣いに見ると、相変わらずリザがジロリと見下ろしていた。
―――――そう。
ロイにとって、一番恐ろしかったのは。
人間の……リザの怒りだった。
エドワードの体調が優れないようで、獣医に診察してもらった結果判明した妊娠。しかも、相手はどうやらロイらしい…ということを知ったリザは。
『このっ、女だったら見境ないのね!エロ猫!』
と叫びつつ、ロイに向かって銃口を向けたのだ。
『ち、ちょっとリザ!何てもの出してるのよ!』
『心配ないわ、レベッカ。これはモデルガンだから、殺傷能力はないし』
『あんたの腕前だと、しゃれにならないのよ!』
『問答無用!こんな節操のない猫には、お灸を据えないと、これからも被害に遭う猫が増えるばかりだわ!……ああ、いっそ捕まえて去勢手術をするっていうのもいいかもね』
そう呟いてニヤリと笑うリザと、去勢手術なんてとんでもないと逃げまくるロイの、文字通りバトルが家の中で繰り広げられたのだった。
その時、何とかロイが去勢をせずに済んだのは、偏にエドワードのお陰だろう。
エドワードがリザとロイの間に入って、ロイを庇ってくれなければ今頃は……
その時のことを思い返すと、ロイの背筋を悪寒が走る。
(もう、あんなことは御免だ…)
と思わせるほど、リザは恐ろしかった。
だが、例えあの騒ぎが起こらなくても、ロイはもう、夜毎美しい雌猫を探しに、外を彷徨うようなことは、決してしないと心に誓っていた。
自分には、何者にも替えがたい、大切な……愛しい存在がいるのだから。
そっと視線を、傍らにあるバスケットに向けると、そこには。
(……エディ…)
金色の、愛しい妻と、そして、二匹の子猫の姿があった。
自分の毛の色を写し取ったような、黒の被毛に、エドワードの遺伝子を受け継いだ金色の瞳。
その姿は正しく、自分達の子供だという証だ。
小さな身体で、この子達を生み出してくれたエドワードを。
また、元気に生まれてくれた子供達を裏切るような真似など、絶対にしない。
子供達が無事、この世に誕生した時に、ロイは誓ったのだ。
だから、リザの心配は杞憂なのだが……。
「まあ、人間にはオレ達の言葉は理解してもらえないですからね。気長に行くしかないんじゃないすか?」
のんびりと、ハボックが呟く。
「今後の行いを見てもらいましょうや、お互いに」
「今後の行い、か…」
ロイは苦笑を浮かべる。
かくいうハボックも、リザに恋心を抱いているおかしな猫だ。
だが、もしかしたら…ひょっとしたら、彼の思いもいつかは、報われるかもしれない。
『リザにとって、一番大事な猫』
くらいには。
「――――そう、だな。気長に行くしかないか」
ロイはそう呟き、再度バスケットを見ると。
丁度顔を上げたエドワードと視線が合い。
『母親』となったその愛しい金の猫は、屈託のない、お日様のような笑顔をロイに見せて、言った。
「ロイ!今日からこの子達も猫カフェデビューだから、頑張ろうな!」
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