イーストシティの恋人 8
ロイに促されて、再びエドワードは屋敷の中へと足を踏み入れた。
そして、前を歩いている自分の雇い主―――ロイ・マスタング―――を見ると。
彼は、通り過ぎながら室内のあちこちを見ているようだった。
「……うん。今日は及第点だな」
「えっ……?」
「ハボックの指示を、よく守っているようだな、ということだ」
「ああ……」
そこでようやくエドワードは、目の前の男の言っている意味が分かった。
「それは……クビになりたくなかったし…」
「しかし、どうしてこんなバイトまで?学校側から生活費も出ているのではないのか?」
ロイはそのまま、リビングルームに入り、上着を脱ぎつつエドワードに問いかける。
「普通に生活するには、十分すぎるくらいだと聞いたことがあるが?」
ソファに座り、エドワードにも座るよう促す。
最初は、雇い主の真向かいに座るのを躊躇っていたが、再度『座りなさい』と言われたので、仕方なく腰掛ける。
それから問われたことに、答えた。
「普通なら十分なんだけど……オレ、錬金術のことに関すると限度が分からなくなるというか…つい、珍しい書物とか目に入ると、見境なく買っちまうんだ。その結果、家賃も滞納して、アパート追い出されてしまって…」
「それで仕方なく、バイトをして生活費を稼いでいるというわけか」
ロイの言葉に、こくりと頷く。
「ということは、ここをクビになるのは、大変困るということだ」
その言葉にも、黙って頷く。
そんな彼女の神妙そうな顔を見て、ロイはゆっくりと口を開いた。
「――――今日のような働き振りであれば、クビにする必要はないだろうな」
「えっ、それじゃあ……!」
思わずエドワードは、顔を上げると。
目の前に座っていた男は立ち上がり、部屋の隅に置いてあったデスクの引き出しから、何かを取り出していた。
「今後も、指示通りにしてくれれば、ここで働いてもいいと言ったんだ」
「あ…ありがとうございます!」
エドワードはホッと肩から力を抜いて、笑みを浮かべつつロイに礼を言った。
正直、とても安心した。
今この場で、この家の主の口からクビを言われたらどうしようか…と不安に思っていたから。
「ただし、また今度手を抜くようなことがあったら、その時は即刻解雇するから、そのつもりでいるように」
「は、はい」
安心したのも束の間、改めて姿勢を正してしっかりと頷く。
「――――それから、これは」
再びエドワードの前に座ったロイは、彼女に白い封筒を差し出した。
「…え?」
「さっき車で言った、診療代だ。それと、ホームドクターの連絡先も書いてあるから、近々診てもらうといい」
「あ、はい……」
おずおずと、差し出された封筒を受け取る。
「雇用した者の健康管理も、雇い主の責任だからな。ちゃんと行くんだぞ」
「分かりました。何から何まですみません」
と、素直に謝り、再度一礼して、エドワードは席を立とうとした。
とりあえず、クビになることは免れたようだし、ここに来た用件も終わったので、早々に帰ろうと思ったのだ。
けれども。
「――――待て」
立ち上がった途端に、ロイが彼女を呼び止める。
「……まだ何か…?」
「……君は、甘いものは好きか?」
「――――は?」
唐突な質問に、エドワードはきょとんとする。
「甘いものは食べられるか、と聞いたんだ。どうなんだ?」
「あっ、はい!大好き…だけど」
ロイに再度尋ねられ、慌てて答える。
(な、何だよ、いきなり……)
と、戸惑いつつも。
「…ならば、これを食べてから帰ってくれないか?私一人では、持て余す」
「……えっ?」
ロイが、指差した方を見れば。
部屋の隅のテーブルの上には、昼間エドワードが来た時にはなかった、見覚えのないものが置かれていたのだ。
白くて、大きな正方形の箱。
それには、赤いリボンが綺麗にかけられている。
「あれは……?」
「多分、中身はケーキだ」
「……ケーキ?」
「そう。誕生日ケーキ」
あっさりと言い放ったロイの手には、美しい花の絵が描かれた、一枚のカードがあった。
『昔の誼で、贈らせていただきました。
…尤も、今はあなたの望む誰かと、誕生日のお祝いをされていることを、切に祈りますけど。―――R』
(――――何だか、変な感じ…)
暖かい光が満ちる、広いリビングルームで。
家族向けにしか見えない大きさの、バースデイケーキを切り分けて。
向かい合わせになって食べている、雇い主と従業員。
それは、エドワードでなくても奇妙な光景だと思うだろう。
「……どうした?」
思わずじっと見つめてしまっていたエドワードの視線に、目の前の男は気付いて尋ねてくる。
よく見れば彼の方は、皿に分けられたケーキを食べ終えるのを諦めているようで、いつの間にかけワインを持ってきて、一人で飲んでいた。
「い、いや……。こんな立派なケーキ、オレなんかが食べていいのかな…って。せっかくの誕生日ケーキだし…」
素直に、思ったことを口に出した。
それが、今のエドワードの本音だ。
(こんな立派なケーキを贈ったのは、きっと女性だ…)
と、考えつつ。
しかも、バースデイケーキを贈るくらいだから、近しい関係に違いない。
(例えば……恋人とか…)
そんな、大事な人からのプレゼントを、関係ない自分がパクパク食べていいのだろうか…と、少々不安にもなったのだが。
「ああ、構わない」
エドワードの心配をよそに、食べようと誘った男は、実にあっさりと肯定したのだ。
「送り主も、私が食べてくれるだろうとは思っていないだろうしな。私が、甘いものは苦手だと知っているし」
「それならば…どうして…?」
「軽い、意趣返しだよ。だから、君が気にする必要はない。食べたいだけ食べてくれ」
「………」
誕生日ケーキを意趣返しで贈りつけるなんて、普通では余り考えられない。
一体このケーキの贈り主と、目の前の男の間に、どんなことがあったのだろうか…と、少しだけ気にはなったが、それ以上尋ねるようなことはしなかった。
エドワードは、はっきり言って部外者だから。
自分は、単なる雇われ人。
雇い主であるロイの過去を、詮索する立場ではないことぐらい、心得ていた。
「……ま、まあ。オレにとってはありがたいけれど。お腹空いていたし。それに、このケーキ、とても美味しいしな。やっぱり高級なケーキは違うなあ」
と言って、ぱくぱくと食べ続ける。
この勢いだと、ホールケーキ全部食べ終えられそうだと、ロイは彼女の食べっぷりを眺めつつ、内心思っていた。
「あ――――」
すると、ロイの視線に気付いた少女は、ふと食べる手を止めて。
何を思ったのか、数度咳をした後に。
突然、歌い始めたのだ。
それは、誕生日を祝う場では必ずと言っていいほど歌われる、歌だった。
少女の、少し低めの歌声が、室内に柔らかく響き。
彼女は、それを一番だけ歌って、ロイに向かって拍手をした。
「誕生日、おめでとう!」
最後に、笑顔でのメッセージも添えて。
その、一連の彼女の行動を、呆気にとられて見ていたロイに対し、少女はほんの少し怪訝そうな顔になる。
「……やっぱり、オレなんかに祝ってもらうのは、迷惑だった?」
「い、いや……そういうわけでは…」
「オレなんか、イーストシティに来る前は、弟や近所の幼馴染と毎年お祝いし合ってたから…こんなのが当たり前になってて、つい……」
「―――ありがとう」
「えっ……?」
突然、ロイの口から礼を言われて、エドワードは目を丸くする。
「こんな風に祝ってもらうのは、久しぶりだ。ありがとう…ミス…」
「エドワード。エドワード・エルリックだよ。エドワードは、オレの本当の名だ。…男みたいだけどな」
「ああ、すまない」
ようやくここに至って初めて、ロイはこの雇っている少女の名前を知った。雇用に関しては全てハボック任せにしていたので、名前を確認する必要がなかったのだ。
「ありがとう、ミス・エルリック」
名前を知って、ロイは改めて礼を言った。
「い、いや…別に…礼を言ってもらうほどでは…。それに、オレのことはエドワードでいいよ」
何気なくしたことに対して、予想以上の謝意をストレートに表され、エドワードの方がどぎまぎしてしまう。
「そうか。ならば私のことも、ロイでいい」
堅苦しいのは嫌いだからな、と言い置いて、ロイは再びグラスを傾けていた。
(――――そういえば…)
よく見れば、そんな何気ない仕草もさまになっているし、今こうしてまじまじと見ると、なかなか整った顔立ちをしている。
おまけに、大企業の社長だ。
さぞかし女性にもてるのだろうな…と思いつつ、エドワードはケーキを食べていたフォークを、皿の上に置いた。
「……完食したのか。すごいな」
いつの間にか、テーブルの上のホールケーキは、影も形もなくなっていた。
「とても美味しかったから。ごちそうさまでした」
「お気に召してよかったよ」
そう言って、にっこり笑う姿も、なかなかにかっこいいな、とエドワードは思った。
「あ……それじゃあ、オレはこの辺で…」
この屋敷に再度入って、結構時間がたっていた。
そろそろ帰らないと、寮の門限を過ぎてしまう。そうなったら、エドワードは寮に入ることが出来なくて、野宿する羽目になってしまうだろう。
だから、帰ろうと立ち上がり、再度礼をしようとした時の事だった。
「こんな夜更けに、女の子を一人で帰すわけにはいかない。…私が送っていってもいいのだが、生憎これを飲んだからな」
と言いつつ、ワイングラスを掲げた。
「あ……大丈夫ですよ、オレ…」
「いや。帰る途中で何かあってはいけないからな。今夜は、ここに泊まっていくといい」
「えっ………?」
ロイの言葉に、エドワードはギョッとした。
この屋敷には、確か彼1人だけが暮らしているようなのだ。
(男1人の家に泊まる方が、危険だと思わないのかな…?それとも……)
エドワードは、ほんの少し身構えて、ロイに問うた。
「…ひょっとして、そんな口説き文句で、これまでも女性を泊まらせたことがあるのか?」
と。
だが、目の前の男は、エドワードの言葉を聞くやいなや。
クスクスと笑って、あっさりと言い放ったのだ。
「安心したまえ。私には、どちらが胸か背中か分からない女性に、手を出すような趣味はない」
「なっ……!」
それを聞いた途端、エドワードはムッとして目の前の暴言を吐いた男を睨みつける。
(…何て失礼な奴!)
もう少しのところで、怒りを声に出そうとするのを、辛うじて抑える。
彼は自分の雇い主だということで、懸命に我慢していたが、その分握り締められた拳は、震えていた。
(前言撤回!やっぱりやな奴だ!)
だが、彼女が睨んでいるのを気にする風でもなく、ロイは、もう一度あっさりと言い放った。
「とにかく、今夜はここに泊まって行け。客間はいくらでもあるから、好きに使っていい。私は残務処理があるから、もう少しここにいるが…眠いようなら、もう休んでも構わないぞ」
と言い置いて、ソファに座ったまま、傍らに置いてあった封筒の中から書類を取り出して読み始めた。
(眠れと言われても……)
確かに、今日1日で起こった目まぐるしい出来事のために、身体は結構疲れていた。
しかし、ついさっき大きなケーキを全部食べたばかりで、満腹だ。そんな状態では、苦しくて落ち着いて眠れないだろうと思い、エドワードは仕事を始めたロイの邪魔をしないように、ゆっくりとリビングルームの中を見回した。
(……あれ?)
いつも本を拝借していた書棚に、本ではないものを飾っていることに、エドワードは気付いた。
(ここに…写真立てがあったんだ…)
書棚の隅に置いてあったので、掃除中も気付かなかったそれを、エドワードは手にとって見る。
中に入っていた写真には、2人の人物が写っていた。
1人は、この家の主である、ロイ。
そしてもう1人は、見たことがなかった。
ロイよりは少し背の低い、金髪の男。
こちらも、なかなかいい男だ。
その2人が、笑顔で並んで立っている。
「――――この人……」
「うん?」
エドワードの呟きが耳に入ってきたのか、書類に目を通していたロイが、顔を上げて彼女の方を見た。
「どうした?」
「あ……邪魔してごめんなさい。この写真の人、誰かな…と思って」
「ああ、それか。隣にいるのは、私の甥だ」
「甥……?にしては、年が近そうに見えるけど」
「10歳しか離れてないからな。彼は、私の父の妹…つまり叔母の息子だ」
「ふうん……そうなんだ。でも、兄弟に見えちゃうな」
「―――小さい頃から、結構一緒に遊んだりしていたから、兄弟みたいなものだ。私にも彼にも、他に兄弟はいないし」
「へえ……」
そう呟き、エドワードは写真立てを元に戻す。
彼の話を聞いていると、何だか、リゼンブールにいる弟のことが、懐かしく思える。
(…今度の休暇には、戻ってみようかな)
ふと、そう考えた。
帰れるのは、ここでのバイト代が入ってから、だが。
(それじゃあ、これ以上邪魔をしないように…)
再び仕事に没頭し始めたロイを見つつ、エドワードはそっと、リビングルームの扉を開けて。
「……先に休みます。おやすみなさい」
恐らく書類に集中しているであろう彼には、聞こえないと思いながらも、一応挨拶をして、そっと部屋から抜け出す。
そして、扉が静かに閉まった時に。
それまで書類を見ていたロイは。
ふっと顔を上げて、エドワードが出て行った後の扉に向かい、小さな声で一言、呟いた。
「――――おやすみ…」
顔には、柔らかな笑みを浮かべて。
![]()