イーストシティの恋人 5
エドワードが慌てて愛用の自転車で、屋敷から飛び出したのと丁度入れ違いに。
この家の主が、高級車に乗って戻ってきた。
「――――それでは、例の取引先の件は指示通りにやっておきます」
今日も運転手役を任されているハボックが、後部座席に顔だけを向けて言った。
「ああ、頼んだぞ」
「任せてください。…ああ、それと、マレー氏から、正式に晩餐会の招待状が届きましたよ」
と話しながら、一通の封書をロイに見せる。
「晩餐会はいつだ?」
「丁度10日後です。…同伴者の件はどうなりました?」
「…まだ決まっていない」
「10日で何とかなりますか?何なら、彼女が今イーストシティに来てるんで、今回だけ頼んでみましょうか?」
「――――ハボック、おまえ……自分の彼女を私の同伴者にするなんて、心が広いな…」
「心が広いとかじゃありませんて。彼女なら、社長と一緒でも大丈夫だと思ってますから」
「成程な。私もそう思うぞ。だが、彼女に頼むのは、どうしても見つからない時にするさ。彼女も、遊びでここに来ているわけではないからな」
「分かりました」
ハボックもそれ以上は勧めなかった。
「では、明日は午前10時に迎えを頼む」
「はい。おやすみなさい、社長」
ハボックの言葉を背に、ロイは玄関へと向かい、正面玄関の鍵を開ける。
そのまま真っ直ぐリビングルームへと向かった。
そこがこの広い家の中で、ロイの一番お気に入りの場所だから。
「……今日も忙しかったな」
上着を脱ぎ、深い溜息をつきつつソファに身を沈める。
この仕事を始めてから、もうすぐ2年。
前に就いていた仕事とは、全く畑違いのもので、始めた当初はどうなるものか…と思うこともあったが、実際してみると存外に楽しい。
特に、努力に見合う成果を得られた時は、一層。
時には、嫌な取引相手に対して、上っ面だけでも笑顔を絶やさず営業をしなければならないこともあるが、それも前の仕事の時に、似たようなことをしていたので、さして苦にはならなかった。
案外、この仕事は自分に向いているのではないだろうか…とこの頃は考えることもあるのだが、それでもやはり、多忙な日は疲れてしまう。
今日もそんな1日だったので、ロイは早々にシャワーを浴びて休もうと思い、ソファから立ち上がろうとした時だった。
自分の座っている丁度真ん前。
そこにはテーブルがあり、その上に小さなメモのようなものが置かれてあることに、気付いた。
「……何だ?」
メモを取り上げてみると、それには何とか読めるような字で、
『お仕事お疲れ様です。
花屋さんで、綺麗な花があったので、飾ってみました。
この家って、綺麗だけど何となく殺風景ですから。』
「――――花?」
ロイはメモから一旦目を離し、リビングルーム内をぐるりと見ると。
窓際に置かれてある小さなテーブルの上に、大輪のピンク色の薔薇が花瓶に生けられてあった。
その花瓶は、屋敷内のどこかに置いてあったものだと、ロイは記憶している。
確か……取引先の社長に貰った、老舗のガラス工房で作られた、超高級品だ。
「……しかし、ピンクなんて…」
ロイは眉をひそめる。
この家の主は自分だ。
男であることを家政婦は知っているであろうに、何故、若い女の子が好むような派手なピンクの薔薇を敢えて飾ったのか……。
しかし、せっかく飾っているし、それを見るのは自分だけだから…と無理矢理に納得して、メモの続きを読む。
『それから、寝室のベッドのカーテンですけど、気分転換もいいと思いまして、変えておきました。気に入っていただければ嬉しいです』
「――――何?」
メモを読み終えたロイは、慌てて寝室へと向かう。
そして、寝室のドアを開けた先にあったものは――――
「……これを、気に入る奴がいるのか?」
ロイは、呆然として立ち尽くした。
今朝までは、深い青の落ち着いた色調であったものが、黄色と緑のド派手な幾何学模様をプリントしたカーテンに変わっていたのだ。
「……一体、どういうセンスをしているんだ?」
ロイは呆れたように呟き、溜息をついた。
どうも、おかしい。
ここのところずっと、この家に帰宅する度にロイは思っていた。
きちんと定位置に置いてあったものが、無雑作に転がっていたり。
アイロンをかけたシャツが、色やデザインもバラバラで置かれていたり。
リビングルームの書棚に入れてあった本が、見当たらなかったかと思えば数日たつと元の位置にあったり。
それらは全て、家の主であるロイがしたことではない。
となると後は………
「先日雇い入れた、家政婦か……?」
他には、この家に入れる者はいない。
入れたとしても、ロイと一緒なのでおかしな真似はしない筈だ。
自分が不在の時に、好き勝手出来るのは、家事を任されている家政婦しかいないだろう。
「ハボックの奴、ちゃんと下調べして雇ったのか?」
イライラしながらロイは寝室を後にし、キッチンへと向かう。
この、ささくれだった気分を鎮めるために、何か飲もうと思い、冷蔵庫を開けようとした時だ。
「……こんなところにも?」
と言いつつ、冷蔵庫のドアに貼ってあったメモを見る。
それは、リビングルームにあったものと同じだった。
家政婦が貼ったのだろうと思い、それを手に取って書いてある文面をちらちらと見ながらドアを開ける。
「えっと…なになに…」
ロイは、飲みかけのジュースの瓶を取り出して蓋を外し、コップに注ぎ込んで飲もうとしながら、メモを読む。
『冷蔵庫の中に入れてあるものは、勝手に処分しちゃいけないんですよね?
だから、ここに書いておきます。
冷蔵庫に入っているオレンジジュース、賞味期限が切れてますよ。
腐ってます、これ。早く捨てた方がいいと思います』
それを読んだ瞬間。
ロイは口に入れていたジュースを、慌ててシンクに吐き出した。
それから急いでうがいをする。
「な、何なんだ!こいつはっ!」
怒りに任せて、ジュースの瓶をゴミ箱に投げ入れる。
「ハボックの奴、面接を怠ったな!」
もう、我慢の限界だ。
明日、ハボックを呼びつけて、即刻この家政婦をクビにするよう言いつけよう。
そうしなければ、この家は滅茶苦茶にされてしまうだろう。
「絶対クビにしてやる!」
ロイは怒りながら、キッチンを後にした。
もう、こんな不愉快極まる夜は、さっさと寝るに限ると思いながら。
(……寝る前に、まずはシャワーを浴びて頭を冷やすか。それから一杯やって……)
そう考えつつ、ロイはバスルームへととぼとぼ歩いていった。