イーストシティの恋人 3  

「……ピナコばっちゃんの忠告、忘れてたわけじゃないけどさ…」
 エドワードは、またしても溜息をつく。
 イーストシティに来て、3年が経過していた。
 最初は慣れない都会暮らしに戸惑いもあったけれど、それもじきに慣れた。
 慣れると、そこでの暮らしは楽しくなった。
 学校での勉強は、エドワードの知識欲を十分に満たす高度なものであったし、図書館の蔵書も、自宅にあるものとは比較にならないくらい広範に揃えられていた。
 流石、将来の国家錬金術師を養成する機関だと感心し、エドワードは日々有効利用して着実に実力をつけていったのだ。
 しかし反面―――――
 エドワードには、唯一欠点があった。
 それは、献金術に関すると、金銭感覚がなくなるということだった。
 街中の本屋で、興味深い錬金術に関する本を見つけると、後先考えず購入するという悪癖だ。
 その結果、国から支給されている生活費を本代に使い果たし、現在住処にしている安アパートの家賃さえも滞納する始末。
 それに加え、学校での奨学制度からは除外されている、教科書以外の書物の代金の支払いも、滞ってしまう羽目になってしまっていた。
 そのため、何とかこの事態を打開するべく、これまで学校で紹介された短時間のバイトをしようと試みたのだが……元々愛想を振りまくのが苦手な性分なので、紹介された店員などの客商売ではすぐにクビを言い渡された。

 そうこうしているうちに、家賃滞納をし続けて、とうとう堪忍袋の緒が切れた家主から、出て行くよう言われ、着の身着のままで追い出されたのが今朝のこと。
 もはや一文も…いや、百センズしか所持金のないエドワードは、藁をも縋る思いで、学校の学生課を訪ねていたのだ。
 何でもいいから、バイトを紹介してもらおうと思い。
(…でもなあ…学校もあるから…夕方とか…短時間でないと無理があるし…)
 と思いつつ、何度目になるか分からない溜息をついた時のことだった。
「エドワードさん」
 学生課の受付から、自分を呼ぶ声がしたのを聞いて、エドワードは慌てて立ち上がり、受付に向かった。
「何かいいのがあった、シェスカさん?」
 エドワードが『シェスカ』と呼んだ、メガネをかけた学生課の職員は、分厚いファイルのようなものをカウンターに置いて、すまなさそうにエドワードを見ていた。
「それが……短時間のバイトとなると、どうしても店員とかウェイトレスとかになっちゃうんですよねぇ…。エドワードさん、そういうの苦手でしょ?」
 既に紹介したバイトを全てクビになっていることを知っているシェスカは、困ったようにファイルをめくっていた。
「第一、この学校は結構授業時間も多いし、バイトをするには不向きですから…募集自体も余り来ないんですよ」
 だから、勉学に専念させるための奨学制度があるのだと、シェスカは付け加えた。
「そっか……」
 エドワードはがっくりと肩を落とす。
「…そんなに上手い話なんて、そうそう転がってないよな…」
「エドワードさん…」
「どうしよう…これから…」
「何とかしないといけませんよね。ここの本代も滞納しまくってるし…」
「――――」
 更に、エドワードの肩は落ちる。
「こんな時に何ですけど…そろそろ支払ってもらわないと、事務長が怒り出しそうなんです。ですから私も、何かいいバイトがないか捜しているんですけどね…」
「…ごめん、シェスカさん」
 困ったように呟くシェスカに、エドワードは素直に詫びる。
 そもそも、錬金術に関しては、自分の金銭感覚がなくなってしまうのがいけないということは、よく分かっていた。
「そっ、そんな…私だって、ご飯代うかせてよく本を買ってますから、エドワードさんの気持ちは分かります!」
 と、慌てて彼女が言った時だった。
 カウンターの奥から、学生課の事務職員がもう1人出てきたのは。
「ああ、シェスカ、ここにいたのね。バイトの募集の電話があったから、受けといたわよ」
 恰幅のいいその女性職員は、メモをシェスカに渡す。
「ありがとうございます。……ええと、ハウスキーパー募集、ですか?」
「そうみたい。急いでいるみたいよ。何でも会社社長の自宅で、朝から夕方までの都合のいい数時間の間に、家事を済ませればいいみたいね。バイト代は、日給1万センズ。連絡先の電話番号と住所はここ……」
 女性職員は細々とシェスカに対し説明をしていたのだが、それを最後まで続けることは出来なかった。
「――――これ、オレが受けるな!」
 それまで黙って会話を聞いていたエドワードが、突然シェスカの持っていたメモを奪い取ったために。
「あっ、エドワードさん!」
「ありがとう、シェスカさん!今度は頑張ってみるよ」

 と、笑顔で答えつつ、エドワードはあっという間に走り去った。
 後には、やや呆然として、2人の職員が取り残されて。
「ね、ねえ、シェスカ。あのハウスキーパーの仕事、あの子に紹介してよかったの?」
「うーん……それは…。エドワードさんの家事能力なんて、知りませんから何とも…」
「そういうことじゃなくて!依頼人が求めてきたハウスキーパーは、女性限定なのよ!」
「ああ、それなら条件クリアしてますよ」
 心配そうな同僚の言葉に、シェスカはあっけらかんと答えた。
「クリアって……まさかあの子……!」
「ええ、そうなんです。名前はエドワードなんですけど、あの人はれっきとした―――――」





「エドワード・エルリック。15歳。―――――女性…なんだな?」




 手渡された履歴書を見つつ、ハボックは呟く。
 彼が、そう呟いたのも無理はない。
 家政婦のバイトを紹介されてやってきたというので、こちらが指定した、ロイの自宅で会ってみれば。
 どう見ても、勝気そうな少年にしか見えなかった。
 黒いTシャツの上に、黒い上着。
 そして黒のジーンズを履いたその人は、整った顔立ちはしているものの、女性らしさは皆無だった。
 だが、よく見れば端正な顔立ちをしていて、線も細い。
 そして鮮やかな金の髪と琥珀色の瞳を持つエドワード・エルリックと名乗った人物は、成長過程の少女に見えないこともなかった。
「オレは、れっきとした女だぜ。名前がこうだから、よく男に間違われるけど。――――ほら」
 そう言って差し出した、学校の発行している身分証明書を見れば、確かに女性と明記してあった。「……いや、失礼」
 間違いと分かると、すぐにハボックは謝罪する。
「気にしてないから、いいよ。こんな名前だから、間違われるのなんてしょっちゅうだし。もう慣れた」 身分証明書をしまいつつ、あっさりと言う。
「しかし……どうして男の名前なんだ?」
「親父が、オレが生まれる時には、男の名前しか決めてなかったんだって。最初の子供は、男が欲しいと願っていたみたいで…。だけど生まれたのは女だったからどうしようってことになって、結局つけたかった男の名前をつけたってわけ」
「…お母さんとか反対しなかったのか?」
 普通母親ならば、娘に男名をつけようとすると反対するのではないか…と、至極尤もなことをハボックは思ったのだが。
「ああ。母さん、親父にべた惚れだったから。反対する気も起きなかったみたいだ。全て親父の望むように…なんて賛成してたみたいだし」
「―――――しかし…」
 よくよく見れば、口は悪いがなかなか可愛らしい少女に、男の名前をつけるなんて可愛そうだ。この子は自分の名が男名で、嫌だと思ったことはないのだろうか…。
 そう、ハボックが心の中で思っていたのを見透かしたように。
「…ま、オレも自分の名前は嫌ってないけどな。小さい頃から、男も女も関係なく村の子供達と遊んでいたから、女なんて意識はなかったし
 と、実に明るく笑いながら答える少女を見ているうちに、ハボックは、自分のささやかな心配が、彼女にとっては杞憂にすらならないということが分かり、安心した。
 人の名前ではあるが、気がかりではあったから。
「そうか……。では前置きはこれくらいにして、バイトの具体的な内容について説明するからな」
 ここに至って、ようやく本題に入る。
「えっ、それじゃあ雇ってくれるの?」
「こちらとしても、急いで家政婦が欲しかったからな。腕さえよければ文句は言わないよ」
「――――ありがとう!」
 本当に……心底嬉しそうに、エドワードは笑って礼を言った。
 その鮮やかな表情も、妙に愛らしいとどぎまぎしつつも、ハボックは仕事についての説明を始める。
「仕事の内容は簡単だ。この家の主が、日中仕事で空けている間に、家事一切を行うこと。掃除、洗濯、アイロンかけ……あとは頼まれたものの買物といったところかな」
「それくらいなら、出来るよ」
 小さい頃から母親を手伝って、いろいろ家事はやってきた。母親が亡くなってからは、姉弟二人で。だから、自信はあった。
「そうか?ならいいが……。ただし、雇い主である社長は、結構厳しいからな。手抜きとかしていたら、即刻クビにするだろうから、気を抜かずに仕事をしてくれ」
「はーい、わかりました!」
「日中とはいっても、出来るだけ短時間で済ませるように。終わったら、即この屋敷から出ること。長時間の滞在はダメだぞ」
 といろいろ注意しながら、ハボックは広い屋敷内を案内する。
「掃除道具はあの物置に入っている。必要なものがあったら言ってくれ。それに見合う代金は支払うからな」
「うん!」
「あ、それから」
 あらかた説明をし終えたハボックは、最後にピシリと、エドワードに釘を刺すことを忘れずにいた。
「オレになら構わないが…、もし社長に会うことがあったら、その話し方は絶対にするな。社長は、礼儀には厳しい人だからな」
「分かった!……じゃなくて、分かりました、だよな?」
「そうだ」
 まだ幾分か不安は残るものの、ハボックはそれ以上口うるさく言うのは止めた。
 どうせ彼女がここにいるのは、社長のロイが会社に行っている間だけなのだ。それならば、まず会うことはないだろう。
「――――それじゃあ、これを渡しておく」
 ハボックはスーツのポケットから、鍵を1つ取り出して、エドワードに差し出した。
「これが、この家の玄関の鍵だ。帰る時、戸締りだけは絶対に忘れるなよ」


「――――うんっ!」
 差し出されたそれを両手で受け取り。
 大事そうに手の中に包み込むと。
 エドワードは嬉しそうに笑って、頷いた。