イーストシティの恋人2  (6  

「――――で。本当のことを話していただけるのかしら?」

 ダンスパーティーが、何とか恙無く終わり。
 他の客達が皆、帰って行った後も。
 マレー邸に残るよう言われていたロイとエドワードは、リビングルームでマレー夫妻とテーブル越しに向かい合って座っていた。
 だが、パーティーが終わった後だというのに、楽しいという雰囲気とは程遠く、重苦しい空気が四人の周りに纏わりついていた。
「さっきの……あの方が言っていたのは、本当のことなのかしら?」
 エドワードの顔を、ジッと見つめながら、テオドーラは問いかけてきた。
「違います…!」
 すぐさま、エドワードは否定する。
「なら、あなた方が婚約者同士というのは、本当のことなのね?」
「………っ」
 次の問いには、詰まってしまった。
 答えられなかったからだ。
 『はい』とは、決して言えないからだ。
 すると。

「―――申し訳ありません。婚約者というのは嘘です」

 一瞬…ほんの一瞬、エドワードが躊躇っていた間に、隣に座っていたロイが答えてしまったのだ。
「ロイ……!」
「そう…。婚約者として連れて来て…嘘をついていたのは、例の契約のため、なのかしら?」
「―――そうです、マダム」
「でっ、でも…オ……わ、私は…!」
 慌ててエドワードは、テオドーラに向かって言おうとした。
 確かに、ロイの婚約者というのは真っ赤な嘘だ。
けれども、テオドーラとリゼンブールの話が出来たのは、とても楽しかった。あの時の楽しさは、作ったものではない。本当に懐かしくて……嬉しかったのだ。
 そのことだけは、嘘ではない。
 真実だと分かって欲しくて…。
 そう、言おうとしたのだが。
「…君は、黙っていてくれないか」
 ロイに出鼻を挫かれてしまった。
「嘘をついてまで、契約に漕ぎ着けようとしました。その点については、深くお詫びいたします」
 と言って、深々と頭を下げる。
「ロイ……」
「また、今回の契約の話は一旦白紙に戻させていただきます。今後どうされるかは、お二方にお任せ致します。二度と会いたくないということでしたら、そう致します。それでは――――」
「……ロイ…!」
 再度深々と頭を下げた後、ロイは隣にいるエドワードの腕を引っ張って、その場を辞した。
 未だ、険しい顔をしているマレー夫妻を残したままで。





「―――ロイ!お願いだからあの屋敷に戻ってくれよ!」

 マレー邸を後にして。
 走らせていたく車中で、エドワードはロイに言い募った。
「…戻ってどうする?」
 ロイは、前を向いたまま、低い声で言う。
「あのまんまじゃ、全部あの人達に誤解されたままになっちまう。確かに、婚約者だっていうのは嘘だけど、それ以外は嘘なんてついてない!そのことは分かって欲しいから…。それにちゃんと分かってもらえたら、契約の方も何とかなるかもしれないし…」
「―――もう、何をやっても無駄だ。取引は信用が第一だ。それを、こちらから反故にしてしまったんだからな」
「でも…やってみなくちゃ…!」
「大体、そもそもは、君のせいだろう!」
 なおも言い募るエドワードに対し、イライラしたようにロイは声を荒げた。実際、ロイはとてもイラついていた。
 大事な契約が、台無しになったことで。
 だから、つい、八つ当たりのようなことを言ってしまった。
「え……?」
「君が娼婦と間違われなければ、嘘が発覚することもなかった。それとも、本当にあそこで売っていたのか?」
「―――――っ!」
 エドワードは、ロイのその言葉を着たい瞬間、顔色を失くす。
「……ひど…い…」
 金色の瞳を大きく見開き、唇を震わせて、やっとそれだけ呟いた。
 ロイも、ひどいことを言ったと自覚はしていた。だが、どうしても止めることが出来なかった。
 この、隣にいる愛らしい、まだ子供のようにも見える少女が、娼婦であるわけがないと分かっていても。
 彼女が娼婦だと言われた時も、とても腹が立った。
 だから…ひどく詰られ、青ざめているエドワードと目を合わせていられなくて、すぐに顔を前へと向けた直後。

「……停めて」
 ぽつりと、エドワードは呟いた。
「え……?」
「車を停めてくれって言ったんだ…!」
 少し顔を俯かせて呟くエドワードを、横目で見ながら、ロイはそれでも道路端に車を停める。
「―――どうしたんだ、一体?」
 ロイがそう尋ねても、エドワードは答えず、黙って車から降りた。
「…おい、何処へ…?」
 慌てて車から出て、歩み寄ったロイの目の前に、エドワードから差し出されたのは。
 借り物だという、高価なダイヤのネックレスとイヤリングだった。
「―――これ、返しておく。もう、会うこともないだろうから…」
「こんな所で降りて、どこへ行こうとしている?」
「あんたには、関係ない」
 未だ青い顔をしていたものの、その瞳には揺るぎない決意が満ちていた。
 ロイは差し出された宝飾品を受け取り、黙って再び車に乗り込もうとしたところ。
「―――知らない男の家に、泊まったり…こうやって、綺麗なドレスを着て、ホイホイ付いて行ったりしたから……娼婦だと思われたのかもしれない。その点は、オレが悪いと思ってる。だけど―――」
「――――!」
 エドワードの瞳から一筋、涙が零れ落ちて、頬を流れた。
「オレは…娼婦なんかじゃない」
 ぽつりと呟いた。
 そして、身を翻して、ゆっくりと来た道を戻り始める。
 その後姿を見ていたロイは、暫くしてイラついたように車に乗り込み。
 車は、逆の方向に走り出した。
 猛スピードで。





「―――あれ?伯父さん、まだ戻ってないのかな?」

 車から降りた途端、ラッセルは、明かりの灯っていない屋敷を見て、ぽつりと漏らした。
「もう、パーティーは終わってる頃だと思ったのになあ…」
「そうね…。何かあったのかしら?」
 運転席から出てきたリザも呟く。
「ちぇっ、せっかくエドワードも一緒だって言うから、今夜はここでどんちゃん騒ぎしようと思ってたのにな…」
 と、唇を尖らせて言う。
 そもそも、この二人がこうしてロイの屋敷を訪ねたのは、ラッセルが夕方、ロイのオフィスを訪れたことがきっかけだった。
 そこで、偶然訪れていたリザに会い、彼女の口からロイが取引先のパーティーに招かれて不在だということを聞いた。
 その同伴者が、エドワードだということも。
 そこでラッセルは、急遽、二人がパーティーから戻って来る頃を見計らって、ロイ宅を急襲し、自分達だけで再度パーティーをしようと、たまたま居合わせたリザも巻き込んで、やってきたのだった。
「―――とにかく、合鍵はオレも持っているから、中で待っていようか。いい加減腕が痺れてきたし」
 と、ぼやく彼の両腕には、ここへ来る途中で寄り道して買い込んだ、酒などの飲み物や、つまみの類で一杯だった。
「そうね…。こんな所で待っているっていうのも……あら?」
 リザの言葉が、途中で途切れる。
「どうしたの、リザさん?」
「あの車…かしら?」
 と、言い、指差した二人の前方から、動く二つの明かりが次第に大きくなって近づいてきた。
 そしてその明かりは、大きくなって二人を包み込んだところで、ようやく止まって消える。
「―――――どうしたんだ、ラッセル。こんな夜更けに…?その上、君も…?」
 オープンカーから降りてきたロイは、不思議そうにラッセルとリザを交互に見ながら尋ねた。
「皆でまた、楽しく騒ごうと思ってさ。…伯父さんこそ、結構遅かったじゃないか?それに――――彼女は?」
 きょろきょろと、ラッセルはいる筈だと思っていた同伴者を捜すが、車には乗っていないのが分かると、不審げにロイへ聞く。
「先に送ってきたのか?」
「………」
「…伯父さん!」
 聞いても答えようとしないロイに、ラッセルはイライラして怒鳴る。すると暫し間を置いて、ロイは一言、答えた。
「……その辺を、歩いているだろう」
「その辺をって……一緒に帰ったんじゃないのか?」
「彼女が、自分から降りると言ったんだ」
「それにしたって、こんな夜更けに女の子をたった一人で…!」
 いくら、錬金術に長けていて、それなりに自己防衛出来る術があると言っても、まだ成人もしていない少女だ。何か起こってからでは遅い。
「……伯父さん、確かパイク持っていた筈だよな?」
「ああ。一台だけだが」
「貸してくれ」
 言いざま、ラッセルは車庫へと走り去った。
 持っていた荷物をロイに押し付けて。



「―――一体、何があったんですか?」

 暫くして、バイク音が暗闇を駆け抜けていった後に。
 残されたリザが、ロイに向かって問う。
「……別に…」
「別にという割には、あなたらしくないですね」
「…私らしくない?」
「ええ。女性には、当たり障りのない接し方をしていたのに…あの子に対しては、そうではないのですね」
 今までは、女性と本気で付き合うということをしていなかった。上辺だけの優しさで、接してきていた。だからこそ、長続きはしなかったものの、これといったトラブルもなかった。
 そんなロイの、女性に対しての振舞い方だけは許容出来ず、リザは婚約解消をしたのだが。
(こんな風に…本気で怒って…そして後悔しているような姿を見るのは初めてね…)
 彼女―――エドワードという少女との間に、何があったのかは分からない。だが、彼のこの変化は、良い傾向だ。
 女性に…本気で接しようとしているのは。
(……それとも、彼女にだけ…かしら?)
 それはそれで、リザにとっては複雑な気分だ。
 何しろ、彼女は恐らくロイと十歳以上の年の差があるだろう。
 そんな、まだ恋に憧れるような年頃の少女と、いい年した大人のロイが付き合うのは…正直余り歓迎したくない。
 彼女には、もっと同じ年くらいの男の子と、普通に恋愛してほしいと願っていた。
 そう、例えばラッセルみたいな――――
(そう言えば彼は……)
 ラッセルは、バイクに乗ってどこに行ったのだろう?
(多分…あの子を捜しに行ったのでしょうけど…)
 闇雲に捜しても、この広いイーストシティでは見つかりにくいかもしれない。
「……仕方ないわね」
 リザは溜息をついて、行動開始する。
「――――どこへ?」
 それまで、横に立っていたロイが慌てて呼び止めた。
「…帰ります。あなたも…今夜は一人で、いろいろお考えになったほうがよろしいでしょうし」
 というリザの言葉に、反論はなかった。
 どうやら、自分が悪いとは感じているらしい。
(それをすぐに…行動に移せばいいのに…)
 ビジネスでは、そうするに違いない。
 だが、恋愛では――――?
(今夜は、一人で反省してください。そうするのは、あなたにとって良いことだと思いますから)
と、心の中で呟き、リザは自分の車に乗って、イグニッションキーを回し、ゆっくりと車を発進させて屋敷を出た。
 屋敷の主を、その場に放って置いたままで。
「さて……と」
 頭の中で道路地図を浮かべつつ、リザはステアリングを回す。
「パーティー会場は、マレー氏の別邸だったから…」
 と、独り言を呟きながら、真夜中の市街地を走らせて行った。





「痛ぁ……」

 エドワードは道端に蹲った。
「慣れない靴なんか履くから…」
 とぼやきつつ、縁石に座り込み、ヒールの高いパンプスを脱いで見る。すると、かかとの皮が剥け、赤くなっていた。
「靴擦れかよ…」
 ため息をつきつつ、エドワードは脱いだパンプスを傍らに置いた。
 どっちにしろ、この靴ではもう歩けない。それに、ずっと歩き続けて疲れ切っていた。
「少し…休憩しよ」
 と、呟き、周囲を見回す。
 辺りには、民家らしいものは見当たらず、道路を照らす、小さな街頭があるだけだった。
 恐らく、まだイーストシティの郊外なのだろう。
「結構歩いたと思ったのにな…」
 と漏らす、エドワードの脳裏には、ロイと別れた後に、再度訪問したマレー邸が浮かんでいた。
 そう。
 エドワードは、ロイの車から降りた後、再びマレー邸に向かったのだった。
 全てを、嘘だと思われたくなかったから。
 自分が過ごすことの出来た、夫人との楽しい一時は、決して嘘ではないことを、知って欲しかったから。
 ただそのためだけに、徒歩でマレー邸に向かったのだが。

「―――奥様は、既にお休みです」

 案の定、出迎えた執事に、丁重に断られてしまった。
 それは、無理もない。
 訪れた時は、既に時計の針は翌日を示していた。こんな夜中に訪問するなど、失礼極まりないだろう。
 だが、エドワードは必死で食い下がった。
「でしたら…お会い出来ないのでしたら、渡して欲しいものがあるのですが…」
 彼女の懇願に、執事は思いの外簡単に応じてくれた。
 しかも、便箋とペンまで貸してくれて。
 エドワードはそれに手早くしたため、持っていたバッグからあるものを取り出すと、一緒に封筒に入れて、執事に託したのだった。

 その後……再び徒歩で帰路へとついたのだが。
 いかに体力があっても、車で来ても結構かかった道のりを、徒歩で進むというのには限界が来たようだ。仕方なく、一旦休憩を取る事にした。
「はあ……」
 エドワードは息を吐いて、夜空を見上げた。
 イーストシティとは違い、ここには人工の光が殆どない。だから、小さな星の光までもが、よく見えた。
「星を見るなんて…久しぶりだな」
 イーストシティではこれ程綺麗には見えないし、いつも勉強や仕事で忙しくして、夜空を見上げる暇もなかった。
「―――たまには、こんな風に見るのもいいかもな?」
 だがそれは、あくまで帰る手段を確保している時のことだ。
「……寒くなってきた…」
 と言いながら、エドワードは裸の腕に触れる。
 夜も更け、気温が下がってきたようだ。今の季節、昼間はともかく、夜はノースリーブだと寒い。
「服を錬成しても…なあ…」
 この薄い布地のドレスだと、暖をとれるような暖かい服を錬成するのは無理だ。
「……仕方ない、歩くか…」
 ゆっくりとエドワードは立ち上がり、パンプスを右手に持って、裸足で歩き始めた。まだ、歩いている方が、身体も温かくなるだろうと思って。
 一応舗装されている道だから、裸足でも何とか歩けた。
 そのまま、寒さで震えつつ、とぼとぼと歩き始めると。
 いくらもたたないうちに、前方から一つの明かりが近づいてきたのだ。
「…こんな時間に…車?」
 そう訝しみ、少しばかり警戒していると。
 その明かりは次第に大きくなって。
 エドワードの存在を確認したかのように、彼女の前で止まったのだ。
「え……?」
 まさか、自分の傍で止まるとは思ってなかったエドワードは、明かりの眩しさに瞳を細めつつも、その光の中心を見つめる。
 すると。
「―――エドワード!」
 聞き覚えのある声が、光の中から発せられ。
 続いて、見覚えの嫌というほどある姿が、飛び出してきた。
「…ラッセル…どうしてここに?」
 バイクから飛び降りたラッセルが、走ってエドワードに近づいてきたのだ。
「どうしてはないだろう?迎えに来てったっていうのに」
「迎え……?」
「ああ。伯父さん家に行ったら、伯父さんだけ帰ってきたから…心配になって」
「そうなんだ…」
 呟き、エドワードは、ほんの少し落胆している自分に気づいた。
 迎えに来てくれたのが、ラッセルだと分かって。
(どうして…だろ?)
 彼が、わざわざ迎えに来てくれたのは、感謝している。きっと、あちこち捜してくれたのだから。だけど、その嬉しさよりも、寂しさが勝っていた。
(…期待してたのかな?あいつが戻ってきてくれるのを…)
 そんなことは、あるわけがない。
 分かりきっていた。
 取引を駄目にした挙句、勝手に降りた自分のことなんか、怒る対象であれ、迎えに来てくれることなど絶対にしてくれないだろう。
 そう、理解している筈だったのに。
 まだ、心の隅では、期待していた自分の浅はかな思いが、滑稽だった。
「―――さあ、おまえのヘルメットも持ってきたから、後ろに乗って。アパートまで送るよ」
「うん……ごめん…」
「…大丈夫か?震えているじゃないか?」
 ラッセルが言って、エドワードを覗き込むように見る。
「うん…少し寒い…かも…」 
先程から、震えが止まらなくなっていた。悪寒もする。
「風邪…引きかけているのかもしれないな。こんな薄着でいるから…」
 どうしようか、とラッセルは内心困っていた。
 寒さで震えているエドワードを、バイクに乗せて連れ帰るのは酷かもしれない。しかし、このままここに置いておくのも、危険すぎた。
「仕方ない」
 ラッセルは、自分の上着を脱いで、エドワードに掛けてやる。
「…ラッセル?」
「それを着てろ。バイクに乗ったら少し寒いかもしれないが、我慢してくれ」
「でも…そうしたらラッセルが寒いんじゃ…」
「オレは平気だって。アパートに戻るまでだからな」
 と言いつつ、エドワードにヘルメットを手渡す。
「―――さ、風邪がひどくならないうちに帰るぞ」
「うん……ありがと…」
 普段の勝気さがなく、弱々しい笑い方に、ラッセルは彼女の体調が余りよくないことを察した。
(これは帰ったら…すぐに病院へ連れて行かなくちゃならないかもな…)
と考えつつ、バイクのエンジンをかけようとした時。

 一台の車が、イーストシティの方からやってきて。
 それは、今まさに出発しようとした二人の前で止まった。
 そして、車の中から出てきた人物を見た途端に。

「――――助かった…!」

 ラッセルは、歓喜の言葉を発したのだった。