イーストシティの恋人2 (5)
パーティーの当日。
よく晴れた日の午後。
待ち合わせ時間に迎えに来てくれたロイが運転していたのは、いわゆるオープンカーだった。
「――――この車も、あんたの?」
助手席に座り、心地よい風に乱れそうな髪を押さえつつ、エドワードは運転席でステアリングを握っている男に尋ねた。
「ああ。これは私個人の車だ」
そつのない運転をしながら、ロイは答える。
「…じゃ、いつも乗っているのは、会社の車?」
「そうだ。社用の車は二台ある。その方が、税金対策にもなるからな」
「あっ、そ…」
個人所有も含めて、この国ではまだ高級品である自動車を三台も持っているのは、かなりのお金持ちだと示すようなものだった。
その、庶民には到底手が出せないような車に、エドワードは乗っていた。
例え助手席でも、滅多にない経験だ。
しかも、綺麗なドレスや宝飾品を身につけている。
これが、好きな人とのデートならば、大喜びするところなのだろうが、今の状況は全く違ったものだった。
(……また、嘘をつきに行かなくちゃいけないもんなぁ…)
同郷ということで、とても気に入られた相手を、騙さなくてはならない。それは悪意からのものでないにしても、嘘をつくという行為が嫌いなエドワードにとっては、気が重くなる要因の何物でもなかった。
「…浮かない顔をしているな」
時折、横を見ていたロイが、不意に話しかけてくる。
「そんなに、今日のパーティーが嫌か?」
「パーティーが、嫌って言うわけじゃないけど…」
最後まで言わず、口ごもってしまったエドワードの言葉を、ロイが継いだ。
「あの夫人を騙すことが、嫌なのか?」
「―――気に入られていて、しかも自分も気に入ってる相手を騙すのが好きな人っているのかよ?」
「そうだな…。結果として夫人を騙すようなことをさせてしまって、すまないと思う」
「え………」
エドワードはロイの言葉を聞いて驚き、思わず顔を横に向けた。
まさか彼が、自分に謝るとは思ってもみなかったからだ。
いつものロイは、とかく高飛車で強引で、他人の思惑など関係なく周囲を引っ張っていってしまうというイメージが強かっただけに、さっきの謝罪の言葉は、とても意外だった。
「…だが、このパーティーでマレー夫妻に好印象を与えることが出来れば、明日にでも契約締結まで事が進むかもしれない。君にはすまないと思うが、今日一日我慢してくれ」
「わ…わかってるよ」
エドワードは慌てて答える。
「今日一日という条件で、付いて来たんだから。それに、一旦承諾したからには、最後までやり遂げるさ」
それが嫌なら、最初から断っていた。
今、この車に乗っているということは、今日一日嘘をつくことを承知したということだ。
「夫人にばれないように、頑張ってみる」
出来れば彼女とは、楽しい思い出のままで、終わりたいと思っているから。
今日が終われば、もう会うことはないだろうから。
だから、せめて今日だけは、楽しく過ごしたい。
「――――すまないな」
エドワードの、笑顔の奥に垣間見える決意を感じ取ったロイは、再度謝った。
それに対し、エドワードはやんわりと笑う。
「…いいよ。やると言ったのはオレだし」
と言ったエドワードは、覚悟を決めた。
これからの数時間、しっかりロイの婚約者役を務めよう…と。
「あ……でも……」
「何だ?まだ何かあるのか?」
「ダンスは、婚約者のあんた以外は躍らないことにしていると、ちゃんとあらかじめ言っておいてくれよな。じゃないと、他の人と踊っている時、ステップ間違って足を踏んでしまうかもしれないから…」
ロイの場合は、リードがとても上手なので、安心して踊れる。しかし、他の人がそうとは限らない。むしろ、ロイほどの人は余りいないだろう。そんな人達と踊って、間違ったりしたら、それこそエドワード自身だけでなく、婚約者のロイの評判をも落としてしまうかもしれないからだ。
極力、余計な詮索はされないよう、不安要素は外しておきたかった。
だが、エドワードの真剣な言葉を聞いた、ロイはというと。
突然笑いだしたのだ。
「…何がおかしいんだよ?」
「いや…すまない。どうせなら、『婚約者以外とは踊りたくない』と言って欲しかったかな…と思って」
笑い出されて、むっとしたエドワードに、ロイはすぐ謝る。
「何だよ、それ…」
ロイの答えを聞いたエドワードは、口元に苦笑を浮かべた。
ようやく雰囲気が和やかなものへと変わっているのを、感じて。
そして、その時ようやく気づいたのだ。
「あれ……ここって…どこ?」
確か、マレー氏の自宅に向かっている筈だ。なのに見えているのは、見覚えのない郊外の景色だ。
「マレー氏の自宅に行くんじゃ…」
「確かに、マレー氏の自宅に向かっているぞ。パーティー会場となる、郊外の別邸に」
「別邸……」
「ああ。前に行った家は、パーティーをするには少し狭いということらしい」
「あっそ…」
エドワードは、軽く肩をすくめて受け流した。
既に『別邸』と聞いても、エドワードは驚かなくなっていた。
ロイと付き合うような、同レベルの金持ちならば、別邸の一つや二つ持っていてもおかしくはないだろう。
―――エドワードの目から見れば、以前招待された屋敷も十分大きいものにみえるのだが、それも小さいという範疇に、軽く入れてしまう程の金持ちなのだ。
彼等は。
(…こんなことで、慣れたくはなかったけれどな)
自分が金持ちになったわけではないのだから。
しかし、こんなちぐはぐな状況も、後少しで終わる。
そうしたら今度こそ、この『夢』の世界から抜けよう。
この世界は、自分には縁遠いものなのだから。
いつまでも、傍にいたら、誤解してしまいそうだから。
(…何に?)
自分がお金持ちの令嬢だと?
いや、そんなことはない。
そうではないと、分かりきっているのだから。
だとしたら……何を?
何を…誤解するというのだろう?
胸の内に、答えの出てこない疑問を抱えたまま、自然と視線は、運転席のロイに向けられる。
すると、彼女の視線に気づいたのか、ロイもまたエドワードをちら…と見て、微笑んだ。
続いて、左手で前方を指差す。
「―――ほら、見えてきた。あれが別邸だ」
彼の笑顔に、ほんの少し見とれていたエドワードは、ロイの言葉で慌てて前方を向く。
すると、重厚な門の向こう側に、石造りの大きな屋敷が姿を見せたのだ。
そして、二人の乗った車は、当然という風に、躊躇うことなくその邸内に入っていった。
「――――ようこそ、マスタングさん!」
と、明るい声がするやいなや。
邸内の車寄せに滑り込んだロイの車の許へ、駆けつけたのは。
「…お招き預かりまして、ありがとうございます。マダム」
今宵のパーティーの招待主である女主人、テオドーラ・マレーその人だった。
「…堅苦しい挨拶は抜きにして。今夜は、親しい人達だけが集まったパーティーですから。楽しんでいってちょうだいね。そちらのお嬢さんも」
「ありがとうございます」
笑って優しく言葉をかけるテオドーラに対し、エドワードもロイに続いて一礼した。すると彼女は、パッと輝くような笑顔になる。
「今夜も、とても可愛らしいわ!…あなたにまたお会い出来ると聞いて、私、とても楽しみにしていたのよ。今夜も、リゼンブールの話をしましょうね」
「はい。ぜひ」
そこで、玄関先での会話は終わり、エドワードとロイは、テオドーラに先導されて、屋敷の中のパーティー会場へと入っていった。
勿論、ロイのエスコートによって。
案内されたホールには、既にかなりの客が到着していた。
もうダンスを踊っている客もいれば、ホールの端で会話に興じている者もいる。
その誰もが、いわゆるこの地域の上流階級の人間ばかりなのだろう。
「…申し訳ないのだけど、まだ挨拶をしなければならない方がいらっしゃるから…。ご自由に楽しんでくださいね」
「ええ。お気遣いありがとうございます、マダム」
申し訳なさそうに言うテオドーラに、すかさずロイはフォローする。
「……では、また後程お話しましょうね」
と、この家の女主人はエドワードに笑いかけて、足早に去った。そして、次々とやってくる客達に挨拶をしている。
「パーティーを主催するっていうのは、大変なんだな…」
彼女の忙しそうな様を見て、エドワードは呟いた。
「晩餐会の比じゃなさそうだ…」
「忙しい分、見返りは十分ある筈だ」
「見返り…?」
顔を隣にいるロイに向け、エドワード問うた。
「そう。こういうパーティー催せば、それだけで人脈が増える。それに、自分の力を皆に誇示することも出来るからな」
「ふうん…」
そういうものなのか、とエドワードは思った。
ここに来ている客達は、ただ単にパーティーを楽しむために来ているのではないのだ。そういう人もいるのかもしれないが、大半が何か目的があって招待を受けているのだろう。
(そういえば…オレ達も…)
パーティーが目的ではなかったことを、思い出す。
自分達にも、別の目的がしっかりあったのだ。
「―――さて」
ロイは周囲を見渡して、呟いた。
「取引相手の顔が何人か見えるから、私もこれから挨拶してこよう。君は…一緒に来るか?」
「いや…いい…」
エドワードはすぐに断った。
ロイと一緒にいたら、きっと誰かと相手が尋ねてくるだろう。その度に、『婚約者』だと嘘を言って、自分には何ら関係のない人達に無理矢理愛想を振りまきたくはなかった。
人付き合いが余り得意でないエドワードにとっては、それだけでもかなり神経を使いそうで嫌だった。
それに、あちこちで嘘を言っていたら、この場限りの嘘で終わらなくなってしまうのではないかという危惧もあって、同行するのを遠慮することにした。
「…オレは、適当にしてるよ。挨拶は、あんただけで行ってくれよ」
「そうか。なら、あちらの部屋に食事が用意してあるみたいだから、食べているといい。私も、一通り挨拶したら行くから」
「分かった」
と、エドワードが頷くと、ロイはエスコートしていた腕を解き、知り合いとおぼしき、初老の男に歩み寄って話しかけていた。
その姿を確認したエドワードは、くるりと彼に背を向け、教えてもらった別室へと向かう。
その間にも、通り過ぎる、顔も名前も知らない招待客に、軽く会釈をしながら。
ホール内をさざめく声。
流れる優雅な音楽。
色とりどりのドレスを身に纏い、踊っている淑女。
そんな彼女達をエスコートしている、紳士達。
どれこれも、エドワードにとっては初めて目にするもので、見ているだけで何となくワクワクしていた。
自分がいざ、その中に入るとなると困るのだが、外から眺めているのは楽しい。
だからつい、運ばれてきた飲み物を手に取るなんてことを、してしまう。
普段は絶対に体験できない、きらびやかな世界を、垣間見ていた―――――時。
エドワードの横を、通り過ぎようとした紳士に、少しばかり腕が当たって、手に持っていたグラスが傾いて、床に零れ落ちてしまったのだ。
「ああ、失礼…」
ぶつかった男はすぐさまエドワードに謝ってきた。
「いえ…。濡れていませんから…」
と言って、謝罪した男の顔を見た時。
目の前に立っていたその男の表情が、とても険しくなっていることに、エドワードは気づいた。
「あ…の…?」
自分を凝視する男の視線に、エドワードは戸惑った。
(……こんなとこに…知り合いなんていない筈だけど?)
目の前に立つ、頭頂部の薄い、太った中年男を見ながら、エドワードは記憶の糸を手繰り寄せていた。
どこかで…会ったような気もするのだ。
だが、それがいつのことなのか、分からずにいると。
「……こんな所で会えるとはな」
ニヤッと笑うやいなや、いきなりエドワードの腕を太い指で握った。
「なっ…!」
その、ぶよぶよとした感触が気持ち悪くて、思わず振りほどこうとしたのだが、意外と男の腕力は強く、解けなかった。
「……あの後も、何度もあそこへ行ったんだぞ。おまえに会いたくてな。だが、見つけることはできなくて…。商売する場所を変えたのかと、諦めかけていたんだが…。まさか、こんな所で会えるとは、思ってもみなかったよ」
「あ―――――!」
男の話を聞いているうちに、エドワードも思い出した。
(あの、オレを娼婦と間違えたおっさん!)
確かに彼は、揉み合っているうちにエドワードがロイの車と接触し、騒ぎに巻き込まれるのは御免だと、とんずらした男だった。
(こいつも……紳士の一人っていうのかよ!)
紳士が聞いて呆れる、とエドワードは心の中で毒づき、未だ腕を掴んだままの男を軽く睨んだ。
だが、図々しい男は、それくらいで怯みはしない。
相変わらず嫌らしい笑みを顔に浮かべて、エドワードに話しかけてきたのだ。
「丁度いい機会だ。今夜、これから付き合わないか?金は言い値を出すぞ」
(こんの…エロ親父…!)
あくまでエドワードが娼婦だと、思い込んでいるようだ。
「前の時も言っただろう!オレは娼婦なんかじゃない!」
余り大声で言うと、周りの人間にも聞こえてしまうかもしれないので、声を抑えて否定する。
けれども男は、一向に信用しなかった。
「分かった分かった。表向きはそう言うが、その実客を探しているんだろう?だったら私がなってやろう」
「こ……の……っ!」
全く話が噛み合わない。
こんな奴とは、いくら話していても無駄だと思ったエドワードは、我慢も限界とばかりに、掴んでいる手に空いている左手を掛け、ぷよぷよした男の腕を引き剥がそうとした。
時。
「――――私の婚約者に、何か御用ですか?」
「いっ…痛っ…!」
低い、落ち着いた…しかし、その奥底には怒りをこめているような声がすぐ傍で聞こえるやいなや。
エドワードの腕を掴んでいた中年男が、顔を苦痛に歪ませ、その手を離した。
「……ロイ…」
いつの間に来ていたのか。
ロイが、男の腕を軽く捻りあげていた。
「…このような場所で、人の婚約者にちょっかいを出すなどと、紳士にあるまじき行為は、慎まれた方がよろしいのでは?」
「なっ…何が婚約者だ!」
男は顔を真っ赤にして怒鳴った。
その怒鳴り声を聞いた招待客達は、一斉にエドワード達の方を向く。
「この女は娼婦だ!私は知ってるんだぞ!通りに立って客を探していたんだ!」
「違う!」
エドワードは、すぐさま否定した。
「オレは、そんなことはしていない!」
「何だと…!なら、どうしてあんな通りにいたんだ?あそこは、令嬢が行くような場所じゃないだろう!」
「それは……っ」
エドワードは、言葉に詰まる。
真実を言ったら、自分の素性がばれてしまうと思ったからだ。
「ほら見ろ!やっぱり娼婦なんだろう?」
「違う…!」
「―――一体、何の騒ぎですか?」
不意に、穏やかな声が入ってくる。
その声によって、怒鳴り合いが遮られて。
エドワードは、いつの間にか三人を中心に、招待客が集まってきていたことに気づいた。
「……何なのですか、一体?」
止めに入ってきたのは、この家の女主人、テオドーラだった。
「い、いや……その…この女が娼婦だと…」
大声で言い張っていた男は、しどろもどろに答える。
正気に戻ってみると、非常にまずい状況だということに気づいたのだ。
「……娼婦…?」
「―――ちがいます!」
テオドーラが、指差されたエドワードを見たので、すぐさま否定する。
「あんな所を歩く令嬢がいるか!」
「――――とにかく。今この場に相応しくない話は、止めて下さい。他のお客様もいるのですから」
またも大声をあげようとした男を、ぴしゃりとテオドーラは厳しくいなす。
「それに…あなたにとっても、名誉なことではないでしょう?そんないかがわしい場所に行ったということは」
「………っ!」
テオドーラの言葉を聞いていた周りの客達から、失笑が漏れる。それを聞いた男は、茹蛸のように顔を真っ赤にした。
そして、わなわなと震えつつも、踵を返してその場から離れたのだった。
それを合図にしたかのように、再び人々は思い思いにパーティーを楽しむべく、散り始めた。
その場に、エドワードとロイ、そしてテオドーラを残して。
「あ…の…」
エドワードは、隣に立つテオドーラに、この場を上手く収めてくれた礼を言おうとしたのだが。
「……パーティーが終わった後で、あなた方にもお話を伺いたいわ」
さっきまでの、明るい笑顔は掻き消し、抑揚のない声で言われ、エドワードは声を出せずに、礼の言葉を喉の奥に飲み込んでしまう。
「……分かりました」
ロイが一言、答えると。
テオドーラはふいっと顔をそむけて、すぐさま二人の許から立ち去った。
そんな彼女の後姿を、エドワードはただ茫然と見つめていることしか出来なかった。
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