イーストシティの恋人2 (4)
「――――まさか、エドワードのアルバイト先が、伯父さん家だなんて、知らなかったよ」
ラッセルは、その場の雰囲気を和ませようと、殊更明るい声で言う。
取りあえず、一応自己紹介(?)を済ませたということで、エドワードとラッセルは、ロイと彼の連れであるリザのテーブルに座り、会食を始めたのだった。
「世間って狭いわね、本当に。…それにしても、あなたとエドワードちゃんも、学年が違うのにどうして知り合いになったの?」
リザも努めて、ラッセルに合わせて明るく話そうとしているようだ。そうでもしなければ、このテーブルは暗くなってしまうのが手に取るように分かっていたからだ。
ラッセルとリザ以外の二人が、余り…というか、殆ど会話に入ろうとせず、ただ飲んだり食べたりしているだけなので。
「ああ。オレは、前から彼女のことは知っていたんだ。一年先輩に、錬金術の超天才がいるっていうのは、学校中の評判だったから。でも、実際初めて話をしたのは、リサイクルショップだったんだ」
「リサイクルショップ…?」
学校内ではなくて、リサイクルショップでとは、不思議なところで会うものだ…と、怪訝そうにリザは呟く。するとラッセルはすかさず説明し始めた。
「彼女が、とても高そうなドレスを売ろうとしていたのを、ちょっと手伝ってあげて……」
「ラッ、ラッセル…!」
エドワードが、彼の話そうとする内容に気づいて、慌てて止めようとしたのだが、時既に遅かった。
「ドレスって……あの時のか?」
それまで黙って会話を聞きつつ、グラスを傾けていたロイが、不意に会話に入ってくる。
ラッセルの話の中の、『ドレス』という単語に引っかかって。
「あ………そ…の……そうです…」
今更誤魔化しようがないと分かったエドワードは、仕方なく正直に答える。
「―――もう、着ることなんてないと思ったから…。返そうかとも思ったけど…オレが一度着ているし…」
と言った最後に、小声で『ごめん』と呟く。
だが、彼女の謝罪に対してロイは、あっさりと言う。
「別に、君が謝ることなどない。あのドレスは君にプレゼントしたものだから、後はどうしようと、君の自由だからな」
「あ……そ、そっか…」
ロイにそう言われ、ほんの少し安心したかのようにエドワードは、堅くしていた表情を和らげていた。
そんな二人の遣り取りを、ラッセルとリザは興味深げに見ていたが、その場で深く追求しようとはしなかった。ここでしなくても、後でロイから聞けばいいのだと思っていたので。
「―――それにしても、その年で錬金術の超天才だなんて…凄いわね。将来はやっぱり、国家錬金
師を目指しているの?」
リザが優しげに微笑みつつ、エドワードに聞く。
「え、ええ…出来れば…」
それに対し、エドワードはぎこちなく笑って答えることしか出来なかった。
普段どおりに話せばいい。
そう思っているのに、実際は出来ずにいる。
席について彼女―――リザ・ホークアイと名乗った目の前の美しい女性の自己紹介を聞いても、自分の名前を名乗るのがやっとだった。それも、無理矢理笑みを貼り付けて。
(…どうして…かな?)
決して愛想がいいと言うわけではないが、女性に対してはひどく人見知りになることはない。だが、彼女に限っては、何故だかぎくしゃくとした態度を取ってしまうのだ。
(何故……?)
理由がわからないのが、もどかしい。その間にも、ついさっき、ロイの屋敷で感じていたもやもやとした気分が再び湧き上がってきて、余計にエドワードの気分を滅入らせていた。
(―――早めに切り上げて、帰ろうかな?)
そう思い、一向に食が進まないのを、取りあえず今、皿に盛ってあるものは食べようとフォークを手に取った時。
「―――これからは、女性もどんどん仕事を持って、世の中に出て行くべきだと、オレは思うけどな。リザさんみたいに」
と、ラッセルがリザに向けて話し始めた。
「そうね…。まだまだ女性には厳しい環境だと思うけど、少しずつでも増えてきていると思うわよ」
「でも、リザさんみたいに、伯父さんとの婚約解消してまで、仕事を選ぶ人なんて、そうそういないと思うけど?」
(えっ………?)
エドワードは、ラッセルの言葉を聞いて、黙々と動かしていた手を止めて、会話に聞き耳を立てる。
(婚約解消って……?)
その横では、リザが苦笑いを浮かべて、ラッセルに答えていた。
「あの時は…仕事以外にも理由がいろいろあったのよ。でも、結果としては、あの時解消していてよかったと思っているわね」
「オレも正解だと思う。伯父さんに、リザさんは勿体無いよ」
「おいおい、ラッセル」
甥の暴言に、ロイは苦笑を浮かべていた。どうやら本気で怒ってはいないようだ。
「…確かに、あの時は周囲の思惑が主体で動いていたからな。周りに動かされて結婚するなんて真っ平ごめんだったから、あの時はあれで良かったと、私も思うよ」
「―――そうですね」
リザも微笑んで同意を示す。
(……何だ……そういうことだったんだ…)
話を黙って聞いていたエドワードは、ようやく、目の前の二人の関係がはっきりして、安心した。
何となくだが…もやもやしていたのも、いつの間にかすっきりしていた。
それが、どうしてなのか分からないが、不快なのが消え去って、安心した。
「―――あら、エドワードちゃん。お皿が空っぽよ」
ふと、リザがエドワードの前の皿を見て、話しかけてきた。
「食べれるようだったら、もう少し注文しましょうか?」
「あ……うん。もう少しなら…」
まだ少し、胃袋には余裕がありそうだと確認して、答える。
「そうだな。育ち盛りなんだから、まだ食べとかないと」
「育ち盛りはおまえもだろ、ラッセル」
と、エドワードとラッセルは軽口を叩き始めて、笑い合っていた。
そんな二人の遣り取りを眺めて、ロイもまた笑っている。
そして、リザも。
彼女も笑ってはいたが。
時折注意深く、窺っていた。
真剣な、眼差しで。
楽しそうにはしゃいでいる、エドワードの姿を。
そっと、見つめていた。
盛大な欠伸が、また一つ。
「――――昨晩は、遅かったんですか?」
今朝会ってから、何回目になるかと数えるのも諦めるくらい、欠伸を連発しているロイに、ハボックは笑いながら聞いた。
「……ああ、ちょっとな…」
「聞きましたよ、彼女から。ラッセル君とかなり遅くまで飲み明かしたんじゃないかって…」
「知っているなら、聞くな。……しかし、若いというのは凄いな。あれだけ飲み続けても、翌朝はケロッとした顔で学校へと出かけていったから…」
付き合った自分は、二日酔いにはなってないものの、睡魔が一向に立ち去ってくれずにいた。
「…でもラッセル君、確か未成年じゃ…」
「ほぉ…。おまえの口から、未成年に対する飲酒は厳禁だという言葉が聞けるとは思わなかったな」
少しばかり皮肉を込めて言うと、ハボックは乾いた笑いを漏らした。
「誰も、そんなことは言いませんって。しかし、彼をそんな風に、酒に強くしたのは社長ですか?」
「私もだが……父もだな。それに、あいつもどちらかというと強い方だし…」
「やっぱり、似るんもんなんですねえ…。」
と、納得したように頷くハボック自身も、相当のうわばみだ。
そして、今はどうやら彼と付き合いだしているらしいリザも、ハボックと張るくらい、実は酒に強かったりする。
流石に昨晩は、エドワードを送って行くということで、セーブしていたようだが。
「ところで、ハボック。昨日までの報告事項は以上でおしまいか?ならば、夕刻にの取引先へ向かうまで、少し仮眠でもしておきたいのだが…」
本当のところ、午後を過ぎた今は、猛烈な睡魔がロイに襲いかかっていた。このままだと、仕事をしていても机に突っ伏してしまうだろう。
「…ああ、最後に一つあります。例の、先日晩餐会に招待された、マレー氏から、昨晩連絡がありました」
「―――マレー氏から?」
ロイは、閉じかかっていた瞼を開けて、目の前に立っているハボックを見る。
「…例の、取引の件か?」
「そのことについて、具体的な話をする前に、是非もう一度、自宅にご招待したい、とのことでしたよ」
「招待…だと?また晩餐会にか?」
「いいえ。今度は、自宅でダンスパーティーを開くので、ぜひ来て欲しいと。その時は、先日晩餐会に連れてきた、可愛らしい婚約者も是非ご一緒に…ということです」
「婚約者……というと、彼女のことか?」
ロイの脳裏には、エドワードの顔が浮かんでいた。
「そのようです。どうやらマレー氏の奥方が、彼女のことをとても気に入られたようでして…。同郷の誼というのもあるのでしょうが、再度会いたいと切望しているそうです」
「――――それで、仕事の話は、パーティーの後、ということか」
「でしょうね。けれども、このパーティーで、上手くいけば取引成立ということになるかもしれませんよ」
「そうだな…」
確かに、先日の晩餐会での、奥方のはしゃぐ様子から見れば、手応えはあったといってもいいだろう。この分だと、次のパーティーの後には、契約書にサインをしている可能性が大だ。
(……だが、そうなるためには…)
ロイは、暫し考えた。
既に、眠気はすっかり消えてしまっていた。
「取引成立のためには、彼女の協力が不可欠、か…」
「―――社長?」
「ハボック」
ロイはいきなり立ち上がって、呼んだ。
「は、はい」
「彼女は……今日も私の家に来ている筈だな?」
「彼女って……エドワードのことですか?」
「他に誰がいる?」
至極当然、という顔をして答えるロイを見て、ハボックは内心少しばかり複雑な思いだった。
今は婚約解消して、いい友人でもあり、且つ仕事上での取引相手でもあるリザのことは、恋愛要素では、ロイの念頭には全く入ってないということが分かって。
現在は自分が彼女と付き合っているだけに、上司が彼女のことを忘れていないというのは困るのだが、かと言って、あっさりと忘れ去られてしまっているというのも、何となく釈然としなかった。
(それ以上に…あの子のことが気になるってのも…なぁ…)
まだ年若い少女の顔を思い浮かべて、思う。
出来れば、上司の相手にはなって欲しくない、と。
勿論、自分の上司であるロイは、尊敬に値する人物だと思う。だからこそ、職業を変えてでも、彼の下で働けるのだ。
かと言って、仕事とプライベートは全く別物だ。
リザと婚約解消する前から、常に女性との華やいだ噂が絶えたことはなかった。
元々、リザはロイと結婚するつもりなどなかったから、不特定多数の女性と浮名をいくら流しても、嫉妬すらしていなかった。ただ、同性として、女性を悲しませるのは許せないと怒ることもあったのだが、女性側も割り切った付き合いをしているようであれば、口出しすることはなかった。
(だけどなあ…)
あの子は、違うだろう。
ハボックには分かっていた。
今、家政婦としてロイの家に来ているエドワード・エルリックという少女は、ロイがこれまで付き合ってきた女性達とは、明らかに違う。
まだ、恋すらもまともにしたことがないような、幼さの残る女の子だ。
だからこそ、彼女には、普通に年相応の恋愛をしてもらいたいな…と、兄のような気持ちで、ハボックは考えていた。
ロイとの関係は、雇い主と従業員という関係で終わって欲しい…と。
それ以上、恋愛関係へと進展はしてほしくない…と。
今の彼女に、大人としての恋愛を押し付けるのは、まだ荷が重過ぎるような気がする。
そうかと言って、ロイに彼女に対して相応の対処をしろとも言えなかったし、言ったとしても無理だろう。彼女のようなかなり年下の女の子とは、今まで付き合ってきたこともないのだから。
それでももし仮に、ロイと恋愛関係になったとして。
そのままずっと、恋人同士の関係が続けば問題ない。
しかし、後々別れるような事態になってしまったら。
エドワードは、他の大人の女性のように、割り切って、自分の心を守るような、器用な真似など出来なさそうだから。
傷口を晒して…さらに深く傷つきそうだから。
だから、彼女には。
ロイとは、仕事上の、顔を合わせずに済む現在の関係だけで、終わって欲しいと願っていた。
余り、二人が接する機会を、作りたくはなかった。
先日の、晩餐会の時のような……。
けれども、そんなハボックの願いは、上司には通じていないようだった。
「―――ハボック。これから少し家に戻るぞ」
「……忘れ物でも?」
ロイの目的は分かっていたが、敢えてとぼけた質問をした。
「違う。今の時刻なら、戻ってもまだいる頃だろう。急いで彼女に頼みたいんだ」
「……マレー氏のパーティーでの、パートナーですか?」
「ああ。これで夫人を喜ばせることが出来れば、契約成立は目前だろう」
ロイの言葉を聞いて、ハボックはやっぱりと納得する。
彼は、エドワードを仕事上で利用しているだけなのだ。利用するというのは語弊があるかもしれない。
ロイはパートナーに扮する交換条件を、きちんと彼女に提示しているのだから。
ただ。
(…あの子も、その条件のためだけに、その場限りと割り切ってくれればいいんだが…)
今はそうであっても、この先は分からない。
目の前の上司は、余程の事がない限りは、女性には優しいから。
その優しさを誤解して、彼に惹かれなければいいのだが……。
(ああ…本当に…)
ハボックは、自分の普段の不信心さを棚に上げて、神様とやらに祈っていた。
今回のパーティーで、二人のこの奇妙な関係が終わりますように…と。
「あ〜あ……」
エドワードは、深―い溜息をついて、目の前のテーブルに置いてある、大きめの紙袋を見つめた。
それから暫くして、意を決したように紙袋の中から平べったい箱を取り出して、蓋を開ける。
するとそこには。
「これも……前のと同じくらい高価なものなのかな…」
きれいな水色のドレスが、きちんと畳まれて箱の中に入っていた。
そして、ドレスと一緒に、例の値段がいくらか検討もつかないような、ダイヤのネックレスとイヤリングも、再びエドワードの手元に届いていた。
いずれも、ついさっき、エドワードのアパートに届けられたものだ。
「あ〜あ…」
と再び漏らして、エドワードは後ろにあるベッドへと寝転がった。
「仕事とは言っても…なぁ…」
気が重かった。
昼間、家政婦としての仕事をしていたエドワードの所に、突如戻ってきたロイが依頼したことは。
再度、ロイの取引先であるマレー氏主催のパーティーに、パートナーとして一緒に参加してもらいたい、というものだったから。
「―――奥さんに会うのは、楽しみだけど…」
同じ、リゼンブール出身ということで、とても親しみが湧き、話も弾んだ。夫人との会話は、とても楽しかった。
出来れば、また会って、もっといろいろ話したいとも思う。
その気持ちに、偽りはない。
けれども。
「……また、オレのことを婚約者扱いするんだろうなあ」
前回行った晩餐会の時に、彼女とその夫にロイの婚約者だと誤解されてしまったのだ。その時は、その場限りだということで、否定しなかった。
あんなことはもう二度とないと、思っていたから。
一度会っただけの招待客のことなど、すぐに忘れてしまうだろうから、とロイに言われたし、自分も二度と、あの優しげな夫人に会うことはないだろうと思って、納得した。
それなのに。
一か月もたたないうちに、再び婚約者として振舞わなければならなくなった。
「―――断ればよかったかなあ…」
ロイに再び依頼された時に、きっぱりと。
一応やんわりと断ろうとしたのだが、ロイが
『今度で最後だ』
と、熱心に言い募るのと、エドワード自身もう一度くらいは夫人に会いたいという気持ちから、後一回だけという条件で、不承不承ながら引き受けることにしたのだ。
その後、仕事は一旦中断し、前回と同じドレスショップの店員が、またしてもたくさんの様々なドレスを携えてきて、エドワードは次から次へと試着することになってしまった。その中で、またもロイが気に入った一着が、多少のサイズ直しを終えて、エドワードのアパートにさっき届いたのだった。
『今度のパーティーは、他にも招待客がたくさんいるらしいから、前ほど緊張しなくて済みそうだ』
と、ロイは日程などを簡単に説明し、パーティー当日迎えに来ると言い終えて、彼女をようやく解放した。
「…でも、やっぱり気が進まない…」
ロイの婚約者の振りをするというのも、正直言って疲れる。
しかしそれ以上にエドワードの気分を沈ませているのは、優しい夫人を騙しているという負い目だった。
ビジネスのためとはいえ、婚約者でもない自分が、そのように振舞うのは、嫌だった。
断れば良かったと、ぐらついてしまう。
「でも…これで最後だから……」
心が揺れ動くたびに、エドワードは無理矢理そう思って耐えた。
ロイにも、雇ってもらった恩があるから。
今回の事でも、ロイは破格の報酬を示したから。
そして…自分が少しは、役立てればいいかな、と思うから。
騙すのは、これで最後だから――――。
許して欲しい…。
決して、悪意で騙すのではないのだから…。
エドワードは、沈みがちな気分を叱咤して、自分に言い聞かせるように何度も心の中で呟いていた。
ベッドに横たわって、テーブルの上にある、美しいドレスを見つめながら………何度も。
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