イーストシティの恋人2  (2)  

「…だけど、あのドレスがこんな値段で売れるなんて…」

 校内にある学生食堂の一角で、エドワードは手に持っていた白い封筒を眺めつつ感心したように呟いた。
「何を言ってるんだ。あのドレスは上流階級の女性達が顧客の、一流店で作られたものだぞ。古着とは言っても、それくらい支払われるのが相場だ」
 呆れたようにラッセルは答えた。
 二人は、ラッセルが案内してくれたリサイクルショップでエドワードのドレスを売った後、授業もあるということで、学校に移動することにした。そこで、丁度昼時ということもあって、学生食堂で少し早めのランチとなったのだ。
「君は、そのドレスの価値を知らずに、売ろうとしていたのか?」
「だって、オレが買ったんじゃないもの」
 だからドレスの値段を知らなくて当然だ、と、ランチの付け合せのサラダをつつきつつ、答える。
「…でも、あんたがいてくれたお陰で、安く叩かれなくて済んだから…一応礼は言っておくよ。ありがとな」
「礼は、ここのランチを奢ってくれるということで、いいさ」
 と、笑って流すラッセルを見て、エドワードもまた笑った。
(こいつって…結構良い奴かな…?)
などと思いつつ。
「…だけど、ドレスの価値が分かるなんて、凄いよな」
「まあ…育った環境が環境だから…」
「ひょっとしてあんた、いいとこのお坊ちゃんなのか?」
「まあ……そこそこ…」
 余りはっきりとは言わない。言いたくないことなのだろうかと思い、話題を変えた。
「でも、首席でこの学校を合格したということは、あんたも国家錬金術師を志望してるのか?」
「そもそも、それを目指す学校だろう、ここは」
 それが当然なのだと、答える。
「でも………」
 エドワードは言いよどむ。自分のように、お金がないから奨学制度のあるこの学校に入学したのとは違う。ラッセルは、元々いいとこのお坊ちゃんのようなのだ。だから無理にこの学校に入る必要もないのでは…と、エドワードは考えていた。
「オレも、錬金術に興味があったからな」
 ラッセル、ぽつりと言った。
「おまえも…?」
「ああ。だから、思う存分その勉強が出来る、この学校を志望したんだ」
「親とか…反対しなかったのか?」
 上流階級に入るであろう家の息子が、錬金術師になろうというのを、家族が大喜びで賛成するとは思えない、とエドワードは考えていた。
 だがラッセルは、あっさりと答えたのだ。
「別に…。父親は早くに亡くなって、今は母親だけしかいないけど、オレが好き勝手するのは構わないって感じだしな。家の…事業の方は、本家の伯父が継いでるから問題ないし」
 だから、勝手気ままにさせてもらっているのだ、とラッセル明るく笑った。
「オレは、元々事業なんて継ぎたくなかったし。そういう器でもなかったしな。それに、錬金術の方に興味があったから、却って好都合だったってわけさ」
「ふうん……」
(なかなか、上流階級のお坊ちゃんっていうのも、複雑そうだな…)
 ラッセルの話を聞いて、密かに思う。
「でも、何であんたが、あんな質屋にいたわけ?」
 どう見ても、お金には不自由しそうではない家庭環境だ。自分と違って。
「ああ。あの店、古本の品揃えもなかなか良くて、行ってたんだよ。特に、錬金術に関する本は」
「ええーっ!オレもそれ、見たかった!」
 思わず、エドワードは残念そうに叫ぶ。『錬金術』と聞くと、ぜひとも行ってみたいが、ついさっき騒ぎを起こしたところだ。流石に行くのは気まずいものがある。
「―――他にもいろいろ知ってるから、案内してやるよ」
 錬金術が絡むと、途端に目を輝かせる少女を見て、ラッセルは楽しそうに笑った。
「早速だけど、午後の授業が終わった後はどうかな?」
 そう言って誘えば、喜んで頷いてくれると思いきや。
「うーん…行きたいのはやまやまなんだけど、授業終わったらすぐに仕事へ行かなくちゃならないんだ」
 と、残念そうにぼやく。
「仕事……?」
「そう。家政婦なんだけどさ。ほら、オレって見境なしに本を買うから、いつも奨学金だけじゃお金足りなくて…」
「成程」
 学年が違えど、彼女のことはよく知っている。入学して以来首席をキープし続ける、錬金術の天才とまで言われている少女だ。並の勉強量ではないのだろうと思っていた。
「なら、本屋へ案内するのは、また別の日にするよ」
「ごめんな」
 そう謝った時に、丁度ランチの皿も空になった。
「じゃ、オレは午後の授業に出るよ。―――あんたは?」
 彼女がトレーを運ぼうとするのをラッセルが止め、二人分をまとめて運ぶ。
「オレも授業があるよ。……それより、いい加減『あんた』は止めてくれないかな?一応名乗ったわけだし」
「ああ、ごめん。……ラッセルって呼んでいいのか?」
「いいよ。オレも、エドワードって呼ばせてもらえるなら」
「エドワード先輩、だろ?」
 茶目っ気たっぷりに笑い、エドワードは食堂から出て行った。
 その、後姿を見つめながら、ラッセルは苦笑を浮かべて溜息をつく。
「――――どう見ても、先輩らしくはないけどな…」
 小柄な、金の髪と瞳の愛らしい少女。
 口は少し悪いものの、それすらも彼女の魅力に変わっている。
 校内でたまに見かけていた彼女が、妙に気になっていた。
 綺麗な容姿もさることながら、ずっと首席でいるという優秀さにも心惹かれるものがあった。
 だが、学年が違うということで、見かけはするけれど、当然のことながら話をする機会はなかった。
(今日、偶然あの店で見かけたのを、幸運だと思うべきかな?)
 お陰で、彼女と知り合いになれた。
 次の約束を取りつけることも、出来た。
 このきっかけを、これからも生かしていきたいと思いつつ、ラッセルもまた、自分の教室へと向かった。
 




 エドワードとラッセルが、学生食堂で五百センズのランチを食べていた同じ時刻。
 イーストシティ内でも指折りの、高級レストランの個室では。


「……本当に久しぶりだ。一年ぶり…だったか?」
「そうですね。婚約破棄して以来ですから…そのくらいだと」
 こちらは二十代と思しき、美男美女が優雅にこの店おススメのコース料理を食べていた。
「―――歯に衣着せぬ言い方は、変わらないな。リザ・ホークアイ中尉」
「あなたは…少し変わりましたか、ロイ・マスタング大佐」
と、互いに名前を呼び合ってから、ほぼ同時に笑い出した。
「……懐かしいな、その役職で呼ばれるのは」
「私もです」
と、リザと呼ばれた金髪の、理知的な女性は、少しばかり安心したようにロイを見つめていた。
「……でも、冗談で言い合えるくらいには、なったんですね…」
 良かったです…と呟き、食事を続ける。
「まあ…な。軍を辞めて、もう一年だ」
「そうですね…」
 懐かしそうに漏らすロイに、リザもまた相槌を打った。
「で、君が今回、この街に来た目的は?」
「あなたと同じです。新しい仕事を手がけています」
「成程」
ロイは、感心したように頷いた。
「君の有能ぶりは、職を変えても健在みたいだな」
「何を仰いますか。あなたこそ、現在のブラッドレイ社の躍進は、新社長のロイ・マスタングの手腕によるものが大きいと、専らの評判ですよ。政財界では」
「君にお褒めいただくとは、光栄の至りだな」
 前の職場では、滅多に褒めてもらったことなどないから…と呟くと、リザは美しい顔に微笑みを浮かべた。
 しかし、その顔からすぐに笑みが消え。
「――――今回ここに来たのは、仕事も理由の一つなのですが…」
 そう言いながらリザは食事の手を休め、ハンドバッグの中から一通の封書を取り出した。
「これを……言付かってきました。会長から」
「父さんから……?」
 ロイもまた、食事を止めて差し出された封書を受け取り、それをまじまじと見る。
「それと…ご伝言も。

『そろそろ、潮時だろう』

ということです」
「……戻って来い、ということか?」
 ロイの問いに、リザは黙って頷いた。
「……あの一件で、あなたはあちらにい辛くなったから、イーストシティに来ざるをえなかった。ですが、こちらに来てもうすぐ一年たちます。人の噂も薄れていますから、戻ってきても問題はないだろうと、会長もお考えになられているようですよ」
「だから…君に、メッセンジャーを頼んだというわけか」
「はい。我が社とブラッドレイ社の関係も、現在は良好ですし。イーストシティでのあなたの実績も、政財界で非常に高く評価されています。ですから…もう戻ってもよろしいのではないですか?」
「そう…だな…」
 リザの言葉を聞いて、ロイも微笑んだ。
「君ともこうして、何のわだかまりもなく食事が出来るようになったことだし…」
「あら、私達の間には、最初からわだかまりなんてありませんでしたよ」
 あっさりとリザは言い切った。
「私達は、軍にいる頃からずっと、上司と部下の関係でした。それ以上でもそれ以下でもありません。わだかまりを作ったとしたらそれは、余計なお節介をしてくれた、政財界そのものでしょう」
 そうではありませんでしたか?と、問われ、真正面から見据えられては、
「―――そうだな」
と、言うしかない。実際、彼女の言うことが真実なのだから。
「今更、周りにとやかく言われても、それで傷つく程私達は弱くはありませんから。…だから、戻ってきてください」
 目の前にいる美女から、真摯な眼差しで請われると、普通の男ならば二つ返事で応じることだろう。彼女が、仕事に関しては、自分にも厳しいが、他人に対しても非常に厳しい人物だと知るまでは。
「そうだな……ここでの仕事が、もう少ししたら落ち着くことになるだろう。それが終わったら、戻ることを考えようか」
 だが、ロイは、彼女の本質を見抜いている。だからこそ、返答は慎重にして、食事を再開した。
 今の話は、一旦そこで終了だと、彼女に示すために。




「君は、いつまでこの街に滞在するのか?」

 二人だけのゆったりとした食事を終え、レストランから出てきた直後にロイはリザに尋ねた。
「仕事の方は…あと二、三日で終わる予定なのですが…。せっかくの機会ですから、彼にも会って行こうかと」
「……彼、というと?」
「あなたの甥御さん、です」
「ああ……」
 車に乗り込みつつ、ロイは不思議そうな顔をする。
 彼女と、自分の甥に、接点があるとは思わなかったからだ。
「あら、セントラルにいた頃は、結構彼とお話する機会があったんですよ」
 あなたが知らないだけでと、リザは笑った。
「―――それに、あなたのお父様と、彼のお母様にも、様子を見てきてほしいと頼まれまして。時間が空いたら、彼のいるアパートを覗いてみようと思っています」
「…それはありがたいな。何せ私も仕事が忙しくて、なかなか会いに行ってやれないし。あいつも、勉強が忙しいのか、電話一本かけてきやしない」
 お互い、同じ街にいるのにも関わらず、もう何ヶ月も顔を合わせていないことにロイは気づいた。
「時間の都合がつけば、一度三人で夕食でもどうだろうか?」
「いいですね」
 と、彼女が返事をしたと同時に、車はゆっくりと動き出す。
「…このまま、滞在先のホテルへ送ればいいのかな?」
「ええ。お願いします。この後も、少ししなければならないことがあるので」
「分かった」
 そう言って頷くやいなや。
「あ……」
 ロイは、何かを思い出したかのように呟いた。
「―――何か?」
「いや…。これから取引先に持って行く書類を、自宅に置き忘れたこと思い出して…」
「なら、先にご自宅に寄ってください。ホテルへは、その後で構いませんから」
「すまない」
 リザの承諾を得て、ロイは行先を変更するべく、ステアリングを右に回した。