イーストシティの恋人2 (1)
ここ、数週間の間に起こったこと。
それは、『現実』と『夢』の狭間を行き来するような出来事だった。
手持ちのお金がなかったことから、とある会社社長の豪邸で、家政婦をすることとなったことが、そもそものきっかけ。
そこから、『夢』のような世界が、オレの目の前で繰り広げられた。
初めて着た、ドレス。
初めて身につけた、高価な宝石。
初めての、豪華な晩餐会。
そして…練習以外で踊った、初めてのダンス。
初めて……恐らくかっこいいという部類に入るであろう、男性から、レディーとしてのエスコートを受けた。
ロイ・マスタング。
若くして会社社長を務める、いわゆる青年実業家。
彼もまた、オレにとっては『夢』の世界の住人。
『夢』でなければ、決して接することはなかっただろう。
だから、オレにとっては、彼自身がまさしく『夢』。
そして、彼と一緒にいた時のことは、まさしく『夢』の世界の出来事だ。
だけど、『夢』はいつか覚める。
ずっと、いられる場所ではない。
そして、『現実』の世界は、否応なしに待ち受けているのだ。
だから、そろそろ覚めないと。
甘くて楽しかった…『夢』から。
『現実』を見据えて、生きていかなければならない。
『夢』では、生きていけないから。
だから。
だから………
「――――いいよな…?」
自分に言い聞かせるように、エドワードは独り言を漏らす。
その手には、先日身に纏ったばかりの、ドレスを握り締めて。
「……どうせこんなの、着る機会なんてないし」
自分は、貧乏学生の身だ。
この後、こんな派手なドレスを着ることなど、まずもってないだろう。
ならば。
箪笥のこやしになるよりは、リサイクルした方がいいだろう。
そう、思い、やってきたのは、イーストシティの繁華街から少し路地裏に入った、一軒の質屋だった。
「…これで、何日間分の食費にでもなればいいか」
エドワードは、手の中にあるドレスを見て、呟き、質屋の扉を開けて、中に入った。
「へえ…最近の質屋って、こんな風なんだ…」
エドワードのイメージの質屋とは、もっとうらぶれた、暗いイメージしかなかった。
ところが、学校の友達に教えてもらったその店は、かなり広い店内に、所狭しと様々な品物が飾られている、明るい雰囲気の店なのだ。
商品も、ショーケースに厳重に入れられた、高級そうな宝石から、子供のおもちゃの類まで、様々なものが置かれている。勿論その中には、洋服の類もあった。
「…こんなんだと、このドレスも買ってもらえるかも」
と、俄然嬉しくなったエドワードは、早速『買い取り』と書かれたカウンターへと向かった。
「…いらっしゃいませ」
応対に出たのは、この店の主人と思しき、口髭を生やした五十代の男だった。
ニコニコと、愛想よく笑うその姿は、質屋の主人というイメージからはかけ離れている。
「あ、あの…このドレスを売りたいんですが…」
初めて、物を売るということをしているので、エドワードは少々緊張気味に言う。
「ほぉ…このドレスですか…どれどれ、失礼」
と言いながら、男はエドワードの差し出したドレスを注意深く見る。
「一回しか着てないんだけど…」
「…で、お客さんは、いくらくらいで売りたいんですか?」
にっこりと笑顔を貼り付けて、男はエドワードに問うてくる。
「えっ……?」
突然売値を尋ねられて、エドワードは戸惑ってしまう。
(…大体このドレス、いくらしたんだっけ?)
支払いは全て、ロイに任せっきりだったので、実際彼がこのドレスにいくら払ったのかなんて、知らない。
(……で、でも、余り安くはないよなあ…多分)
だから、口に出した金額は。
「……一万センズ…くらいで」
新品だと、二万センズくらいのものだろうと踏んで、エドワードは売値を告げた。実際、このようなドレスがいくらで売られているのか見当がつかないので、高価な服だとこれくらいだろうといい加減に告げた金額だった。
(大体、オレが買うのなんて、その十分の一くらいのものばかりだから…)
高価な服を買ったことのないエドワードからしてみたら、その値を言うことも、実は少々憚れたが、取りあえず勇気を振り絞って言ってみると。
「――――ほぉ……この服を、一万センズで…」
店主は目の前に置いてあるドレスと、エドワードの顔を交互に見て呟く。
(……な、何かいけなかったか、オレ?ひょっとして、高くふっかけすぎた…とか?)
このドレスの値段を知らないが故に、当てずっぽうで売値を提示したのだが、それはどうやら高すぎたのではないだろうか…と、エドワードは曲解した。
そして。
「あ……ダメならもう少し安くてもいいけど…。九千センズとか…」
「八千センズ、だな」
店主はニヤリと笑って、更に安値を提示してくる。
「これ以上は出せないですよ、お客さん」
「えっ……」
(このドレスって、そんなに安いものなのかよ?)
あのロイが、選びに選び抜いたものが、そこまで安い物だとは思えなかった。だが、ドレスの値段の相場とやらを全く知らないエドワードには、太刀打ちできる根拠がなかった。
だからせめて。
「もう少し…上げてもらえない?八千八百センズくらい…」
値上げ交渉に出てみることにする。
だが店主は、首を横に振った。
「ダメですよ。八千センズでも破格なのに、それ以上は絶対に上げられません」
と、あっさりと拒否されてしまう。
「…どうしても?」
「どうしても、です」
(…仕方ないか)
交渉しても、頭ごなしに拒否されてしまったのでは、どうしようもない。
(八千センズでも…食費に充てるのには十分だから…)
いいか、と思い、その値で売ることを告げようとした時だった。
「そんな捨て値で売るような馬鹿な真似なんて、止めろ」
突然、エドワードの横から腕を伸ばして、件のドレスを取り上げる者がいた。
「えっ……?」
驚き、顔を上げて隣を見ると。
そこには、金色の髪、銀の瞳の、長身の青年が立っていた。
(誰……?)
エドワードと同じ、十代と思しき、なかなかに整った顔立ちをしているその青年は、店主を睨みながら再度口を開く。
「このドレスなら、もっといい値で売れる筈だ」
そう言いながら青年は、店主を軽く睨む。すると店主は、うろたえたようにそっぽを向いた。
「――――行こう」
「えっ…?」
突然青年は、右手でエドワードの腕を掴み、店の出入り口へと歩き出す。勿論、左手にはドレスを携えて。
「どっ、どこへ行くってんだよ?」
いきなり、見知らぬ男に腕を掴まれて無理矢理に店から出されたエドワードは、通りへ出た途端に掴まれた手を振りほどき、ついでにドレスも奪い返す。
「せっかくもう少しで、これが売れたっていうのに…!」
「売りたいのなら、もっと良い値で売れる場所へ連れて行ってやるから」
青年は溜息をつきつつ、エドワードを見下ろす。
「どこだって同じだろ!大体あんた、どうして余計な口出しを…っ」
「オレは、あんたという名前じゃない。ラッセル・トリンガムという名前がある」
「何がラッセルだよ!………って……あれ……?」
強引に店から連れ出した青年に対し、怒り心頭になって怒鳴っていたエドワードの記憶の隅に、彼の名乗った名前が引っかかる。
「あれ……ラッセル……って名前、どっかで聞いたことが……」
(確か……学校で……だったかな?)
エドワードは、懸命に記憶の糸を手繰り寄せていた。
(……確か……そう、確か、本代を支払いに行った時に…シェスカさんが…)
確か彼女が、世間話のように言っていた。
『今年入学した生徒の中で、エドワードさんと同じくらい優秀な人がいるみたいですよ。勿論、入学試験は首席ですって。名前は……』
ラッセル・トリンガム。
彼女は確かに、そう言っていた。
「あんたが……あの…首席で入学したっていう…?」
ラッセル・トリンガムか?と聞けば、彼は黙って頷いた。
「あんたも、あの学校内じゃかなり有名人だぞ。最年少奨学生として、首席で入学したエドワード・エルリック」
そう答えたラッセルは、ニッと口元に笑みを浮かべて、学年としては上級生のエドワードを見下ろしていた。
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