イーストシティの恋人 1
「――――報告は、以上です」
ハボックは、厚めのファイルを見ながら言い、それを目の前の重厚なデスクで、書類に何かを書きつつ聞いている、己の上司の前に差し出した。
「……ふむ」
上司である男は、ぽつりと呟き、ファイルをめくってとあるページを開く。
「ここ数ヶ月、業績は上昇していたのに、今月は停滞しているな…」
黒い切れ長の瞳を細め、業績を表にまとめた箇所を指差す。
「ああ、それはですね…」
「ファルネーゼ氏か?」
「……分かっているなら、聞かないでくださいよ」
苦笑を浮かべて、ハボックは呟く。
「…実際、ファルネーゼ氏との業務提携を取り止めたのは、結構我が社にとっては痛手ですね。彼は、イーストシティとその周辺一体の流通網の大半を押さえていますから…」
「それを逆手にとって、仲介料を上げてきた。値上げを受け入れたら、我々も商売にはならない。手を引くしかなかったな、あの場合は」
ファイルを閉じ、小さく息を漏らす。
「ですが社長。いい加減ファルネーゼ氏に代わる誰かと提携しないと、ここイーストシティでのシェアを、他の会社に奪われますよ?」
「―――私が、そうなるのを手をこまねいて見ているとでも?」
と言いつつ、デスクの引き出しの中から別のファイルを取り出してハボックに差し出す。
「…これは?」
「今、新たに手を組もうと考えている御仁だ」
「成程、マレー氏ですか。ここ最近、流通業界でめきめきと力を伸ばしている人物ですね」
ハボックが手にしているファイルは、その人物についての様々な調査結果が記されてあるものだった。
「彼もまた、イーストシティでの、自分の会社の基盤を確立させておきたいところだからな。こちらの話を、最初から蹴るような真似はすまい」
「そうですね。こちらは一応、国内では十指に入る企業ですから…
手を組んでおいて、損はない。ただ、このマレー氏は、いささか頑固な人物ですから、一筋縄ではいかないかもしれませんよ」
「すんなり上手くいくとは、思っていないさ」
部下の心配そうな言葉を、一蹴する。
「彼にも思惑があるだろうし。それが、我々と手を組むことで有利になるということを知らしめれば、自然と近づいてくるようになるさ」
男は席を立ち、掛けてあった上着に袖を通す。
「―――まずは、お近づきになることからだ。…アポイントメントは取れるか?」
「それは何とか。ですが、向こうが会う場所として指定してきたのが…」
「会社ではないのか?」
「ええ。マレー氏のご自宅だそうで…」
「自宅…?」
「はい。何でも奥方が大の料理好きで、何かにつけて料理の腕前を披露したがるとか。ですから仕事の話でも、自宅で行うことが多いようです。マレー氏は、愛妻家のようですし…」
「ということは…晩餐会くらいにはなりそうだな」
料理自慢をしたい人物が、軽くお茶とお菓子程度で終わらせるわけがない。
「そうなると、同伴者が必要となるか…」
「ですね」
上司が外に向かおうとしたので、すかさずハボックは扉を開く。そのまま少し後方をついて歩き出した。
「――――セントラルならば、問題ないのだが…」
「あれ?ここにもいないんすか、恋人?」
「人を、不誠実な人間呼ばわりするな。大事な取引先に同伴できるような相手はいないということだ
(……でも、それなりに遊ぶ相手には、事欠かないということだよなぁ)
ハボックは、前を歩く上司の黒髪を見つつ、心の中でこっそり溜息をつく。
この、顔のいい上司は、とてももてる。
だから本拠地にしているセントラルのみならず、仕事で出向く地方都市でも、必ずと言っていいほど、そこで過ごす相手に不自由はしていないようなのだ。
かといって、自分の立場をしっかり弁えているらしく、女に訴えられるようなことは起こしていない。
そんな風に、女性の扱いが上手い上司を、彼女いない歴を更新中のハボックは、いつも羨ましく思っていた。
「―――まあ、同伴者の件は、何とかしよう。それから、ファルネーゼ氏への対抗策も考えねばな」
後ろを歩くハボックに、ちらりと顔を向ける。
その顔は、不敵に笑っていた。
「この、『ブラッドレイ社』の社長、ロイ・マスタングと手を切ったことを、後悔させるくらいに」
「――――程々にしておいてくださいよ、社長」
やんわりとハボックは釘を刺す。
そう言っておかないと、時にやり過ぎることがあるのだ。
この上司は。
「分かっている。程々だな」
ロイは一応そう答えた。
それをどこまで信用してよいものか…とハボックは考えつつ、支社の玄関先に止めておいた、社長専用車のドアを開けて、彼―――ロイを乗せる。
そのまま彼は前へとの回り、運転席へと滑り込んだ。
「ああ、ところで」
「はい」
運転しつつ、後部座席から声を掛けてくるロイに答える。
「先日頼んでいた家政婦の件、どうなっている?」
「ああ、イーストシティのご自宅の、ですね?あちこち斡旋を頼んでいますよ。もうそろそろ、返事が届く頃だと思いますが…」
「出来るだけ早く決めてくれ。前のように、掃除が杜撰な人間は駄目だぞ。それで、女性なら…誰でもいい」
「…綺麗で若い女性っていう条件は、つけなくていいんですか?」
「別に」
実にあっさりと否定してくる。
「家政婦だからな。私が自宅にいない間に掃除をするのだから、顔を合わすこともないだろうし。特に年齢とかは問わない。家事一切がよく出来ればいい」
「わかりました」
ハボックは頷き、後は運転に集中する。
そして後ろに座っているロイも、シートに深く座って目を閉じた。
後少しすれば、重要な取引が始まる。
それまでに少しでも、休息をとるために、ゆっくりと瞼を閉じた。
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