笑っているのに、瞳は笑っていない。
 彼女の瞳には、悲しみしか映らないようだった。
 けれども、彼女の魅力に惹かれたんだ、僕は。


□■□君の瞳に映るモノ□■□


 彼女と最初に言葉を交わしたのは、3年のクラス替えのときだった。
 彼女とは、一度も同じクラスになったことは無かったけれど、サッカー部のマネージャーをしていることは知っていた。
 何度か学校で見かけた彼女はいつも笑っていて、そしてその隣にはいつも、彼女の恋人がいた。
 それなのに、その時の彼女は笑っていなかった。
 表向きは笑っていても、瞳は笑っていなかった。

――――――半年前
 青学のクラス替えは、大きな掲示板に、1年から3年、1組から12組までのクラスがそれぞれ張り出される。
 クラス替えは生徒にとって一大イベントなのだ。
 僕の周りでも、喜んでいる者、ガッカリしている者、まだ自分のクラスがわからずに慌てている者。
 その中のどれでもない僕は、自分の名前を見つけると、教室に向かった。
 本当は教室ではなく、体育館に行って始業式なのだが、面倒なのでサボってしまった。
 校舎内にはまだ人はいない。静まり返っていた。
 3年6組も例外ではなく居たのは彼女、 だけだった。
 僕が教室のドアを開けても、彼女は振り向きもせず、何をするでもなく窓側の一番後ろの席に座っていた。
 席はまだ決まっていないようだったので、僕は彼女の斜め前に座った。
 それでも彼女はただ俯いて机を見ていた。
 時々、小さな肩が少しだけ震えて、嗚咽をこらえて泣いているようだった。
「泣いてるの?」
 そんなこと言うつもりもなかったのに、勝手に出てきた言葉。
 彼女はそれでも顔を上げなかった。
 教室にはいまだに誰も入ってこない。
 それもそうだろう、今は始業式の真っ最中なのだから。
「・・・あたし、泣いているかしら?」
 彼女は顔を上げて、僕に尋ねた。
 彼女の目は真っ赤で、泣いていないとは言えなかった。
 少しだけ頷くと、彼女は苦笑いをして「変なこときいてゴメンナサイ。」と言った。
 その目は何も見ていなかった。死んだような目をしていた。
 僕がハンカチを渡すと、彼女は軽く頭を下げて受け取った。
「最近、ずっとこうなの。自分では泣いているつもりなんてないのに。」
 明るい茶色の髪は長く、背中の中ほどまで伸びている。
 よく見ると形のいい唇と、白い肌。大きな瞳には、長い睫毛がかかり、派手ではないけれど綺麗な顔立ちをしていた。
 けれども、その顔は何だか疲れ果てて顔色は悪く、髪の毛は伸ばしっぱなしで、白い肌も荒れていた。
 前に見たときはもっと活発で健康そうな、明るい顔をしていたのに。
 何が彼女をこんな風にさせてしまったのか。
「朝、鏡を見ると泣いているの。友達と一緒に居ても泣いてる。何でだろうね、気づかないのよ?」
 綺麗な顔立ちには似合わないくらい、彼女は僕が居るのにもかかわらず、大粒の涙をポロポロとこぼしながら泣いた。
「何かあったの?」
 そうきくと、彼女は何も言わずに席を立ち、走って行ってしまった。
 僕は悪いことをしてしまったと思い、彼女を追った。
 彼女は3階の教室から、走って階段を上り、屋上のドアを開けた。
 後からドアを開けて、そっと外を見た。
 そこには去年同じクラスだった、サッカー部の副部長が居た。
 彼もサボったのかと考えながら、しばらくドアの中で待つことにした。
 少しすると、彼女の声が聴こえた。今度は声をあげて泣いていた。
 驚いて覗こうとしたが止めたほうがいいと思い、けれども気になって教室に戻る気はおきず、そこに座ったまま会話を聞いていた。
「・・・透は、もう帰ってこない。」
 そういった彼の悲しそうな声と一緒に彼女の小さな泣き声が聴こえた。
 『透』その名前には聞き覚えがあった。
 確か彼女の彼、サッカー部の部長のことだったと思う。
 『もう帰ってこない。』なんて、彼が死んでしまったような言い方だった。
 彼女のあの泣きかたから考えても、そうなのだろう。
 でも、僕はそんなことを聞いていなかった。
 もしかしたら、そんなことは僕の勘違いで、本当は転校したとか、そんなところだろう。
 僕は気になったまま、教室に足を運んだ。

 始業式は終わったらしく、教室にはもう新しいメンバーがそろい始めていた。
 見たことのない顔もたくさん。
 僕はその中から知っている顔を捜した。
「不二っ!」
 肩を叩かれて振り返ると、そこにはエージがいた。
 エージはニカッと笑って、Vサインをした。
「同じクラスだにゃ、不二!」
 そう言って背中をばしばし叩きながら、僕を席に着かせると、自分もその隣に座った。
「あ、エージ。聞きたいことあるんだけど。」
 ふと、エージが去年、サッカー部の部長と同じクラスだったことを思い出した。
「サッカー部の部長と、去年、同じクラスだったよね?」
 思い立ったら、何も考えないうちに口に出していた。
 その瞬間にエージの顔は曇り、あの元気一杯なエージが黙り込んで俯いてしまった。
「・・・あいつさぁ・・・。」
 エージは口を開いた。
「・・・死んだんだ。春休み中に。」
 エージはゆっくりと低い声で、淡々と話した。
 驚いたけれど、僕はそのことが気になっていたので話を止める気にはなれなかった。
「事故だった。を庇って、道路に飛び出したんだ。」
 それでか、と思った。
 彼女は最愛の人を事故で亡くしてしまったのだと。
 それも、自分の不注意で、自分を庇った恋人が死んだのだ。
 きっと彼女の目の前で息を引き取ったのだろう。
「透はいいヤツだった。人望が厚くて、熱血で、のこともちゃんと大事にしてた。・・・本当に仲良かったよ、あいつらはさ。」
 エージもさっきの彼女のように、泣きそうな顔をした。
「そう。」
 それしか言えなくて、黙ってしまった。情けない。
 こんなことしか言えない自分が恥ずかしかった。
 僕はもう少し器用な男だと思っていたのに。
さぁ、変わった。全然前と違うんだ。前はもっと明るくて、活発で、いきいきしてて・・・。あのころのに戻ってほしいにゃ〜。」
 そう言ってエージは俯いた。
 彼女の目の前には『悲しみ』しか無くて、それでも彼女はその実感が湧かないのだと思う。
 それは、かつて僕も経験した気持ちだから。
 周りの人が居なくなった時のぽっかりと穴が開いたような、何かが足りないのだという喪失感。
 勝手に涙を流してしまう気持ち。
 彼女はそのあと、教室に帰ってくることはなかった。
 今日は半日で帰れるので、みんなHRが終わるとばらばらと帰っていく。
 もっともこの後部活がある僕達テニス部員は別だけれど。
 エージと一緒に教室で弁当を広げた。
「今日の練習、キツイってさぁ〜。手塚に宣言されちゃったにゃ〜・・・。」
 そう言って、エージは深いため息をついた。
「うん、大変そうだね。」
 僕はエージの言葉も上の空で、さっきから彼女のことを考えていた。
 彼女はまだまだ立ち直ってはいなくて、それでも学校に来ていて。
 クラスは変わって、桜は散り始めて、若葉もちらほらと見えるのに、彼女の心にはそれらはどんな風に届いて、彼女はそれをどう感じているのだろう。
 今までは、あの彼といつも一緒だったはずのこの景色は。
 彼女にとって虚しいだけのもの?
 練習にも身が入らなくて、手塚にグラウンド10周走らされるし、夜もなかなか寝付けなかった。
 自分がこんなにもしつこいヤツだとは思っても見なかった。
 彼女のおかげで自分の隠されたところを見られた。
 ・・・ような気がする。

 次の日、学校に行くと、テニスコートのそばに彼女の姿があった。
 彼女はじっとテニスコートを眺めていた。
 僕は、驚かさないようにそっと近づき、肩に手を触れた。
 彼女は驚いた様子で振り返って僕を見た。
 周りを見ると、人はほとんどいなかった。
 テニス部のメンバーはまだ来ていないようだった。
さん?どうしたの?こんなところで。」
 彼女は昨日と同じように、悲しそうな目で少しだけ笑った。
「昨日は、ゴメン。・・・あたし、ちょっとパニック状態だったから、慌てて走って逃げちゃって。不二君に悪いコトしちゃったな、って思ったから。ごめんね。」
 彼女はそう言うと、少しだけ頭を下げた。
 顔を上げると昨日と同じ泣きはらした赤い目が、少し笑った。
 彼女は『じゃぁねっ。』といって走っていった。
 僕は突然のことで呆気にとられながら走っていく彼女の後姿を見ていた。
 彼女は出来るだけグラウンドを見ないように、出来るだけ何も思い出さないようにしているようで、少し悲しかった。
 僕は彼女を追いかけた。
 無意識のうちに走り出して、朝練があることも忘れてただひたすら走った。
 今までこんなに無心で走ったことは何回もあっただろうか。
 彼女が向かったのは屋上だった。
 彼女は勢いよく階段を駆け上がり、屋上のドアを開けて外に飛び出しフェンスにつかまって泣いた。
 後から追いついた僕は、躊躇いながらも彼女に近づいた。
 彼女は声を押し殺して泣いていた。
 僕なんかがわかるほど単純なことではないのだと、あのグラウンドを見るだけでつらくなるのだろうと、何故そんなことに気がつかずに、彼女を追いかけてしまったのだろう。
「ゴメン。・・・僕の方こそ、ゴメン。」
 その場に立ち尽くして、精一杯の、僕に言える言葉はこれしかなくて。
 でも、彼女は振り返って僕を見た。
 彼女は涙を手で拭いて、静かに微笑んで、すこし首を横に振った。
 彼女の瞳には悲しみしか映っていなかった。
 けれども僕はその瞳に惹かれたんだ。それは、きっと。

「不二っ! おはよう!」
 彼女は笑って手を振った。
 それは、あの頃のような暗い悲しみを映す瞳ではなかった。
 本当の笑顔を見せる彼女。
 僕は立ち止まって彼女を待った。そして、同じように、
「おはよう、。」
 と、笑ってかえした。
 彼女の首には彼の形見のペンダントが下がっている。
 半年前には悲しいことを恐れてしなかった
 それを今は毎日はずさない。
 サッカーのグラウンドも普通に走り回って、今までのようにマネージャーの仕事をして、前の明るさと活気を取り戻しつつある。
 でも、ときどきサッカーゴールの前で立ち止まって、彼女は空を見上げる。
 彼の面影をどこかに探すようにゴールを見て、少し苦笑いする彼女を見るのは少しだけつらい。
 彼女はきっとまだ彼のことが好きだから。
 僕は気づいてしまったのだ。
 自分が彼女に恋をしているということに。
 そして彼女はまだ空のかなたを見上げるのだ。
「今日はね、お墓参りに行こうと思ってるの。不二も来てくれるかな?」
 彼女は言った。
 今までにそんなことは一度だってなかったのに。
 僕は頷いた。
 彼女は『緊張するなぁ』と言って笑った。
 僕に向かって笑って、でもそれはほかの誰かに向けた笑顔のような気がした。

 半年前のあの後、僕は彼女に聞いたんだ。
「あのね、彼ね、透は、サッカー部のキャプテンで、責任感が強くて、優しくて、かっこよくて、あたしにはもったいないくらい、いい人だったの。あたしは大好きだった。彼のこと。あたしが・・・不注意だったのがいけないの。透はあたしを庇って。・・・・・最後に『愛してる』って途切れ途切れに、もう、息も荒くなってるのに言ってくれたの。初めて。それなのにあたしは泣いて。あたしも言わなきゃって、言いたいって、そう思ったのにいえなかった。あたしはあの人のこと愛してたのに。何でだろうね。何で肝心な時にそんな言葉が出てこないんだろう、あたし。」
 彼女はいつも泣いていた。半年前に。
 その時も泣いていて、声はかすれて、それでもなにかを必死で僕に伝えようとしていた。
 こんなに誰かを愛している人に出会ったのは初めてだと思った。
 彼女は何時までも、彼のことを思い続けるんじゃないかって。
 そう思ってた。
「あのね、やっぱり、あたし自身が前に進まなきゃいけないって思うから。でも、1人で行くのはまだちょっと、怖いから。」
 俯いて、彼女はそう言った。
 彼女はあれから半年間、一度も墓参りに行ったことがないという。
 やっぱり、怖くて、大切な人の死を現実として捕らえるのが怖くて、いけなかったのだろう。
「不二がよければでいいんだけど。」
 彼女は顔を上げた。
「いいよ。」
 あっさりと引き受けてしまった。
 後で後悔するのは目に見えていたのに。
 だんだん泣かなくなってきた彼女が、墓を前にして泣き崩れることはわかっているのに。
 それは、自分の墓ではなく、彼の墓だという事だってキチンと解っているはずなのに。
 僕は笑って引き受けた。
 けれど彼女はそれを見て、彼女は『アリガトウ』と言って、走っていった。
 彼女の嬉しそうな顔を見てしまうと、そんなきもちも無くなってしまうくらい、重症だ。
 放課後、僕は手塚に許可を取って、彼女と墓参りに出掛けた。
 手塚は理由を話すと、何も言わずに頷いた。
 僕の気持ちを見通したように。
。大丈夫?」
 墓に向かう彼女の足取りは重かった。
 それは、足取り軽く墓参りに行く人は少ないだろうけれど。
 彼女は少し頷くだけで、何も言わなかった。
 それくらいに、緊張、というか、恐怖みたいなものがあったのだろう。
 僕もそれから何も言わずに、彼女の隣を歩いた。
 墓へ行く途中の並木道をふたり無言で歩いた。
 彼女は墓に着くと、彼の墓の手前で立ち止まった。
 少し先に居た僕が振り返ると、やはり彼女は泣いていた。
 彼女はそこから動かなかった。
 肩は震え、涙はぽたぽたと流れ落ちた。
。」
 彼女は急に、我にかえったように、少しずつ足を前に進めた。
 僕の居る、彼の墓の前まで。
 彼女はここまで来ると、泣き崩れた。
 地面に膝をついて、初めて大声で泣いた。
 僕は同じように地面に膝をついて、抱き締めてやることしか出来なかった。
 声を掛けることさえ、僕には出来なかった。
 彼女は少し落ち着くと、口を開いた。
「・・・・・アリガト、不二。・・・大丈夫。」
 彼女はそう言うと、立ち上がって、彼の墓の前に立った。
 そして、ゆっくりと、彼の墓に向かって話し始めた。
 僕は黙って立ち上がり、彼女を見ていた。
「・・・あたし、透のこと愛してたよ。たぶんこれからもずっと愛してる。ごめんね。透が、最後に『愛してる』って言ってくれた時に、あたしも言いたかった。・・・・・たとえこの声が嗄れても、伝えたかったことを。『愛してる』って。いつまでも。もし、生まれ変わりってことがあるのなら、透は信じる?あたしは信じるよ。だって透があたしの近くに生まれ変わって来てくれたらすごく嬉しいの。」
 彼女は涙を拭いて、空に向かって笑いかけた。
「ありがとう。透。あたし、楽しかったよ。」
 そういうと、彼の墓に手を合わせて、僕の方に振り返った。
 彼女はもう涙を流さなかった。僕も墓に向かって手を合わせた。
 彼女は笑って、僕を見た。
 大声で、『ありがとうっ』と言って、僕の手をとって走り出した。
 来た時とは違い、彼女は軽い足取りで、僕の手を引いた。
「ふっきれたと思う、あたし。」
 走りながら彼女はいった。僕は大きく頷いた。
 彼女は本当にすがすがしい顔で、笑ったから。

 笑っていなかった彼女が、笑った。
 きっと彼女の思いは彼に届いただろう。
 彼女はきっと、ずっと彼のことを思い続けるのだろう。
 僕がどれだけ彼女を思ったところで、この気持ちは彼女には伝わらないのだろう。
 彼女はきっと、優しく笑って、明るく笑って、前のように戻っていくだろう。
 そして、時々涙するだろう。
 僕ではない、ほかの誰かのために涙し、静かに笑うのだろう。
 取り留めのないことを永遠に考えながらも、僕は嬉しかった。
「ありがとう、不二。・・・あたし、不二がいなかったら、多分ダメだったと思う。」
 彼女は急に立ち止まって、そういった。
 僕は何も言わずに彼女を見て、笑った。彼女も笑った。
「好きだ。」
 言わないで飲み込んだ言葉が、溢れていた。
「好きだ、。」
 彼女に迷惑をかけまいと、言わなかったこの言葉が、自然に。
 ああ、これが本当に『恋』なのかもしれない。
 薄い紙切れのような、言葉だけの『好き』じゃない。
 もっと違うもの。心から自然に溢れてくる気持ち。
「本当に。好きだ。」
 繰り返して、好きだといって、少し恥ずかしかったのに、止める気はなかった。
 彼女の頬は赤くなり俯いてしまった。
「ゴメン。」
 謝ると、彼女は顔を上げて、僕の顔を見ると、首を横に振った。
「そんなことない。けど。もうちょっと待ってて。」
 彼女はそう言って、今度は一人で歩き出した。
 僕は呆然と立ち尽くして彼女の後姿を見つめていた。

その後、どこかで赤ん坊が産まれ『透』と名づけられるのは、もっと先のお話。



end



あとがき・・・
スランプでした。
リクエストしてくださったのに、大分遅れてしまって申し訳ありません。
不二君・・・ちゃんとかけてるかわかりませんが。どうでしょう? ちょっとキャラ違う気も(汗 スミマセン。



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