上杉――或る一日
北の大大名上杉家、その統領上杉景勝は、朝早くに己の無二の腹心の姿を見つけて僅かに目を丸くした。
「来ていたのか……今日は随分大人しいな」
対する直江兼続、伏せていた頭を上げて
ぺち、と自分の首を叩いたあと、顔の前で大きくバッテン
「……?」
首をかしげた景勝を見て、兼続もう一度
ぺち、バッテン
「……もしかして声が出ないのか? 風邪か?」
こくこく
頷いた後、今度は身振り手振りでバタバタくねくね
傍から見ると、何を呼び出す気だ!といった怪しい動作だが、やる方も見るほうも実際には必死
「……『大したことないので仕事はいつも通りする』
……まあ、お前がそういうのなら……
『他の皆には言うな、いらぬ心配をかけたくない』
……そうか」
その必死の念が通じたのか、結構細々伝わった。
こくこく、と首を振る兼続の嬉しそうな顔を見て、心の中で妙な達成感を覚える。
と、続けてバタバタくねくね
「ん?『とはいえ喉がこの通りなので、声を出すのが必要な場合は代わりに頼みます』
……なんだと!?」
シー…………ン
その広間は、十数人のおっさん……もとい重臣たちがいるとは思えないほどの静寂に包まれていた。
静寂――否、沈黙
どこか遠くで、かたかた と風が戸を揺らす音が聞こえてくる
いつもの如く、口を結んで上座より見渡す景勝の沈黙
そして、傍らに座す直江兼続のいつもでない沈黙と
なんとなく物音一つ立てるのも憚れて、青い顔で身じろき一つしない家臣たちの沈黙
かたかた
他の日であれば、義を語りながら軍事・内政のみならず様々な問題について話す
綺麗だが無闇に大きい声が聞こえてくるのに
今日この日は、はじまってより数刻何故か誰一人として口を開かない
だがこのとき、一人を除いてここに集った主従の心の声は一つであった
―――互いにそれを知ることは出来なかったが
(((……どうしよう……)))
一つであってもどうにもならなかった
かたかた
ただ時が過ぎてゆく
シイィ……ィ……ン
「こんこんっ」
唐突に、軽い音を立てて兼続が咳き込む。
ビクゥ
何故かおびえる家臣一同
そいて、厳しい表情を崩さぬままゆっくりと口を開いていく上杉景勝
「……わかった」
(((なにが!?)))
「……では……そのように」
(((どのように!?)))
こうして今日は、締めくくりだけはいつものように終わって
家臣たちを残して去っていった景勝の目が妙に虚ろだったのは、どうにか誰にも気付かれずにすんだ。
この日、会合に参加した者たちが一様に酷く憔悴した様子であったことと、
誰一人として、何が話し合われたのかも話さなかったため
一体何事が決せられたのだ、もしや……と近隣諸国のみならず、京・大阪までも波及して、影で混乱を呼んでいたのは後の話。
すぐ翌日のこと、景勝の下には必死な形相の重臣たちが訪れて
「……と、言うわけで。何はともかく謝ってくだされい、怒らせたときはそれが一番の方法ですぞ。
今日などは姿も見せぬではありませぬか!!
はよう兼続殿と仲直りしてくだされ!!」
(なんでそうなるのだ……)
聞いていると何故か豪く疲れるので
横を向いて嘆願の声を聞き流しながら、景勝は考え事に没頭していった。
(……兼続への見舞いはどうするかな……)
「頼みます!!殿ォ!!!!」
おわり もどる